花さそふ 第一話 薫

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 その日、薫はいつもより帰りを急いでいた。


 アルバイト先のレストランに行く前に、寄りたいところがある。


 今日は誕生日だから養護施設の子供達がささやかなパーティーを開いてくれることになっているが、アルバイトを休むのはいやだった。


 高校に入って、やっとレストランでアルバイトができるようになったのだ。
 念願だったレストランで働けるのが、嬉しくてたまらない。


 卒業したら料理人になるのが夢なのである。
 手に職をつける、それは施設で育った薫にとって、生きていくための条件だ。


 だが、今日は行くところがある。


 目的地が見えてきて、自転車の速度を落とす。
 短めのポニーテールが風に吹かれて揺れる。
 「よいっしょ」とつぶやきながら、自転車を路肩の一番端に邪魔にならないように停める。


 そこは目立たない古ぼけた小さな神社だった。
 狭い石段を挟んだ両脇に桜の木が植えてある。


 桜の時期はもう終わりかかっていたが、それでもまだ薄いピンクが枝に残っている。
 石段に落ちた花びらと相まって、そこはかとなく美しい。


 鳥居を抜けて雑草だらけの参道を歩くと、小さな拝殿に賽銭箱が置いてある。
 参道に人影はない。


 薫は財布から小銭を出すと、賽銭箱の中に上手に投げ入れた。
 柏手を打って目をつむり両手を合わせる。
 ゆっくり顔を上げて合わせた両手を解くと、あっさり参道を戻り始める。


 以前はここに来るたび、自分の中にあるだろう幼い頃の記憶を探したりもしたが、今ではそんなこともしなくなっていた。
 年に一度訪れるのは単なる習慣でしかなくなっていると薫自身が思っていた。


 その時突然、強い風が吹いて、桜の花びらが舞いあがる。
 薫は一瞬立ち止まった。


 舞い上がった花びらは渦を巻くように鳥居に向かって飛んでいく。


 目を疑った。


 さっき自分がくぐった鳥居の門の中が、そこだけ切り取られたように四角い闇だった。


 その四角い闇の中に、桜の花びらがどんどん吸い込まれていく。
 同時に薫の身体が引き寄せられる。


 (うそ、いやだ。なにこれ?)
 足を踏ん張って身体中の力を入れ、引き寄せる力に抵抗した。


 しかし、じりじりと引っ張られる強い力に逆らえず、少しずつ鳥居の門の中に身体が近づいていった。


 「いやぁぁー!誰かぁぁー!助けてぇー!!」
 絶叫したが、声を上げた瞬間、スルリと四角い闇に持って行かれてしまった。



 あたまが痛くて目が覚めた。


 誰かが自分を呼んでいる。
 「良かった。目が覚めた?大丈夫?」


 「・・・」
 すぐには声が出ない。


 見知らぬ少女が心配そうに見下ろしている。
 同じ年くらいのボブカットの少女。


 真っ直ぐな黒い髪。
 見たことの無い高校の制服を着ていた。


 薫は仰向けのまま、目だけで周囲を見まわした。
 「ここは?」
 「分からない。わたしも気付いたらここに倒れてたから」
 見知らぬ少女が低い声で答える。


 薫が上半身だけ起き上がると、いきなり目に入ったのは足元の先に建っている大きな鳥居だった。
 「・・この鳥居・・」


 「あなた、鳥居からいきなり出て来たの」
 「え?」
 朱塗りの大きな鳥居は、さっき薫が闇に吸い込まれたあの鳥居とは全く別ものだ。
 薫は混乱していた。
 自分の身に何が起きているのか見当がつかない。


 少女は強い視線で薫を見つめている。
 「あなたも鳥居に引き込まれたの?」
 薫は反射的に頷く。


 「うん。さっき鳥居の中がいきなり真っ黒になって、それで・・・」
 薫がうわごとのように答えると、少女が言った。
 「わたしも。神社の境内を歩いていたら、いきなり鳥居の中に引きこまれて」


 どうやらこの少女は、薫と同じ体験をしてここにいるらしい。


 「ここどこなんだろう」
 身体の下に青い夏草がビッシリ生えている。
 その上には、薫と一緒に吸い込まれたのだろう桜の花びらがいくつも落ちていた。


 空気は澄んで初夏のように暖かい。

 「・・まだ4月なのに」
 薫がつぶやくと、少女が驚いたように目を見開いた。
 「・・9月でしょ?」


 2人は目を見合わせた。
 (奇妙な現象が起こっている)
 そんな視線だ。


 「とにかく」
 少女がややあらたまった口調で言った。
 「ここがいったいどこなのかをまず確かめないとね」
 その言葉に薫が頷くと、少女が少し和らいだように言った。
 「自己紹介をしよう。わたし雨宮環(あまみやたまき)M高一年」
 薫の地元にない高校だ。


 「あたし八木沢薫(やぎさわかおる)H高一年。よろしく」
 「よろしく」

 環という少女もまた、薫の高校の名前には馴染みがないようだった。




 「じゃさっそく、この神社から降りよう。日が暮れてきたし、人がいるところに行かないと。暗くなったら危険だし」
 「そうだね。でも、どっち行ったらいいのかな?」
 「うん。あっちはどんどん山になっているから、反対に行くと人里に出られるんじゃない?」


 日がさっきよりも落ちて、山の方の空はオレンジがかっている。


 2人は足早に進んだが、雑草が多くて歩きずらい上に、舗装された道はどこにもなかった。
 草むらに中に人間か動物か分からないが踏んで固めたような獣道が続いている。
 ほかに宛てもなく、ひたすらその獣道を歩いていくと、遠くに町の灯りが見えてきた。


 日はもう落ちかかって辺りは薄暗い。
 2人は喜び勇んで、小さな町の灯に向かって猛然と走り出した。


 町はずれまで辿り着くと、平屋の古い小屋のような民家が建ち並んでいる。


 民家の引き戸から小柄な女がでてきた。
 薫と環を目に入れると、大きく見開いた。
 何かに驚いている。


 しかし、薫と環も驚いた。
 女の身なりが異様だったためである。
 髪を後ろで無造作に結い上げて、麻むしのような粗末な着物を着て、草履を履いている。
 手には大きくて浅い桶を持っている。


 女はいま出てきた引き戸を開いて、また中に戻ると大きな音を立てて戸を閉めた。
 薫と環は呆然としていたが、仕方なくまた歩き出す。


 通りに着物を着た男女と子供がいる。
 みな一様に、薫と環を見ると目を開く。
 声をかけようとしても、目を合わせないように、遠巻きにして見ている。


 道行く人はみな小柄だ。
 誰も自分たちと目を合わせないので、2人は町中を進んで行くしかなかった。


 通りには2人が見慣れたものはない。
 灯りは提灯だけで、古い木造の平屋作りがまるで時代劇のセットのように長く続いていた。


 「映画のセットかなにかかな」
 薫が低い声でつぶやくと、環が歩きながら答える。
 「でも、役者でもエキストラでもなさそうだけど」


 突然、路地の暗闇から大勢の男達が出てきて、薫と環の行く手を塞ぐ。


 暗闇から声が聞こえた。
 「御用あらためだ」





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