ゆーけーのお仕事日記

ゆーけーがお仕事・留学生活やニュース、就職活動などで思ったことを書き連ねます。

ソーシャルファイナンスを志し、オランダのRotterdam School of Management, Erasmus University (RSM)に留学。
みなさまのご協力のおかげで無事に卒業、就職することができました。

ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。



ブログでは日々の生活において感じたことや読んだ本のこと、さらにはCSR・ソーシャルファイナンスなどに関係した情報などを綴っていきます。


これからも「ゆーけーのお仕事日記」をどうぞよろしくお願いします。


ご感想やメッセージなどございましたら、thedelegateofuk @ msn.com までお願いします(@の前後の空欄は削除してください)。



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「ゆーけーのお仕事日記」をご愛顧くださっている皆さまへ

 

 

いつも当ブログ「ゆーけーのお仕事日記」をご覧いただき、ありがとうございます。

 

今般、自身の情報発信の充実を目指し、ブログを移転することとしました。

 

移転先はこちらになります(ほぼすべての記事を移行済みです)。

http://uk-diary.com/

 

別に管理していた自身のウェブサイトと一元化して、より効率的かつ充実した情報発信をしていけたらと考えています。

 

なお、アメブロのブログについては4月末に閉鎖を予定しています

ブックマークをしていただいておりましたら、新ブログにて改めてご対応いただければ幸いです。

 

今後とも、「ゆーけーのお仕事日記」をよろしくお願いいたします。

 

 

ゆーけー

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前回は就職活動・社会人1年目の方向けに、過去の自分に向けてのメッセージの形で生活のアドバイスを送ってみましたが、今回は就職活動について書いてみたいと思います。

 

今でこそ人並みに生きていますが、就職活動では超のつくほどの劣等生で、惨憺たるものでした。

就職活動は大学卒業時と(社会人になった後)MBA中・終了時の2回経験しましたが、どちらも苦労の連続でした。

新卒時は比較的売り手市場でしたし、MBA卒業生は比較的容易にいいところに職を得る傾向があるので、なおさら自分の劣等生ぶりが際立っていました。

 

本来はそんな人間が就職活動についてアドバイスをすることはおこがましいのですが、そんな人間のアドバイスこそ役立つことがあるかもしれませんし、あくまで過去の自分に伝えたいことですので、その辺はご海容ください。

 

【就職活動時のアドバイス】

1.自分を差別化する

事実かどうかはわかりませんが、就職活動中にはよく「副部長」「副キャプテン」が登場すると聞きます。

リーダーシップをアピールしつつ、部長・キャプテンだと色んなリスクがあるから「副」なのでしょう。

 

しかし、これは非常にもったいないアピールの仕方だと思います。

というのも、就職活動で勝ち抜くということは他の人と競争で勝ち抜くことであり、他の人と同じアピールをするということは、その枠で激しい競争をすることになります。

 

それよりは、他に自分がアピールできる経験や技能を見つけ、それを前面に出した方がよいと思います。

組織というのはいろんな役割の人がいて成り立つものであり、決してリーダーの集団ではありません。

また、リーダーシップというのは役割のみに基づき発揮されるわけでもなく、個々人の頑張る姿や気遣いが人をリードしていくこともあります。

 

もちろん、「副」として頑張ってきたのであれば、それをアピールすることにも意味があると思いますが、無理に「副」を押し出すよりは、他の人とは違った自分の長所をアピールした方がよいと思います。

どんな小さなものでも、組織に貢献できるのであれば、聞き手にとっては新鮮で面白いものになるのではないでしょうか。決して奇をてらう必要はありません。

 

 

2.色んな業界・会社を見てみる

世の中は自分の思っているより広く、自分の知らない業界や仕事がたくさんあります。

社会人になってもそう思いますし、学生さんにとってはなおさらだと思います。

 

就職活動にあたって、業界や会社を絞ってエントリーをする人も少なくないかと思いますが、それ以外に自分の知らない面白い仕事がある可能性を考えると、それはもったいないことだと思います。

特に、就職活動中は多くの会社が大っぴらに会社のことを話してくれますが、それは社会人になるとなかなか得られない機会です。

 

ステータスを目的として、特定の業界や会社を志望する場合もあるでしょう。

その気持ちはよくわかりますが、それもあまりお勧めできません。

 

ステータスで会社を選ぶと、会社の存在が自分のアイデンティティの大きな割合を占めることになります。

プライベートで自己紹介をするときに、「○○会社のxxです。」と始めてしまうような人というような感じでしょうか。

それは時として愛社精神として評価されるのでしょうが、会社はあくまで自分とは別の存在であり、それが一体化するのは寂しい気がします。

またステータスに縛られると、どんなに辛くなっても、他の仕事がしたくなっても、自分の気持ちに正直に行動することができなくなります。会社のステータスと自分の幸福度が比例するとは限りません。

