地球の法則 強さとは何か? | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



わざとイライラを誘導させる照射が始まりました。


食事をすると口の中が味覚障害で
食べた物の味も変貌した状態になり


水に触れると手がべたべたで
どうやら”油”や”蝋”のようなものが撒かれ続けていたらしく
体中に付着していたらしき事に自覚しました。


これが当然、胃腸にも大量に入り込んでいるのだと思うと
げっそりするものがあります。


水分をはじきますから当然排出妨害に役立つものです。


そう言えば食事後胃腸が持たれ、トイレに行けば再び妨害、
換気扇からは裏の協力宅の親父の空咳が響き渡る。。。。


私はこんな人間たちを叩かないで
擁護する意味があるのでしょうか?


何で私は反日在日関係者やカルト関係者を
ガンガンと叩かないのでしょうか?


自分の甘さに嫌気が差してきました。


日本の中で一番危険な人間達とその協力者。
もっと悪い人間は他にいても一般市民にとって
一番危険なのは間違いなくこいつらのような人間です。


決して加害行為をやめようとしないこの人間達のしつこさに
正直うんざりしてきました。


加害者の皆様、生まれて来てすみませんでした。


何のために生まれると同時に敵にされて
その後47年間延々と目の敵にされ続けられなければいけないのかは
民族や信仰が理解できない私には想像できません。


そう言えば実は脳へのマインドコントロールと(軽いもの)
私の最近発達している”意識の封印”もやられている最中です。


要するにこの身勝手な人間達は
単に自分達の保身を図るだけでなくて
くだらない異物製造と匂いの関与と言う目的だけでなくて


私の皆への広報、”命の広報”すら妨害しているようなものです。


滅びるときは自分達が勝手に滅べば良い訳で
私が広報で一人でも多くの人間の覚醒の手伝いを
する事まで妨害する行為は


魂の消滅を誘導していることに他ならないと
私は本気で考えています。


P.M.8:54

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頭の回転がとても悪いです。


寝ていても神経が休まらないで浅い睡眠の中夢ばかりを見ている。。


身体には何やら放射線と低周波を感じるようになり
マイクロ波等の高周波に関しては弱まっている感じがします。


被害としては胃腸と脳への関与が続いています。


今朝は下の部屋から意図的な音による
睡眠妨害も数回受けました。


外部の自動車によるパワービーミングも相変わらず
続いています。


ある程度の関係者に関しては特定することも可能です。


どうも私の脳の状態を一般人のような
”あまり勘の良くない状態”へと誘導しようと言う
気配を強く感じています。


私に言わせればそれは能力の封印です。


被害者や理解者でもその性格や資質から
狙われている人たちも多いかと思いますので
警戒して欲しいです。


はっきり言えば勘が鈍ります。
(精神感応の妨害ですね)

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もしかしたら、組織的犯罪=日本式コインテルプロ=集団ストーカーの

被害者認定でも始まるのでしょうか?


最近までは割とおとなしかった工作員が
最近猛威を振るって”我こそが本当の被害者である”と言わんばかりに
騒ぎ立て、一方では私に対しての誹謗中傷の印象工作が激しくなっています。


