馬鹿日報・弐
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今年もよろしくお願いいたします。

遅ればせながら、

本年もよろしくお願いいたします。

 

有難いことで年明けから

やることは途切れないのですが、

案件の大半が納品がすごく先なうえに

コロナ禍前に報酬を頂いたものも

あったりという状況で、

懐から血がドクドク状態です。

 

上半期は税金や保険の

出費が半端じゃないうえに

今年は車検もあり、

春を越せる(変な表現)のでしょうか…。

 

 

そういえば昨年末、

出先の嫁さんから

「ロケ中のチャンス大城を目撃!」

とLINEが来たので、

「チャンス到来!宝くじ買って!」

とお願いしたところ、

20枚買って3600円が当選。

マイナス2400円の幸運と、

やはり甘くないですね。

 

初詣では珍しくおみくじで

大吉を引いたので、

なんかいいことないかなと…。
 

 

仕事に関しては

冒頭に書いたように金銭的不安が

半端ではないのですが、

(年明け早々金の話かい、と)

「やりたい」と言っていた仕事が

ちょこちょこできるように

なってきました。

 

ひとつの核は「地域」で、

少しずつですが自分が携わりたい

地域の人と接点ができ出しました。

それを途切れさせないよう、

そして願わくば仕事でも

繋がって行けるように

立ち回りたいところです。

 

もうひとつのトライとしては、

「書き仕事」。

現在、久々にライターとしての

お仕事を頂いています。

 

6年前に似たような案件で

ボロボロになって以来

怖くて逃げていたのですが、

自分にとっての長年の先生役でもある

友人がコーチという得難い状況下、

以前よりは進歩できている

感触があります。

 

東京で末端のデザイナーをやっていると

「取材」に立ち会う機会が少なくて

不満だったのですが、

色々な人に話を聞いて

文章にまとめ上げていくスキルが身につけば、

できることの幅が広がるのでは

なかろうか…と。

 

願わくば今年は、仕事も行動範囲も

広げて行きたいところです。

 

 

日々の生活はほぼ変わらず、

娘は幼稚園の卒園間近。

 

先日、卒業アルバムの原稿を

見ていたところ、

「すきなもの」の欄に

「ようちえん」と書いていたのを見て

軽く泣きそうになってしまいました。

 

この3年間、送りの際には

こちらを一切振り返ることなく

毎朝園舎に飛び込んで行く様を見て、

よほど楽しかったんだなぁと。

 

自分は娘に高学歴は求めていないので、

(両親揃って美術系の出身だし)

なんか義務教育で疲弊するなら

あと2年くらい幼稚園に通っても

いいんじゃないかって思いました。

 

そして、そんな娘に先日、

「日曜に習い事入れて」

と言われて

「なんで?」

と聞いたところ、

「パパと二人でつまんない」

と。

 

この3年半、日曜は

嫁さんが仕事のため、

ほぼ二人での生活。

ついにそんなこと言われるように

なってしまいましたが、

まあ成長の証でもあるのかなと。

 

夜中にトイレで起きた際には

こちらの布団に潜り込んできて

「ニホンザルの親子か!」

とツッコミを入れたくなるほど

くっついて寝てしまう娘ですが、

そんなこともあと何年も

ないんだろうな、とも。

 

(10年経ってもこれじゃ困る)

 

不景気だし世界も日本も物騒だしで

娘の将来に自分がどこまでできるのか

日々不安で仕方ないのですが、

「十分な教育」というよりは

「いろんな体験」ができるように

なんとか前を向いて頑張りたいなぁというのが

思うところです。

 

 

相も変わらずただの日記ではありますが、
今年も暇潰しのお供になれば幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございましたの2023年

 

この1年

とんでもないバタバタでしたが、

有難いかなラスト10日ほどは

穏やかに過ごせました。

 

(仕事が早めに落ち着いてしまったのは

 いいのやら悪いのやら…)

 

 

ちょっと前の日記

実家の惨状的なことを書きましたが、

その後うちの父が

何度目かの奇跡を呼んで復活。

 

その頃は寝たきり状態だったのですが、

自力歩行できるまでに回復しました。

週数回の訪問介護・診察のサポートもあって

酸素チューブこそ着けていますが

自宅で(わりと普通に)生活しています。

 

