2007年04月03日(火)

外来に行った。

テーマ:入院☆日記

 入院していた病院の外来に行った。

 サエキさん を見舞うつもりで病棟に上がっていって、驚いたことがある。

 それは、私が退院するときにもうあまり長くはないだろうなと思っていたあの老人 が、まだ存命であったことだ。

 ただしもう意識はなく、人工呼吸装置と絶え間なく電子音を発する心拍モニターをつけた姿だったが。

 

 意外だったのは、臨終の際にいる本人を取り囲む親族の姿や雰囲気というのは、私はすごく沈鬱なものだと思っていたのだが、それに反して明るかったことだ。

 そのころ老人の孫に当たる幼い姉妹の妹がはしゃぐと、お姉ちゃんのほうはしー! と諌めていたのに、今日は2人でじゃれあっていたし、そのように子どもたちがはしゃぐと親である娘さんは怒ったのだが、それもやはり怒らなかった。

 ということは、あれは同室である私たちへの配慮ではなく、「おじいちゃんの眠りを覚まさないように」という配慮だったのだろう。

 娘さんは微笑みを浮かべてさえいたが、どういう心境の変化なのだろうか。

 

 その明るさの意味を私は、たぶん、「自分たちにやれるだけのことはやった」という満足感なのではないかと思っていた。

 そう知人の医師に話してみたところ、「そうではなくて、ご家族は家族の死ということを受け入れたのだと思う」と言っていた。

 言われてみればそうなのかもしれない。

 あれからもう1ヶ月になる。

 その1ヶ月の間に、妻・娘・孫というそれぞれの立場で、この男性の「死」というものを、「受け入れた」のだろう。

 

 知人は続けて言った。

 「医療者の立場で言うと、入院してから亡くなるまでの間には、最低1週間はほしい」

 「その間に、医者の立場からは患者さんが芳しくない状態であることをじっくり説明して差し上げられるし、それを聞いたご家族も「死」を受け入れる準備ができるから」

 「入院してまもなく死んでしまった、というような場合は、家族に「死」を受け入れられる時間がなかったということ。そういう場合は往々にして、看護者に怒りが向かいやすい。なにか医療事故があったのではないか、とか、そういう疑念を患者さんのご家族が持ちやすい」

 

 現在、回復の見込みがない患者の、延命措置の中止を医師の判断で行なえるようにするための、ガイドラインの策定が進められている。

 確かにそれもあるシチュエーションにおいては必要だが(患者本人や家族の依頼があったとしても、現行法では殺人罪で罪に問われかねない)、「残された者の心理的充足」ということを考えると、延命治療はただ本人のためでなく、その家族が、事後心安らかに過ごせるのならば、「回復の見込みがない患者に対する延命治療」にも、その意味は大きいのではないだろうか。

 

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2007年03月03日(土)

平成19年2月26日(月) 退院日

テーマ:入院☆日記

 朝、弱った老人のところに医師が来た。

 医師は、「胸の音もよくなってきてるし、熱も下がってきてますから頑張りましょう」と言って行った。

 老人は数日来明らかに弱ってきているから、医師の言葉は嘘だ。

 

 私は嘘や不誠実さは悪いことだと考えているが、だがこういう場合本人にたとえば「もう助かりませんから覚悟しておいてください」と真実を告げることは、嘘をつかないことや誠実さとイコールなのだろうか。

 医師の言葉は、「優しい嘘」とでも言うべきものなのかもしれない。

 冷酷な真実を告げるよりも優しい嘘をつくほうが救いになることが、人間には時としてあるのだろうか。

 

 私の主治医も回診に来た。

 しばらくの間は傷あとにテープを貼って、その上からサポーターをつけて過ごすようにということだった。

 

 昼飯を食って、T老人とS老人にあいさつをした。

 弱った老人へのあいさつは、今朝方に済ませた。来たときにも目礼を交わしていたから、去るときのあいさつも礼儀だろうと思ったからだ。

 ベッドの横にしゃがみ、お世話になりましたが今日で退院しますと言うと、そうですかおめでとうございますと細い腕をやっと出して握手をしてくれた。

 その手が暖かかった。死に近づいている人間は手も冷たくなっているのだろうと思っていて、そのつもりで握手をした私はたじろいだ。同時に、たしかにこの人はまだ生きているのだと思った。

