いっそのことなんて

テーマ:
確かにアメもムチもどっちも欲しいという欲張りな女だけど
泣くことを拒絶されるのは
愛されなくなることの次につらいかもしれない

生きてるから感情的にだってなる
それはまさに生き恥そのものだけど
いつだって理論的でいられるきみが同じ動物として理解できないし、怖い

なんでこうまでも違うんだろう
脳みその部品そのものは同じはずなのに
なんでこうまでも食い違うのに
それでもいいなんて、思ってしまえるんだろう

感情は理論を引き裂いたでたらめでできた
臍曲がりばかりで
一生かかっても飼い馴らせれる気がしない
理論は言葉と付き合うが感情はそうはいかない
きみとあたしの言葉は全部あまのじゃく
AD

きらいで怖い

テーマ:
仕事ばっかりの毎日はいや
だけど時間が空いても結局何もしてない
脳みそ溶けて身体が腐るまで眠りこけるのが好きなのか
でも、それ以上にもっともっと好きなことがある
大きな声で歌っても全然疲れないようになった
もっと高い声、響く声
時間や環境が許してくれるのならば
もしかしたら一日中歌っていることだって出来るかも知れない
けれどそれと同時に凄く焦っていて
手につかないレポートなんかもそうだけど…
全く一日を有意義に使い続けるということは尊いということにはならないのだろうか
こんなにも、こんなにも詩が好きなのに
全く何のイメージも言葉も浮かんでこない
かすかに浮かんできたとしてもそれを掴む力が全然落ちているみたい
もし二度と詩が書けないんだったら
生きていくんが怖いよ
一生書いて生きたいって初めて思ったときから何年経っただろう
こんなに怖いのは初めてだ…
とりつかれたように昔の詩を読みあさったけれど
自分の感じる世界と周りの評価の差異がまたひどく怖い
歌ってそれを忘れられるのは
もしやつかの間の夢なんじゃないかという気までして、怖い
AD

仕事の忙しい週末は仕事のことばっかり考えていて

自分が誰なのか、どうでもよくなってきて

忘れそうで、でもいらいらしていて

新人を思いっきり叱り飛ばす夢を見た


歌ってる間は腹も空かないし眠くもならない

共鳴だけが頭から、胸、腹、それらを満たし

訳がわからないほど狂おしい、言葉がない感情

やっぱり自分が誰なのか、なんて

どうでもよくなってきて

でも手放しては生きていけないのだ、現実

AD

蓮の花

テーマ:

今年も会いに行けなかったな。

もう枯れちゃっただろう、恐らく。


茶色く錆び付いて、また池の底へと沈んでいく

自らの亡骸を養分に、また来年の夏も強かに

咲いてくれるだろうか。


あたしは、あの頃を思い出すように

シャッターを切る。


可愛がってやれるだろうか。


本当は咲く頃より枯れる頃の方が好きだ。

後悔・・・

テーマ:

地元の駅に着いて、まず後悔した。まだ16時にもなってない。

せっかく遠出したんだから、一人ランチしてカメラのフィルム買って、どこでもいいからぶらぶらすればよかった。

でも、なんだか頭がまわらなくて気がついたら家路をたどっていた。

眠くても30分で着替えて化粧をして出かけた自分はえらいと思うけど、「教養」を身に付けなきゃいけないな。じゃないと詩も書けない。

お金がないとつまり遊べないと考えてしまった自分にガッカリした。

今日は、もしかしたら夕焼けがきれいだったんじゃないか。そうじゃなかったかも知れないけれど、でもどちらにせよ自分の目でそれを確かめればよかったんだ。

唐突だけど、人はダラダラ時間を過ごすのが苦手なタイプとそうでないタイプ、ふたつに分かれるものだと思う。

あたしは困ったことに、根っから後者の方だと言える。急ぐのは嫌いで、急かされるのはもっと嫌い。

中学生の頃、それを自覚するようになって、反抗して「時計が嫌い」と言ってはほとんど時計の要らない生活をしてた時期があった。

だから余計に、自分は社会に出て働けるような人間じゃない、と思うようになった。

今思うと、なんて短絡的なんだろうって思うけれどね・・・笑。

けれど自分でも不思議に思う。今では、毎朝決められた電車の時間に間に合うように生活している。しかも、それがそう苦痛とも感じない。

それでも、性分は変わったわけじゃない。多分ずっと変わらないんだろうな、と思う。

際限なくダラダラする生活していたら確かに不安になるけれど、自分できっちり「ダラダラする時間」の枠を決める。

気が済むまでその日はダラダラして、風呂に入ってすっきりしたら、散らかった部屋をいちから片付ける。

だらしない父親譲りの性格が自分でも嫌いだ。だらしないこの性格を咎めているのは多分、母親の血だろう。

ただ、「だらしない」という言葉は好き。自分をよく表してるから、落ち着くんだろうな。

生活にだらしないというより、人間がだらしないんだと思う。

どっか自分を甘やかしてくれる人とか時間が、必要だと思う。誰だってそうかも知れないけれど・・・。

昔はそんな自分がなんだか認められなかった。弱い自分を自覚しつつ、だから自分の思うままに行動し、さらに弱さを体現し、自分の弱さについてずっと考えていた。

一生懸命がむしゃらに頑張った後、「こんなに頑張ったのに・・・」ってなるのが怖かった。

今は、弱いなら弱いで、まずその弱さを許すことから始まり、誰かに甘えながらでもいいから、一生懸命になることを恐れたらお終いだと思う。

出来るだけ頑張った方が人生楽しいんだと気付いた。

弱いのは何も変わってないけれど、強くなったんだな、と思う。