 

さらに、会社のステータスは時代による変わる可能性がありますし、その重要性も変わります。

世界に名だたる大企業でも危機に瀕してリストラ敢行という事例はたくさんありますし、また個人的な感想ですが、若い世代の人は昔の世代の人に比べ、会社のステータスより「どのような仕事をしているか」「個人としてどのような人間であるか・価値があるか」ということを重視している傾向があるように思います。

そのような時代の中で「自分は●●会社に所属している」というステータスは、昔ほど重視されるものではないようにも思います。

 

だからこそ、最初から業界や会社に絞るのではなく、いろんな業界や会社を見てみて、自分の可能性を広げてみることは大事だと思います。

一番大事なのは、仕事の内容や会社との相性、それに待遇・ステータスなどを加味した総合的な満足度・幸福感であり、より多くの選択肢の中から選択した方が大きな満足度を得られる可能性があるのではないでしょうか。

 

 

3.具体的な仕事をイメージする

志望する会社を選ぶとき、その会社の手掛ける事業やプロジェクトを見て、「こういうことをやりたい」と思ってエントリーすることが多いと思いますが、その会社の個々の従業員が行っていることは「事業」や「プロジェクト」ではなく、その人たちに割り当てられた具体的な業務・作業です。

 

例えば「ロケットを飛ばす」というプロジェクトがあったとして、それは「ロケットを飛ばす」という仕事があるのではなく、ロケットを設計する、材料を調達する、資金を確保する、行政の許認可を得る、報道機関に情報提供をする、といったいろんな業務があります(あくまでイメージですが)。

そしてそれはさらに細分化され、「文書を作る」、「何かを調べる」、「資料・データを分析する」、「関係者と調整する」といった具体的な(そして、大抵は地味で地道な)業務に落とし込まれます。

 

そして、就職活動で採用された人に期待される役割も、当然具体的な業務・作業を行うことです。

そのため、その会社で貢献するためには、そういう具体的な業務をこなすことができるということが必要で、またやりがいを感じるためには、そういう具体的な業務に魅力を感じることが必要です。

 

そのため、志望動機を考えるにせよ、自分の能力をアピールするにせよ、具体的な業務をイメージしてみることが第一歩だと思います。

そうすれば、自己アピールもより採用側に響きやすくなるような気がします。

 

 

4.社会人とできるだけ話してみる

前項のとおり、志望動機を考えたり、自己アピールをしたりするにあたって具体的な業務をイメージすることが大事と書きましたが、学生が自分の頭で考えても、具体的な業務、あるいは自分が業務をしている姿をイメージすることは難しいと思います。

 

であれば、具体的な業務をしている社会人に話を聞くのが有効です。

卒業生を紹介してくれる大学もあるでしょうし、バイト先の先輩などとコンタクトをとることもできるでしょう。

最近であればSNSを使って希望する人とコンタクトをとることも不可能ではないですし(Twitterやココナラなどでそういう人にコンタクトできます)、それも難しければ、家族・親戚から話を聞くこともできます。

 

実際に仕事をしている人に、「具体的な業務として何をしている(してきた)のか」、「その業務にはどういう能力が必要なのか」、「その業務は会社全体の中でどのような役割を果たしているのか」などを聞いてみると業務のイメージが多少は描けるでしょう。

また、「●●といった仕事をしたいと思っているのだけどこの会社でできるか」、「●●をしたいとして、具体的にどういう業務をすることになるのか」という話を聞いてみるのもよいかもしれません。

 

社会人と話すことのもう一つのメリットは、社会人慣れできるということです。

自分が就職活動を始めたころは、社会人と話した経験がほとんどなく、面接の都度緊張したり、マナーに戸惑ったりしました。気づかないうちにマナー違反で失敗したこともあったと思います。

もう少し事前に社会人と話して慣れておけば、多少は緊張の度合いも下がったでしょうし、マナーについてももう少し勉強したり、指摘を受けたりして改善できたと思います。

 

いきなり学生から話を聞きたい、なんて言われて迷惑ではないかと躊躇される方もいるでしょう。

でも、それを心配する必要はあまりありません。

おそらく、多くの社会人は普段話さない若い学生と話すのは歓迎だと思いますし、自分の経験が求められるというのも嬉しいものです。

もちろん、中には多忙であったりそういうことが苦手で取り合ってもらえない時もあるでしょうが、それなりの確率で話を聞かせてもらえることと思います。

 

最初は慣れないこともあるでしょうが、時間を割いてもらっていることの感謝と、その方が仕事を頑張っていることに対しての敬意を忘れずにいれば、気持ちよく話を聞かせてもらえると思います(ただし、自分で調べれば簡単にわかるようなことを質問するのは不可)。