 

 生と死は対極であって、その間の壁を安易に超えてしまうことは、生きている人間には許されないのだとあらためて思う。

 生を自分でコントロールできないように、人間にはみずから死だけを選び取る権利はない。

 死とは、そのときがきたら甘んじて受け入れるものだ。

 昔、村上春樹は、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と書いたが、それは間違っている。死は生の対極であって、決して両者が相容れることはない。

 生きている人間には、その与えられた命を生き抜く義務がある。それを途中で放棄してしまうようなことは、生命を創造したものに対する罪だ。

 

 退院時処方の薬を受け取り、会計を済ませ、病院を出た。

 大きく息を吸い込んだ。

 これで私はまた、日常へと戻るのだ。

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2007年03月03日(土)

平成19年2月25日(日) 入院11日目

テーマ:入院☆日記

 通路側の老人は、私が入院している間にずいぶん弱っていた。

 私が来たころは、吐き気止めを用いながらもなんとか自分で食事を摂っていたが、ここ数日は食事もままならずまどろんでいるばかりだ。

 肺炎を起こして肺機能が落ちているようで、看護師が頻繁に鼻の酸素チューブを確認して行く。

 奥さんは毎日来ていたが、最近はそれに加えて娘と孫が来たり、田舎から女のきょうだいが来たりしている。

 先日は奥さんと娘さんが来て、娘さんはベッド柵の足元から身を乗り出すようにして、父親の寝顔を長いこと見つめていた。

 多分、お別れの儀式だ。

 

 人間は、どれほど長い間、こうして別れを繰り返してきたのだろう。

 近しい誰かが突然いなくなってしまった喪失感も厳しいものがあるが、いなくなることを知っていて見送る覚悟にはどれほどつらいものがあるだろうか。

 

 昔、2年目の看護師に人が死ぬことをどう思うかと聞いたことがあった。

 彼女は「最初はつらかったけどもう慣れた。本当は慣れちゃいけないんだろうけど」と言っていた。

 死というものに対して、鈍感であったり冷淡であったりすることは、人としていいことであるわけはないが、私は彼女のような感覚は別に不謹慎であるとは思わないし、むしろ当然だろうなと思う。

 病院における死は特別なセレモニーではなく、毎日繰り返される日常風景の1コマにすぎないからだ。

 ただし、家族にとってはかけがえのない一瞬なのだから、日常と非日常に変え、別れをかけがえのない美しい思い出にする努力は、医療人はいくらし過ぎてもし過ぎることはない。

 

 いつだったか、ずいぶん前にかかりつけの病院で、葬儀屋が迎えに来た風景を見た。

 主治医と3人の看護師が見送っていて、若い看護師の1人は本気で泣いていた。

 心が、保たないだろうに…。

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2007年02月27日(火)

平成19年2月24日 入院10日目

テーマ:入院☆日記

 トイレに落書きを見つけた。ナースコールに描かれたナースを、悪魔に書き換えたものだ。

 この個室がある建物は、高度救命救急センターと集中治療室(そして地下2階には霊安室)がある緊急棟だから、入院患者がヒマにまかせて描いたものではない。

 どういう人が描いたのかは分からないが、緊急事態が起こったときにその最中でも楽しんでしまえる、ユーモアとタフネスを持った人が、私は結構好きだ。

 



nursecall

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2007年02月27日(火)

平成19年2月23日 入院9日目

テーマ:入院☆日記

 昨日老人が出て行ったベッドに、小太りの中年男性が入ってきた。

 救命センターから上がってきたようで、羽織るだけの薄い術衣1枚で下は大人用紙オムツをしている。

 例の弾性ストッキングを穿いていて、そういう姿でベッド上であぐらをかいて座っている姿は、笑ってはいけないのだろうが、なんともエキセントリックだ。

 その男は、医者や看護師と喋っている最中にバタッと倒れて、「んん…。あぁ……。んふっ…」と突然悶えだす。実際は悶えているのではなく、てんかん発作のようだが、傍目からは快感に悶えているようにしか見えず、実に気持ちが悪い。

 

 夕方院内をフラフラしていて、廊下のソファに座ってエレベータを待っていたら、医者がバタバタと2人駆け寄ってきて「ちょっとここ空けておいて貰えますか」と言って、エレベータ前の人混みを掻き分けた。

