哀楽→愛楽の手引き

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この前で、喜怒哀楽の「哀」の感情がややこしいということについて書きました。

そうです。
すっかり自分もこじらせてしまいがちなので、こうやって心を整理しています。

今おかれている、アイドルとアイドルファンという状況で
具体的に整理したいと思います。

初期値としては、アイドルよりアイドルファンの方がお気楽です。
しんどくなれば離れればいいので。

責任感とか擬似的な信頼関係が生まれると厄介です。
アイドルが言うことの全てに反応したくなってしまいます。
いくつかの種類の言葉が発せられると、時にアイドルファンの心はポッキリ折られてしまうこともあります。

そう言った危険を避けるため・・・
他の趣味を並行してやったり、他のアイドルも応援してみたり、受ける重圧を分散したい方向に走ります。
あるいは、走りたくなります。

ここで、もう一度整理します。
通常の場合、アイドルファンは、アイドルが望んでも行く行かないの主導権は、アイドルファンが持っています。
ただし、アイドルファンが望んでも、アイドルは行けないという選択肢しかありません。

そこだけ見ると、案外つらいです。
真性マゾ体質の人が集まっているとしか思えません。

でも、本当はみんな楽しみたくて集まっているのです。

そこで、僕は考えました。

・悩みは第三者の前で爆発させる。
(ファンの前、アイドルの前で言わない)
 → 見事に誰も共感しませんので、冷静に元に戻れます。
・心まで見ようとしない。
 →アイドルも人間ですので、体調や心の調子をよく崩します。
  よく見てると、案外よく見えます。
  若くて、メンタル弱いだろうから自分が支えてあげなきゃ!
  そんなこと、思わなくていいです。回復力は意外と早いです。
  誹謗中傷して、敢えてアイドルをたたくことはよくないですが、
  アイドルの気持ちなんて気にしないで、自分の心を整えましょう。
  (過剰に関わると、愛情が「怒」「哀」に変わる可能性が高いです。)

それから、物理的距離が近いと、心も近いと錯覚しがちです。
確かに近いかもしれませんが、お互いに越えてはいけないと認知している壁に悩まされることもあります。

接触・特典会と呼ばれる、いわゆるアイドルと親しくなれるイベントがほとんどの場合ありますが、本来、「わぁ、憧れのアイドルと握手できて感激!」という一期一会的なものであるべきが、自己アピール大会になっています。
楽しんでいる分にはいいのですが、歌って踊るアイドルは、歌って踊ってるのを一番に楽しむっていうのが、あるべき姿なのかなと思い直したところです。
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労働基準法1

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18歳未満は夜10時から朝5時まで働かせてはいけないよという法律がある。

テレビのタレントなんかでも、10時になったら退場させたりする。
実際、それで青少年は守られているか。

答えはイエスである。

決まりがないと、際限なく働かされるからである。
そして、周りの人も巻き込まれる。

ただ、10時10分まで働かされただろ!と目くじらを立てるのはおかしい。
働かされた本人が嫌がっているなら目くじらを立てて守ってやればいいが、
例えばタレントなど、10時に終わったから、はいお疲れ。
なんてことはないだろう。最終まで付き合わないにしても、間違えなく、それ以降も舞台裏にいるはず。
目に見えないだけのことである。

この法律を無視するのは良くないが、使用者側が、努力を見せればいいだけの話である。
取り締まるのは簡単。
厳しく、9時半くらいでイベントをやめてしまえばいいのだ。

受益者が被害者かもしれない青少年を守るために正義の言葉を述べると、
規制が強くなってしまう。
言ってみれば面白くなくなってしまう。

こんなことを言う大人は良くないが、それが事実であって、
一度決めた規制は、緩められることはほぼなく、どんどん規制やルールができて、
窮屈な中で楽しみを見つけなければいけなくなってしまう。

本当は、一番良いのは、規制すれすれの運営、使用をしないことが一番だ。
そういう楽しい企画をできる人が今後求められるのかもしれない。
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AKB商法

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いわゆる悪徳商法として、AKB商法があげられることがあった。

