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2011-11-22 15:10:25

透明封筒に入ったテスト問題が

テーマ:ブログ
そんなに、終わったテスト結果を見たかったのかな?

テストを受ける前だったらともかく~


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本人の出席ジュニアハイスクールに侵攻し試験の答えフォームを盗んだとして、多摩署は17日、建築物侵略と盗みの疑惑で、川崎市多摩区に居住市立中学校3年の若者(15)を捕獲した。


捕獲負担は同日午後9時五分ごろ、区内の市立ジュニアハイスクールに侵略し、弐階人員室の机上から、評価が終わった衛生体育の3年生分の答えフォームや師範答えなど268枚を盗んだ、としている。


同署によると、若者は無施錠だったウインドウから侵攻。


防衛会社からの便りを受け取り同署員が駆け付けた所、区画内で透明封筒 を備える若者を探知した。


若者は「試験の成り行きを見様たく、どこかよそにの凡人の成り行きも知りたかった」と負担を承認ていると言う。
2011-11-15 15:23:40

今年も透明封筒?年末ジャンボ?

テーマ:ブログ
そろそろ年末だね~~
何か、1年ってあっという間だね!


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今年も年末ジャンボ宝くじのシーズンがやってきた。1等は2億円、前後賞各5000万円を合わせると3億円なのは昨年と同じだが、1等の当せん本数は132本で、1ユニットあたり2本と、昨年に比べて当せん確率が倍増。2等も66本用意されており、1等と2等の本数を合わせると億万長者が198人も誕生することになる。

 そんな億万長者になる夢をつかむべく、真言宗の僧侶であり、今年1月に発行された『あなたが作る!魔法の御守り』(アルファポリス刊)の監修も務める小林公雄さんに、金運をアップさせる護符の作り方を教えてもらった。

【事前に用意するもの】
 新品のサインペン、または筆ペン(筆、すずり、墨ならなおよい)。紙(和紙ならなおよい。サイズは好みでよいが、縦15cm×横6cm程度が使いやすい)。

【ステップ1 準備】
 護符を作る時間帯は、深夜か早朝がベスト。書く人の心が落ち着ける時間がよい。また、護符の作成前には部屋の掃除を済ませ、心身を清めるために必ず入浴を。新品または洗い立ての下着を身につけて。服は白いものを選ぶとベター。

【ステップ2 瞑想】
 紙とペンを用意したら、机の前に正座し瞑想する。瞑想中は、自分の願望を強く心に思い描くこと。

「お財布がお札でパンパンになっているところやリッチな暮らしぶりなど、宝くじが当たった姿を強く思い浮かべましょう」(小林さん)

【ステップ3 九字を切る】
 まずは北に向かって息を吐き、東を向いて空気を吸い込む。これを3回繰り返した後、36回歯をカチカチと噛み鳴らす。その後、下腹に力を込め、邪気を払うために九字を切る。

【ステップ4 書写】
 背筋を伸ばして正座し、心を込めて一気に護符を書き上げる。書き順を気にする必要はないが、「きれいに書こうとするよりも、気持ちを集中させて書くことが大切です」(小林さん)

【ステップ5 使用法】
 完成した護符は、人目に触れたり、汚れたりしないよう、できるだけ折らずに透明封筒 や適当な大きさのカードケースに入れておくとよいそうだ。

「護符は身につけておくのがベストですが、それが難しい場合はバッグなどに入れて持ち歩くといいでしょう」(小林さん)

 護符の効果が続くのは1年間。願望が達成されなかった場合には新たに作り直し、願望が達成した場合には感謝の気持ちとともに燃やして土に埋めるか川に流す。

「護符を作ったら、さらに金運をよくするために努力をすることが大切です。高級ホテルに泊まる、新幹線のグリーン車に乗るなど、リッチな雰囲気を一度でいいので体験することも金運アップに繋がります。お金持ちの気分を知り、それが当たり前になるよう念じることで夢が実現しやすくなるのです」
2011-11-15 15:16:19

