もしも、幸せが与えられるものだとしたら

テーマ:
欲しいものが全て誰かに与えられれば、それが幸せと言えるのだろうか。

正直な意見を言うと、かなり幸せだと思う。

僕の場合は、よく言うことを聞く、ええなぁと思う女性を彼女として与えてもらえればいいのか?


ただ、人間のマゾっ気は大したもので、

・努力しなきゃいけない
・我慢を覚えねばならない

このような信念のもと、それを乗り越えればより一層の快感を得られるのだ。


むちでぶたれたり、言葉で虐げられたりしたあと、
優しくかわいがってもらえると、喜びがひとしおなのと同じなのかもしれない。


僕はよく、「エスかエムだと、絶対にエム!」と言われるが、
上記、理屈としては分かるが、共感はできそうにない。

どちらかというと、気持ちとしては、逆のつもりだ。
それは置いておいて、仮にエムだとしても、受けるに任せるくらいなもので、
欲しいものをどっさり与えてもらえれば、それに越したことはないと思う。

努力や我慢をしなくても、願いはかなうものだ。

いろんなところで教えてもらった。少なくともシータヒーリングの場では聞いた。

これの肝は、努力や我慢を否定しているわけではない。


はたから見える努力を自分では努力と感じることなく、
我慢ではなく、待つということだと考え方を置き換えることができれば、
随分、気が楽に求めるものが手に入ることになりますよ、ということだと思う。

与えられるのだって、考えなければならない。

いくら、マンゴーが好きだったとしても、1日に100個のマンゴーは要らない。
どれだけ、鶏のから揚げが好きでも、ニワトリ小屋をもらってしまうと、
食べることすらできないかもしれない。

自分に何がフィットするか、しっかり見極め、オーダーするという練習を
積み重ねる必要があるだろう。
AD

織姫を待つ気持ち

テーマ:
七夕の願いごと ブログネタ:七夕の願いごと 参加中
本文はここから




少し、七夕には出遅れたが、願いを聞いてくれるのであれば。
たいせつなもの-たなばた
七夕に限らず、いつも願いは良いパートナーを得たいということ。


僕がキン肉マンだったら、テリーマン・・・
たいせつなもの-マシンガンズ

というような友情パワーも若干枯渇気味ではあるが、

ラブラブ というのは、長らく発していないパワーだと思う。


時にラブラブすること、

どちらかというと、相手の女性にまったく興味がないときに出るらしい。

よく冷やかされたものだ。


もちろん、火事場のクソ力ならぬ、大好きな気持ちが僕の中で燃え上がった時、

当然、周りからよく冷やかされる。

こういう時、必ず取り持ち役をかって出ようとする人が現れた。

そして、そういう時に限って、エセ正義超人の血が沸き騒ぐ。


「自分のことは、自分でやらなきゃだめだ。手出しは無用だ!」


そんな偉そうなことは言いやしないが、手出しを極端に嫌った。


また別の時、

弟子をとったことはないが、師弟関係みたいな関係になった人がいた。

例に漏れず、惚れてしまった。

しかし、

「こういう関係を利用して、交際を迫るのは間違っている!」

と、自分ルールが発動され、恋愛関係への発展を拒んだ。
散々、会う口実に「一緒に勉強」を使ったくせして・・・


今更ながらに、ちょっと僕も成長したので、

パートナーを素直に受け入れる準備ができてきたように思う。



願わくば、いい出会い、もっとすんなりと受け入れる心を。

恋愛関係になりたくない人にはNoと言える強さを。


まあ、七夕に頼らなくても、今年は必ず何かあると、確信しているんだけど。

何が起きるか、楽しみだ。
AD