天皇陛下のおことば

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天皇陛下がビデオメッセージで、国民に対して「お気持ち」を表明されました。

今後、自らのお務めを全身全霊で果たしていくことが難しくなっている現状に鑑み(お立場上はっきりとは意思表示はできないものの)ご自身の考えを示しながら、問題提起をなされたものだと受け取っています。


象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12



基本的に「天皇陛下のお言葉をあれこれと解釈すべきではない」「自身の政治的主張に利用すべきではない」という意見に私は賛成です。

ですが、日本には言論の自由がありますので、お言葉を受け取って、私自身の感じたことを語るぶんには何の制約もないはずだと考え、少しここに書いてみます。


私は以前も書いたように、今上陛下が大好きです。

NHKの解説を聞いて、改めて思い起こしましたが、陛下は現行憲法下で即位された初めての天皇ということになるのですね...。

「日本国の象徴」であるとはどういうことか。象徴としてどうあるべきかを、常に模索されてきたのだなぁと感じました。そこには必ず国民への思いがあり、平和と安寧への祈りがあり...気持ちだけでなくそれを行動に表すことで、国民に届けよう、伝えよう、辛い時は共にあろう、慰めよう、励まそう...と、そう心がけてこられたことを、私は陛下の言動と佇まいから感じ取っていますし、皆さんの多くも、同じ思いだと想像します。

ありきたりですが、日本に生まれて良かった。今上陛下と同じ時代を生きられて良かった...と感じ、自然と涙が流れました。


マスコミの「退位」という言葉に反発を覚えている人が多いようですが、実は私には、この言葉が陛下のお気持ちからそう遠いとも思われないのです。

今回お気持ちを表明するにあたっての配慮の仕方といい、陛下ご自身が、日本国憲法に忠実であろうとする姿勢は折に触れて感じられます。現在の憲法を嫌いな人も多いと思いますが、好き嫌いの前に、遵法精神それ自体は日本人として尊ばねばならないと私は考えます。陛下は象徴として、私たちに範を示して下さってると思うのです。

「譲位」とは、誰かに位を譲ることです。この言葉には「誰に」という目的語が暗につきます。陛下は(これは私個人の推測ですが)、天皇が自身の意志で後続に位を譲るというよりも、公務を全身全霊で行えくなった時点で「その立場から退く」ということまでしか示唆してらっしゃらないと感じました。その先のことは「法が決めること」と、自身の影響の及ぶ範囲を規定してらっしゃるのではないかと。

(しかし、陛下がこの言葉を使ってらっしゃらない以上、あくまで、真意は分かりません。この先も私の憶測を前提としてお話します。)


だからこそ、私たちがやらなければならないのは「法はどうあるべきか」という議論であり、今上陛下お一人の要望にのみ応えればいい、ということではないと思うのです。


これは今の日本人には大変に難しいことですが、敢えて陛下は投げかけられました。


先にも書いたように私は今上陛下が大好きです。ですが、歴代の天皇がすべていい人だったとは思いません。これから先も、人格者がその地位に就いていくとは限りません。

それでも、日本人にとっては「皇統を紡いでいくことが大切」なのだと思っています。上手く根拠を示すことが出来ませんが、日本が日本としてまとまっていくための、皆で共有できる一つの「よすが」が皇室であると感じているからです。


しかし天皇にも基本的人権があるとの考えに立てば、「もう天皇をやめたい」という天皇が現れた時に、それを否定できるでしょうか?無理にその座におさまっていて頂くことは、残酷ではないでしょうか?

これは左派が皇室批判をする時によく出す問いですが、誰もこれには答を出すことが出来ないように思いますし、一般的に日本人は、この問いに答えること自体に不安感があると思います(それが分かっているからこそ、半永久的に繰り返される問いでもあります)。それはやはり無意識に皇室を「よすが」としているからではないでしょうか。


理屈ではないのです。こればっかりは理屈ではない。連綿と続いてきた事実そのものに、どうしようもない重みがあるのです。


だからこそ思うことですが、少なくとも今、その立場を引き受け、それ以上に国民のために祈り、慰め、励まして下さる方が、日本国の天皇として私たちの中心におられること、この事実そのものが幸いであり、その幸せをありがたく、自覚的に享受するべきだろうと。

その有り難みを咀嚼し、法に反映していくためには、無意識であったものを少し、意識の光に当てていく必要があります。「何となく」で過ごしてきた日本人には、とても難しいことです。

実際には、これを考えていくのは私たちが選んだ代表者です。特に安倍さんやその周辺の方々ということになりますが、本当に今、安倍さんが総理で良かったなぁと思う次第です。安倍さんが常に完璧で間違いをおかさないということではありませんが、少なくとも他の人でなくて良かったなぁと思います。



ところで、ちょっと話は変わりますが...高齢化社会ということに重ねて、日本人の「死の迎え方」についても思いを馳せました。


私は度を超えた延命治療に反対であり、常々家族ともその意志を確認し合っていますが、現代は医学の進歩によって、昔なら亡くなっていた人を「生かす」ことが出来てしまいます。

戦後日本人は「命」を極端に重要視するようになり、「死」をひたすら忌み嫌うようになってしまいました。しかしその一方で、減少傾向とはいえ自殺率は高いままです。私はすべての自殺を否定する訳ではありませんし、究極的には自殺する自由もあると思いますが、高い自殺率に比べて尊厳死の議論が全くといっていいほど進んでいないことに、何とも言えないアンバランスを感じます。現実には、日本人の根底には仏教的な思想が根づいており、命を「与えられたもの」として慈しむ態度と、生と死の質を天秤にかけるような価値観とが、並んで共存しているような気がするのです。今はイデオロギーによってそうした感性を抑圧されていると感じています。皆さんはどう思われますか?


世の中には「無理矢理生かされることで生じる不幸」もあるのではないでしょうか?
(連想されると困るのですが、最近起きた身勝手な大量殺人を肯定している訳では決してありません。)


宗教観等によって意見は異なると思いますが、今の日本では、自分の人生の終わりに、自分で選択した死に方さえも拒否されるという状況が発生します。医療関係者が法で守られていないためです。勇気ある一部の医師が、過度な延命治療の負の側面をようやく公に語り出したところです。

まして天皇陛下ということになれば、陛下ご自身の意志とは無関係に「生かされる」という事態も想像されます。昭和天皇以上...もしかしたら、その何倍も長い時間を闘病に費やされることになるかも知れません。

陛下は、そういったことまでお考えの上で「お気持ち」を表明されたのではないかと、私はそう感じました。

人生の終わりをどう迎えたいのか?という問いも、私たち一人一人に投げかけられたような気がします。


私たち一人一人がそれを考えることと、陛下に、どのように人生の終わりを迎えて頂きたいかということは、地続きであるように思います。

陛下と私たちでは立場も、背負うものも全く違いますが、陛下も一人の日本人であり、日本人は陛下の姿に「日本」と「日本人」を重ねて見ているからです。

天皇のありようについて考えることは、日本を考えることと同質であるように思います。



色々と勝手なことを書き連ねました。
戯れ言と聞き流して頂ければ幸いです。





Tokiota






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