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2008年10月06日(月)

前科者が就職するには

テーマ:監獄☆日記

 このブログへのアクセスを解析してみると、「前科者の就職」というような検索ワードで入ってこられる方が、非常に多いです。

(次に多いのがテレビ番組名です。不本意ですが笑)

 

 それは、留置場や拘置所からの釈放、あるいは刑務所からの釈放時点で、「前科者は就職できるのか」あるいは「就職はどうすればいいのか」といった不安を持っておられる方が多いということでもあるのでしょう。


 たしかに、裁判で執行猶予付きの判決が出れば、「その時点でポイッ!」です。

 迎えの人も交通費もなく、国選弁護人に千円だけもらって帰る人を見たこともありました。

 たしかに、これでは迷うでしょう。

 

 警察も裁判所も弁護士も、「まずはどうしたらいいのか」ということすら教えてくれないし、“不幸にも”保護観察の付かなかった事案であれば、保護観察官や保護司の指導を受けることもないので、どうしたらいいのかがまったくわからないに違いありません。

 そこで「前科者の就職」ということについて、まとめてみます。

 

 出所後すぐ、住むところのあてもないし働くあてもないというときには、迷わず住所地(住民票のあるところです)の福祉課に、生活保護の受給相談に行きましょう。

(この部分訂正。新聞によれば、生活保護の受給は住所地でなくともよいということです)

 またすぐ再犯して、刑務所に逆戻りなんていうことにならないためにも、まずは住居と生活の安定が必要です。

 おそらく事情が事情ですから、最優先で保護が開始されると思います。

 

 ただし、この制度に安住してはいけません。

 次に考えるのが、働いてお金を稼ぐことです。


 働かないでお金がもらえて、しかも医療費もタダ。

 でもなぜ、そのままではいけないのでしょうか。

 

 生活保護というのは、もらえるお金が絶対的に少ないんです。

 ほしいものも買えないし、遊びに使えるお金もない。

 生来的な遊び好きや、ギャンブル好きの人はどうしますか?

 そのお金を調達するために、また何か犯罪をしてしまうのではないでしょうか。

 そのリスクを減らすためにも、なるべく早く働き始めたほうがいいと思います。

 

 それに、病気のために生活保護を受けている人を個人的に知ってますけど(サエキさん、過去ログ参照)、外食するお金もないような状況で、生きてて楽しいでしょうか?

 ただ「生きているだけ」の人生なんて、味気ないと思います。少しでも、自分の自由になるお金がないと。


 話が横道にそれましたが、実際に職探しをするためには、どうしたらいいのでしょうか。

 ますは最寄りのハローワークに行きます。

 

 ここでの注意点ですが、受付を通して通常の職探しをするのではなく、最初から「専門援助部門」を訪ねてください。

 全国どこのハローワークでも、「外国籍の方・障がい者の方」といったようなことが書かれた案内板が、天井からぶら下がっているコーナーがあるはずです。そこが専門援助部門です。

 そこを訪ね、「刑事事件を起こして失職してしまった」などと申し出てください。

 すると専任の係員が、あなたについて個別の資料を作成してくれ、一般の求職者よりもはるかに手厚い就職支援を受けることができます。

 人に言いたくない事情もあるでしょうが、包み隠さず話してください。

 公務員には法律による守秘義務がありますから、ここで話したことが外部に漏れることはありません。

 きっとあなたに最適な職場を、見つけてもらうことができるはずです。

 

 そして新しい職場で働くことが軌道に乗ったら、生活保護は支給停止(一時保留)を経て廃止になります。

 ようするに、経済的に自立するのです。

 一所懸命働いて、まじめに過ごし、悪友とは関わらず、もう一生犯罪とは縁のない生活を送ってください。

 

 「前科がばれることはないのか」という不安について、お答えします。

 氏名をネットで検索できるぐらいに大きな事件であれば、ばれることはありえます。

 またある程度大きな企業であれば、採用にあたって身元調査を行なうかもしれません。

 こればかりは、「運」も大きいでしょう。

 

