2006年03月20日(月)

こんなことでいいのか(2)

テーマ:私生活的ブログ

 このように考えると、「なぜ学級崩壊が起こるのだろうか」ということの答えも、おぼろげながら見えてくる。

 

 学級(クラス)やその最小単位である「班」、部活動、学年、学校。

 これらはすべて「集団」である。

 そして、それを指導する「教師」は、集団の象徴であって、また具体的な存在でもある。

 だからたとえ1人であっても、教師という存在は「個人」ではなく、「集団」の象徴なのである。

 

 「家庭―会社―国」という関係性を、学校教育においても「家庭―学校―国」という形でそのまま持ち込んだことは、前回書いたとおりである。

 そこでは「個人」は、最初から「集団」に対立する存在と考えられていた。

 

 しかしバブル崩壊後の大停滞は、実体経済が主導する形で、今までのありようを変えていった。

 利益に貢献した個人へのインセンティブとともに、常に「個人」としての責任の所在を明確にし、「個人」として働くことを要求したのである。

 さらにそこで明らかになったことは、「もう集団は個人を庇護しない」ということであった。

 国と企業は個人が集団に盲従することを強いてきたが、バブル崩壊で明らかになったことは、国も企業もいざというとき個人を守ってはくれないということだったのである。

 

 実体経済が人間に「個人」として生きることを要請しているのに、公立学校は旧態依然として、個人は集団に対立するものみなし、「集団」に帰属することを要求している。

 それは、個人に不利益を強要していることにほかならない。

 

 これが前回私が書いた、「教師が尊敬されなくなった理由」の1つめである。

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2006年03月19日(日)

こんなことでいいのか

テーマ:私生活的ブログ

 なぜ教育現場は、こんなに荒廃してしまったのだろうか?

 それを考えるとき私には、「教師が尊敬されなくなったからではないか」という視点に基づく、ひとつの仮説がある。

 

 その昔、教師は聖職と言われていた。

 戦前の軍国教育に協力する見返りに、根拠のない尊敬を与えられていたのである。


 先生は偉いものなのだと、有無を言わさず頭から信じ込まされていた時代に教育を受けた人々が、私たちの祖父や祖母の世代だったとしよう。

 その影響を色濃く受けた子弟の世代が、私たちの父母の世代である。

 そのまた子弟が、われわれの世代というわけだ。

 

 「教師は人格者である」という「幻想」が、祖父母の代から父母の代へと受け継がれたのはわかるが、父母の代からわれわれの代へも、安易にその幻想が受け継がれてしまったのは、どうしたことだろう。

 言い方を変えればわれわれの父母は、なんで教師は人格者で、無条件に尊敬すべきものであるという幻想を、自分の子供に教えたのかということだ。


 私は高度経済成長が背景にあったと考えている。

 われわれの父母の世代は、明るい前途が垣間見えるなか、自分たちが受けた「学校教育」というものに何の検証もしてこなかったのではないか。

 彼らが学校教育に対して目立った異を唱えなかったのをいいことに、国(官僚)は偏差値教育と管理教育を日常生活の隅々にも導入していった。

 本来、「しつけ」を始めとする基礎的な教育権は家庭にもあってしかるべきだが、義務教育はそれすらも家庭から取り上げていった。窮屈な制服や理不尽な校則、生活態度までもを相対評価する通知表、内申書、家庭訪問や二者面談、三者面談という形でだ。

 それはまるでリモートコントロールのようなもので、「学校の規則に従えないのは家庭でのしつけに問題がある」という論法だ。

 

 大多数の生徒は「決められたもの」として従ったが、もちろんそこからはみ出した人も多くいた。

 教育界に残る「荒れた80年代」という表現は、以上の出来事と年代的に符合している。

 だからスクールウォーズに出てくる不良たちは、理由なく暴れたわけではないと思う。

 

 今の状況を考えれば、「生徒は普遍的に教師に従うもの」という前提で物事を考えていた当時の国も日教組も安易で、そのことに対する責任がある。

 しかしそれと同様の責任が、自分たちの受けてきた教育を検証しなかった世代(具体的には80年代近辺に親だった世代)にもあるのだ。

 いまさら言っても仕方のないことだが、今の状況もすべて学校が悪いわけではなく、異を唱えなかった分たちにも責任があるということは知っておくべきだ。

 

  

                                                      (つづく) 

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2006年03月18日(土)

こんなことがあるのか(3)

テーマ:私生活的ブログ

 謝恩会という言葉があるが、子供のころから不思議だった。

 謝恩会は保護者(当時は父兄と言ったりもした。母と姉はどうなるのだと話が出てきて、言葉が変わったのだ)が主催するものだが、普段先生と接していない親がなんで恩を知ることができるのだろう?