少し前にも触れたように、
要するに加害者達は私を被害者であると認定されたくはないのだと思います。


近所の加害者達にしてみればそれは保身のためでもあります。


組織としても付きまといや嫌がらせ、
軽い電磁波程度が加害行為の全てだと誘導できれば、


障害や殺傷やマインドコントロールまで可能な技術の存在を
隠し通すことも、これからも利用することも可能だからだと思います。


組織的犯罪の被害者の中に、自分達にとって都合の良い人間を
大勢送り込んで都合の良い主張をさせることで


組織的犯罪全般を”この程度の被害である”と印象付け
その結果一番危険な被害を隠すことも出来ます。


本当の被害者であれば誰もが感じていること。


”自分が被害者でなければ一体誰が被害者なのだ?”という意識。


今とても強く感じているところです。


私の主張を認めたくないもう一つの理由は
私が在日関係者の関与を強く触れているからだと思います。


多くの被害者は”創価学会”と触れることが多く、後は”公安”。


私のように国内の在日関係者に関して触れている人間は
多くはありません。


そしていつも息をつくように嘘をついて私を偽被害者扱いする人間にも
直接の加害者達と全く同じ気配を感じています。


いくつかの組織がネットワークを作り上げて
共同して関わっているはずのこの犯罪行為。


今頃、加害者組織は皆自分達の罪を隠蔽することで
必死なのだろうとも想像がつきます。


こんなところでもその人間性がはっきりと見えてきますし
見苦しいことこの上ありません。


嘘と捏造で塗り固められたこの社会。


どこまでその嘘を突き通すことが出来るかによって
加害者達の今後の運命が決まることになるのだと想像しています。


被害の酷い被害者ほど警戒してください。


貴方は加害者達の加害行為の生きた証拠であり
彼らにとって一番隠したい証拠でもあるからです。

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ここからが本題です

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自称鉄砲玉の諸星。


鉄砲玉と自分を称したのは、元はと言えば
誰もが口に出来ない事、記事に出来ないことを
率先して記事に書いていると言う自覚が在ったからです。


日本ではタブーとなっているような話含め
触れても一般人の多くは信じてはくれないような話、


更には触れる事がためらわれるであろうような話を
私は率先して記事にしてきたつもりでいます。


そして以前私が触れていたような内容は
現に最近になって多くの方が触れていますし
私はそれを複雑な思いで見つめています。


これは社会が良い意味で変貌する前兆なのか?
それとも単なるトカゲの尻尾切に過ぎないのか?


そんな疑問を感じながら見つめているわけです。


その上で私はまだ一人で、皆の遥か先を突っ走っているようです。


判らない人にとっては道を誤って暴走しているように
見えるかもしれない私の記事ですが


自分の意識の変化に合わせて書いていると言う事情もありますし


それ以前に、今は
”少しづつ進んで全員に理解して貰おう”という
悠長な気持ちがありません。


”もしかしたら事は急を要するかもしれない。”


そんな意識を持てば、日本の政治への評論など
下らな過ぎて語っては居られなくもなります。


今日は少し志向を変えて、
地球の法則について考えて見ます。


以前掲示板に加害者組織の人間が書いたコメントを引用してみます。


これに関しては、加害者本人、悪気があって書いたわけではなく
自分達の持っている価値観を、私あてに知らせてくれたのだと感じています。


掲示板の書き込みの引用です。


私がHAARPの件に関して
加害者達が盗聴していることを前提に
説得と広報への協力を願った事があります。


恐らくは3月中旬から末にかけてです。


その頃にいくつかその返答になる書き込みがあり
これはその一つです。


言葉自体はふざけているようにも思えるかもしれませんが
内容はきちんと主張を述べてくれています。


ここに記されているのは、地球の中における真理であり
”地球の法則”の中心となる意識そのものだと思います。


そして私達は全員が多かれ少なかれ
このような意識を強く持っている、
もしくはそれに染まっているのだと思います。

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弱肉強食はね
この世の真理だお


おぼえておくのだお
忘れちゃだめだお


あとねこの世のね9割はお金でどうにかなるお
貧乏じゃダメだお


お金は沢山あったほうがいいお
覚えておくのだお


あとねお友達の数も大事だお
沢山作ろうね
忘れちゃだめだお


お金や友達に恵まれてると人生だいぶ違うお


もう少し儲けさせてお
お金は大事だお


もう少し儲けさせてお
お金は大事だお
やめないでお


人間はエゴの塊だお
と教えられてるお


僕も君もあの人もみんな我侭だお
それをまずは認めるお


認めることから始めたお
歴史から見てもわかるお


強いものだけが生き残ってきたよ
どの時代もね


強さっていろいろあるお
と言ってたお
戦う強さ
守る強さ


我慢する強さ
この三つのうち 一つでも実践しろと言われたお
生きてくうえでこのうちの一つは必ず必要だからだお


この三段階のうち
現状よりも何かを得られるのが戦う強さだお


ようするに得する生き方は戦う生き方だお
どれを選んでも自由だお 


だけど我慢する強さしか実践できない命もあるお
それだけは覚えといてね


それも強さだお 悪いことじゃないお
人間は欲張りで我侭だからね
僕も君もあの人も


説得や脅しは通用しないお
それを飲むといつのまにかやられちゃうからだお
動かない心の持ち方を教わったからだお


人間は汚い生き物だからね
それは認めるお
認めることから始めたからね

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これは加害者組織の人間が当たり前に持っている
意識に他ならないと思います。


