よもよも

気になった文・言葉/覚書


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ドキュメントでどんなに描いても

1人の人物を描ききることは難しい。

人は多面体であり、矛盾した存在です。

それがボブ・ディランともなれば

さらにでしょうか。


波乱万丈の彼の人生からは

さまざまな出来事が生じ

彼の内面も見え隠れします。


ボブディランを解体して

彼のキャラクターの一部から

6人のキャラクターを設定。


それぞれの人生に

ボブディランを想起させる

エピソードや雰囲気もあります

が、ボブディランの人生を

なぞっているわけではありません。


ボブディランの中の1要素が

新たなストーリーを展開しているといった感じです。


台詞のやりとりや

シャープな映像

それらの交錯する様など

とても詩的な映画だったと思います。


I'm not there(そこに私はいない。)

「彼に触れようとするといつも、彼はそこにいないんだ。」

この映画にぴったりの曲だと

トッド・ヘインズ監督は言っています。

夢のように頭をよぎる作品だとも。


私が印象に残ったのは

ケイトブランシェット扮するジュードに言わせている台詞。

「「フォークミュージック」という言葉はもはや僕には使えない。」

「無意味な歌詞ほど崇高なものはない。」


この台詞には

ボブディランが

世間とどう対峙してきたのか

闘ってきたのかが

感じられるような気がします。











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そこにただ存在するものは、単なる「自然」であったり単なる「環境」でしかなく、それを人間が感知し認識したとき、はじめて「風景」が誕生する、という視点にたつ。さすれば、風景とは受動的なものではなく、そこに暮らす人びとの主体的な営みによって、出来上がるものであるということになる。



環境が風景として立ち現れる大事な条件として、 空間的な距離や時間的な隔たりがあげられます。 環境と生活が密着している場合、 環境は風景としては立ち現れず、 それらの間のある種の隔たりが風景を立ち現せる契機として重要ではないかと思っています。 例えば、 空間的な距離感をとるものとしては旅や異郷にあるということ、 時間的な隔たりの存在するケースとしては故郷とか歴史的な町並みがあるだろうし、 心理的な距離を生むケースとしてはゆとり、 余暇、 散歩などがあげられるだろうと思います。

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風景は自分たちが属する文化に促されて

風景の側面のいくつかを知覚したりしなかったりする。



文化はわれわれの感覚の生理学的な能力とは独立に

意識と事物の間にある種のフィルターを

いくつか介在させ、それが情報を通したり

通さなかったりするのである。



風景は現実の事物に関する情報と

もっぱら人間の脳によって練り上げられる情報の

両方で構成されるのである。



和辻哲郎が「風土」で的確に示したように

日本の家の空間は都市の空間に比べると

閉ざされている。

この考え方を芦原義信は明確にして

建築学の観点からは

通りが日本では家に対して外的な空間であることを示した。

一方、イタリアやスペインの小都市では

通りは内的な空間なのである。


「日本の風景・西欧の景観」より抜粋。



確かに、風景は

自分の中に呼応する材料がなければ

ただの山であり海でありただのビルであり

となってしまう。


自分の中の原材料(経験・知識)が必要。

材料はある程度のラインを超えると

材料が材料を呼ぶこともあるでしょう。

風景に限らずだと思いますが

自分の中の材料をつくっていくことは

人として豊かになっていくことなのでしょうね。



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東京新国立美術館で行なわれている

「エミリー・ウングワレー」を見てきました。


何気に入った展覧会でしたが

とてもおもしろかったです。


常識、あるいは思考の傾向など

グローバル化が進むにつれ

同質化してきています。


そんな意識を壊して

独自のコンセプトをつくらなければ

アートとして光りにくいのが

現代ではないでしょうか。


そんななか、アボリジニアートは

とても魅力的です。


新しいものをつくろうとか

新しいコンセプトをみせようということではなく

日常の延長としてある彼らの創作。


ドリーミングというアボリジニの宗教観、世界観そのものが

私の意識を刺激します。


理屈ではなく、体全体からでてくる

エネルギーが創作になっています。

圧倒的な何かを感じます。


亡くなる2週間前に

線やドットではない面的な作品が出てきます。

色も今までのようなエネルギッシュなものではなく

淡い色合いです。


これはエミリーが死期を悟ったことに

大きく内的な何かが変化したからなのでしょうか?