・同じCDでもジャケットが違うものを数点販売することで、ファンは全部欲しくなる
・握手会など特典目当てにCDを買わせる
・CDに生写真がついているが、全種類集めるにはたくさんのCDを買わねばならない

アホやなあ、と思いつつ、渦中にハマってみると見えるものがあった。

AKB(実際はNMB48しかほとんど知らないが)は、同じタイトルのCDでも、
カップリングの曲が異なったり、付属のDVD映像が違ったりして、別の商品として
楽しめなくもない。

また、握手会、写メ会など、いろいろあるが、全く同じCDで別の特典というのは
そんなにない。(と思う)

この間、別のアイドルのライブに行って驚いたのだ。

全く同じ(ジャケットは違うものもあるが)CDを1枚買ったら、メンバーと握手。
2枚以上買ったら、お好きなメンバーと写メを撮れる。

実は、2枚買って、特典会を大いに楽しんだのではあるが、
2枚目のCDは、本当にフリスビーとなった。

AKB商法の元祖のAKBの方が、案外良心的なのではないか。
また、AKBがフロンティアを切り開いてくれたおかげで、世間の悪評はそちらに集中したおかげで、
他のアイドル(演歌歌手だってやってる)のCDの売り方も完全に変わってしまっている。
ええやないか、になってしまっている。

悪い、とは言わないが、同じCDはたくさん要らない。
CDじゃなく、特典をそのまま商品にしてしまうと、風俗的なサービスとみなされるんだっけ。

でも、アイドルさんたちとお話しさせていただくと、
「わー、うれしい!!また来てくださいねー!!」って
キャバ嬢(本当のキャバ嬢はよく知らないけど)みたいな対応だなーって感じる。
それで心を掴まれてしまっているから、思う壺なんだけれども。
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幸せへの一本道

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人生、辛いことが待っていると思うと、進みたくなくなります。

そう考えて、自ら進むことをやめてしまう人もいますが、
多くの人は、進みます。

実は、辛いことがあったとしても、幸せを感じる時は必ずあるからです。

道は一つ。

回り道しても、障害をのりこえなければいけないとしても、
自分が納得できる幸せへ続いているんですね。

一緒に歩きませんか?

手放す、任せてしまう

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脳には(潜在意識?敢えて脳と記載する)オートパイロット機能があるという。
願望としてできるだけ具体的に思い描いたものは、執着せず一旦手放し、
脳?ハイヤーセルフ?宇宙?に任せてしまいなさい、ということも聞く。

紙に書けば叶うなんてのも似ていると思う。 

人の願望は、中途半端に思考にこびりついているから厄介で、
ある意味、完全に忘れてしまえば幸せで、忘れたころに叶えば
より幸せな気がするため、個人的には好きな概念である。

前のテーマと相反するような感じもするが、実はそうでもなく、
仮想で願望実現をしたかのように思い浮かべることも、
ずっとその状態でいるべきとは言っていない。(言っていることもあるが)

結局のところ、他人から見たら危ない人かもしれなくても、
仮想であれ、現実であれ、常に幸せだと感じられる道を通りたいだけで、
大切なのは、何を幸せだと感じるのかを自分で選んで決めることだと思う。

すでに叶ったかのように

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脳は(潜在意識?敢えて脳と記載する)現実と仮想の区別が付かないという。
すでに、その事実が現実かそうでないか区別は付かないが、
よく聞くのは、だから願いは既に叶ったかのように言葉にしたり、
思ったりするのが願望実現の近道だという。

しかし、少し待ってほしい。

現実か仮想か区別が付かないから、仮想の願望実現を生み出し、
現実がその方向に向かうように仕向けるのだと思うが・・・

確かに、おかしくはない。
ただ、その願望実現の感覚を知らないから、
願望を実現したいのであって、その仮想化は
そう簡単ではないのではないだろうか。

また、脳が現実と仮想の区別が付かないのであれば、
仮想で願望実現してしまえば、その充実感を味わうことができ、
現実化することなく、満足してしまうのではないのか。
なぜ、現実化する必要があるのだろうか。

