2008年08月22日(金)

県立大野病院事件(「医療不信」に関する一考察)

テーマ:日々思うこと

 福島県立大野病院の出産時産婦死亡事件に、裁判所の判断が下った。

 患者の遺族と医師の主張が真っ向から対立したが、その焦点は双方の「医療に伴う危険性の認識のズレ」にあったと思う。

 そうした「危険性の認識のズレ」は、患者の視点から見た場合には、「医療に対する不信感」の一因となる。

 今回はそのことについて考えてみる。

 

 まず、どういう状況で医療不信が起こるかということについて考えると、「医療の結果や経過が思っていたものより悪かった」という場合に、医療不信が起こるといえる。

 医療不信を惹起した事件は、最近では福島県立大野病院事件や東京女子医大事件、杏林大割りばし事故事件、日本医大ワイヤ事件等だから、こうした設備とスタッフの整った地域中核病院や医学部付属病院での医療が「思っていたものより悪かった」ということは、日本人が思い描いている医療の「安全性」が相当に高いレベルにあるということの裏返しでもある。

 

 しかし日本人が医療を安心で安全なものと思い込むようになった理由を、例えば「日本人の死生観が変化した」などというように、患者の側に求めることに私は反対である。

 日本人が医療を安心なもの、完全なものと思い込むようになった大きな理由には、「医療関連業界挙げての印象操作」があったと思うからだ。

 

 例えば「細径のデジタル内視鏡」 に関する広告では、「苦痛が少なくてデジタルだから画像が鮮明、信号処理で小さな病変も発見できる」などと謳う。

 しかしそこでは、検査自体で器官を損傷する可能性や、スキルスなどの特殊な病変を発見できない可能性など、マイナスの面については触れられていない。

 筑紫哲也や鳥越俊太郎のガンを発見したということで話題の「PET検査」にしても同様で、PETで見つけられないガンもあるということは、前提として語られていない。

 製薬会社の広告では、病変写真を載せたり、症状を列挙して、「こうした症状があればお医者さんにいきましょう」 と煽る。

 まるで薬を飲めば治ると言わんばかりだが、副作用の可能性や、薬が奏功しない可能性もあるということについては触れていない。

 

 当の医師たち自身も「日本の医療は世界最高水準」であり、「世界一の長寿は医療の発展による」と言い続けてきた。

 たしかにそれはそうなのだろうが、その反面で誤診があったり、ヒューマンエラーがあったり、術中死や手術直接死があったり、看護における医療事故があったりといった、すべての医療行為には当然に内包されるはずのリスクを、あくまで「例外」として、国民の目の届くところに置いてはこなかったという経緯がある。

 

 私が挙げたのはあくまでごく一例に過ぎないが、このような医療に関する印象操作が長く行なわれてきた中で、日本人は「医療は安全で完全なもの」と「思い込まされてきた」のではないかと思う。

 そうした状況下では、病気になってインフォームドコンセントを受けたり、医療事故の当事者となったりして初めて「医療にはリスクもある」ということを知らされるわけだから、もし思わしくない経過や結果に関して立腹する人がいたとしても、それは当然のなりゆきなのではないだろうか。

 危険性を感じさせる情報からは遠ざけられ、医療は安全であると思い込まされている人が、ある日突然「実は危険なんです」と知らされるわけだから、それが単なる医療者の言い逃れにしか聞こえずに、「話が違う」と立腹する人がいても、それは至極当然であろうというわけだ。

 

 今回の福島県立大野病院の事件の本質は、まさにそうした医療者側と患者側の「医療に伴う危険性の認識」が乖離していたがゆえの紛糾である。

 医療者側に言わせれば「しょせんは素人だから」「専門知識がないから」ということになろうが、私はそうではないと思う。

 日本人が素人だから問題の本質がわからないのではなくて、思い込まされてきた医療の安全性を前提としているから、本質にたどり着けないのである。

 要するに今日の「医療不信」は、「国民の医療に対する無知」に起因するわけでも、あるいは「死生観の変化による自分が不死身であるかのような錯覚」に起因するわけでもなく、まずは「安全性ばかりを強調しすぎた医療界の戦略」に最初の問題があったのではないかと思う。