アボリジニの宗教観が影響しているのでしょうか?

 

いろいろ考えていると

ますますおもしろい

アボリジニアートです。
















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アメリカの顔とも言える人たちが

口々にアニーリーボヴィッツを語ります。


彼女はアメリカの肖像を撮っている。

彼女は心の内面を撮る。

写真に物語の一行が見える。


一度見たら忘れられないインパクト。

それは何なのでしょうか。


ずっと撮影をしていて

そのうち空気のように撮られていることが

気にならなくなる、といっていたのは

ローリングストーンズ。

有名なダンサーやシュワルツネガーも

同じようなことを言っていました。

彼女自身の構えない

オープンな姿勢もあると思いますが

(自分が構えると相手も構える)

それだけ、ずっと追い続け

撮り続けていたということも

いえるのではないでしょうか?


センスなど天性のものもありますが

相手が誰であろうと

その人の中に踏み込む勇気とか

ま、いっかといった甘えをしないとか

そういう気迫ともいえるものが

写真に表れるのかもしれません。


さらに

物議をかもすことを好むくらいの挑発性、

守るのではなく攻める感覚も持ち合わせているところが

彼女をここまで有名にしたのでしょうね。


リーボヴィッツは

愛する人の最後を記録し続け

その亡骸も撮影していました。

ファインダーを通した

彼女の気持ちが痛いほど伝わる写真でした。

アラーキーも病院で横たわる

奥さんの姿を写真に収めています。


写真とともに人生がある人たちは

自分の心が大きく揺さぶられたとき

その被写体への強い思いとともに

写真をとらずにはいられないのでしょうね。


世界一有名な女性写真家として

一人の女性の生き方として

とても興味深い映画でした。















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川本三郎の本をもう一冊。

「感覚の変容」


風景、って英語にすると

scenery

landscape

paysage

いろいろでてきます。


それぞれどう違うのでしょう。

sceneryは無垢なイメージ

landscapeは人工的なイメージ

paysageは・・・?絵画的??

(とまあ、これは私の勝手なイメージですが。)

それぞれニュアンスってあるんでしょうね。

ネイティブの人にも聞いてみようと思ってますが

実は、個人の感覚でずいぶん答えの幅が

あるかもしれないと思ったりもします。


さて、

本の中で作者は

landscapeについてこう記しています。


風景は個立した人間のバニシングポイントになる。

この消滅の要素を含んだ、

デカダンスの影をおびえた風景を

私はランドスケープと呼んでみたい。


精霊や共同体の力によって安定させられた風景ではなく

日常性や共同性から離脱した

個独な人間が素手で向かい合わねばならない

不安定な、未知の風景。

ランドスケープとはそういう風景。

ジョン・ホークス風に言えば、

孤独な個人の無意識がひきよせた

「完全に新しい、必要な虚構的風景である」

(トニー・ターナー「必要な風景と輝かしい退廃」)