 

 

5.面接は芝居ではなくミーティングである

大学生の時、就職活動の面接は芝居だと思っていました。

面接という芝居をうまくこなすため、志望動機や自己アピールは暗記して、すらすらと答えなくてはいけない。

面接者から聞かれた質問についてはすぐに返事しなければならない。

最後の質問もとりあえず言っておかなければいけない。

 

実際、自分の周りもそんな感じでしたし、採用側も多くの候補者を短期間に評価しなければならないため、一定の枠にはめられた形が効率的なのでしょう。

 

それはそれで受け入れる必要があるのですが、本来あるべき面接とはそのような形でしょうか。

面接とは本質的には会社が候補者の労働力を購入するという商談であり、そのためのミーティングです。

商談をするときには決して暗記には頼らず、お互いに資料を見ながら話しますし、場合によっては相手には出さない手持ち資料も使います。

また社会人がミーティングをするにあたって筆記用具を持たないことはありえず、メモをする、メモを見るというのは自然な行為です。

 

したがって、面接中にメモをみながら話したり、質問した時には回答をメモするというのは許容範囲ですし、むしろ社会人としての行動原則に則っていて評価の対象になるのではと思います。

 

社会人になった後の転職活動ではそのような考え方から、面接時には手持ち資料を見ながら回答・質問したり、こちらからの質問の回答をメモしたりしていますが、特段悪い評価をもらったことはないですし、むしろ好評価をもらったこともあります。

 

もちろん、新卒採用と社会人が転職するときの面接では状況が違いますし、自分のやり方を押し通して採用側の差しさわりになること(面接の時間が延びてしまうなど)は避けなければいけませんが、そのようなことがないのであれば、社会人としての行動原則に則った面接の仕方を試してみてもいいと思います。

緊張しやすく、頭が真っ白になりがちの人にとっては、特に有効かもしれません。

 

 

以上、就職活動中の自分(と就職活動中の方)に向けたアドバイスを書いてみました。

賛否両論あるかもしれませんし、もっと有意義なアドバイスもたくさんあることでしょう。

ただ、過去の自分はこういったことも十分にできていなかったし、自分のように就職活動がうまくいかない人はこういったところを気をつければ、少しでも状況がよくなっていくかも、ということで自分の思うところを書いてみました。

参考になるかはわかりませんが、少しでもお役に立てれば幸いです。

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この時期になると、社内外でリクルートスーツに身を包んだ学生さんをよく見かけ、その都度自分の就職活動時代を思い出します。

また、新年度が近いので、自分が社会人になりたての頃のことも頭に浮かびます。

 

そして、昔のことを考えると、最初に出てくるのが失敗したこと。

大きな失敗、小さな失敗、それぞれたくさん重ねたことも今では良い思い出です。

 

でも、できるならそのような失敗はしない方がいいのは当然のこと。

このブログは「就職活動日記」と称して就職活動にまつわる事柄をつづるものでした。

そこで、今回は「今の自分から就職活動時・社会人になりたての頃の自分に送るアドバイス」という内容で、何かしら就職活動や社会人1年目を頑張っている方にお役に立つことをお伝えできればと思います。

自分は就職活動も社会人1年目も全然うまくいかなかった人間ですので、人様にアドバイスをするなんておこがましいことは言えません。

あくまで過去の自分に対するアドバイスとしていることをご承知おきください。

そして、自分の意見が正しいとも思いませんので、気楽に読んでいただき、なるほどと思ったところだけ役立ててもらえればと思います。

 

では、過去の自分へアドバイスを送ってみたいと思います。

 

【生活について】

1.ネクタイは洗えない

就職活動や社会人になってネクタイをする頻度が上がると、ついついネクタイを洗いたくなることがあると思います。

そう思わずとも、間違ってネクタイを洗濯機に入れてしまうこともあるでしょう。

しかし、ネクタイを洗濯機に入れてしまったが最後、もしゃもしゃ(?)になって二度と使えません。

お気に入りのネクタイがあれば、それはクリーニングに出しましょう。

※洗濯機で洗う方法もあるようですが、難しいようですので気を付けた方がよいと思います。

 

2.ワイシャツは形状記憶が便利

スーツを着る仕事をすると、原則として毎日ワイシャツを着ることになります。

ワイシャツを着るのであれば、しわがあっては身だしなみとしてはアウト。

そのため、アイロンを毎日かける必要がありますが、アイロンをかける時間と手間は案外負担になります。

形状記憶のワイシャツを着ると、その手間が省けて大変便利です。

私は形状記憶のワイシャツを着ない場合はスリーピース(ベスト)を着てワイシャツのしわを隠しています(笑い)。

 