 小松秀樹が「医療の限界」において、「医師側も安易なリップサービスをやりすぎたところがあります。患者に安心・安全の幻想を振りまきすぎました(23頁)」と、わずか2行にも満たない文章で姑息に言い逃れたことこそが、今日の混迷の最初にして最大の原因であるわけだ。 

 

 国民は、普段は甘い顔をしておきながら、いざ問題が発生すると途端に冷酷な一面に豹変する「医療」という「怪物」を、もはや信用していないのではないだろうか。

 冷酷な一面に豹変するとは、東京女子医大事件にみられるようなカルテの改ざん、虚偽説明のようなありとあらゆる手立てを講じて、自分たちを有利に、患者を不利に仕立て上げる姿勢のことだ。

 あるいは、普段は日常的に新しい治療法を喧伝して希望のみを伝え、実際に医者にかかって生命の危険が予測される場合になって、突然「医療にも限界はある」などと言い出す姿勢だ。

 そのようにしばしばみられる「医療の豹変」が、「医療者に激しい敵対心を露わにする患者が増えた」ということの、理由のひとつでもあると思う。しかし患者にしてみればそれは、医療という怪物に対しての「自己防衛本能の発露」にほかならないのではないか。

 

 職業医師と一般国民の間の「医療に伴う危険性の認識のズレ」を放置している限り、福島県立大野病院のような問題は、今後何度でも起こってくるだろう。

 国民が「医療行為に伴い通常考えられる危険性」を、真に身近なものとして理解しない限り、「どうにかできたはずだ」という怒りにも似た感情は引き続き噴出するであろうし、その持て余した感情は代理処罰への期待となり、捜査機関が医療現場に介入していくことを、さらに強く望むようにもなるだろう(当然だがこの捜査機関に対する期待には、医療界の身内に甘い体質や、隠蔽体質といったものへの「断罪」の期待が含まれる)。

 国民が望んだ捜査機関の介入は医療現場を萎縮させ、それはリスクの大きい診療科の忌避や、小松がいうところの「立ち去り型サボタージュ」を招来することになり、日本の医療をじわじわと崩壊させていくであろう。

 

 そうした状況の打開策は、2つある。

 

 1つは、医療関連業界みずからが「医療に関連する危険性は程度の差こそあれ、すべての医療行為に内包されている」ということを、あらゆる機会を捉えて、国民の目に触れさせることだ。

 それは「病院に行ったからといってすべての病気が治るわけではない」、「医療には命の危険が伴う」、「検査を受けたからといって病気が必ず発見できるわけでも、また治療を開始したからといって必ずしも治癒するわけではない」という、ごく単純な事実の周知徹底である。

 「そもそも医療行為は危険で不確実なものなのだ」という前提としての価値観が、日本中で共有されて初めて、医療をめぐる問題の国民的論議が可能になるのではないか。

 その効果は例えばゲフィチニブ投与のメリットとデメリットが冷静に話し合えるようにもなるであろうし、呼吸器外しや延命治療の是非が冷静に話し合えるようにもなるであろう。

 「前置胎盤」の危険性が、「当然ある」ものとして理解されるようにもなるであろう。

 このように「医療行為は安全でもないし確実でもない」ということを周知徹底させることのメリットには、計り知れないものがあると思う。

 

 もう1つは、「医療安全調査委員会(第三者委員会)」を、早急に設置することである。

 第三者による紛争事例の専門的な検討は、行なわれた医療の透明性を確保し、患者に対しては公平性を担保するが、それだけではなく、この制度は「患者の医療者に対する性急な告発」の抑止力としても機能するだろう。

 ただしこの委員会には、「不審が認められる場合の捜査機関への通知権」を、必ず与えなければならない。

 「捜査機関が介入すれば現場は萎縮する」などと言って医療界は猛反発しているが、「手段としての刑事事件化」がなければ、明らかな医療過誤であっても、委員会の段階で闇に葬られてしまうからだ。