願望が実現した場合、仮想として思い浮かべていたものに向けて、
結び付けを行うのではないだろうか。
ここは、思った通り。この部分は、こういう解釈なのか・・・などと。

解釈を間違えているかもしれないが、ふとそう思った。

ディスコミュニケーション

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人との付き合いは、相手あってのことだ。


当たり前のことだけれど、実は深く考えたことがなかったのかもしれない。

心が強い人ばかりが周りにいるわけではない。
相手がどう考えているか、観察が大事。
たくさん、たくさん、習ってきたではないか。

かつて、受け止めて、受け止めてもらった上で、
げんかいだー!って爆発されてしまったことは何度かあった。
言ってくれたら、ストップがかけられる。

受け止めて、受け止めて、受け止めさせてしまって、
避けることができないところに追い込んでしまいそうにしてしまった。
・・・かもしれない。

恋をするにしても、仕事をするにしても、
人に安心感を与えたいなと思って行動しているつもり。

頑張りすぎると、人を圧迫する。

「この人、悪いことをしているけれど、
きっと悪気でやっているわけではないんだ。」

そういう人に関して、なかなかガツンと責めるのは難しいかもしれない。
分かってもらえるように避けるしかない・・・


ただ、どんな意図があったにしても、どんな意味があったにしても、
いっさいの悪気や下心が、なかったとしたって、
相手の反応がコミュニケーションの結果である。

この前提を、この人生の中、何度も忘れてしまって、
人を傷つけたことは、自分の中では大きな罪であると思う。

不謹慎かもしれないが、叱責していただいた方にありがたく思います。
また、傷ついた方の心のケアをしていただいた方にも嫌われてしまっただろうけど、
ありがたく思います。

ここから、どういう行動をとるか、そこが自分自身の真価だと思います。

あき

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前にどこかに書いたかもしれない。

僕はどうにも飽きっぽいようだ。


しかし、細く長く続けたい欲があったりして、
何についても、辞めてしまったとは言いたくないところがある。

それで、趣味について聞かれると困ってしまうのだろう。


そういう場ではない初対面の人に「NLPとシータヒーリングです」とは
言いにくいところもあろうし、「読書です」と言っても、内容を聞かれて、
すぐに答えられるほど、真剣に本を読んではいない。

敢えてここには出さないあれもあるが、それも時と場所を選ぶと思う。
真面目に語りだすと、大いにバカにされることも予想される。
それに、最近、それこそ飽きてきたみたいだ・・・


たとえば、友達や気に入った異性が好きだというものについて、
ぜひ、僕も挑戦してみたい、体験してみたいなと思う。

そういうのが、趣味と言えるのかもしれない。

もちろん、ついていけないようなこともあるかもしれないけれど、
相手が体験したり、感じたことを聞くのは好きだ。

あ、なんかいい感じやな…


文房具が好きなんですよ、と言っても、
高級なノートや、(僕にとっては)めっちゃ高級な万年筆を使うにしても、
そんなに良さが分かっているわけではない。

100円で買ったボールペンもすぐに書けなくなるけど、それ以上に
3万円のボールペンの方がすぐに書けなくなってしまったこともあるし、
書き味がどうこうっていうのも感じない。

300円くらい出して、三菱のジェットストリームを買えばいいんだと思う。

…ということすら、飽きてしまいそうだし、あまりいい趣味ではないと個人的に思う。


例えば、初代のたまごっちをこっそりでもいいから、
「あれからいまだにずっとやってるんですよー」みたいな人がいたら、
それこそ、本当の趣味なんじゃないかなと感心するのだが、
人はそこまで、趣味を何にするかこだわってないんだろうな。

聞くたびに趣味が変わっていたって、好奇心が旺盛なんだろうし、
本当に一つのことが大好きで熱中している人はそれが幸せなんだと思うから、
それを尊重して、楽しいお話を聞かせてほしい。