3.スーツの靴下は黒系

就職活動をしていると黒のスーツを着ていると思いますが、黒のスーツには黒の靴下が基本です。

グレーやブラウンなどは許容範囲だと思いますが、白やピンクは就職活動中の人や若手にはハードルが高い気がします。

おしゃれですし、個人的にはいいと思うのですが、就職活動や社会人になりたての頃は黒やグレーが無難かと思います。

 

4.足元は見られている

よく言われることですが、足元というのは案外よく見られているものです。

自分も電車に乗っているときについ人の足元を見たりします。

高い靴を履く必要はないですが、服装・体形にあった靴を履き、靴の手入れをしっかりすることは大事です。

時間や手間をかけなくてもいいので、靴墨などを使ってきれいにしておくと安心です。

 

5.お酒は飲みすぎない

社会人とお酒はある意味切っても切り離せないものかもしれません。

ストレス解消、友達付き合い、会社の飲み会などなど、お酒の出番は多いです。

しかし、そこで飲みすぎて人に迷惑をかけるのは言語道断ですし、二日酔いになって会社に行けなかったり、満足に仕事ができないというのも社会人失格の誹りを免れません。

自分に合ったペースや酒量を把握し、適度に飲むとともに、ときどきお水やお茶を飲みながらお酒を楽しむといいと思います。

 

6.野菜を摂る

忙しかったり、財布が苦しくなると食費の中で削られやすい野菜。

特に最近は野菜が高くなっているのでそういう人も多いのではないかと思います。

しかし、野菜には健康を維持するための栄養素が豊富で、それを削るといずれは健康に悪影響が出ます。若いうちは健康を気にしなくても健康診断では問題がないかもしれませんが、徐々に健康状態の悪化は健康診断にも表れてきます。

そして、一度失った健康は、回復するのに時間がかかったり、場合によっては元に戻らなかったりします。

健康はお金で買うことは難しく、そして我々の生活に非常に大きな影響があります。

だからこそ、できるだけ健康を意識した食生活を維持することが重要です。

 

7.習慣を作る

仕事を始めると学生時代とは変わって忙しくなり、生活がズボラになりがちです。

しかし、日々を充実したものにするためには、できるかぎり生活のリズムを整えたいところ。

そこでおすすめなのは、何か習慣を作ること。

習慣を作れば、それをしなければいけないというある種の強迫観念が生まれ、自ずと生活のリズムが整えられます。

時間まで固定すると、否が応にも生活のリズムは一定のものになります。

例えば、毎朝6時に走るというのが習慣になると、前日寝るのが遅くても、朝は6時に走るように体が自然と調整され、その日のリズムがリセットされます。

運動でも勉強でも、食事など生活の一部でも何でもいいのですが、できるだけスキップすると自己嫌悪してしまうようなものがおすすめです。そうするとスキップしないようになるので。

もちろん、自己啓発や運動など、自分のレベルアップにつながることとリンクさせると効果は大きいと思います。

 

 

以上、就職活動時及び社会人1年目のときの自分に送りたいアドバイス(生活編)でした。

続編もお楽しみにー。

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歴史上の人物にはいろんな個性やドラマがありますが、中でもどんなに苦戦しても頑強に抵抗するという話には心を強く惹かれます。

 

そのような話の中で、最近関心を持っているのが、享徳の乱です。

享徳の乱はその歴史上の重要性の割に取り上げられることが多くないのですが、その登場人物たちの物語や個性に関心を持ち、標記の書籍を読みました。

 

足利尊氏が室町幕府を打ち立てた際に、彼は将軍は京都で政務をとり、将軍一門の別の有力者を鎌倉において、関東(及び東北)の統治に当たらせる方針を採りました。

関東統治のトップは鎌倉公方(または関東公方)と呼ばれ(公方は将軍の意)、初代鎌倉公方には足利尊氏の子息・基氏が就任しました(初代は尊氏の長男・義詮とも)。

 

鎌倉公方は中央と離れて独立した存在として動こうとする傾向があり、鎌倉公方の補佐役として中央政権から任命されている関東管領と対立する傾向がありました。

その結果、基氏のひ孫にあたる持氏は(前)関東管領に反乱を起こされ(上杉禅秀の乱)、それは鎮圧したものの、新たな関東管領である上杉憲実とも対立し、最終的には中央政権への反抗とみなされ、戦闘になった結果、持氏は中央政権及び関東管領に敗れ、自害することになります(永享の乱)。

 

持氏は敗れましたが、持氏に恩顧を感じていたり、強い利害関係を持っていた者は少なくなく、彼らは持氏の遺児である春王・安王を擁して幕府に抵抗します。

その中心にいたのが結城氏朝であり、彼らは結城城に籠城しますが、ついには落城し、結城氏朝や持氏の遺児らは落命します(結城合戦)。

 