 これについては、「それでもボクはやってない」の留置係警察官役の徳井優が、示唆に富んだことを言っています。

 「そんな人はいっぱいいるんだし、黙ってればわからないって」。

 

 しかも、「前科者であることを承知の上で雇用する」協力事業主という人がいます。

 肉体労働が主のようですが、体が丈夫ならそういうところで働くのも有効です。

 

 だいたいお分かりいただけたでしょうか?
 頑張ってください。


参考エントリ

前科者の就職

前科者の就職(2)

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2007年10月03日(水)

ビッグダディⅢ(3)

テーマ:監獄☆日記

 今日の新聞に、ビッグダディを観ての感想が2つ載っていた。

 ◆父親を見て育つ (静岡県・主婦・51歳)

  9月25日の「4男4女9人大家族 ”痛快ビッグダディ”」(朝日)は、男手ひとつで8人の子供を育ててきたビッグダディの筋の通った威厳と行動力と心根の優しさがあった。

 子供たちが協力し合い、素直でしっかりした考えを持っているのは尊敬できる父親を見て学び成長してきたからだろう。

 元妻に復縁を望まれても頑として拒む父。母親に会えて喜びいっぱいの子供たちが両親を気遣い接する様子に感心した。

 

 ◆ビッグダディとは (埼玉県・主婦・48歳)

 「4男4女9人大家族 ”痛快ビッグダディ”」は考えさせられる内容だった。元妻が新たに3人の子供を連れて戻ってきた時、父親・清志さんはどうしたか。

 復縁することはなかったけれど、元妻のためにキャンプを催したり、アパートを折半で借りたり、まさに”ビッグダディ”そのものだった。

 母親と3人の妹たちを見送るときに泣き出した4男の優しさも心に残った。新しい門出に幸多きことを祈る。

 

 

 ま、最初の投稿には私も同感だけれど、2つめに関しては微妙である。

 もともと同じ両親から生まれた妹がすでにいるわけだし、そこにある程度成長した(父親の違う)女の子たちが来れば、その子と自分との関係性を納得するまでには、さらにもう少し時間が必要だろう。

 その三つ子を、安易に「妹たち」と呼ぶのは、大人のご都合主義と傲慢である。

 

 それに、元妻が作ったしょうが焼きを食べて、三男は「ここ(三つ子の1人)達のお母さんの料理おいしいですね」と言った。料理を作った人は自分の母親ではなく、三つ子のお母さんという認識なのだ。

 たとえ実の母親という認識であったとしても、夫と子供たちを置いて出て行った人を、苦労した張本人であるビッグダディの前で即座に「お母さん」と呼ぶことは憚られる。

 そのことについて最初の投稿者が「両親を気遣い接する様子」と書いたのなら、この投稿者は慧眼である。

 

 キャンプを催した意味はよくわからないが、確実に言えることは「元妻のためではない」ということだ。

 「お金があればもっと違った時間の使い方をするんだけどな」と言っていたから、おそらく三つ子を含めた子供たちと自分自身の「レジャーのため」だ。

 アパートを折半で借りたのだって、「元妻のため」にそこまでしてやる義理はない。

 大ざっぱに言えば、三つ子と自分の子供たちのためだろう。

 ただそこまでしてしまうのは、やっぱりビッグダディの人のよさなんだろうなぁ…。

 

 突堤でビッグダディは「もともとがこういう人間なもんでここには落ち着く」と言っていた。

 「こういう人間」とはおそらく、「人との深い交流が好きで、それが性に合う」ということだ。

 だからこそ「大家族」を好むのだろうが、ビッグダディの秀でているところは、その反面の「面倒見のよさ」がしっかりと同居しているところだ。

 面倒見の悪い人間が生むだけ生んで面倒を見ないと、どこかの家族のようになるのである。

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2006年10月18日(水)