母も昨年夏頃は

かなり元気がなかったものの、

このところはわりと元気。

毎度「宅食とかやれば?」と

勧めているものの固辞、

三食作ったりしている模様。

 

年末には近くのショッピングセンターへ

往復30分ほど歩いて

一緒に買い出しなど行けました。

 

父は風邪をひいたら即アウトくらいの

爆弾を抱えている状態で、かつ

余命が伸びたわけではないのですが、

(本人は認識していない中)
最後の最後で自宅で日長テレビを見て

食べたいものを食べる生活をする…という

願望が叶ったのはよかったなと。

 

長年思ってきたことですが、

「他に趣味や望みはないんかい」

というのは、

もはや余計なお世話だよなと…。

 

 

うちはうちで病気に翻弄され、

嫁さんも娘も年の1/4〜1/3くらいは

一日中咳をしているような状況でした。

それを見ているのがとにかく辛くて、

自分がコロナになったのなんて

(結構しんどかった気もしますが)

全然大したことなかったなと。

 

2024年、まず望むことは

「健康」です。

 

 

そんな1年ではありましたが、

旅行運はよかったです。

 

個人的には7月に久々の一人旅。

…とは言っても通っている

デザインスクールの実地研修で、

福井県や富山県で様々な

伝統工芸や日用品の工房、

デザイン事務所などを見学。

過去の一人旅では叶わなかった望みが

浴びるように叶った感があります。

 

10月にも、家族で3泊4日で

沖縄に行ってこられました。

(写真は古宇利島大橋にて)

 

出発の4日前に父が倒れ

キャンセルするかどうか直前まで

読めなかったですが、無事完遂。

来年娘が小学校に上がってしまうと

平日にまとめて休みもとれないので、

なんとか行けてよかったです。

 

その際やんばるの湖でカヌーをしたり、

はたまた2月には長野で

娘と嫁さんが初スキーをしたりと、

家族でアウトドア的なことも

楽しめるようになってきたのも

いい傾向でした。

今後はハイキング等もしたいです。

 

 

行動圏が広がったからか、

今年は仕事の幅も広がりました。

「好きな地域の仕事がしたい!」と

言いまくっていたところ、

幾つか機会に恵まれることに。

 

打ち合わせも遠いところでは

母方のお墓がある茨城県へ

クルマで向かい、

近いところでは自転車で5分の

地元の企業さんに

伺うことになったり、等々。

 

そんなこんなで年賀状を書くため

年末の特番なんかも

流し見状態でしたが、

つくづく有難いことだなと。

 

来年は久々に旅先で年越しなど

してみたいもんだなぁと思うのですが、

そのためには年内早めに

年賀状は終わらせないとなぁ、と。
今からの宿題です。

 

 

しんどいことも多かったですが、

とはいえ仕事は充実していて

楽しいことも多い1年でした。

 

年々「人生で最も物騒な1年」を

更新しているようにも見えますが、

近年出会う機会が増えた

10代20代の人たちと話していると、

未来は明るいようにも思えます。

 

常々祈ることといえば

「世界平和」「家族の健康」

「いい仕事できますように」

くらいのものですが、

2024年、少しでも安心して

生活できる日々が

続くよう祈るばかりです。

 

 

今となっては誰が読んでいるかも

わからない日記ではありますが、

今年もありがとうございました。

2024年がよい年でありますように!

 

あと二歩の二度寝

このところ病気絡みのゴタゴタで

仕事に割く時間が3〜4割減という

状況です。

 

具体的な原因としては、

・父の入院や介護に関するやりとり

・母の通院や買い物等の付き添い

・娘の風邪等による幼稚園欠席≒看病

といったところ。

 

…まあ、その隙で

受講中のスクールやセミナーには

しっかり出たり、

友達や仕事関連の人と

ご飯とか行ってはいるので、

そこを削ればまだまだ

どうとでもなるのですが。

 

とはいえプライベートを削れるほど

ストイックな人間でもなく、

睡眠時間を削れるほど

元気な人間でもないため、

結果仕事の時間を削っているという

不真面目な状況でもあり。

 

 

……そんな中、

(有難いことで)例年以上に

案件を抱えた状況で

乗り切れているのは、

わりとわかりやすい理由があります。

 

まずその1は、

昨年Macを買い替えたこと。

体感的には処理速度が10倍くらいに

なったので、

無駄な待ち時間が減りました。

 