 扉が開いて中に入っていたのは、慌しい4人の医師と名を叫ぶ1人のおばさん、1人が横たわったストレッチャ-だった。医師は心臓マッサージをしたり、アンビューバッグで空気を送り込んでいたり、「輸血血液用」と書かれたバッグを提げたりしていた。ストレッチャーが段差に引っ掛かってしまい、開けっ放しにしとけ! と医師が殺気立っている。

 私の横を通り過ぎるときに顔を見たら、20代前半ぐらいの男性だった。丸坊主で、口が半開きで、色がとにかく青白くて血の通っていない色で、それを目にした途端に、恐ろしくて私の首筋がブルッと震えて、思わず顔を背けた。

 

 エレベータに乗って病室に戻ったが、心臓がドキドキして動悸がする。

 言いようのない不快感が胸の中に渦巻いて、なかなか収まらない。

 この気持ちは何なんだろうと思った。

 分かった。

 一言で言えば私は、「死」に対して、恐怖したのだ。

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2007年02月27日(火)

平成19年2月22日 入院8日目

テーマ:入院☆日記

 私の向かいに入院していた太った老人が1日で退院した。

 ひじの2ヶ所に腫瘍ができたのだそうで、その切除だったが、「麻酔のほうが痛かった」と言っていた。

 T老人とS老人には、「どうもどうも。お世話になりました。大事にしてね」と言って去っていった。

 「大事にしてね」とは、いい言葉だ。お大事にというのとは、また別の響きがある。

 ただ私には「またね」と言って行った。もう病院じゃ会いたくないよ…。

 

 術後4日目ぐらいまでは、ノートに日記を書きつけるのにも術部に引きつれるような痛みが走ったが、今日はかなりよくなっている。傷自体の痛みもだいぶ少なくなっているし、治癒力というのはすごいものだ。

 

 現在19時30分。

 飯を食ってしまうと何もやることがなくなることと、長引けば長引くほど気が滅入ってくるところが、留置場とよく似ている。

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2007年02月26日(月)

平成19年2月21日 入院7日目

テーマ:入院☆日記

 今日、包帯が外れた。

 抜糸はまだだそうだが、傷そのものはシャワーで石鹸を泡立てて洗い流していいらしい。

 

 おしゃべりなT老人は、認知症だろうか?

 今日の診察で、「知っている野菜の名前を全部言ってください」というのをやらされたと憤慨していた。明日は脳のMRIだそうだ。

 たしかに、向かいのS老人に自分でした話を忘れていたり、同じ話を繰り返したりそういう傾向がある。

 

 S老人が戦争の話を始めた。富士山麓で訓練後、千葉の部隊に配属されたらしい。

 「おいお前いくつだって聞くと、はい四十八でございますなんて言うんだ。農家から補充兵で連れて来られたんだよねぇ。四十八の年寄りなんか使い物にならないよ。農家にいればお米が食べられたのに、軍隊に来たら大豆しか食えないなんてあれ、生のまま食うんだよ。それで消化しないで全部出ちゃうんだ。可哀相だよねぇいくらなんでも。あんな兵隊じゃもつわけねえよ。勝てるわけないよ、あんだけ物資が違っちゃえば。それでね、佐倉の近くにB29が墜落したんだけど、見に行ったらね、焼けてないんだ。普通は入れないんだけど我々は××(聞き取り不能)の上着を着てるから入れたんだ。それでね初めて見たんだけど落下傘見たらね、生地が丈夫なんだよ。今考えたらナイロンなんだけど日本にはなかったんだよ。それでねあの、飛行機に載ってるウイスキーなんかビンじゃなくてね、全部あの、プラスチックなんだ。ビンだと思ったらビンじゃないんだよ。叩いてみたらね、コンコンって鳴るんだ。それだけアメリカは進んでたんだよ。1本かっぱらって飲んだんだけど」

 

 「ふーん」

 長い長い独白の合間に、T老人の合いの手が入る。

 