 抗がん剤を10倍量投与して患者を死亡させた医師がいたり、点滴に牛乳や消毒薬を混合して患者を死亡させた看護師がいたりなど、ときどき信じがたいようなミスを起こすのが日本の医療界である。

 だから「手段としての刑事事件化」がなければ、国民の医療安全は担保されずに、悪い言い方をすれば医療者の「やりたい放題」になってしまう。

 そもそも「捜査機関の介入による現場の萎縮」と、「医療ミスとその結果に対する責任」は、まったくの別物であるはずだ。明らかなミスにより患者を危険に陥れた医療者は、その責任は負わなければならない。

 

 逆に言えば現状では、「捜査機関への通知権が認められた第三者委員会」が設置されない以上、捜査機関は医療現場への介入に及び腰であってはならないと私は考える。 


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コメント

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14 ■ひとつだけコメントしておきます

最善を尽くしたのに救えなかった患者の家族から、強く責められた

という経験は一度もありません。

いつも最善を尽くしておりますし、
今のところ、わたしの最善は理解されていると考えています。

13 ■Re:むずかしい問題です・・・(2)

 また、先生ご自身が「最善を尽くしたのに救えなかった患者の家族から、強く責められた」というご経験がおありでしたら、その際の先生のお気持ちとともに、後学のためにお聞かせ願えればと存じます。
 字数制限のためコメントが分割されました。読みにくい点はご容赦くださいませ。

12 ■Re:むずかしい問題です・・・

 こんばんは。コメントをお寄せいただきましてありがとうございます。

 「メディアの洗脳操作」に関してですが、確かに、たとえばMRSAの集団院内感染とか、初歩的確認ミスによる患者の取り違えの果ての誤手術・誤投薬、体内へのガーゼ置き忘れ、あるいは「がん性疼痛への医療用モルヒネ使用の躊躇」といった問題が顕在化するたびに、メディアは「日本の医療は遅れている」と激しく叩きます。
 しかしその反面で、たとえば週刊誌に毎週「医療最前線」といったコーナーが連載されていたり、あるいは「日本の名医100人」のような本が刊行されていたり、テレビでは「命を救う神の手を持った医師」のような特番があったりして、“全体としてみた場合”、日本のメディアは医療に対しておおむね「好意的」であるといえるのではないでしょうか(もっとも、好意的すぎて逆に安全神話を形成したりしていますが)。

 “「命にかかわる医療を受けたことがない」市民の皆様がその境地に達するのは不可能”というのは、まったく同感です。
 私が「命を救ってもらうことの厳しさ」という境地を得ることができたのも、バイク事故による「CPAからの奇跡的な生還」ということがあったからにほかなりません。
 日野原重明先生は、医療者のタマゴに「君たち死なない程度に大きな病気をしなさい」とおっしゃるそうですが、それは“命に関わる状態になった場合の死生観の獲得”という意味もあってのことと思います。
 しかし平穏無事に暮らしている一般市民であっても、「想像する」ことはできるはずです。その想像のためには、「医療に伴う危険性を十分に見聞する」という材料が絶対に必要なのですが、現状国民は「危険性を感じさせる情報からは遠ざけられている」ため、医療の不確実性を想像することすらできないのだと思います。
 それが結局のところ大野病院事件のような「医師と患者の不毛な対立」を生むことになり、それこそニワトリとタマゴのような話になっています。

 お伺いしたいのですが、先生のおっしゃる「ちなみに「医療不信」は、すべての医者が持っているはずです」というのは、どのようなことを言っておいでなのでしょうか。

11 ■むずかしい問題です・・・

はじめまして。外科医です。
わたしも「日本の医療は世界最高水準」といい続けている一人ですが、そう言わなければならなくなった背景は「日本の医療は遅れている。」というメディアの論法があまりにも酷いことにありました。
ですから多くの日本人は、そうしたメディアの洗脳操作によって「医療不信」となったのだと思っていましたが、いかがでしょうか?

わたしの感覚から言えば、それほど世界一の医療水準であっても
 誤診、ヒューマンエラー、術中死、手術直接死、看護における医療事故
などが日常茶飯事に起こることは、医学が未発達な学問であり、「生命の謎」が完全に解明されていない事象である限り、ある一定の確率で起こるのだ、ということを言い続けてきたつもりであります。

たまごとにわとりどっちが先?

