先週金曜、元東京ヤクルトスワローズ高津臣吾が
北信越BCリーグ
新潟アルビレックスベースボールクラブでの入団会見をおこなった。
これまでNPBを戦力外になった選手が独立リーグに入団した選手はいたが
「名球界プレーヤーの独立リーグ入団」は高津が始めてである。
高津のこれまでの実績は今更長く説明するまでもない。
1991年に亜細亜大学からヤクルトに入団
2004~2005年にシカゴ・ホワイトソックスを除く2007年までの15シーズンで通産セーブ数は
NPB1位 286S
セリーグ優勝、日本一4回、胴上げ投手5回(リーグ1回、日本シリーズ4回)
古田 敦也
との黄金バッテリーでヤクルト黄金時代に君臨した功労者だ。
その高津も2007年オフに戦力外を受けて
2008年に韓国、ウリ・ヒーローズ
2009年にサンフランシスコ・ジャイアンツ
2010年に台湾、興濃ブルズとさすらいの野球人になっていた。
そして2011年にたどりついた場所が新潟だった。
日本、アメリカ、韓国、台湾と4ヶ国で積み重ねたセーブ数はトータル347Sである。
ここまで高津が現役にこだわる理由を私なりに考えてみた。
おそらく同世代の選手たちに負けたくない気持ちがあるからではないか。
現在高津の今年の満年齢である43歳になる1968年度生まれのプロ野球選手は
山崎 武司
木田 優夫
の存在があるのも一因ではなかろうか。
私自身、高津クラスの実績を持った選手は「立つ鳥跡を濁さず」ではないが、自らの引き際を
決断するのに迷いなくやってもらいたいと思っている。
今回高津の入団に伴い、将来プロ野球選手を目指していた選手を一枠無くしたことは非常に痛い
ことだと思う。
中にはこの独立リーグにラストチャンスを賭けてテストを受けたが夢の扉の出発に手がかからなかった
選手がいたことをBCリーグ幹部は深く考えなければならないだろう。
最後にアルビレックス新潟BC幹部、新潟県の報道機関、そして橋上 秀樹監督
に望むことは
「決して高津臣吾を客寄せパンダとして起用」しないでもらいたい。
高津が野球に打ち込む姿を出して、若手選手たちが学ぶことは悪いことではない。
だが高津ばかりとりあげたり、高津を優遇する使い方は他の選手にとってプラスになるとは思えない。
この独立レーグで結果をだして将来日本球界のスカウト並びファンの目に光る光景を実現する選手を
私は待ち望んでいる。
高津臣吾にとって野球人生最後かもしれない新潟の地で果たすことはあくまで
黒子に徹して若手選手の見本となる投球術を注入することだろう。