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さらに

おもしろいと思ったのは


周囲の外的なものに無関心であるような

「内的人間」において

はじめて風景が見出される。


これは仮谷行人の言葉を引用したもの。


人と風景の関係は

人の個や孤の部分と響きあう

といった感覚が全編に綴られているように思います。

私自身がそこに共感するから

大きく印象に残っているのかもしれません。


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もうひとつ印象に残った箇所として

アメリカの風景について書いています。


1959年、ロバートフランクが発表した

「アメリカ人」という写真集。


アメリカの荒野に果てしなく広がる

からっぽの「路上の風景」

特に有名なのが「国道285号線」

アメリカの広大な中西部を

1本のハイウェイが

まっすぐ彼方の地平線に伸びている。

それだけ。


対象を「撮る」という行為から

一歩進んで

対象を「発見する」

というより恣意的な創造行動へ。


「あるがままの風景」というより

「個によって見られた風景」へ。


すべてがロバートフランクからはじまった。


静まり返った

人のいない風景は

決して単に寂しいだけじゃない。

懐かしく、

その中にひきずりこまれたくなるような

透明感がある。


おそらくこういう風景は

昔からそこにあったのではない。

現代のわれわれが、

自らの孤独感を確認し

それを潔く受け入れたとき

その孤独感が引き寄せたものなのだ。

共同体の感覚とか、意識の底の情念に

とらわれていた頃のわれわれは

決してこんな抜けるようにさっぱりした

がらんとした風景を、好ましいもの

美しいものと感じることはなかっただろう。



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感覚とは変容するのです。


風景が美しいと

描かれるようになったことも

(風景が発見されたことも)

大きな変容であったし

人々の"個"が確立するにつれ

孤独を意識し、

その孤独を受け入れることで

「からっぽの風景」も

美しいと感じるようになるという変容を

わたしたちは経てきているのですね。


10年後、20年後・・

私が共感できる風景は

変容しているのでしょうか。



















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7/3の朝日新聞の

「風景も文化財」という記事から。


「風景」

人の心の投影でもあります。

時代とともに、人の意識とともに

「風景」という言葉の持つ意味あい(概念のテリトリー)が

変わってくるものだと思います。


さて、

「文化的景観」はここ十数年世界遺産のトレンドだそうです。

人が意図的に創造した庭園

棚田やブドウ畑などの有機的な土地利用

聖地とされる山など、人と自然のキズナを表す景観・・


世界の潮流もあって

日本でも5月に「歴史まちづくり法」が国会で成立。

文化財に指定された寺社や城跡、建物を中心に

「歴史的風致」を守る市町村を国が認定、補助金を出し、

管理や修理の技術指導を行なう仕組みになっています。


文化庁は


「景観に象徴される

地域の営みに価値を見出し

変化の方向性に合意をなすことも大切なプロセス」



稲葉信子・筑波大学教授(世界遺産学)は


「守るべき文化の対象が、

中央から地方、権力者から庶民、

点から面へと世界的に変化したことが背景にある」


「文化的景観の保全とは、変化を見守ること。

人間社会の早すぎる変化を見直すことにもつながるのでは」


とのコメント。


「風景」

この単語の持つ意味合いを

どこまで想像、創造するでしょうか。








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ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカルだった

イアン・カーチス。

23歳で自殺するまでの

半生を描いています。


モノトーンの映像が印象的でした。

監督は写真家なんですね。

そういわれれば

静止画、写真のようなシーンが

何箇所かあったように思います。


”自分ではない誰かがやっている”

"自分をコントロールできない”

彼の不安、孤立、混乱が

映像の中で綴られていきます。


主演は、サム・ライリー。

イアン・カーチスが自殺した1980年に

生まれています。

(時代はどんどん入れ替わるのだなあ)


イアン・カーチスの死後

残りのメンバーたちで結成した

ニューオーダー。

ジョイ・ディヴィジョンの歌は

歌ってなかったのが

活動再開後の1998年以降は

積極的にジョイ・ディヴィジョンの曲を

演奏するようになっているそうです。

イアンの死を乗り越えるまでに

それだけの時間を要したのでしょうね。


ちなみにニューオーダーの

ブルーマンデイは

イアン・カーティスの自殺への心境を曲にしたと

言われています。


この「コントロール」という映画は

イアン・カーチスの奥さんが書いた本を

ベースにしています。

だからでしょうか、イアン・カーチスが

奥さんと新たな恋人の間で戸惑う様子などが

多く描かれています。


早逝したロックアーティストの

内なる詩の世界と比較すると

若干、現実的というか、俗っぽい感じがしなくはないです。

奥さんの現実的な視点が入っているからでしょうか。


ジョイ・ディヴィジョの映画ということでいくと

”ジョイ・ディヴィジョン”という

ドキュメント映画も今年日本で公開されています。

原作者によって、監督によって

同じ”ジョイ・ディヴィジョン”でも

見方や描き方はずいぶん違うでしょう。

ぜひまた違う角度から

見て見たいものです。







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