結城城址。跡地には結城合戦(タイムカプセル?)記念碑もあります。

 

 

親持氏の勢力が一掃されたところで、幕府と関東管領が関東を統治するか、となるかといえば、そうはいきませんでした。

というのも、持氏征伐を主導した将軍・足利義教が重臣・赤松満祐に暗殺され(嘉吉の乱)、幕府が関東統治に関与する余裕がなくなってしまったからです。

 

関東管領自体は関東の統治者としての権威を有していないため、新たな鎌倉公方を求める必要があり、持氏の子・足利成氏が鎌倉公方に就任しました。

そして彼は享徳の乱の主人公となり、新たな関東の動乱を起こすことになります。

 

成氏が鎌倉公方になったとき、永享の乱のときの関東管領・上杉憲実は引退し、彼の長男の憲忠が関東管領に就任しました。

成氏から見ると、父の仇の息子。内心いい感じはしなかったことでしょう。

 

そして、やはり成氏と憲忠は対立することになり、成氏は上杉方の攻撃を受けますが、何とか退け、逆に憲忠を弑殺します。

時に享徳3年(1454年)、公方方と管領方の対立は決定的となり、享徳の乱が始まることになります。

 

ちなみに、上杉憲忠の父・憲実は主君・足利持氏のために懸命に尽くし、持氏の敗北が確定したのちも助命嘆願を行っていますが、その甲斐なく持氏を討つことになったことを悔やみ、自分の子供が自分の跡を継いで関東管領になるとろくなことがないとして、厳しく禁じていました。そのため、憲忠が関東管領になった際には義絶したものとみられています。

そして、成氏の憲忠殺害は、まさに憲実の懸念が現実化したものといえます。

 

 

憲忠を討ち果たした後、成氏は上杉家の勢力を討伐するため、自ら出陣して北関東に赴き、また味方の勢力に多くの指示を出しています。

 

そうした中、当初は公方方が優勢に戦いを進めていましたが、中央政権が上杉方につき、成氏討伐の姿勢を見せ、新たな鎌倉公方(将軍・足利義政の兄・政知)の派遣を決めると、公方方の大名たちに動揺が走り、上杉方につく勢力も現れてきます。

成氏は、父親の持氏と同じ轍を踏まないよう、あくまで鎌倉公方と関東管領の争いの枠内で処理し、中央政権に反抗する意思はない旨を中央に訴えていたのですが、彼の思惑通りにはいかず、中央政権を敵に回した形となってしまいました。

 

当時の上杉方は、関東管領の上杉房顕(山内家、憲忠の弟)をはじめ、越後守護・上杉房定(越後守護家)、相模守護・上杉持朝(扇谷家)が中心となって、武蔵の五十子(いかっこ)に陣を築き、室町幕府の支援を得て戦っています。

上杉方支援の一環として、幕府は駿河守護の今川氏に鎌倉攻撃を命じており、成氏が不在の間に鎌倉は失陥します。

本拠地を失った成氏は、関東の中心で交通の要所でもある古河に本拠地を移動。これより後、古河公方と呼ばれるようになります。

 

古河城跡。成氏のほか、江戸時代にも譜代大名の統治の拠点となりました。

 

 

その後、公方方と上杉方は一進一退の攻防を繰り返し、一時は成氏の本拠地・古河城も陥落しますが、成氏はすぐに取り返すなど、決定的な打撃を与えるには至りませんでした。

この時点で享徳の乱勃発から17年が経過。関係者の世代交代が進んでいたこともあり、徒労感・倦怠感も大きかったかもしれません。

 

そして、その世代交代が享徳の乱に転換期をもたらします。

 

成氏が古河城を回復した翌年(文明5年=享徳22年*、1473年)、山内上杉家の家宰職としてまとめ役を務めていた長尾景信が病死、家宰職はその弟の忠景が継ぎます。

これに反発したのが景信の嫡男・長尾景春です。

*成氏は中央政権と対立していたため、中央で元号が変更された後も享徳年号を使い続けています。

 

通常は景信の嫡子が跡を継ぐのが一般的であることに加え、忠景は同じ長尾氏ではありますが、景信・景春の白井長尾氏から別の家(惣社長尾氏)に養子に出ていることもあり、家系に絡む利害関係も反発の背景にありました。

 

景春は謀反することに決め、親戚筋に当たる、扇谷上杉氏の家宰・太田道灌に謀反を呼びかけますが、道灌はそれに応じず、上杉房顕の跡を継いで関東管領となっていた上杉顕定に景春謀反を報告しますが、顕定はそれを無視しました。

 

