我が家の “ 雛人形 ” | umegakiorimono ときどき日記

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京都西陣の織元梅垣織物が ≪ 作り手の気持ちを伝える為に “ 西陣織帯地 ”や“ 西陣の事 ”
そして “ 美味しいお店やちょっとした出来事 ” ≫ を紹介させて頂く日記です。
 
『 和装や京都に興味のある方は、是非ご覧ください 』

いつも “ ときどき日記 ” にお付き合い頂き有難うございます。


本日は、我が家の二人娘の “ 雛人形 ”を掲載させて頂きます。
今年で、長女の“ 雛人形 ”は23年目になります。 ( 右側が長女の " 雛人形 ”)

     
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" 雛人形 ”について

皆様もご存じとは思いますが、雛祭りに飾る人形。節供人形。雛人形という名称は江戸時代になって生まれたもので、平安時代にはその前身ともいうべき 「 ひいな 」 という遊びがあったそうです。
「 ひいな 」 とは、小さくかわいい意味の古語で、貴族社会では男女一対の小さな紙人形を用いてままごと遊びなどが行われ、それを 「 ひいな遊び 」 といったそうです。


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人形は立った姿の紙雛風のものと推定されますが、これを中心に、貴族の暮らしをまねた館や、食器などの調度をそろえて遊んでいたそうで、 『 源氏物語 』 ( 末摘花(すえつむはな) )に、 「 もろともひいなあそびし給ふ 」 などとあるように、貴族家庭の少女の人形遊びであり、その頃はまだ3月の節供とは関係はなかったみたいです。


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それと別に、平安時代のころから、季節の変わり目には神に供御 ( くご ) ( 飲食物 ) を供えて身体の安泰を祈る信仰があり、それを節供といったそうで、3月は上巳 ( じょうし ) ( 最初の巳(み )の日 )に、紙や植物でつくった人形 ( ひとがた ) ( 形代 (かたしろ) )で身体をなでて汚れを祓 ( はら ) い、それを水に流して神送りする行事があったみたいです。


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                    下の写真は、次女の " 雛人形 ”です。


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鳥取地方などでは、3月の節供が済むと、雛を川へ流し捨てる 「 流し雛 」 の習俗が現在も残っていて、この信仰的な人形 ( ひとがた ) も、雛人形を生み出す源流の一つとなり、こうした人形遊びと、 呪術 ( じゅじゅつ )用具としての雛形人形 ( ひとがた ) の信仰とが互いに融 ( と ) け合い、しだいに雛人形への骨格を形成したみたいです。


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江戸時代に入り、太平の世相を迎え、3月の節供が盛んになると、雛遊びが一般化して雛祭に移行し、年中行事として3月3日に定着し、それが広く流行するにつれて人形も発達し、さまざまな作品が飾られるようになって雛とよばれたそうです。


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                “ お雛様 ” いつも子供達をお見守り頂き有難うございます。


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