褒めてもらえること

テーマ:
自分の行動を認めてもらえることがとても嬉しいと実感した話。

会社で、僕はとある委員会に属している。

主観的ではあるが、実質的プロジェクトリーダと思われる方が、
しっかり仕切ってくれようとするのだが、自らはそう自負されているわけではなく、
権限委譲を推進しつつ、仕切ってくれているという狭間で、時折おかしなことが
起こっているようなそんな委員会。

ある時、委員会外から提出されたレポートについて、
あるカテゴリのものとして提出されたのだが、どうやら別のカテゴリではないかと
いうことを議題としてあげられた。

それによって、スムースに進みかけていたプロジェクトに若干ややこしさが
生じ始めてきており、担当されているメンバーも苛立ち始めてきた。

僕は、ことなかれ主義というか、不要なことで対立が起こるのを好まない
傾向があるため、ちょっと首を突っ込んでしまった。

個人的な言い方をすれば、
交通整理を示したうえで、もともと懸念を示されていた方に対して、
フォローを行ったといったところだろうか。

その後、なんとか事態は収まった。

またある時、アイデアを量産される方がいらっしゃって、魅力的なアイデア満載だったのだが、
その全てを大事にしすぎて、議論が遅々として進まないことがあった。

アイデアを出される方は、すべて実現させるという意欲はそれほど強くなく、
委員会のコーディネータの方は、きっちりとした意見をお持ちなのですが、
それを会全体の判断として集約させるには決め手がなく…といった感じだったので、
コーディネータの方の意見で行きましょう!と言ってみたら、すんなり終わったことがあった。

そんなある日、同じ部門の方と昼食をとっていたら、
偶然となりに、その委員会でご一緒させていただいている方が座られた。

委員会の話になった際、その方は、僕のことをこう評された。
「あの委員会の中で、一番ちゃんとしてて、まともな意見を持ってる人」

そういう風にいいように思われていると思っていなかったのもあって、
ものすごく嬉しかった。

日々、よかれと思って行動をしてはいるけれど、それが人の心にも届いて、
ちょっとは、委員会やらいろんなことの推進にも役に立ってたのかなあと
実感するとともに、大きな喜びと自信を得られた。
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優先座席

テーマ:
僕は優先座席に率先して座ることが多い。

降りる駅で、その場所が便利だからということと、
恐らく多くの人が、席を譲らねばならない場合を懸念して避けているため、
空いてることが多いという理由だと思う。

今日も座っていたら、隣に白髪の婦人が座られた。

次の駅で、僕は半分眠ったふりをしながら見ていたら、
また、新たな白髪の婦人が現れた。

先に座っていた白髪の婦人が、
「どうぞ、お座りください」と席を譲る。

道徳的には若手の僕が席をお譲りしなくてはいけないので、
しぶしぶながら、「どうぞ」ともともと座っていた婦人へ席を譲った。

基本的に、一人でいるとすすんで席を譲る行動に出ない僕は、
友達やら、一緒に行動してくれる異性といる時は、席を譲る勇気が出る。

これは、いいところを見せたいという気持ちももちろんあるだろうが、
いいと思っている自分でありたい、という信念の下、行動への後押しを
一緒にいる人にしてもらえていると思っている。
その人といれば、いい自分でいられるな、という再確認みたいなものか。

今日の話に戻ると、席を譲るため立った時、
向かい側に座っている、言い方は悪いがいわゆる被害者席でないところにいた
若い女性も席を立った。

恐らく、僕と同じように優先座席6席あるうち、きっと彼女が最も若いのに、
座ってるわけにはいかないな、という強迫観念もあって立ったのだろうと思うが、
彼女の気持ちと行動には、称賛を禁じ得ないような気持ちを覚えた。

白髪の婦人が電車から降りる際、僕に対して、「ありがとう」と言ってくださったが、
本来、善意を表したのは、向かいに座っていた彼女であると思う。

そう思うと、お礼を言ってもらって恥ずかしくなった。

優先座席でお年寄りに席を譲ったとか、譲らなかったとかで、
一喜一憂するのは、実はおかしな話で、当然、お譲りしたよ
というような、日常の当たり前になるような善意を持ちたいのが
本当のところ。
じゃあ、もともと座らなきゃいいじゃないか、と言われたらそれまで。