その後、景春は五十子の陣を襲い、上杉勢は五十子からの撤退を余儀なくされます。

当然、足利成氏もこの動きを見逃さず景春と示し合わせて攻勢に出ます。

その結果、これまで上杉方として安定していた南関東に景春=公方方の勢力が出現し、情勢が不安定化していき、上杉方を窮地に追い込みます。

 

その状況の中、江戸を本拠としていた太田道灌は奮戦し、南関東はもちろん、北関東、房総にまで転戦し、上杉方の勢力挽回に貢献します。

一方、成氏も上杉勢を北関東に追い込み、双方に和睦の機運が高まります。

 

成氏は享徳の乱を通じて、幕府との融和を目指していましたが、越後守護・上杉房定(関東管領・上杉顕定の父)・結城氏広・長尾景春のルートを通じて幕府に放免を依願し、ついに幕府と関東公方の和睦(都鄙和睦・都鄙合体)が成立し、ここに享徳の乱は終結します。

文明14年(1482年)、享徳の乱発生から約30年。足利成氏は逆賊の汚名を背負い、多くの人の表裏を見ながらも、ついに長い闘争を戦い抜きました。

 

一方、上杉方の柱石として奮戦を続けた太田道灌はその勢力拡大を恐れた主君・(扇谷)上杉定正に誅殺されます。

太田道灌誅殺を契機に山内上杉家と扇谷上杉家の間で戦争状態となり(長享の乱)、長尾景春の抵抗もあり、両上杉家はその国力を落としていきます。

 

このような15世紀後半の動きは関東公方や関東管領家などの旧来の勢力は力を失い、新興勢力である伊勢氏(後北条氏)の勢力拡大を招くことになります。

享徳の乱の中で勢力を拡大した太田道灌は誅殺され、山内上杉家の重臣であった長尾景春も長く奮闘しましたが、最後は没落していきました。

 

本書は「敗者の日本史」というシリーズのもので、著者も書いているとおり、すべての関係者が「敗者」となった戦いであるといえます。

後の時代から見れば、後北条氏の時代の呼び水となった出来事ともいえます。

 

しかしながら、自分の信念のため、意地のため、そして自分の利益のために戦い抜いた足利成氏や上杉氏、太田道灌や長尾景春たちの戦いの物語は、誇り高きものとして語り継がれるべきものであると思います。

 

享徳の乱や長尾景春の乱は知名度こそ高くはないですが、そういう出来事の中に多くのドラマが盛り込まれている、というのも歴史の面白いところではないかと思います。

 

 

ちなみに、古河公方や古河藩の歴史を巡るため、古河を訪れてみたら、非常に落ち着いた感じで住みやすそうでした。

公園やゴルフ場に恵まれているのも素敵です。

住んでみたいと思いつつも、東京まで1時間強という通勤時間が難問ですが。。。

(JRだとグリーン車に乗れたら快適なのかもしれませんが、高い上に座れると限らないのが難しいところです)

 

古河城の近辺。落ち着いていていい感じでした。

 

 

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歴史や観光と楽しむ切り口は人によって様々ですが、その中でも多くの人が惹かれるポイントの一つに「」があります。

 

そして、城の味わい方についても、その城の歴史、構造などの見栄え、周囲の景色とのマッチングなど、それぞれの人のこだわりがあることでしょうが、そのうちの一つに、その城にまつわる物語、ということが挙げられると思います。

 

そして、城にまつわる物語の中でも特に人の関心を引くのは、その城を巡る攻防戦ではないでしょうか。

 

現在大規模な天守閣が残っている、あるいは再建されている城の多くは、戦国時代以降に建設されたもので、城の役割が防衛から政治の中心、あるいは権威の象徴に移り変わっていく時期であったこともあり、本格的な攻防戦・籠城戦を経験していないものが多いように思います。

 

例えば世界遺産として名高い姫路城は現在の姿になってからは攻防戦の事例はないと思われますし、やはり名城として名高い名古屋城や彦根城もおそらく同じです。

天守はありませんが、江戸城や青葉城(仙台城)もやはり戦争の舞台とはなっていません。

 

個人的な認識ですが、現在観光名所として有名な城のうち、本格的な攻防戦を経験したものは、会津若松城や大坂城、熊本城、松本城など、案外少ないのではないかと思います。

もちろん、小田原城や上田城など、他にも多くあることはあるのですが、例えば国宝に指定されている城郭の中で戦争を経験した城の割合はかなり低いように思えます。

 

それは城の役割や歴史を考えれば当然のことで、戦国時代に大きな役割を果たした城も江戸時代になるとその役割を終え、廃城になるケースもありますし、また政治や権威の象徴として機能することを求められる城の方が、見栄えもいいでしょうし、時代も新しいことから保存状態もよく、人の目を引くのだと思います。