そしてこれはこの地球の中での真理です。


この社会は強き者が生き残る社会。。
つまりそこには闘争や争いがある事が大前提なのです。


ブラザーズ達が”平和”や”調和”こそを
大切な意識であると認識し持っていて


それこそが宇宙の法則の具現化した意識の一つである事は
言うまでもありません。


しかしこの工作員が触れているように
私達の地球の中の社会は、競争や争いに満ちています。


そしてこの人間達が最初に認識させられるのは
人間が”エゴ”の塊であるという現実社会における私達の実態のようです。


”人間は、皆が自分勝手でエゴで生きている存在であり汚い生き物である。”


そういう前提がありますから、
彼らにとっては他の人間は、親しみを感じる存在ではありませんし
慈愛をもって接する相手でもありえません。


しかしある意味”地球の法則”に基づいて自分が良く暮らそうと思えば、
この意識は間違いではないと思います。


地球では現実社会がこのような真理で動いているのですし、
それを認識した上で有利に立ち回ろうとすれば
このような意識になるのだと思います。


ただ、ブラザーズ達の前提では
”他の人間も自分と同じ神の子供であり神の一部の具現化した姿”
と言うことになりますが


こちらのほうの意識で人間を見つめると、
”悪”であり人間としての思いやりをもって
接すべき存在ではないと言うことにもなります。


持つべき大前提が違えば、他人への接し方も認識の仕方も
当然異なってくるわけです。


私達の社会にとっての悲劇は
こんな意識が世界中に蔓延している事だと思います。


そしてこの人間達の組織は人間と言う存在をこのように
”エゴの塊”であり”悪”であると捉えて居て


それを組織の構成員にそのまま
彼らが持つべき価値観として植え込んでいるわけです。


残念な事に、この人間達の組織は、
戦う事を悪い事であるとは考えてはいないようです。


この競争社会を生き抜くために
人より恵まれた人生を送るために
弱肉強食は当然の事という前提があるようです。


歴史では常に勝者が存在していて
その人間達は美化され続けてきました。


実は敗者の中にこそ、不戦敗をした人間の中にこそ
本来”神の法則”に近い意識を持っていた人間達が居たであろう事も
今の私達には想像が付きます。


”宇宙の法則”を実践している人間達、道徳心を強く持っている人間達は
殺すよりも殺されるほうを選択するからです。


そして元々が共同社会の中で争いや戦いなどが
存在していなかった地域社会を滅ぼしてきた人間達がいる。。。


大航海時代に行く先々の人間を支配し殺戮してきた人間達と
同様な意識を持った人間がこの社会には大勢いるのです。


元々は戦闘意識などもっていなかった人間達にまで
戦闘意識を植え付けた人間がいるのだと思えば、
それは罪深い事であると言えないでしょうか。


そしてそんな人間の作り上げてきた”地球の法則”が
この様な戦闘意識すら当たり前のように人間に持たせる結果となっている。


天国に出来たかもしれないこの社会を、
自らの手で争い事の耐えない地獄へと陥れて着たのは
結局は私達人間であるという事にもなります。


(勿論その中でも特殊な人間達ではありますが)
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この人間はお金が大切であると主張しています。