善意を持って、もともと座っていない人は、座っていてしぶしぶ立った人と違って
表立って感謝されることはない。

でも、僕も僕のパートナーとなる人も、優先座席で本当に席を譲ったり
しなくたって構わないから、こういう気持ちを考えてくれる優しい心を
持てたらいいな、と思う。
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地味だけど強力なスキル

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NLPのスキルを習っていた頃、当たり前のようにやっていたことが、
実は、一つの大切なスキルだったことに気が付いた。

ブレークステイト

要は、気持ちの切り替えのこと。

例えば、落ち込んでいる状態にどっぷりつかってしまっている時、
その状況から、ニュートラルな状況に抜け出すことができる。


「スイカは、英語でなんて言うんだっけ??」


こんな感じで、今の状況と全く関係のない質問をしてみる。

他にも、深呼吸をしてみるとか、逆立ちをしてみる。
その場跳びを繰り返してみるなどなど。

僕たちは、NLPを学びながら、当たり前のようにしょっちゅうやっていたから、
これがNLPのスキルだとは知らなかった。

逆に、とてもいい状況にのめりこみ過ぎて自分を制御できないときとかにも
使うことができる。

緊張している時に、深呼吸してみたりするのがブレークステイトなのだった。
当たり前のことではあるが、これができると知っていることは大事だ。

自分はこんなスキルを使いこなすことができるんだ、と思って、
敢えて、ブレークステートを行う。

このある意味、当たり前のことを仰々しく言うことも、NLPの魔術の一つであり、
それが感じられればこそ、今まで以上の効果を得ることができるのかもしれない。
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発展的情緒不安定

テーマ:
最近、困ったことに周りの異性、
街で見かける異性のほぼ全てが
かわいく思えて仕方がない。

これはきっと、自分の中に芽生える恋心に対しての代償行動で、
一人に決めてしまうことへの恐怖や、受け入れてもらえるかどうかの不安から、
若干歪んだ方向にリスクをヘッジしようとしている心の動きではないだろうかと
自己分析している。

恋心と言っても、自らの経験の浅さゆえか、
あるコミュニティに所属すると、初日からサーチし始め、
そこにロックオンし続けてしまう傾向がある。

相手を知って好きになるというよりはむしろ、
好きな人のイメージをある人に重ね合わせた上で、
調整しながら、好きな気持ちを増幅させていくというパターン。

いいなと思った人に悪い人はいなかったという経験と、
人を見極める目には長けているという、得意の根拠のない自信があり、
一貫してその人が好きだと思い込んで、本当に好きになっていく。

恋なんて、どんな始まり方でもいいじゃないかと密かに思うのだが、
言わば、見た目で決めているというところが、非常に後ろめたい。

自分の今までのポリシーは、好きだと思ったら、一筋。
他の人には目もくれない。
主観的には、それでうまくいった試しは一度もない。


だから、今は少し幅を広げて考えてみたい。
どうなるんだろう。

自分の恋って、こんなに面白いんだ。
なんか、考えてしまうことも多く、もやもやするけれども、
最終的にいい結果が得られた時、とてもいい思い出に変わるんだろうな。

人のキモチ

テーマ:
罪悪感・・・

人は人に迷惑をかけないと生きていけない。
気にしなくていい部分はたくさんあるし、ある部分でお世話にならないと、
その後、もっとひどい迷惑をかけることもありうるから、なかなか難しいもの。

ふと考えたのが、真面目な恋愛ってどうなんだろう。
100人の求愛をすべて受け入れていれば、それは不義理な気がする。

友達として付き合いのある異性に、自分のことで悩ませてしまうのは
やりきれない気持ちがある。

恋人としてお付き合いしたいと思っているわけでない場合、
告白されてもいないのに、こちらからどうこう言うのもおかしい気がするし、
お互い、今の関係を崩したいと望んでいるわけではないので、
結果として、厄介な気持ちのみが残ってしまう。