それも、時々飽きてしまうかもしれないけど、
やっぱり、それが僕の趣味かもしれない。

曲解 心理的リアクタンス

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あの人を好きになってはいけない。

別に誰に対してもそんなことを思う必要はないと思うのですが、
ちょっといいなと思った人が現れたら、こう感じてしまうことがあります。

しかし、好きになってはいけないと思えば思うほど、相手のことが気になって、
前よりもっと好きになっていっている自分に気付くことがあるかもしれません。


やってはいけない、などの制限がかけられた時、
それに伴う反動形成がされ、自由を求める気持ちが強まり、
結果としてその行動をこれまでよりもやりたい気持ちが強まるという
心理的な現象のことを、心理的リアクタンスと言います。


学生の頃は、勝手によく「あの人を好きになってはいけない」制限をかけ、
結果として、もっと好きになってしまっていて、自分でもどうしていいか分からない状況に
よく陥っていた、いわば僕は恋愛心理的リアクタンスのプロであります。

弟子を取ったことがあるわけではないのですが、
「師弟の関係で(師というパワーを利用して)恋愛アプローチをしてはならない」という
制限を自分に課してしまっていたことがあり、やはりきっちりリアクタンスは働いたため、
慕ってくれる後輩を好きになったこともありました。

そんな僕も、少しは成長し、「あの人を好きになってはいけない」の制限は、
目に見えてなくなったような気がします。
それでも、ややあります。「ナンパはすべきでない」
「そんなに関わりのない人に対して、不自然なアプローチをすべきではない」とか。

そう思えば思うほど、いや、思わなくとも潜在意識で繰り返されているようなので、
どうも通りすがりに近いような異性が気になって仕方ありません。

さすがにそういうのはないなと思って、それなりに意識的に我慢をしています。

でも、最近は、あ、いいなと思った人で、関わりのできた人には
アプローチすることもあります。

そして、仲良くなったら、

この人と付き合わなければ・・ならない、と思ってしまうと、
ああ、心理的リアクタンス。


みごとに、メンタルの大きなブロックを見つけてしまいました。

本日は、シータヒーリング日和です。

世界に1つあなただけの「魔法の言葉」

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世界に1つ あなただけの「魔法の言葉」/フォレスト出版

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この本。
内容は本当の自分の願いに気付いて、人生を好転させていくための
「魔法の言葉」とされる文章を作ってみようという本です。

「魔法の言葉」を作ったら、すぐに行動に移すようになったとか、
何かが変わり始めたという経験も紹介されており、実にありありと
願望実現への道での加速度を増してくれそうな本です。

この本の中で、作者のハーモニーさんが、

“私の人生を変えた、ある本”

として書かれている本を僕も昔読んだのですが、
絶版になったためか本の題名は本文中には書かれていなかったように思います。
(ちゃんと最終ページに参考文献として挙げられています)

第11番目の鍵―富と成功への扉をあける/PHP研究所

¥1,785
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実は、この本のアマゾンレビューを一番初めに書いたのは僕でした。
まだ残っていますね・・・。

そして、このブログ(前身というべきかもしれませんが)でも
“インナーCEOへの要望書の書き方”
として、紹介しています。もう、8年も前の事なんですね。

この頃から考えて、僕の願いはかなったのかというと、
実はかなっているんじゃないかと思います。

こういう言い方をするところが、納得しきれていないところなのですが、
欲しいとか、こうなりたいと思っていることが、全て満たされているわけではないけど、
それなりに平和で、それなりに幸せ、できればこのままゆったりと暮らしたいという、
ゆるーいけど、心の奥底にはびこる願い、何に書いたわけでもなかったと思うけど、
かなっているからこそ、こうやって生き続けていられているんだなって思います。

昨年、一昨年くらいから、心も少し入れ替わり、
自分にとっては、色々な経験も重ねられたと思っていて、
思い残すこともないのかもしれないけれど、さらに幸せをつかみたかったりして。

たとえば、本当にお互いが必要としているソウルメイトと巡り合って、
新しい生活を始めるとか、僕が人のために一番役立つ仕事、使命に気付き、
それを始めることができるとか、なにか一歩進んだ願いをかなえていきたいから、
「魔法の言葉」づくりも、真摯に学んでいこうかなって思っています。