そしてその2が、

仕事を「二度は寝かせる」こと。

 

とある案件に対して

以前より早く形にできるようになった分、

一旦寝かせた状態で

他の案件を幾つかやって、

戻ってきては

「ここは直さないと」

「ここはもっと手をかけないと」

ということを締め切りまで

極力繰り返すようにしています。

 

その結果、大半の案件で

一発OKが出るようになって、

結果やりとりに割く時間も

かなり減ったので、

なんとかお客さんに迷惑をかけず

進められている感じです。

 

 

自分の仕事になかなか

自信の持てない状況が

かれこれ四半世紀くらい続いてはいますが、

そこは少しは進歩した部分なのかなと。

 

いろんなことが落ち着いた先で

3〜4割減った仕事の時間を

新しい仕事に注ぎ込めるようになったら、

憧れの二拠点生活とか

できるものなんでしょうか。

 

そんなに都合よく新しい仕事と

縁がつながることも

ないのかもしれないですが、

ともあれ今は仕事が面白いので

(プライベートとの境界も曖昧)

こんなご時世ですが

前を向いてやって行ければいいなと思います。

 

新習慣

 

土曜は家族でアウトレットへ。

 

最近しばしば耳にする

「ブラックフライデー」で、

大半のショップで30%OFF。

 

娘の靴を新調するつもりが

結局全員で

ナイキのスニーカーを新調。

3足で都合1万円近く

安くなったので、

これはお得だよなと。

 

明けて月曜の今朝、

嫁さんは新調したアイテムを

身につけて出社して行きました。

 

こういう習慣って

不景気だから発生するのか

好景気でもあることなのか

よくわからないですが、

ともあれ有難いなと。

 

相変わらず我が家は

病気や介護のことで

どーにも調子が上がらない日々なので、

いい気分転換になりました。

家族の終わり

 

昨晩は義姉の誕生会でした。

 

義兄は仕事で不参加だったものの、

嫁さん側の親族が

近場のレストランに集合。

 

(写真は食後テレビに食い入るキッズたち)

 

当初主役であるはずの義姉が

キッズ3人のいるテーブルで

子守り役になったので、

「主役でしょ! 代わるから」

と、席を交代。

 

(甥っ子姪っ子ともに外で

 散々美味いものを食べていることもあり、

 特にすることもなく至ってラク)

 

となると、もう片方のテーブルは

お義父さん、お義母さん、

義姉、嫁さんという家族の構造。

 

下戸の嫁さんを除いて

ワイン片手に

過去の家族旅行の話などをして

談笑する様を見て、

「いいなぁ」

としみじみ思ったり。

 

 

……翻って我が家のことを

思い出してみると、

そもそも両親が祝い事をはじめ

親族で集まったりすることは

好きではなかったので、

パーティーなどした記憶などなく。

 

唯一家族4人で

和やかに話せた記憶があるとすれば、

東日本大震災の際

宮城県で保険の仕事をしていた兄が、

なんとか仕事に区切りをつけて

東京に戻ってきた時くらい。

 

その時は「俺がご馳走するから!」と

家族でステーキハウスに行って、

(酒に強い人間は1人もいないのに)

ワインボトル2本空けた記憶が。

 

 

……そしてそんな我が家が、

終焉を迎えつつあるのが今。

 

元から肺を悪くしていた父が

コロナ肺炎を患ったことで重症化し、

ほぼ寝たきりのような状況に。

お医者さんからも明確な

余命を伝えられました。

 

母は母で昨年末に

ステージ4の癌を患い、

近年発展の目覚ましい

遺伝子治療のおかげで

延命はしたものの、

この先劇的にいい薬が出ない限りは

リミットが見えているのが現状。

 

そんな母の状態を顧みず、

父は「家に帰る」の一点張り。

毎回お見舞いに行くたびに

両親がもめていて、

担当医さんを困らせている状況。

 

看護師さんやケアマネさん、

ソーシャルワーカーさんに至るまで

「自宅介護は無理」と

裏でアドバイスはして頂くものの、

(奇しくも全員女性)

病院としては方針の強要ができないため、

お医者さん(男性)からは

「戻れないことはないです」と言われ、

それがゴタゴタにガソリンを注入。

 