この社会の経済体系が金融経済、貨幣経済となっている以上
お金なるものが重要な位置を占める事に関しては異論はありません。


しかし、それがお金で何でも出来るという意識に繋がったり
お金を沢山持つ事を奨励する意識に繋がるとなると
それは既に物質への執着へと繋がり、


欲を満たすための手段としてのお金を意識し
それを崇拝する事にも繋がります。


つまり現在の私達は欲深い存在に変貌されていて
お金を神のごとく拝まされているという事です。


ブラザーズ達は必要以上のものを欲しがる事はありません。


そもそもが物欲の乏しい人間達であり、
個人的真理を満たすための”欲”自体が
神の摂理からかけ離れるものである事を知っているので


知的欲求のような高尚な意識は別として
負の個人的な欲を持つ事もありません。


さらに必要以上の物を欲しがる事のない彼らの社会では
物は足りなくなる事なく皆に満遍なく行き渡る事にもなります。


そして皆が欲がない故に必要以上の物を作る必要もない。


労働時間も短くなりますし
残りの時間は彼らの研究や旅行へと利用される。


何かを経験をするための時間が確保される事になるわけです。


彼らは神の法則を実践しながら
物事を経験し知識を得るために生きてるのです。


私達の社会のように、単に生きるために今を生きる(食うためだけに必死に働く)
と言う意識は勿論存在しては居ません。


一方地球では欲望が際限のない人間が大勢いるわけです。


金持ちから貧乏人まで、例え山ほどお金を持っていても
お金は腐る事もなければ、所有する事で欲を満たす事に使用出来るからと
更なるお金を求める事になります。


しかもお金を沢山持つ事は
他人と比較した時の社会的地位まで高めてくれます。


そして、お金がなければ生きていけないこの社会では
貧しい人ほど命に不安を感じる事になりますし


その意識はそのまま”恐怖心”となり
権力者や闇政府に利用されることにもなりますが
これこそが今のこの社会の実態なのです。


物欲に捉われた私達は、家電一つとっても
新しい物が作られればそれを欲しいと願うようになる。


それを誘導するマスコミが存在している。


一般庶民として十分な暮らしをして、それでも余るだけのお金があれば、
更なる贅沢を意識しそれを実践しようとする。


例えばブランド品や更なる贅沢品を買い揃える事によってです。


私達の欲求は際限を知らないのです。


欲に際限がないのですから
地球の人間の全員が自分の欲求を満たす事は不可能なのです。


皆が欲で一杯なのですから
地球では物が幾らあっても足りませんし
全ての人間にそれが満遍なく行き届く事などありえません。


結局は需要と供給と言う地球の悪い経済原理が働き、
物には価値がつけられますし
物を得るためにも競争が始まるようにもなります。


(今の地球は、資本主義社会の悪徳である競争主義と
社会主義経済の悪徳である管理主義がそろって実践されるような社会が
今私達の目の前に到来しようとしていますが
その事に気がついて危惧する人間すら多くはないわけです。)


そして個人的には”神”ではなくて
”お金”こそを神の如く崇拝しているような人間達がいて


一般人もその思考に巻き込まれながらも
その事に気がついてはいないわけです。


地球社会の中で私達の拝んでいるのは”神”ではなくて”お金”なのです。


そして、この引用にあるような
”弱肉強食”と”お金崇拝”こそが


この”地球の法則”を具現化させた物の一つであると言う事は
説明する前でもないと思います。


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この人間の引用で、
ある意味尤もだと思うのは人間の強さについてです。


このような競争社会の中において
人間の強さはそのままその人間の立場を
有利にも不利にも仕立て上げる事になります。


そしてこの人間は三つの強さを取り上げて触れています。


戦う強さ、
守る強さ、
耐える強さだそうです。


どこの組織の教えなのかは一切不明ですが
この言葉の中にはある種の真理があると思います。
(メーソン系の人間でしょうね)


自分達が特定の目的を持った時に
その実現のためにはこのような強さが必要となるからです。


ただ、少し違うと思ったのは
例えば”戦う強さ”と言うのは暴力や力に訴えたり
権力に訴えるようなものではないと思います。


戦うと言っても、自分の価値観を貫く事を自分との戦いとみなせば
そのためには腕力や権力ではなくて


”強い意思”や”行動力”や”勇気”のようなものこそが力となります。


当初から他人と争うことが前提として作られている
このような価値観とは異なり、


争いの対象が例え外部にいても、暴力的な争いでなければ
結果的には戦う相手は自分自身と言うことになると思うのです。


戦う事で人よりも多く何かを得られると言うのは
この”地球の法則”に従う分には間違いなく真理です。


しかし本来私達が持つべき意識は
他人よりも何かを余分に得る事ではなくて
皆が等しく平等にあるべきだと言う意識なのです。


持つべき物が知識でも情報でも物でも
皆で平等に分かち合うようなそんな意識です。


私達の中には生まれ付き特別な人間として
生まれてきた人間は存在してはいません。


神の法則の元では、個々の存在としての私達は
全体としての調和の中の一部に過ぎず、
神が私達に求めているのは、その役割を奉仕として果たすこと、


その調和を実現するために自分の役目を理解して
それを実践する事に他ならないのです。


(綺麗事ではなくて、
この世界の本当の法則を作り上げた創造主がそう願っているのですから
それに従うのがこの宇宙の秩序となるわけです)