 N先生は小学校の担任の先生ではあったが、別に私にとっての恩師ではない。

 私は小学校が義務教育だったから行っていたのだし、先生も地方公務員として教師をしていたのだろう。

 それは日本中でみられる関係性であって、恩もヘチマもない(それをいうなら北村庄吾の方がよっぽど恩師だ)。

 

 歳月は、2年間をともに過ごした先生を変えてしまった。

 もちろん私も変わっているだろう。

 私たちが同じ教室で過ごした時間を思い出すとき、懐かしい気持ちになる。


 だが私は、懐かしいという言葉があまり好きではない。

 もちろん懐かしいことは懐かしいのだが、「懐かしい」と言ってしまうと、すでに止まった定点から過去を振り返っているような感じがする。


 ある出来事を懐かしんでしまうと、自分が前に進まず、止まってしまうのではないかという気がして怖い。

 私が過去を懐かしむのは、老人になって大病をして、もう余命いくばくもないというときではないかと思う。

 病院のベッドの上で、いろいろなことを思い出し、「あぁ懐かしいなあ」と思う。

 それが理想だ。

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2006年03月17日(金)

こんなことがあるのか(2)

テーマ:私生活的ブログ

 この教師はF県の農家の出身で、A学院大学を奨学金を得ながら卒業し、身障者の弟がいたはずだ-------------、少しの時間に、そんなことまで私は思い出していた。

 

 私のクラスで弟が知的障害者の女の子が、それが元でいじめられるというようなことがあった。

 そのときにこの先生は、自分の弟が脳性マヒで車椅子生活をしていること、そしてそういう身障者は健常者に比べて長くは生きられないのだということを、話してくれた。

 身内には結婚差別があるのだということも、遠まわしではあるが話してくれたような気がする。

 12歳の男の子など、精神的には未熟だから、そのときのこの人の言葉をほんとうには理解してはいなかったのかもしれないが、それでもこの年まで記憶に残っている。

 

 周囲に気を使いながら、「学級崩壊ってほんとにあるんですか?」と聞くと、そりゃありますよと小さく答えられた。

 「ほんとに今は体罰ってないんですか?」と聞くと、「昔はうるさくなかったけど今はね…。そんなことしたらクビになっちゃう」と、ことさら声をひそめられた。

 

 今も昔も、教師になるということはそれほど簡単ではない。

 教師になるためには大学で教職課程を履修しなければならないが、履修登録をするのは入学してすぐなので、裏を返せば18やそこらで「将来は教師になる」という方向性を持っていなければならない。

 また教職課程はいっさい卒業単位に算入されないが、そのわりには時間ばかり取られる。

 そのうえ教職課程は、どの学部でもあらかた必修科目の終わった最終時限に開講されていることが多く、(単位的に)何の得にもならないという思いは、疲れた頭と体に追い討ちを掛けることになる。

 そんなわけで、バイトや恋愛といった誘惑に負けて、ドロップアウトしていく学生も多いのである。

 

 やがて電車は先生の降りる駅に着いた。

 教師というだけで誰からも無条件に尊敬される時代ではなくなり、格差を具現化する私立中学への避難的な進学にも歯止めがかからず、公立小学校はどうしようもない混乱のさなかにある。

 また小中一貫だのオンリーワン教育だのネイティブ英会話だのIT化だの犯罪から子供を守れだのと、無理難題を押し付けられた現場教師たちの苦労は、察するに余りある。

 定年まであと6年、それまで頑張ってくださいという意味を込めて、「頑張ってください」と言うと、「いやこちらこそ。頑張ってください」と言い、「失礼します」と頭を下げられた。

 それがどことなく他人行儀で、少し寂しかった。

 

 私と同学年のHと、赤提灯で飲んだという話を先生はした。

 なんとなく先生は、私と飲みたいのだということは感じた。

 それは単に、互いの再会には、とどまらないのだろう。

 自分が教師として歩んだ道を、私のなかに確認したかったのではないか(しかし、昔の教え子が犯罪者になったと知ったら、どう思うだろうか?)。

 

 私は酒が飲めないから、こういう場合の間の取り方がよくない。

 「今度飲みましょうよ! ガハハ」とか、「話はわかった、まず飲もう」 とか、そういう誘いがうまくできないのだ。

 そして警察の厄介になってからそう日が経っていないという事実が、私を人とのかかわりから遠ざけさせる。

 

