February 29, 2012 10:52:18
posted by unagidani
難波ベアーズの25周年記念イベント“Incapacitants vs Solmania”
テーマ:MUSIC/音楽
2月11日、Solmaniaのライブがあったので仕事場のある南堀江から難波府立体育館の向こう側まで歩いた。ネオンと喧騒、寒空のなか時間に合うように歩を早めると息が弾む。今回はIncapacitantsとの対バンで難波ベアーズの25周年記念イベントだった。
2012年5月21日は金環日食を日本の本土上で観測ができる貴重なタイミングであり、それを発火点にした天文ブームを見込んだ宇宙に関する知識本の原稿を書いていた。
宇宙創生のシナリオのなかでビッグバンの直前に無の状態から突如、インフレーションと呼ばれる真空のエネルギーの急激な膨張が存在した。これは10の36乗分の1秒(1秒を10の36乗で割った時間)から10の34乗分の1秒の間の短い時間。その圧倒的な規模は数値で認識できても実感することはできない。それは、一個のウィルスが銀河系以上の大きさになるくらい凄まじい規模の膨張率だという。大多数の未開社会には1,2、稀に3までしか数名詞をもたず、それ以上は「多く、沢山」といった表現に回収されてしまうという原住民が居るらしい。アフリカのブッシュメン族、ダマラ族、インドのピュリ族…。しかし、それは数を数える能力を欠いているわけではなく、数を数える事を望まないのだという。そのかわり、飼い犬がいてその大勢の群れの中で一匹が居るか居ないかを瞬時に見分けることができるのだという。われわれはインフレーションの規模を数として認識できず、10の36乗分の1秒を数値として実感することはできず、同時に群れの様相を瞬時に見分けることもできない。
ドアを開いてベアーズの闇にたどり着くと体温が上がる。Solmaniaのライブを観るのは3度目。いや、ブリクサ・バーゲルトとカルコフスキーのノイズオーケストラをMUSE HALLでたまたま観たのを加えると4度目か、彼らの音は二人の超絶ギタリストによる怒涛のノイズミュージックということになるが、その印象は毎回、微妙に異なっている。その愉しみの基本はピンクノイズからホワイトノイズ、そして音像のゼロ地点へ向かうアンビエントの境地に到達する爆音体験である。今回はその微妙な色彩な違いを察知したいと思った。
ライブは20分ほど押してはじまった。圧倒的な音量とパワーは従来どおりだったが、今回はある種の繊細さを感じた。強い高揚感のなかで生み出される音は本来は破壊的な音としてノイズという形容詞を使うのだろう。そして、ノイズというのは日本語にして雑音であり、分類でいえば“The other”の音だ。しかし、Solmaniaの音は“The other”を発生させているのではなく、確実に奏でているような印象を受けた。もともと醒めた感性を持っている私なので聞いている最中は何が起こっているのかわからない状態、直感的にすごい!という印象を持たないこれはいつものことだ。しかし、ギターの音を捉えようと聴きこむほどに、一つひとつのフレーズ、うねり、反響にハーモニーが生まれて構築が進むのが観えたのだ。そんな確かさのなかに私は音楽としての楽しみを見出すことができた。腰のあたりを低音が捉え、脳髄の奥の方まで高周波が届いて何かの警告を発し、それが特別な幸福感に変容する、そんな感じ。
Solmaniaの二人は何かを退治するように黙々とギターと格闘する、あるいはちぎれた巨大な鋼鉄の何かをつなぎとめているようにも見えてくる。退治した、つなぎとめたと思わせ、なおも格闘と溶接は続いてクライマックスがずっと続いて40分くらいだろうか、演奏は終わった。
キーンと鼓膜が悲鳴をあげるなか、Solmaniaの印象を変えないように、印象が混乱することを避けようとIncapacitantsのライブは見送った。そして、宇宙に関する解説を書くために再び仕事場に戻るのだ。再び、ミナミの喧騒を横切りながら腰のあたりの低音と高周波を思い出すうちに、真空のエネルギーの急激な膨張、インフレーションの規模やスケール感を感覚的に捉えることができた。おそらく、宇宙はあんなふうに膨張して誕生したのだ。