そんな人間達の間には優劣などありませんし
それゆえに地球の法則に従って家系や、肌の色や、民族の種類等によって
差別されたり特権を持ったりすることもないのです。


勿論、親が金持ちであろうが貧乏人であろうが
本来生まれてくる子供には無関係な話です。


しかし地球の法則に従っているために
金のある家庭の人間や、社会的地位のある親を持つ家庭は
高く評価されたり崇拝されたりしているのがこの社会の常です。


在るべき根底が大きくずれてしまっている事にも
私達は気が付くべきなのです。


そして皆が等しく同じ立場であると認識することができれば
人々は戦うのではなくて調和するべきであることを
理解出来るのかもしれません。


守る強さにしても、
ブラザーズのような社会では恐らくは無縁だと思います。


守るべきもの(所有の概念含む)があり、
それを脅かすものが存在するからこそ
守るべき強さなる意識が生まれることになる。


誰もが他人を脅かすことがなければ
私達を脅かすものが存在しなければ
守るべき強さを持つ必要もありません。


”耐える強さ”に関しては、重要かもしれません。


私にしてみれば一番の苦手なことでもあります。


しかしそれも、
耐えなければならないような環境があればこそ
必要とされてくる強さであり


地球のような社会であればこそ、
それが求められるような過酷な状況が多々あるのだと思えば
”忍耐”にしてもそれが美徳とは限らず、本来は良し悪しかも知れません。


ただ、現実社会の地球においては悪意が渦巻いていることもあり
この耐える強さこそが一番大切になって居るのかもしれません。


腕力も権力もない人間達が社会の中に不満を持ちながらも
その社会での人生を全うするためには
そんな忍耐力を嫌でも培う事になるからです。


しかし全ては”地球の法則”に従って生きていく場合の話です。


私達は”宇宙の法則”に目覚めれば
辛い事をも”緩和”する事が可能になりますし
(私にはこれ以上は無理です)


力の無さや権力の無さを嘆く事もありません。


守る強さがもしも必要とされるならば
守るべきは自分の身内や自分の肉体や自分の生活ではなくて
道徳を守ろうとする自分の意思です。


更に、耐える行為とは、
道徳から踏み外した事をする事のないように
精神を保ち続ける事となります。


友人を沢山持つとありますが
これこそがこの引用した地球の法則の実践コメントの中で
一番大切なものだと思います。


私は友人が大勢居たからこそ
若い頃は大きな脱線をしないで生きてこれたと思っていますし
今こそ、誰にも関わる事も出来ないでいますが
(私と関わった人間は不幸にされるので)


私達は友人こそを一番の宝とすべきものだと思います。
(友人と言っても今ではそのレベルもピンからキリまであるようですが)


ブラザーズはわけ隔てなく全ての人間に対して
私達が友人に対して持つ友情と同じ意識を持っています。


そして自愛や理解や尊敬と言う意識がそこには溢れています。


しかし一方、私たちの社会は個人的な価値観で
個人を差別するような人間で溢れています。


まして私の置かれているような立場になれば
そんな差別は激しさを増すことにもなります。
(策略で悪人に仕立てあげられますし)


その結果人間不信にされるような場合もありますし
私のように他人と関わってはいけないと言う意識にされる事すらあるのです。


私はこの一年半ほど、自ら略完全に他人との交流を断つことで
自分なりの”強さ”を身につけたような気がします。


その事が私を今の状況へと誘導したのではありますが。。


そしてその強さとは少なくとも
ここで引用した三つの強さとは異なるものです。


悪く言えば”我”の強さ、
良く言えば”精神力”の強さで
この中では”耐える強さ”に近いものでしょうか。。


だとすれば、地球の法則の中では一番弱いはずの強さが
実は宇宙の法則の中では一番重要なものであると言う事にもなりそうです。


私達にとって大切な強さは物理的な強さではなく
精神(魂)の強さである。。。


そんな結論になりそうです。


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P.S.

忍耐と言いますが、例えば私であれば意図的に苦労を強いられるような
工作をされることが大嫌いです。


私は忍耐力の足りなさに関しては人一倍かもしれません。


でも一方では悪意に対する感受性が
普通ではないほど強いのです。


他人からの悪意がとても苦痛で耐え難い。


これは自分に都合よく理解すれば
他人の想念を受け止めやすい状態と言うことかもしれませんが
悪く言えば精神的に脆いという事にも繋がります。


しかし一旦開き直った時の私の精神力の強さは
実は並ではありませんでした。


一方、私の頑固さと意志の強さは並ではありません。


決して自慢にはならない話ですが、
私は自分以上の頑固者を見たことはありません。


”自分で納得しない”と誰に何を言われても
決して自分の意思を変える事はありません。


目の前に総理大臣や大統領やローマ教皇を並べられても
勿論それは変わることもありません。


でもそれはあくまで自分の意思を貫くものでもありますし
必ずしも悪いことでもないと今では感じています。


”意思の強さや勇気”は宇宙の法則に繋がる意識だと
アダムスキーも言っていました。


それは権力にも圧力や脅しにも
決して屈することのない意識だとおもいます。