好意は、相手に惚れてしまったら盲目となってしまうがごとく、
好きな相手の気持ちが冷静に理解できなくなってしまう。

しかし、相手の好意の気持ちの方が強い場合は、
案外冷静に気持ちを推し量ることが出来ているように感じる。

あの人は、自分のことがきっと好き。

当たっているかどうか、当たっていたかどうかは分からない。


なぜならば、僕は彼女らにそれ以上気持ちを揺さぶる言葉をかけなかったからだ。
卒業したり、物理的にちょっと距離が開くと、彼女らは自然と離れていった。

今回は、どうしたらいいのか分からない。

でも、今、もし受け入れたら、それは不義だと思う。

なにか、超えられるすべはあるのか。

そもそも、超えたいと思っているのだろうか。

相手の心がずたずたに傷ついてしまわない前に、
お互い、最良の気持ちで歩み出せたらいいなと心から願う。

気分

テーマ:
体調もそこそこ、こころの調子はいいけれど、
もやもや気分は、すっきり晴れているとは言えない。

先週まで、人に対してわがまま放題に、自分のもやもやを解消させてもらっていたので、
かなり気分は良かった。

今週は、そのつけが回ってきている気がしないでもない。
人に対して、何とかしてあげたいなぁと思いつつ、何もしてあげられないし、
何かしてあげるのはあまりよくないことも気付いている。

あまり、ポータブルプレーヤーで音楽を聴く暮らしはしていないのだが、
最近、離さないように、音楽や録音したラジオ番組を聴いていることが多い。

寂しいのだろうか。

そう言われてしまえば、そうかもしれない。

どうすれば心が満たされるのだろうか。

答えは分かっているようでいて、その答えを得たところで本当の意味で
解決にはならないだろうということは分かっているつもり。

まずは、自分の感覚をもっと強くすること。
気分にブレが出ないような、自分を持つこと。

ここで、本当ならば、シータヒーリングでどうこうした。
NLPでこうしてみた、ということで、解決の近道を試した結果を
書けばいいのかもしれない。

ただ、なんとなく書きたくない。なんとなく。

よく分からないのが、このもやもやなのだ。


ちなみに、いつにもなく、仕事はしっかりこなせているのが、
とても不思議な事なのだった。

境界線

テーマ:
平日のお昼にぼんやり歩いている僕を見つけ、
ある宗教を信仰されているご高齢の女性が、手かざしをしたいと仰ってきた。

今週は、自分の中ですごくいい意味で変化の激しい一週間であり、
先週までの自分と比較すると、優しさも快活さも段違いに異なっていると思うので、
なんか、この人だったら行けるかも、と思われたらしい。


僕自身、今週の成長は喜ぶべきことであるのだが、変化を怖がる意気地なしの僕がいて、
僕の中の小さな不誠実に対して、全力で糾弾してしまっている僕もいるようで、
まあ、一言でいうと、ちょっとしたもやもやがたまっているのも事実なのだった。

今日は、思いがけずの休暇日であって、朝から特にやる事がなかったから、
「のび太の結婚前夜」で号泣し、清らかになったところで、お昼ご飯を買いに出かけた。

買い物に行った先で、東北のペットたちへの募金を集めている方がいた。
普段、僕は募金をしない方だけれども、僕の中に潜む小さな不誠実を解消したいがごとく
ちょっとだけ、募金をさせていただいた。

今週から、意識的に野菜を採ろうと決めたので、サラダ用のお野菜と
野菜ジュースを買った帰り道、知らない方が声をかけてきた、というわけだ。

家族も個人的にも無宗教ではあるが、幼稚園や大学はキリスト教。
法事は仏教なので、典型的な宗教ちゃんぽん日本人であろうと思っている。


幹部は知らないが、ひとりひとりは、自分も他人もよくなるようにと思って、
活動されているんじゃないかと思う。

手かざしについては、実はよく打診される。
ナンパされやすい女子と一緒で、きっと、いけそうなんだと思う。

大阪の書店で本を探していたら、手をかざしたいという人が現れたことがある。
これは、この宗教とはまた違ったのだが。

結局、暇な時に声をかけられてしまうので、受けてしまうのである。

今日も、「来たらどうだ」「気が向いたら読んでみたらどうだ」と言われたのは、
全面的にお断りしながら、長らく10分程度、人通りの多い道で皆に怪しまれながら、
手をかざされていた。