 来年の正月に年賀状でも出そうか。

 月並みだが、それぐらいしか案が思い浮かばないのだ。

 

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2006年03月16日(木)

こんなことがあるのか

テーマ:私生活的ブログ

 今晩、通勤電車の車中で小学校のときの担任に会った。

 5・6年の担任だった男性教師で、ウン十年ぶりのことなので、私は面食らった。

 

 最近、小中学校のときのことを思い出す機会が多かった。

 そのころの同級生とひさかたぶりに再会し、そいつが子供を連れているのを見て、否応なしに時の流れを意識してしまったからだ。

 

 乗り込んできた瞬間にあれと思ってぎょっとしたが、話しかける勇気はなかった。

 私は街で誰かに会っても、照れくさくて声を掛けられない人間だから、なおさらだ。

 ましてや私は、ウン十年ぶりに誰かと会うという経験をしたことがなかった。

 

 しかし席の端に座る私の横に立ち、よれた新聞に目を落とす普段着姿の初老の男性がN先生だったら、これは運命の偶然というよりほかない。

 私は最初席の真ん中に座っていたが、端が空いたので途中駅ですかさず移ったのだし、もしこの電車のこの車両に乗っていなかったら…? 

 もしこれが人間の持つ見えないパワーの導きなら、声を掛けないことは天に対する失礼というものだ(私は無宗教だが、こういうことがあるとそう思わざるを得ない)。

 そんなわけで勇気を出して、「あの、失礼ですが、N先生でいらっしゃいますか?」と小声で話し掛けたら、そうです、と小さく肯かれた。

 

 思わず私は席から飛び上がって立ち上がり、「僕、○小で先生のクラスだった○○です!」と挨拶してしまった。

 聞くと先生の下車する駅までは10数分ある。お話させていただいていいですか? と伺うと、いいですよ、と快く応じてくれた。

 

 私の学年を受け持ったとき、先生は30代の半ばで、男として脂が乗りきっていたのではないか?

 私生活でもその2年間で結婚をし、子息をもうけておられた。

 ポーラのオーデコロン(店頭販売をしておらず、入手方法が特殊だ)を愛用していたし、若く、情熱的な教師だった。

 当時は愛情や思い入れと勘違いして、やたらと手を上げたがる馬鹿も少なくなかったが、この人は子供に手を上げたことがなかった。

 また教育に対する熱情や、子供に対する愛情を白々しく語る恥知らずもいたが、この人は始業式の日の自己紹介で「奨学金を返さなくて済むことになるから教師になった」と話した。

 私にとっても印象の強い先生だが、先生も私の学校を、「10年いたし、印象の強い学校だ」とおっしゃった。


 私と同学年で、先生にまだ年賀状を送っている男がいるようだ。

 背が小さかったが顔立ちの整っていたH、私と仲良しだったS(双子の子がいるという)、自転車屋のW。

 そんな昔の友人たちの話になった。

 先生も昔の話だと言うが、学年も間違えず、よく覚えている。


 私のなかにあるN先生の印象は、ジャージ姿の「大きい人」そのままだ。

 だが、席から立ち上がった私の目の前にいる初老の男性は、往時の面影を残してはいるが、私よりもだいぶ小さくなっていた。

 当たり前だが先生が縮んだのではない。私が伸びたのだ。

 私の体つきを見て、「ずいぶん立派になって」と先生はおっしゃった。

 「息子もね、ずっと浪人してたんだけど今年やっと大学に入ったよ」と小さくつぶやく疲れた様子のその人は、もはや若かりしあのときの先生ではない。

 これが、時の流れというものなのだろうか。

 

 先生のことばかり言えた義理ではない。

 私も二十歳を過ぎたころからいろいろあって、生々流転の日々だった。

 しばらくこの土地を離れていたし、一歩間違えば死んでいた大怪我もしたし、髪は生え際が後退してきたし、腹も出たし、逮捕もされた。

 

 まあお互いに、「いろいろあった」のだ。

                                                          (つづく)

 

 

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2006年03月16日(木)

岩国の住民投票。

テーマ:日々思うこと



 まあ画期的なことではあり、8割がたが「基地反対」という結果だった。

 しかし自民公明は棄権を呼びかけており、自民党員と公明党支持者は投票をしていない。

 ということは、分母そのものが反対多数になっていることを意味するから、この結果を鵜呑みにするわけにはいかないのではないか。

 





               庭の梅


                     そんなわけで庭の梅。

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2006年03月12日(日)

ラッキー!