 

しかし、城の魅力である物語に目を向ければ、天守閣も残っていなければ、観光名所として有名ではない城が活き活きとしてきます。

 

そんな城の物語に焦点を当てて、城の魅力を描き出してくれる書籍を読みました。

城を攻める 城を守る」。城の物語でも最も華々しい籠城戦の物語を描き、その城の魅力を再発見させてくれます。

 

この書籍の素晴らしいところは、有名な戦いだけでなく、重要だけれどもあまり注目されなかった攻防戦についてピックアップしてくれている点です。

 

例えば、桶狭間の戦いといえば、織田信長が今川義元を打ち取った場面ばかりが注目されますが、その前哨戦としていくつかの攻城戦があり、その流れの中で桶狭間における野戦となっており、そのあたりが描かれているのは興味深いです。

 

また、豊臣秀吉による小田原征伐については、本城である小田原城の戦いではなく、支城である八王子城・鉢形城・韮山城・山中城の戦いに紙幅を割いているのが心憎いと感じました。

 

特に韮山城では寡兵ながら善戦していたり、山中城は北条家の築城技術の粋を尽くした堅城といわれながらあっさりと抜かれたり、と注目すべき点は多いにもかかわらず、この両城の戦いはあまり注目されていなかったように感じていましたので、これらの城の物語に触れることができたのはとても印象的でした。

(八王子城・韮山城についてはこちら、鉢形城についてはこちらもご覧いただければと思います)

 

ちなみに、最近山中城に行ってきましたので、景色を少しご紹介します。

 

 


北条家特有の技術である畝堀

 

 

戦国時代には城砦を含めると、日本中至るところに城があり、そして多くの攻防戦が繰り広げられました。

その多くが、現在は人の関心を集めることなく、ひっそりと佇んでいますが、少しでも多く、その地で必死に生き続けた人たちの物語を知りたいと思いますし、共有していけたらと願います。

 

 

ちなみに本書では戦国時代のほか、幕末や西南戦争における城の物語も取り上げられていますので、ご参考まで。

 

 

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史跡には一つ一つ物語がありますが、世界文化遺産ともなると、その物語のスケールや時代に及ぼした影響は格別です。

 

2015年に世界文化遺産に登録された伊豆の韮山反射炉も、やはり素晴らしい物語を持っています。

 


韮山反射炉

 

 

江戸時代も後期になると、鎖国政策を採っていた日本の周囲には多くの外国船が現れるようになり、幕府も外国の存在を意識せざるを得なくなってきていました(1825年には外国船打払令を出しています)。

そして、隣国ともいえるアジアの大国・清が列強に圧迫される中、独立を維持するためにも海防を強化するのは喫緊の課題でした。

 

海防政策の要の一つが海岸における砲台の整備です。

砲台を整備するには、その用地を確保し、多くの大砲を設置する必要があります。

そして、高性能の大砲を作るためには、高品質の鉄を加工することが前提です。

高品質の鉄を鋳造するためには、高温の熱で原材料を溶かさなければいけないのですが、その高温を出すために作られたのが反射炉です。

 

幕末にはいくつかの反射炉が各地で作られましたが、その中で現存しているのは韮山反射炉と萩反射炉だけとなっています。

 

その韮山反射炉の造営を企画・発案したのが、韮山代官の江川英龍(坦庵)です。

 

先日伊豆韮山に温泉旅行に行ったら、思いもかけず韮山反射炉に出会い、そのストーリーに感銘を受け、その企画者である江川英龍にも関心を持ったことから、書籍を読んで彼の人生を覗いてみることにしました。

 

江川家は鎌倉時代から続く由緒ある家柄で、戦国時代には北条家に仕え、その後関東に入国した徳川家に引き続き韮山の地で仕えることになりました。

 

江川家は酒造でも有名で、戦国時代においては「江川酒」が大名間の贈答に使われていた記録が残っています。

 

江川家は代々学問・芸術に造詣があったようで、学者・文人との交流の記録も多く残っており、英龍においても多くの学者・文人、あるいは剣術家に教育を受けている記録があります。

教育というものがいかに人格形成に影響を与えるか、さらにはそのような環境にいることがいかに恵まれているかということを考えさせられます(あるいは、そのような環境を子どもに提供することが親にとって大事な役割といえるかもしれません)。

 

英龍の交流は蘭学者にも及んでおり、例えば渡辺崋山などとも交流があったそうで、そのようなこともあり海外の技術や海防政策に関心を持ったものと思われます。

 

また、砲術は当時の一人者・高島秋帆に学び、免許を受けています。

ちなみに、後日秋帆が政争に巻き込まれた際には、英龍は自分が責任をもって蟄居させるからと自分が面倒を見ることを幕府に申し入れていたそうで、最終的に秋帆は韮山代官の手代(補佐役)に任命されたそうです。