*友人に聞くとIncapacitantsの演奏も素晴らしいものだったらしいので、今度は聞いてみようと思う。
2012年5月21日は金環日食を日本の本土上で観測ができる貴重なタイミングであり、それを発火点にした天文ブームを見込んだ宇宙に関する知識本の原稿を書いていた。
宇宙創生のシナリオのなかでビッグバンの直前に無の状態から突如、インフレーションと呼ばれる真空のエネルギーの急激な膨張が存在した。これは10の36乗分の1秒(1秒を10の36乗で割った時間)から10の34乗分の1秒の間の短い時間。その圧倒的な規模は数値で認識できても実感することはできない。それは、一個のウィルスが銀河系以上の大きさになるくらい凄まじい規模の膨張率だという。大多数の未開社会には1,2、稀に3までしか数名詞をもたず、それ以上は「多く、沢山」といった表現に回収されてしまうという原住民が居るらしい。アフリカのブッシュメン族、ダマラ族、インドのピュリ族…。しかし、それは数を数える能力を欠いているわけではなく、数を数える事を望まないのだという。そのかわり、飼い犬がいてその大勢の群れの中で一匹が居るか居ないかを瞬時に見分けることができるのだという。われわれはインフレーションの規模を数として認識できず、10の36乗分の1秒を数値として実感することはできず、同時に群れの様相を瞬時に見分けることもできない。
ドアを開いてベアーズの闇にたどり着くと体温が上がる。Solmaniaのライブを観るのは3度目。いや、ブリクサ・バーゲルトとカルコフスキーのノイズオーケストラをMUSE HALLでたまたま観たのを加えると4度目か、彼らの音は二人の超絶ギタリストによる怒涛のノイズミュージックということになるが、その印象は毎回、微妙に異なっている。その愉しみの基本はピンクノイズからホワイトノイズ、そして音像のゼロ地点へ向かうアンビエントの境地に到達する爆音体験である。今回はその微妙な色彩な違いを察知したいと思った。
ライブは20分ほど押してはじまった。圧倒的な音量とパワーは従来どおりだったが、今回はある種の繊細さを感じた。強い高揚感のなかで生み出される音は本来は破壊的な音としてノイズという形容詞を使うのだろう。そして、ノイズというのは日本語にして雑音であり、分類でいえば“The other”の音だ。しかし、Solmaniaの音は“The other”を発生させているのではなく、確実に奏でているような印象を受けた。もともと醒めた感性を持っている私なので聞いている最中は何が起こっているのかわからない状態、直感的にすごい!という印象を持たないこれはいつものことだ。しかし、ギターの音を捉えようと聴きこむほどに、一つひとつのフレーズ、うねり、反響にハーモニーが生まれて構築が進むのが観えたのだ。そんな確かさのなかに私は音楽としての楽しみを見出すことができた。腰のあたりを低音が捉え、脳髄の奥の方まで高周波が届いて何かの警告を発し、それが特別な幸福感に変容する、そんな感じ。
Solmaniaの二人は何かを退治するように黙々とギターと格闘する、あるいはちぎれた巨大な鋼鉄の何かをつなぎとめているようにも見えてくる。退治した、つなぎとめたと思わせ、なおも格闘と溶接は続いてクライマックスがずっと続いて40分くらいだろうか、演奏は終わった。
キーンと鼓膜が悲鳴をあげるなか、Solmaniaの印象を変えないように、印象が混乱することを避けようとIncapacitantsのライブは見送った。そして、宇宙に関する解説を書くために再び仕事場に戻るのだ。再び、ミナミの喧騒を横切りながら腰のあたりの低音と高周波を思い出すうちに、真空のエネルギーの急激な膨張、インフレーションの規模やスケール感を感覚的に捉えることができた。おそらく、宇宙はあんなふうに膨張して誕生したのだ。
*友人に聞くとIncapacitantsの演奏も素晴らしいものだったらしいので、今度は聞いてみようと思う。