 「飛行機にウイスキー乗っけて飛んでたんだ。それで食糧を携帯して来るんだけど缶詰が入っててね、開けてみたらすげえ豪華な食ったことのないような肉がギッチリ入ってんの。恐る恐る出してみて、何だろうこれ肉じゃねえのかなんて言って上官が志賀、私旧姓志賀っていうんだけど志賀食ってみろって言われて食ったんだけど、違いますこれ馬肉じゃありませんって、あれ牛肉だったんだよねぇ。それであの、両国の国技館。昔の国技館で何作ってたかっていうと、紙風船。いくつも飛ばしたもんね、風がアメリカに向かって吹いてるときに、あんとき飛ばすと風がこういうふうに向かって必ずアメリカに行くんだって、よくわかんないんだけど風船に爆弾つけて。経師屋さんが全部動員されて、和紙をね、こうやったりこうやったりして風船作って風に乗せて。空気爆弾だとさ」

 

 「馬鹿だね日本は。そんなの届くわけねえじゃねえか」

 

 「私もそう思ったんだけどねぇ。馬鹿だよ。まぁ最後のあがきだったんだろうねぇ。それでね、戦争の終わる2ヶ月前に隊長が全員集めてね、お前達覚悟しとけと。もう2ヶ月ともたないと。それでお前達は、日本の特高警察なんだから潔くしろと。潔くしろたって俺は逃げちゃうよって言ったんだよ。身を隠せばいいんだからさ、逃げちゃうよって言ったんだ」

 

 逃げちゃあ困りますね、調子はどうですかと言って回診に来た主治医が割り込んできて、S老人の長い独白は終わった。

 

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2007年02月26日(月)

平成19年2月20日 入院6日目

テーマ:入院☆日記

 私の病棟には、形成外科のほかに皮膚科と第一内科があるから、いろいろな人が入ってくる。

 今日隣に入ってきた人は、EBウイルスに感染している伝染性単核症の40歳だ。

 別に聞くつもりはないが、8人の大部屋でカーテン1枚でしか仕切られていないから、聞くつもりがなくても聞こえてしまう。

 

 夜、外の喫煙所でタバコを吸っていたら、救命センターに来た救急隊員と隣り合わせになった。

 いい機会なので「救急車の有料化についてどう思うか」と聞いてみたら、「お金が絡むと感情的な問題になるから、うまくいかないでしょうね」と言っていた。じゃあ通報を受けた段階での消防本部での選別についてはとなおも聞くと、「救急車を呼ぶ人は必要だと思うから呼んでるわけだから」と言った。

 

 「救急車はね、大いに呼んでもらって結構なんですよ。もう、大いに結構。困ったときはお互いさまなんだから」

 「でもね、急性アルコール中毒だけは勘弁してほしい」

 「どんな時代でも、酒を飲んで酔っ払うことは自己責任なんですよ」

 「若い奴なんかね、自分が2次会に出られないからって、救急隊に預けてっちゃうんだから」

 「自分が死ぬのは怖くなんてないですよ。みんな死ぬときは苦しいんだろうなって思ってるけど、実際見てると死ぬときは本人は何にも分かってないんだろうなとよく思う」

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2007年02月26日(月)

平成19年2月19日 入院5日目

テーマ:入院☆日記

 家に帰り着いた。

 ただでさえ遠いところを手術後まもなく帰ってきたのだから、非常に疲れた。

 入院のことをブログの記事にしようと思い日記をつけていたが、それを打ち込んだ。

 キーを叩くときに傷が引きつって痛む。傷口が開かないかどうか、少し心配になってしまう。

 昨晩から猫が引っ付いて離れないので、後ろ髪を引かれる思いだったが、届けてある16時30分までには、病院に戻らなくてはならない。

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2007年02月26日(月)

平成19年2月18日 入院4日目

テーマ:入院☆日記

 一時帰宅の許可を貰った。

 抜かりなく準備をしたつもりだったが、ケータイのイヤホンを忘れたのだ。

 これがないとワンセグも見られないし、内蔵のウォークマンも聴けない。

 テレビは備え付けのをチョコチョコと見ていればいいが、退屈を紛らわすための音楽を聴けないのは、大損している気持ちになる。

 ついでに猫の様子も見に行く。

 外泊届の理由欄は、理由の如何を問わず「試験外泊」とするらしい。外出のときは「試験外出」だ。

 裏面の注意事項に「傷をぶつけないようにしてください」「転倒に注意してください」と書いてあった。

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