テーマ:私生活的ブログ

 なんだか隣町のauショップで何気なくパンフを手に取ってから、KDDIメタルプラス というのが気になって仕方がなかった。

 月々払っている2千円ちょっとのNTT固定電話料金が掛からなくなるし、au携帯とのセット割引もあるし、「番号持ち運び制」によって電話番号は変わらないし、わずか150円でIP電話も使えるし、いいことづくめである。

 

 すぐにでも契約しようと思ったのだが、引き落とし口座印を持っていなかったので、そこでは契約できなかった。

 その後もなんだか気に掛かってはいたのだが、なぜだか出直すことはせず、数週間を経て今日に至った。

 

 私はトイレに入る時、何がしかの読み物を持って入るが、今日たまたま持ったのは新聞のチラシだった。

 それがたまたま電器店のコジマのもので、内容は上記KDDIメタルプラスをコジマで加入すれば、コジマのポイントを2万円分進呈というものだった。

 

 キョエェーーーーーー!!!!!!!!!

 なんという偶然なのだろう。

 もう、コジマで加入するしかないではないか。

 

 週明けにでもコジマに行き、契約してこよう。

 以前の記事 にも書いたが、私は第六感とでもいうべきものを信じている。

 最近ちょっと調子が悪くて、タイミング悪いなあということも多かったが、今日の情報で久々にラッキーを実感することができた。

 

 対人恐怖症を克服 ではないが、人間は、その歩みが進んでいないように見えても、確実に何かに導かれている。

 感謝、感謝。

 

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2006年03月11日(土)

風邪が治った

テーマ:私生活的ブログ

 昨日は風呂に入って体を温め、アミノ酸とビタミンCと総合感冒薬を飲んで寝た。

 少し空気が乾燥しているようだったので(湿度計が50%を下回るのを目安に)、加湿器をつけておいた。

 

 悪化する可能性もあり、どうなるだろうかと思っていたのだが、復調したようだ。

 声が少し出づらいが、だるさはなくなった。

 

 雨が降っていたので、最寄り駅との往復を徒歩にしたが(普段は自転車)、別になんともなかった。

 食欲も普通にあるし、腹の調子もいい。

 

 庭の梅が満開のようなので、近々upすることにする。

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2006年03月10日(金)

風邪をひいたらしい

テーマ:私生活的ブログ

 月曜日に頭痛がして、なんだろうと思っていたら、水曜に急に喉が痛くなった。

 折悪しくその日は胃の内視鏡検査の日だったので、胃カメラを飲んで喉が痛くなったのか、風邪で喉が痛いのかの区別がつかなかった(ちなみに結果は逆流性食道炎だそうだ)。

 

 木曜の昨日はいつもどおりに過ごしたのだが、日中どうも疲れやすい。

 夕方には寒気がして、肩がこった。

 たぶん風邪だと思うが、風寒型と風熱型の区別がつかない。

 体温も36.7度と微妙なところである。

 

 とりあえず風呂で体を温めることにする。

 出てきたら、以前もらったPL散という風邪薬を飲む。

 ファンケルのビタミンCと、ユニバーサルアミノというアミノ酸のサプリを摂って、とりあえず寝る。

 明日はどうなっているだろうか?

 

 原因はこのところ、うがいと手洗いをさぼっていたせいだな。

 どうもインフルエンザの脅威が去ったようなので、気を抜いたのだ。

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2006年03月09日(木)

検察庁から手紙が来た

テーマ:監獄☆日記

 検察庁から普通郵便で手紙が来た。

 「証拠品の郵送還付に関する照会書」というもので、



1 別添に記載されている証拠品は、郵送によりあなたにお返ししますので、これに異存がない場合は、別添の「1」を○で囲み、送付先を記入するとともに、年月日、住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。

 

2 証拠品を受取に来庁する場合は、別添の「2」を○で囲み、来庁日を記入するとともに、年月日、 住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。

 

3 証拠品が不要であれば当方で処分しますから、その場合は別添の「3」を○で囲み、年月日、 住居及び氏名を記入し、押印の上至急お知らせください。



とのことである(至急お知らせはいいが返送用封筒が入ってないな)。

 

 執行猶予がついて釈放されたのが一昨年の9月であるから、約1年半ぶりに還付されることになる。

 私は正直忘れかけていたので、冷や水をぶっ掛けられたような気分というか、そういえばそんなこともあったなという感じだ。

 

 最近何かとお騒がせなwinnyの作者は公式サイトでこんなことを言っている が、まだしばらくは返ってこないだろう。係争が続いているならなおさらだ。

 

                                                      (つづく)

 

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