手放す、任せてしまう

テーマ:
脳には(潜在意識?敢えて脳と記載する)オートパイロット機能があるという。
願望としてできるだけ具体的に思い描いたものは、執着せず一旦手放し、
脳?ハイヤーセルフ?宇宙?に任せてしまいなさい、ということも聞く。

紙に書けば叶うなんてのも似ていると思う。 

人の願望は、中途半端に思考にこびりついているから厄介で、
ある意味、完全に忘れてしまえば幸せで、忘れたころに叶えば
より幸せな気がするため、個人的には好きな概念である。

前のテーマと相反するような感じもするが、実はそうでもなく、
仮想で願望実現をしたかのように思い浮かべることも、
ずっとその状態でいるべきとは言っていない。(言っていることもあるが)

結局のところ、他人から見たら危ない人かもしれなくても、
仮想であれ、現実であれ、常に幸せだと感じられる道を通りたいだけで、
大切なのは、何を幸せだと感じるのかを自分で選んで決めることだと思う。
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すでに叶ったかのように

テーマ:

脳は(潜在意識?敢えて脳と記載する)現実と仮想の区別が付かないという。
すでに、その事実が現実かそうでないか区別は付かないが、
よく聞くのは、だから願いは既に叶ったかのように言葉にしたり、
思ったりするのが願望実現の近道だという。

しかし、少し待ってほしい。

現実か仮想か区別が付かないから、仮想の願望実現を生み出し、
現実がその方向に向かうように仕向けるのだと思うが・・・

確かに、おかしくはない。
ただ、その願望実現の感覚を知らないから、
願望を実現したいのであって、その仮想化は
そう簡単ではないのではないだろうか。

また、脳が現実と仮想の区別が付かないのであれば、
仮想で願望実現してしまえば、その充実感を味わうことができ、
現実化することなく、満足してしまうのではないのか。
なぜ、現実化する必要があるのだろうか。

願望が実現した場合、仮想として思い浮かべていたものに向けて、
結び付けを行うのではないだろうか。
ここは、思った通り。この部分は、こういう解釈なのか・・・などと。

解釈を間違えているかもしれないが、ふとそう思った。
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エネルギー

テーマ:
ブログやフェイスブック、ツイッターにLINE、
Google+に755など、ソーシャルネットワークサービスが増えている。

苦手だ。

と公言しつつ、一定の更新を続けている人には敬意を覚える。

僕は、苦手だとは思わないが、大変面倒だとは思う。
行ったところの記録や、心に残ったことを書き込んだりするが、
あくまでも自分へのメッセージであって、見たければ見れば?
という世界である。

また、多少ひねくれたところがあるからか、ブログに記載する場合は、
特に感情について、ある種の脚色を加えている。
また、それでも足りない場合は、事実に少し色付けをしている。

ジャーナリズムであれば、誇張表現(平たく言えばウソ)が過ぎるため、
大変よくないことだが、これは創作だと考えているため、よいだろう。

最近では、書いたものを記載しないことが増えてきた。
書いたことで既に役目を終えている(ストレス解消?自己表現完了?)
ことに気が付いたからである。
敢えて、他人が見るかもしれないところに出す必要もないと考える。

また、こうも思う。
情報発信するためのエネルギーが大幅に欠如している。

どうしても言わなければならないことでも、どうしても言いたいことでもなく、
かつ、誰かの役に立つ情報を発信しているとはとても思えないのだ。

そんな訳ではあるが、残りのエネルギーをこめて、
今回はアップするとしよう。
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