留置場の夢を見た。

テーマ:監獄☆日記

 久々に留置場の夢を見た。

 私の身になにか大きなことが起こるときには、絶対に予知夢を見るので(バイク事故の前には病院のベッド上の視点の夢を見たし、逮捕の前には留置場の房内の夢を見た)、何かやらかしてまたブタ箱入るのかなと一瞬思ったのだが、どうも違うらしい。

 

 留置場に入るために5人ぐらい行列を作っていて、そこに私の胸の高さぐらいしかないトンネルのような天井を潜り抜けて、私が冷やかしに行ったりしている。壁に直接作りつけられたベンチに4人ぐらい座って、談笑もしているし、こんな留置場はありえない。

 

 

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2006年03月09日(木)

検察庁から手紙が来た

テーマ:監獄☆日記

 検察庁から普通郵便で手紙が来た。

 「証拠品の郵送還付に関する照会書」というもので、



1 別添に記載されている証拠品は、郵送によりあなたにお返ししますので、これに異存がない場合は、別添の「1」を○で囲み、送付先を記入するとともに、年月日、住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。

 

2 証拠品を受取に来庁する場合は、別添の「2」を○で囲み、来庁日を記入するとともに、年月日、 住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。

 

3 証拠品が不要であれば当方で処分しますから、その場合は別添の「3」を○で囲み、年月日、 住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。



とのことである(至急お知らせはいいが返送用封筒が入ってないな)。

 

 執行猶予がついて釈放されたのが一昨年の9月であるから、約1年半ぶりに還付されることになる。

 私は正直忘れかけていたので、冷や水をぶっ掛けられたような気分というか、そういえばそんなこともあったなという感じだ。

 

 最近何かとお騒がせなwinnyの作者は公式サイトでこんなことを言っている が、まだしばらくは返ってこないだろう。係争が続いているならなおさらだ。

 

                                                      (つづく)

 

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2005年10月13日(木)

釈放。その直後。(監獄日記完結編)

テーマ:監獄☆日記

 判決の日の朝、私はホームレスとひとつの約束をした。

 それは、「金を少しだけ差し入れる」というものだった。

 

 出られるかもしれないという高揚感で、「俺は今日、たぶん釈放になる。ジイサン、何かしてほしいことあるかい?」と何となく尋ねたら、手を口元へやり、「たばこが吸いたい」と言ったのだ。

 確たる気持ちがあったわけではない。たわむれに、じゃあ外からたばこがしばらく吸えるだけの金を差し入れる、と約束をしたのだった。

 

 1日24時間のうち、運動と朝晩の洗面の時間を除いた23時間30分を房の中で過ごす我々にとって、ほんのわずかばかり外に出られる機会だというのに、運動の時間ホームレスは房から出ずに過ごした。

 出ても本箱からマンガを抜き取るだけで、すぐに房の中へ戻ってしまう。

 私にはその行動が理解できずに理由を聞くと、「歯槽膿漏が痛むから」と言っていたが、本当は、他人がたばこを吸うのを見たくなかったのだ。

 

 約束は、簡単に反故にすることもできた。以前の私なら、結局面倒になって、そのまま反故にしていただろう。しかし私は、約束を果たそうと思った。

 それは私に何彼となく物や本を、巧妙な方法で買い与えてくれ、最後まで名も明かすことがなかった、あの「男」の存在だった。

 「男」は、いろいろなことがあって人間不信だった私に、「見返りを求めない無償の行為が世の中にある」ということを、その行動をもって示してくれたのだ。

 

 被害者との話し合いのあと、レストランを出ると、曇天の空模様は強い雨に変わっていた。

 秋だというのに私はといえば留置場を出たときのままのTシャツ姿で、ひとつの季節をまるまる逃して外へ出た身に風と雨はかなり冷たく、私を家路へと急かした。

 しかし少しの逡巡のあと、私は近くにあったコンビニでビニール傘を買い、両手に返された荷物とノートPCを抱え、警察署へと戻った。

 

