素朴さや慎ましさと心の清さは切り放すことはできません。いかなる利己的な考えや自尊心をも取り除かねばなりません。だからイエスは慎ましさと同じように、心の清さの象徴として、子供を例として取り上げるのです。しかし、子供の霊であってもその霊が歳をとっており、肉体を持った生活に生まれ変わった時点で、その前世において脱することのできなかった不完全性を持ち合わせていると考えた場合、心の清さと子供の例えは矛盾するように見えます。完全性を達成した霊だけが本当の心の清さというものを私達に教えてくれることができるのだといえます。それは全く正しい考え方です。しかし、現在の人生の視点から見た場合、子供のうちというのは未だ非道徳的な意図を示すこともできず、私達の目には無邪気で純粋な姿に映ります。そのことからも明らかなように、イエスは天の国が子供達の為にあると言ったのではなく、子供達のように心の清い者のためにあると言ったのです。

スピリティズムによる福音」第8章、3より抜粋
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今日のレッスン

確かに子どもの頃は無邪気でした。
すべてが新しくていつもワクワクして楽しかったです。
でも大人になってからあの頃の純粋さはいつしかなくなり
人の目を気にしたり、羨ましがったり、できる分野では大きい顔をしたりとどっぷり大人になってしまっています。

今、こども達に囲まれた環境にいるのですが、
どんな家庭環境でもどんな境遇の子でもみんなキラキラしています。
ご飯食べる時も幸せそうだし、お友達と喧嘩してもいつのまにかお互い笑いあって遊んでいるし、本当に無邪気です。

自分が大人になってから悩んで生きているのは
まさに文中にある自尊心(プライド)が高いから。
スピリティズムで慎ましさと心の清さが戻りますように。
(もちろん努力します!)
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