手かざしなんてウソでしょ、と言い切れないのが、僕自身、レイキティーチャーだからである。
いわゆる、手かざしヒーリングである。
体調を崩した我が家の大切な家族のために、少しでもできることをと思って身に着けたが、
思いむなしく、苦しんで亡くなってしまった。

あれは、宗教ではなく、信じても信じなくてもいいと言われているため、
いまだに全く信じていないし、周りの方にも一切おすすめはしないが、
話は、よく分かる、というレベルではあるのだ。

周りの人からしたら一緒かもしれないが、心を見つめる技術は身につけたくも
なんとなく宗教とは距離を置きたく、自らで自分を癒し、励ますのが心地よい。

この辺、ぶれないように、もっといい人間になっていきたいなあと思った。

しまった

テーマ:
好きな人に自分からメール送れる? ブログネタ:好きな人に自分からメール送れる? 参加中
本文はここから





ブログネタのコーナーで、好きな人に自分からメールが送れるかどうか
という投票があったから、投票してみたら、記事を書かなきゃいけないことになってしまった。

殊にこのネタについて、あなたの記事はつまんないです、
という評価が来ると大変にへこむので、どういうことを書こうかと思案してます。


昔は、好きじゃーと思ったら、ずっとメールしていました。

こんなことを書いたら気持ちが伝わるんじゃないか。
こんなことを書いたら、相手はいい気分しないんじゃないか。
こんなこと書いてしまってよいのだろうか。

いろいろ、考えをめぐらせて書いていたつもりなのですが、
結果として、嫌がられていました。

付き合いのいい優しい女の子につけこんで、
堪忍袋の緒が切れるまで、頼り続けていたんでしょうね。

大人になって、デートの約束のメールをもらった際、心も体も震えてしまうような
気持ちになったのもつかの間、結局はメールが原因で疎遠になってしまったような。


こういう経験があって、勉強したからこそ、次の恋はきっと実り多きものになるはずです。

こわいよー

テーマ:
昨日から、今日にかけての僕は大変偉かった。
褒めてやりたい。

何がどう、とはっきりと言えないところが実にもどかしいのだが、
えいやーと、乗り越えたい壁を敢えて乗り越えてみた。

ことは、自分の想像以上にうまく動いてしまった。

うまくいきたい。
うまくいくに決まっている。

そう信じているものの、

もし・・・

例えば・・・

こういう気持ちは、とりあえず、消しておきたい。


今回のこととは関係ないが、
他の理由にかこつけて、異性と知り合おうとするのはいけないことだろうか。

もしも、ひとめぼれした異性との接点が全くなかった場合、
何かのチャンスをじっと待てばいいのだろうか?

それとも、自分の中の正直を貫き、縁がなかったとあきらめた方がいいのだろうか。


自分は「他の理由にかこつけて、異性と知り合おうとする」タイプだと思うのだが、
よく思い起こしてみれば、あまりそれで知り合った人がいたように思わない。
未遂だが企図したことは、いくつか思い出した。

何度か書いたかもしれないが、どうも恋の高揚がない相手に
どうやら好かれたことが何回かある。

ひとりは、幸せな結婚をされた。
他の人は・・・わからないけれど。

きっと僕ももっと幸せになってみせる。誰が見てても、見てなくても。

ともかく、今日感じるもんもんは、こういったひとめぼれした云々に似ている気がして、
なんだか、正直者をだましているような、そうでもないような、もやもやが残っています。
根拠のない自信は、いつも持っていた気がしたのに、こんなに怖い気持ちがあるなんて、
思ってもみなかった。

何にしても、もう少し進んでみて、ぜひここでまたいい報告をできることを楽しみにしたい。