 逃亡中のオウム信者の等身大の立て看板と、県警のマスコットキャラクターが出迎える玄関を入り、運転免許証の更新でごった返す1階を抜け、古びた暗い階段を上がると、留置管理課がある。

 自分が入っていたところだから2階にあることは知っていたが、外から見るのは初めてだ。

 中に入っている人間の家族だろう。妻か母親らしき人が、肩身が狭そうに恐縮しきって面会の手続きをしている。

 

 少し待ち、窓口で定められた手続きを終えホームレスに1,500円を差し入れると(1日2本しか吸えないから、しばらくもつだろう)、奥から課長が「1,500円も入れてやるのか。いいんだあのジジイ、好きでホームレスなんかやってるんだから!」と声を掛けてきたが、私には約束を果たした満足感のほうが大きかった。

 歯が出ているのでデッパちゃんと名づけていた巡査の看守がよおと通り過ぎて行き、私はどうも、と会釈を返した。

 

 その後、3階にある刑事二課と生活安全課に顔を出し、世話になった礼を述べると、「律儀だねぇ。そういう人あんまりいないんだけど」と言われ、妙に照れくさかった。

 

 長い時間を掛け家に戻ったが、あれほど楽しみにしていた冷えた弁当以外の食い物にも、食欲は湧かなかった。

 それどころか心身はくたくたに疲れ切っているはずなのに、ロヒプノールという睡眠薬を2錠飲んでも、一睡もできなかった。さんざん言われたいびきも、ひそかに気にしていた寝屁も、だれ気兼ねせずに眠れると安堵していたはずだった。

 何なんだろう、と考えた。

 

 私は寂しがっているのだ、と気がついた。

 

 

【ちなみに】

 

 「差し入れをしてくれた人にお礼のハガキを出したい」などと言えば、看守が差し入れ者の住所氏名を教えてくれるので、いくら留置場内で素性を隠していたとしても、相手に知れてしまうことがある。

 そういうことになると、事後頼られたり、脅迫・強要されたり、共犯に誘われたり、良からぬ事態になりかねないので、十分な注意が必要だ。

 一生悪の道を歩いていくというのであれば、話は別だが。

 

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2005年10月01日(土)

平成16年9月29日(水) 判決・後編

テーマ:監獄☆日記

 執行猶予となったことで、私を身柄拘束する権利は消滅する。

 よって警察官は、もと来たドアから出て裏口から帰り、さっきまでの被告人は今度は、傍聴人出入り口から1人で出るのが通例だ。

 しかし私の場合、荷物を護送車両に置いてきたことから、裏から警察官と一緒に出ることになった。

 

 もう手錠は掛けられていない。

 警察官の前を歩き、両手を挙げて、「いよっ!」と飛び上がって曇天の空を仰いだ。

 これが、自由の空気だ。

  

 警察官がドアを開けて、荷物を2つ渡してくれた。

 「お世話になりました。正義のためにがんばってください!」と言うと、2人とも笑った。

 

 裁判所の玄関から、保護観察の説明を受けるために書記官室に向かうと、母親と弁護士がいた。

 「保護観察ついちゃったからさぁ。ここで説明聞いて」。

 じゃあ私次あるから・・・と、やはりこの弁護士にはどこまでも他人事のようだ。

 

 母親に晩飯でも食わせてもらおうと思ったのだが、「友達と約束しちゃったよ。だってすぐ出てくると思わないから」という。なんでも、友達とカラオケに行くのだそうだ。

 まあいい。私もいい年だし、母親も老人だ。

 私のことにいつまでもかかわり合いになっているよりは、残りの人生を楽しく過ごしてほしい。

 

 被害者が待ち構えていて、近所のレストランで話し合いの後、ある金額を支払うことになったが、そのことは省く。

 