というような議論になってしまいましたが(笑)、
「命を救う」と言葉で言うのは容易ですが、
実際、そんな甘いものではないことを、外科医になって始めて知りました。
ですから、「命にかかわる医療を受けたことがない」市民の皆様がその境地に達するのは不可能だと思っています。
ちなみに「医療不信」は、すべての医者が持っているはずです。

10 ■「死」の不慣れ

>ドロッポ透析医様
 村上龍も「40年前ぐらいには、夏休みが明けるとクラスから1人か2人消えていた」と書いています。衛生状態が悪かったので、疫痢とかで夏休み中に“普通に”クラスメイトが死んでいたそうです。
 現在ではそのようなこともなく、「死」は我々から遠いところに置かれています。その意味でおっしゃるとおり「死に対する不慣れ」もあるのかもしれません。
 この私も恥ずかしながら、「死に近づいている人間は手も冷たいのだ」と妙な思い込みを抱いておりました。死から遠かったゆえです。
http://ameblo.jp/underarrest/entry-10026996184.html
 またこれはベテラン看護師さんに聞いたのですが、核家族化の影響で「若い看護師がお年寄りの患者さんに不慣れになってきている」ということと、少子化の影響で「大事に育てられているから、少し壁にぶつかるとすぐ辞めてしまう」とのことでした。
 本当に医療をめぐる問題は「難問が山積」で、直視しようとするとめまいがするほどです。ただこれは医療者だけの問題ではなく、また患者だけの問題でもなく、現代を生きる我々は目をそらすことなく直視しなければならないのだと思います。
 制度改革もしかり、意識改革もしかり、それぞれの立場で「できることから」やっていくしかないのかなと思います。

>50歳代産婦人科勤務医様
 やっぱり待遇改善は不可欠なのですね。医師・看護師もそうですが、「介護」もどうなるのかと思って私は見ています。
 「09年までに介護報酬を引き上げて、介護職員の待遇改善を必ずやる」と言ってますが、なんたって“口だけ大臣”ですから…。

9 ■死生観というよりは

 確かに我々医療関係者が安全神話を広めた面はあるかもしれません。しかし身近に死を見ることがなくなったという点で,人の死になれていない人達が多くなったように感じます。そのため家族の突然の死に納得がいかなくなっているような気がします。
 私は医者になって既に15年以上たちますが,研修医の時から医療行為の危険性は常に話すようになっていました。しかしここ5年くらい医療行為のメリットよりも危険性の方を強調しなくてはいけなくなっています。この点から言うと国民の側の変化もやはりあると思います。

8 ■ありがとうございます

 「予後は知らせないほうが親切」というお考えをお持ちのお医者さんは、今でも少なくはないようです。
http://ameblo.jp/underarrest/entry-10027242648.html
 15年ほど前に「ガンの場合余命○ヶ月で○円の一時金を支払い」というような保険商品が登場したときに、「これ告知の問題はどうするんだろう」と思った記憶があります。
 ですから“積極的告知”については個人的には、「患者の知る権利の尊重」というようなことは後付けの理由で、新保険商品の登場といった外的要因が大きかったのではないかと思っています。
 「安心させることも医者の仕事だろう」というのはまさに患者のエゴで、申し訳ないことと思います。ただ現在の“医療訴訟の頻発”のような危機的状況では、「安心させることの利益」と「危険性を知らせることの利益」を比較考量した場合、「危険性の積極的な周知」のほうが、医療側患者側双方にとって、メリットが大きいのではないかと思います。
 「頑張りすぎ」の問題ですが、やはり15年ぐらい前当時の厚生省は「現在年間2万人の医師が誕生していて、招来は医師余りになる」と言っており、医師を含めた国民はそれを信じていました。
 その誤った推計の結果が今日のこの有様なのであって、それについて国は確実に責任を負うべきと考えております。
 丁寧なコメントをありがとうございました。