宮崎の傷跡から透明封筒

テーマ:ブログ
今もまだ、震災の傷跡が残りますね・・・。
多分、これからも・・・。

出来ることはしようと思う。



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ときどき自分が何をしているのか分からなくなる。

でも捨てなければならない。

宮城県多賀城市で独り暮らしだった母、藤原郁子さん=当時(78)=を亡くした横浜市の会社員、徹さん(48)はこの8カ月、家財道具を処分するため被災地へ通ってきた。

 東日本大震災の2日後、宮城県警から電話があった。「ご遺族の方ですか」。仙台市に近い遺体安置所で対面した。水死。小さな死に顔は穏やかだった。

 父親の病没後、母親が18年間暮らした2階家は津波により1階が1・3メートルほど床上浸水した。隣近所は皆無事だったが、足の悪かった母親は助からず、遺体は玄関で見つかった。

 「火葬に1週間待った。読経だけのいわゆる『直葬』だった。それでも遺体が見つかり、納骨もできた。恵まれていたと思う」

 ヘドロにまみれた無人の家が残された。唯一の肉親である妹(46)は大分県へ嫁いでおり、家を継ぐ者はいない。5月の大型連休、全面復旧したばかりの東北新幹線に乗った。



 ■捨てきれない

 宮城県の推計によると、津波で水浸しになった家財道具は県内だけで28万1000トン。それらは震災がれきと異なり、生き残った人々が個人で片づけなければならない。独居世帯のお年寄りが津波で亡くなった場合、東京や仙台へ出ていった子供たちが担うことになる。

 徹さんは5月の4日間、仙台駅前でレンタカーのトヨタハイエースを借りて片づけに臨んだ。たんすも食器棚もピアノも泥をかぶり、水分を大量に含んだ木の塊と化していた。重くて運び出せず、冷蔵庫の腐った食べ物の処分で精いっぱいだった。生前、「私が死んだら仏壇だけは大事にしてほしい」と繰り返していたことから、ハイエースに茶色い仏壇と、まだ使えそうなトイレットペーパーを積んで横浜まで走った。

 「最初は捨てるという行為に戸惑った。透明封筒 一つでも母親が使ったものだと思うと捨てきれず、友人らに捨ててもらった。よく、思い出の品とか言われるが、簡単ではない。横浜の家に置き場所はないし、形見の引き取り手もほとんどいない。家も住まない以上、解体するほかない」

 7月末に1週間の夏休みを取った。家具はすべて乾いており、往来へ出した。市役所へ電話すると委託業者が引き取りにきてくれた。廃品回収車も現れエアコンを取り外していった。9月にはボランティア6、7人が2階の家具をロープでつり下ろしてくれた。



 ■故人との対話

 ただ、戸惑いながらも「捨てる」ことによって肉親の死を受けいれる「喪の作業」をしているようなところもある。それは故人との対話ともいえる。

 ヘドロの中から、母親の日記帳が数十冊出てきた。自分が学生だった昭和60年の赤い日記帳には、こんな記述ばかり並んでいた。

 《60年も良い年であります様に。夜中、徹の友達マージャンに来る》

 《徹、帰らず》…。

 2児の父となった現在、「俺ってこんなに親不孝だったのか」。横浜へ持ち帰り、少しずつ太陽の下で乾かしている。

 泥だらけの透明封筒 も出てきた。B5判8枚に「私が他界したら」と水道、ガス、電気、電話の手続きのほか、家の固定資産税の納付のことまでこまごまと書き連ねてあった。

 「8カ月たっても、母親が生きてきた証しがごみとして扱われることを納得しているわけではない。目をつぶってごみ袋へ入れている。でも捨てなければ決別できない。前へ進めない」

 片づけは今月中に終わる。年内に家の解体を市役所へ申し込む。

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