 逮捕され刑事被告人となったこと、有罪判決を受けたこと、金銭的な損害賠償の責任があること、資格制限があること。その他もろもろの不都合はあるが、これが社会人としての責任というものだ。

 その責任を果たしていくことが、今回傷つけたいろいろな人への償いにもなり得るだろう。

 

 先を考えれば、途方もなく、長い。

 しかし釈放されて外に出て両手を挙げて飛び上がった瞬間、確実に私の中の何かが変わった。

 たぶんもう、私は、犯罪を犯すことはないだろう。


 深い自戒を込めて、この日記を記す。


                       (監獄☆日記了。明日は拘禁のある副産物に関して書きます。) 

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2005年09月30日(金)

平成16年9月29日(水) 判決・中編

テーマ:監獄☆日記

 「ただし、この裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予し、その刑の猶予の期間中、被告人を保護観察に付する。」

 

 あ、執行猶予だ・・・・・・。

 少し物を考えることができた。

 保護観察か・・・・・・。

 

 昨日の夜弁護士が来た。

 「まず主文の言い渡し。懲役何年何ヶ月とか、そういうやつ」

 「で、そのあとに『ただし・・・』って付いたら、執行猶予になる」

 

 だから、私は動転(ほぼ卒倒)したのだ。

 弁護士は、「ただし」の前に、未決算入が読み上げられるということを、私に説明しなかったのである。

 

 裁判官の読み上げは、判決理由へと続いている。

 

 「・・・・・・であったことは言うまでもない。それにもかかわらず、本件各犯行に及んだ被告人の犯行動機に酌量の余地はまったくない。」

 「・・・・・・またその犯行動機は、インターネットに関する自己の知識を悪用し、巧妙かつ執拗に犯行を繰り返したもので、非常に悪質である。」

 「・・・・・・以上によれば、本件各犯行の犯情は非常に悪く、被告人の刑事責任を軽くみることはできない」

 

 (中略)

 

 「しかしながら、他方、被告人が犯罪事実を素直に認め、反省の情を示し、今後、二度と犯罪を犯さないことはもとより、被害者に対する損害賠償や慰藉に努める旨の約束もしていること、被告人が既に4か月以上身柄拘束されていること、前科がないこと、被告人の身を案じる高齢の母親がいることなど、被告人のために酌量すべき事情もある。」

 

 「そこで、これらの事情を総合考慮して、被告人を主文の刑に処し、今回に限り、刑の執行を猶予することとしたが、本件各犯行の内容や被告人の一連の行状、被告人にみるべき監督者がいないことなどを考慮すると、今後、社会内で被告人の更正を図るためには、専門家の指導・監督を受けさせるのが相当なので、執行猶予の期間中、被告人を保護観察に付することとした。」

 

 裁判官から何か生活上の注意があったが、よく覚えていない。

 よく聞こうとしているのだが、頭が白くなって集中できない。

 とにもかくにも、終わったのだ……………。

 

 執行猶予がついたことで、検察官は不服そうに、しかめ面でふんぞり返っている。

 保護観察がついたことで、弁護人は無念そうに、頭を抱えている。

 とんだ茶番だ。

 

                                                   (明日へ続く)

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2005年09月29日(木)

平成16年9月29日(水) 判決・前編

テーマ:監獄☆日記

 10時、留置場から出され、荷物を持たされた上で、裁判所に護送。
 返された荷物は、自分で持てという。
 荷物を手錠の腕に持つ。白いゴミ袋に入れられたノートパソコンが重い。