7 ■医療の安全神話について

医療の安全神話が強まってしまった原因について、周知が足りないという点では確かに医師達はあまり努力をしてきていないかも知れません。
しかし、疾患や治療の危険性について詳しく説明することが「できる状況になった」のはごく最近のことです。ガンの告知についても近年は本人にきちんと病状や予後を説明するようになっていますが、それまではご家族から「本人がかわいそうだから知らしてくれるな」という対応が主流でした。
医療や病気の危険性について厳しく話すことは「不安を煽る」「安心させることも医者の仕事だろう」と言って厳しく非難されてきました。これが医師達が病気や治療のリスクを積極的に周知してこなかった理由です。
また、それよりも何よりも医療の安全神話を作り上げてしまった最大の原因は医師達が頑張りすぎてしまったことです。「お産ではまず死なない」「どんな田舎でもすぐにある程度の専門機関で診てもらえる」という事を一人医長体制などの無理を重ねながら本当に現実化してしまったことが最大の失敗ではないでしょうか。そういう意味では、今後医療崩壊が進み「救急3日待ち」「専門医の受診は半年待ち」となることで病気も医療も厳しい物だと実感してもらえて、バランスが取れていくのではないでしょうか。

6 ■ありがとうございます(2)

 またもし第三者委員会に通報権が与えられるとして、ここで通報される内容は、専門家の検討によって選別された“あくまで事件性の高いもの”となると思います。
 通報対象はたとえば「併用禁忌の薬剤を過失により投与した疑いがある」「低酸素脳症に陥ったのは適切な管理を怠った疑いがある」などの明らかな業務上の過失に限られるようになり、割りばし事故や前置胎盤のような「高度に専門的な医学的問題に起因するもの」は、むしろ委員会段階で排除されるようになるのではないでしょうか。
 「安全幻想を広めた犯人」については、私の思うところを近く新たにアップいたします。「利益を上げたい業界」が、どうやら主犯格であろうと思われますが…。またご意見・ご批判など頂戴できましたら幸いです。
 “モンスターペイシャント(およびその家族)の無理難題要求”に関しましては、お察し申し上げます。
 おっしゃる通り“モラルの崩壊”もあると思いますが、この問題につきましては私はまた別角度からの考えを持っております。
 現在対応に苦慮されている方々にとりましては、楽観的に過ぎる不見識な考えかもしれませんが、ご高覧いただければ幸甚です。
(パターナリズムの崩壊と新たなパラダイムの形成)
http://ameblo.jp/underarrest/entry-10079997300.html
(我々の社会はいい方向に向かっている)
http://ameblo.jp/underarrest/entry-10018503433.html
 扇情的な報道につきましては、私もまったく同感です。
 特にみの…のような「口だけ達者な大馬鹿者」が無責任に口にする感情的な放言は、無用な社会不安と混乱を招くだけであり、即刻テレビ界から退場すべきと思っています。
 みの…らの「無責任報道」については、一度BPO(放送倫理・番組向上機構)に手厳しく批判されていますから、お読みになればいささか溜飲も下がるかと存じます(笑)
http://www.bpo.gr.jp/kensyo/decision/001-010/004_key5-nhk.html
 このたびは丁寧なコメントをお寄せくださいまして、誠にありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。
 字数制限のためコメントが分割されました。読みにくいですがご容赦ください。

5 ■ありがとうございます(1)

 丁寧なご感想と、貴重な現場の声を聞かせていただき、深く感謝申し上げます。
 以下にいくつか私の個人的な考えを述べさせていただきます。
 まず「第三者委員会の存在意義」についてですが、医療事故については「厚労省などがデータを取りまとめていること(それを受けて何らかの対応策を打ち出すであろうこと)」、また医療当事者の責任追及に関しては「民事・刑事訴訟」「医道審議会」などの道筋がすでにあること、“今後の医療に活かす”ことは「各学会が新ガイドラインの策定等で素早く対応するであろうこと」などから、この第三者委員会は「患者の不信感を取り除き、怒りを鎮める場」という性格を持つものになると思います(もちろん表向きは「医療事故の当事者に真実を開示する」ということになると思いますが)。
 また「通報権」については、医療事故に限らず「通報・告発=捜査開始」となるわけではありませんから、あくまで通報された内容を捜査機関が独自解釈(事件性の有無を判断)し、「内容によっては捜査が開始される」ということになるかと思います。
 ときどき「専門家でもない警察に何時間も事情を聞かれると、以後の診療で萎縮してしまう」などという医師の意見を聞きますが、「事情聴取」は捜査のかなり手前の段階であり、これまでを恐れるのはあまりにも行き過ぎであろうかと思います。