……そしてその調整で翻弄されているのが

事実上の家長となっている兄で、

忙しい中仕事や甥っ子のサポートを休んで

(なにせ甥っ子がとんでもない

 野球のエリートで、

 今は進路のかかった重要な局面)

病院に赴いて話し合ったり

今後移動できそうな施設探しに奔走したり。

 

自分は自分で兄ほどの役割はないものの、

(兄が医療関係に詳しいので

 足を引っ張らないのが一番かと)

フリーランスで時間の自由が利きつつ

家族で唯一運転できることもあって、

週1くらいで母の通院や買い物、

父のお見舞いの付き添いなどで

実家に行っている状況。

 

…まあ、新聞の投書欄で目にする

仕事を辞めてまで24時間体制で

介護をしている人などを思えば

全然ラクな方ではあるとはいえ、

なかなか時間を食うのは事実。

娘のお迎えに戻るため、

慌てて首都高を飛ばすこともしばしば。

 

 

父はこれまで九死に一生どころか

五生くらい得てきた人なので、

今回も何度か病院から

「今夜が山です」「今週が峠です」

などと電話がかかってくるものの、

コントかよっていうレベルで

復活を遂げる。

 

嫁さんからは

「後悔のないようにお見舞い行ってくれば?」

と言われるものの、

どうにも足が向かず。

 

…というのも、昨年のちょうど今頃

家族で温泉旅行に行ったのですが、

やはりその半年前に父が脳梗塞で倒れ

そこから奇跡の復活を遂げたので、

「きっとこれで最後だろうなぁ」と

家族旅行を企画したわけです。

 

嫁さんと娘がいたことが大きくて

終始和やか、

「嫁と孫ってスゲえ!」

と体感したわけですが、その際も

「父と腹を割って話す

 人生最後のチャンスだろう」

と大浴場に向かったものの、

父は自分の姿を認めた瞬間に

そそくさと退散。

 

(その間母は嫁さんと娘と三世代で

 露天風呂を楽しんだそうで)

 

…とにかく他人に心を開かない

父ではありましたが、この時も

「この人はこうやって色々抱えたまま

 死んで行くんだろうなぁ」

という諦めのようなものが

生まれてしまい、自分としてはそこで

糸が切れた感もあるわけです。

 

なので、

「お見舞い行っても話すことねーし」

というのが本音というか。

 

せめて家庭の最後くらい

穏やかに終わろうよって言いたいけれど、

余計なお世話なんだろうし、

言ったところで伝わらないし。

 

果たして自分が同じ状況になった際、

何を思うのでしょうか……。

嫁さんには

「そんな状況になる前に殺してくれ」

と言っていますが。

 

 

……と長くなりましたが、

そんなこんなが終わりゆく我が家を

見ながら抱いている今の思いです。

正直長年変わってない部分も

多々あるわけですが、

とはいえ忘れちゃうことも多いので

ちょっと書き残してみようかと思いました。

 

似たような思いをしている人も、

ちょっとはいますよね。きっと。

 

この手のことはこれまで何度も

(父が危篤状態に陥るたびに)

下書きしては消してきたんですが、

いい加減形にするのは

今のタイミングなのかなぁと。

 

現時点でも我ながら酷いことを

書いていると思いますが、

両親がいなくなった後に出したら

もっと酷いというか、

そうなった時には出さないまま

忘れて行く思いなんじゃないかなと。

 

 

……でまあ話は最初の

義姉の誕生会に戻るわけですが、

帰り際、酔った勢いってわけでもなく

お義父さん、お義母さん、義姉に向かって

(先にだらだら書いたような事情を

 知ってもらっていることもあって)

「本当に『結婚してよかったな』って思います」

と思わず言ってしまいました。

 

わりと家庭環境の似た者どうしで

結婚したつもりでいますが、

やはり家庭によって文化も様々。

 

そうやって違う環境で育ったものどうしで

結婚して、また新たな家庭を作って行くことは

個人的にはとても面白いことだなと思います。

 

最後の最後で大揉めしている

我が家を鑑みての愚痴というか、

長年「家族でこんなことしたかったな」

という思いをたくさん抱えてきた

自分としては、

それが実践できている今を

かなり幸せに感じています。

 

嫁さんと娘が何を思うかを

100%知ることはできないですが、

自分が死ぬときに

「いい家だった」って思ってもらうのが

この先最低限のようでいて

最大のミッションなのかなと。

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