 警察署の裏庭から、個別護送用のワゴン車に乗せられる。

 中年と若手の2人の警察官は、普段はパトカーに乗っているそうだが、当番ではないとき、このように裁判所への護送係も務める。いわゆる人手不足だ。


 裁判所の裏口から入ると、すぐ脇に拘置所の刑務官が待機する一角がある。
 冷めた視線と大きな態度で周囲を威圧する彼らの脇を抜け、進んでゆく。


 すると1階の外国人用待合部屋で、中国人の○ちゃんが手錠のままマンガを読んでいた(外国人は扱いが違うようだ)。

 向こうが先に気づき、両手錠の腕を上げ挨拶してきたので、私は驚き、少し戻っておー! と両手錠を上げ応じると、護送警察官にそんなのいいから! と腰縄を引かれた。

 2階、刑事法廷裏の廊下の長いすに、警察官に両側を挟まれて座る。

 目の前を、○ちゃんが拘置所の刑務官に引かれて、法廷に入っていった。

 なんという偶然だろう。彼と私の判決は、前後だったのだ。

 

 5分後、ガチガチに顔をこわばらせた○ちゃんが、私の前を通り過ぎるとき「どうだった?」と聞くと、顔を引きつらせたまま一瞬考え、「しっこうゆうよ」と答えた。

 瞬間、おいしゃべるな! と刑務官が彼の手錠を引き、彼は引っ立てられていった。

 

 次が私の番だった。

 

 法廷に腰縄手錠のまま入ると、思った以上に傍聴人の数が多い。

 中には、被害者の姿もあった。

 

 「判決を言い渡すから、被告人はその台の前に立つように」。

 私の手錠が外されると裁判長が言い、私は証言台の前に立った。

 手錠を外した警察官2人は、そのまま私のうしろの長いすに座る。

 

 傍聴席から突き刺さる視線が痛い。母親の姿もある。

 

 「判決。主文、被告人を懲役1年6月に処する。未決勾留日数中70日をその刑に算入する」。

 生まれて初めて、歯ぐきまで血が引くのがわかった。

 顔はきっと、真っ青に青ざめていたことだろう。

 

 目の前が、暗くなった。

 

                                                 (明日につづく)

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2005年09月28日(水)

平成16年9月28日(火) 勾留141日目

テーマ:監獄☆日記

 今日1日、こんなことを繰り返せば、シャバに出られる。

 心の中で「釈放祝い」とつぶやきながら、3時のおやつを食べた。

 まだ長引く人がいるから、おおっぴらにニコニコするわけにはいかない。

 

 兄に少し嫌味な手紙を書いた。

 看守には、「どうせ同じことなんだから明日出せば?」と言われた。

 検閲後の翌日投函なので、どうせ一緒というわけだが、留置場から出すことに意味があるのだ。

 今日の担当看守の巡査部長が、16時過ぎに私の荷物整理だと告げに来た。
 例のトロい人だ。
 

 荷物整理とは、逮捕時の領置物品を本人立会いのもとで数や金額を合わせ、返還手続きすることだ。
 荷物整理は釈放のための、ひとつのメルクマールになる。
 再犯で、執行猶予がつかないことが分かっている刑務所行きの人間は、判決後また留置場に逆戻りなので、荷物整理はしない。
 移送の日の朝にでもやればいいことだからだ。


 しかし判決内容が裁判官から警察に事前に知らされるわけもなく、本当のところは、まだわからない。

 仮に実刑判決だったとしても、本人以外には「残念だったね」の一言で済むことだ。

 


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2005年09月27日(火)

平成16年9月27日(月) 勾留140日目

テーマ:監獄☆日記

 あと2日、こんなことを繰り返せば、シャバに出られる。

 

 よく分からない人は、修○館高校 ⇒ ○大経済学部 ⇒ 大手広告代理店 の超エリートだった。

 児童福祉法違反、要するに、17歳の高校生とやったのだ。

 18歳未満の少年は児童福祉法に定める「児童」とされ、その中の「児童に淫行をさせたもの」という規定に触れたのだ。

 だから援助交際は、この規定と都道府県の条例で裁かれる。


 この人の場合、なぜバレたかというと、補導した女子高生から事情を聞くうちに男の名前がズルズル出てきて、その中の1人がその人だったのだ。

 

 右耳は相変わらず・・・。

 

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