4 ■ご指摘正しいと思いますが・・。

医療に潜む危険性、非完全性の理解についてはご指摘のとおりと思います。私の勤務する病院では、分娩に関連する母体や新生児の死亡数(日本全体、当院データ)等を必ず教室を開催してお話しおり、その効果か、訴訟にまで発展した例は経験していません。

しかし教育界のモンスターペアレントの様な、理不尽な患者、特に理不尽な患者家族の増加は肌で感じます。社会の変化は明らかに存在しますし、社会の何かが壊れかかっていると思います。

我々一線の医師は常に危険と隣り合わせの医療を提供してきました。昨日と今日も、今一歩で母児が死亡しそうな2件の危機をきりぬけてきた所です。全力で助けたと思っていますが、そのような時にも患者家族はまず医療を責めます。何のためにがんばっているのかとさえ感じます。

この環境で若手医師に救急医療やリスクの高い産婦人科医療への参加を勧めるのは、かなり勇気が要ります。

ご指摘の様に、今後は更に積極的に医療の不完全性を多くの方に知らせる必要を強く感じますが、しかし医療の安全幻想を広めた犯人はどこにいたのでしょう。社会の求めに軽薄なマスコミが応じ、それを鵜呑みにする観客がいただけの事ではないのでしょうか。今の日本のマスコミに、社会の望まない事実を冷静に分析して報道する機能は存在しません。せいぜい敵を作りあげて感情論で攻撃するだけです。(特に、みの・・・)

「医療安全調査委員会(第三者委員会)」については、もし今後の医療に役立てることを最大の目的にするのであれば、捜査機関への通報「権」は慎重に扱う必要があります。訴追の恐れがあれば、憲法で認められた当然の権利として、関係者は弁護士とも相談し、事件の真相を隠すようになります。調査開始は強制的であって良いと思いますが、結果によって「捜査機関へ通報」ではなく、調査結果を捜査機関が独自に解釈する形が望ましいのでは無いでしょうか。

以上、私の考えを述べさせて頂きました。今後も監獄日記、期待しております。

<追伸>
「元検弁護士のつぶやき」ブログの「医療不信の実態とは?」で突っ込んだ議論がなされており、ずいぶん勉強になりました。http://www.yabelab.net/blog/2008/08/17-091644.php

3 ■トラックバックありがとうございました

はじめまして。
トラックバックありがとうございました。

2 ■無題

 私も「わざと悪くする医療者はいない」ということは、重々承知しているつもりです。
 ですからこの文章を書くにあたっては、多くの医療に従事する方々を傷つけてしまうのではないかという危惧がありましたが、先生には私の言いたいことを的確にお汲み取りいただけて、感謝申し上げます。
 我々患者の側は、氾濫する医療情報に、文字通り踊らされている状態です。
 テレビの健康番組などはその好例であり、「早く病院に行って検査を受けて、治療をすれば安心」という、「医療の不確実性」を無視した作りになっています。
 そうした中で昨今頻発する医療訴訟は、「患者も患者で混乱しているのだ」ということの表れであろうと思います。
 ブログを拝読させていただきます。
 コメントありがとうございました。

1 ■無題

はじめまして

すばらしい記事に感銘を受けました。
われわれが反省しなければいけない点を明確に書かれていて、「うっ」っと胸を突かれる様な部分が幾箇所もありました。

自ブログでも「医療は不確実」などど書いてしまっていますが、そんなことは当たり前だということを、しっかりと啓蒙してこなかった医療界の責任も確かに大きいですね!

目からうろこが落ちる思いでした。


自ブログでもこの事件についてコメントさせていただいています。
よろしければご批判などをいただければと思います。

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