岐路を過ぎたら

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2012年1月4日。
残り物のおせちをつまみながら、夕方テレビを見ている。
「元旦は仕事で行けそうにないから・・・でも、三が日終わるまでには顔出そうと思ってる。数の子、置いといてよ。」
そう言って、結局4日になってしまった。
本当は3日も休みをもらっていたのに、身体がだるくて家から出られなかった。
それなのに、本気で数の子置いてくれてるとは思わなかった。味が染みすぎて、少ししょっぱい。
お母さんはその事については何も言わず、私も何も言わず、お爺ちゃんが炬燵で横になってテレビを見ている。静かな食卓。
「これはアカン。このおっさん、アカンわ。」
お爺ちゃんがテレビに向かって話しかける。私もテレビを見るのは久々なので自然と見入ってしまう。
画面に映っていたのは、身寄りのない全盲の老人だった。その上、震災被害に遭い、仮設住宅で一人暮らししているという事だった。
家具もほとんどない部屋の中、机の上は食べ終わったカップラーメンやらペットボトルのお茶やちり紙で散らかり放題。新年早々、辛気臭い画像だ。
「自分の身の回りの整理整頓も出来んやつは、アカンで。このおっさん、もうすぐ死ぬわ。」
“孤独な老人の一人暮らし”で視聴者の同情を誘おうとしているマスコミの狙いは、飛んだ見当違い、なのか。
「うん、まぁ、でも盲目だったらしょうがないんちゃうかなぁ。」
そう私が言ってもお爺ちゃんは聞こえているのかいないのか、ぶつぶつ言う。
「人間な、身の回りも散らかったままでいると、心まで荒ぶんや。整理整頓も出来んという事は、生きる事を諦めてるのと同じや。な。」
いつの間にか、私に言い聞かせてるみたいだった。
お爺ちゃんは、私の知る限りではいつも横になってテレビを見ているだけだけど、若い頃は真面目で勤勉な公務員だったらしい。
毎日同じ時刻に起き、同じ時刻に寝る、毎日寸分の狂いもなく同じ手順で生活を続ける真面目なお爺ちゃんが、お母さんは嫌いだったといつだか言っていた。
いつもの定位置で横になり、手の届く範囲に新聞とラジオ、テレビのリモコンと蜜柑が並べられている。
「うん、お爺ちゃんは、いっつもきっちりしよるもんね。」
「わしはどんだけ身体がしんどうてもな、整理整頓だけはするで。身体がしんどいからってな、それをせなんだら、余計にしんどなるもんや。」
テレビの画面の中の、盲目の老人からすれば少々酷な話にも思えるが、さすがは年を重ねてきた分、言う事に説得力がある。
お爺ちゃんはもう80歳を超えるが、耳が遠い事以外はなかなか健康だと思う。
いや、それも長くはない。去年、お爺ちゃんは心臓にペースメーカーを入れた。
お婆ちゃんが大動脈の手術をし、お爺ちゃんは「わしがしっかりせな。」と思っているらしかった。
お婆ちゃんの手術は一度成功はしたものの、その後風邪をこじらせたり肺炎にかかったりで、ついには病院から出られなくなってしまった。
病院で一人年を越すのは寂しい事だっただろう。
身寄りがなく孤独なのとは違って、家族がいるのに離れて過ごす寂しさを思うと、いたたまれない。
ここに来る前、お母さんと一緒にお見舞いに行ってきた。
いつもと変わらない様子に見えたけれど、また年をひとつ越してしまったのかというような、切なげな顔をしていた。
1ヶ月か2ヶ月に一度くらい、私はお見舞いに来るけど、お婆ちゃんはその度に「仕事はどや」「お付き合いしてる人はおるんか」「相手はしっかりした人なんか」「結婚はするんか」と聞いてくる。
何度も丁寧に説明するが、何度でも同じ質問を繰り返ししてくる為、そのうち適当な返事しかしなくなっていた。
どうやらお婆ちゃんは、私がお母さんのように結婚に失敗して不幸にならないようにと願っているらしい。
私は、お母さんが結婚に失敗はしたが、それは飽くまで結果的にであって、不幸ではなかったと、思っている。
お爺ちゃんとは全く正反対なお父さんを、お母さんは素敵だと感じたのだ。そこに正解や不正解はないはずだ。
思えばお母さんは今の私と同じ歳で結婚し、子供を産んだわけで、今の私にそんな選択が迫ったとしても自信を持って選べないだろう。
それより、「仕事はどや」と聞かれて、毎回違う事の説明をしなければならないのが辛かった。
次にここに訪ねてくるときは、何て言えばいいだろう。
お婆ちゃんの生きてきた時代と、お母さんの生きてきた時代と、私が今生きる時代、分からないけど多分、違い過ぎて、言葉で説明するには不充分だ。


人生が例えば、ゲームのように、セーブ&ロード可能なら。
あのとき私が選び損ねた道のその先で、私は幸せに暮らしていただろうか。
当たり前だけど、誰にも分からない。イエスやノーの一言で済む話でもない。
けれど考えてしまう、考えても仕方がない事を。
そうか、これを人は“後悔”と呼ぶのだな。

後悔。なんて。
そんな事、今までした事なかった。のは、捨てるものや選ぶ事がなかったから、だろう。
なんとなくそのとき出来る事だけをして、それが最善だと思い込む。
過去やずっと先の未来ではなくて、明日をしっかり見据える事が出来ていた。
でも、それだけじゃダメなんだと世間は言う。ずっと先の未来、というのは、暗いトンネルの先にあるあの光が何なんだって言うようなものじゃないか。
今の私は仕事辞めなきゃ良かったって思っているけど、あのときの私には辞めるという選択肢しか見えなかった。
周りの人間だって「どっちにしろ長くは続かんな」「ダメだこりゃ」としか思えなかっただろう。
私は、今よりもっと良い未来を手に入れる為に、今持っている環境を、人を捨て、その結果何も得られなかった。だから後悔している。
それだけの話じゃないか。
人生は今日の積み重ね。私は世界の仕組みを、まだ知らなかったのだ。

洗濯機のスイッチを入れ、洗剤を流し入れる。溜まった洗いものを洗う。汚れを取る為のスポンジも、洗う。
ごみ、要らないものをまとめて袋に入れる。
いつもの手順で部屋を片付けると、少しだけ気分が落ち着く。
頭の中でパズルのピースが合うように、それが何事でもなかったかのように、結果じゃなくて、次の答えが見つかるように。
「明日、心療内科に行こう。」
いつもと変わらない様子の部屋を見回すと、思う。・・・惨めだなぁ。
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かなう青

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ソーダの味がする抗不安剤
まだ、あと少しだけ甘えていたい

時間は止まったり進んだりして
気がつけばもうこんな時間
お腹はすかない
空っぽのはずの内臓が重たくて

甘くて、少しほろ苦い
そんな恋がしたかった
そんな一方的な伝え方で
猫のように可愛がられたかった

自分が安っぽくて、薄っぺらな女だという事は
一度忘れたふりをして
溺れていたかったのに
いたかったのに

夢の中とは裏腹
冷たいあなたが好きだった
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頭の中の曇り

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頭の中の曇りが晴れない
肩凝りのような頭痛が続く
何もしないからしんどいのだと思って
何かしようとすると余計に身体が重く感じる
寝ても取れない疲れと
食欲というものが無くなった胃

そのうち夢と現実と過去と理想と
何も区別がつかなくなってしまった

今、自分は何処にいるのか


こんな自分を好きだと言ってくれる貴方が
鬱陶しいとさえ思った

先が見えない

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