高島秋帆の砲術技術向上に果たした役割は大きく、その名は彼が日本で初めて西洋砲術の公開演習を行った地にも残っています。東京都板橋区の高島平がその地です。

 

英龍は絵画にも才能を発揮し、多くの写生を残しています。

どれも写実性に富み、細かいところまで精緻に描かれています。

このような観察眼もまた彼の政策提言や反射炉造営に役立っていたのでしょう。

観察眼といえば、彼は代官支配地をよく見まわっており、領民からも慕われていて「世直し江川大明神」と呼ばれていたとか(その言葉が記載されている幟が現存しています)。

 

このほか、家族との絆や後継者の育成にも見るべきものが多かったそうです。

幕末の軍学者・佐久間象山も英龍の下で学んでいました。

 

彼が海防政策の要として企画した韮山反射炉は彼の死後完成し、いくつかの大砲の製造に成功しています。

 

 

彼の時代と比べて、現在は格段に情報の量は多いし、情報収集も容易になっていますが、それでもアクティブかつ効率的に情報を得ようとしなければ、やはり頭の中には入ってこないものです。

彼ほどの、とはいかずとも自分も情報収集や刺激をくれるような人との交流を通じて、少しでも面白く、価値を創造できるような人間になりたいものです。

 

 


二つの世界遺産・富士山と韮山反射炉を一望

 

 

 

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「後北条氏(小田原北条氏)は他の戦国大名に比べて地味だからなかなか話題にならない」という話をよく聞きますが、それはなぜなのか、ということをいつも疑問に感じています。

 

地方の小勢力が既存の名門勢力(今風に言うとエスタブリッシュメント、ということでしょうか)と戦いを繰り返しながらのし上がっていき、最後は時代の波に飲み込まれて一気に滅亡してしまう、という後北条氏の歴史はむしろドラマチックだし、変化の激しい現在だからこそ受け入れられやすいのではないかと思います。

実際には後北条氏の祖・北条早雲(伊勢盛時)は室町幕府の名門・伊勢氏出身であるといわれていますが、それでも関東にあっては余所者ですし、関東には堀越公方・古河公方・関東管領上杉氏などのエスタブリッシュメントがひしめいていました。

そして北条氏はそれらの勢力と抗争を繰り返し、最終的には関東に覇を唱えます。

最近は田中角栄ブームみたいですが、それなら同じような歴史を持つ後北条氏ももっと注目されてもいいのかな、と密かに思っています。

 

それはさておき、最近昭和史に関する本を読んでいたら、ふと後北条氏と大日本帝国の歴史には共通点が多いのでは、なんてことを考えました。

 

例えば、

・後北条氏も大日本帝国も地方の小勢力から一大勢力を築いた。

・両者とも、自勢力をはるかに上回る巨大勢力との戦争は望んでいなかったが、最終的には交渉がうまくまとまらず、紛争状態になってしまった(北条氏政も豊臣氏に従属の意思を表明していますし、昭和天皇も戦争は望んでいなかったとされています)。

・その交渉の過程で、自勢力内の意思統一ができずまとまりがなかった。

・紛争状態に入るきっかけをうまくかわせなかった(豊臣政権からの最後通牒にせよ、ハル・ノートにせよ、うまくかわす方法はあったそうです)。

・既存の同盟勢力との戦争状態になっていた(徳川氏は小田原征伐の直前まで北条氏と同盟しており、英国も第二次世界大戦の少し前までは日英同盟を締結していた)。

・頼りにしていた同盟者が自分より早く戦線離脱し、一手に戦争を引き受けることになった。

・負け戦が多かったが、局地戦では意地を見せたケースもあり(硫黄島の戦い、忍城の戦い、韮山城の戦い、など)。

・第二次世界大戦時のABCD包囲網を北条氏に当てはめるなら、アメリカ:豊臣家、イギリス:徳川家、中国:上杉家、オランダ:佐竹家みたいな?

※豊臣政権の前身である織田政権と北条家はもともと友好関係にあった。徳川家とは小田原征伐の直前まで同盟関係。上杉家とは越相同盟時を除けば仇敵の関係。佐竹家と北条家も長年の敵対関係で、佐竹家は北条家と伊達家という敵対勢力に挟まれ窮地にあった。

・終戦を決断した時には、すでに無条件降伏するしかない状況になっていた(本拠地小田原城の包囲、原爆投下)。

・一度の敗戦で、建国以来の成果物をほぼすべて失った。

・敗者側の責任者は勝者によって裁かれた(北条氏政・氏照は秀吉の命により切腹、主要戦犯は東京裁判で死刑判決)。

 

これらの内容は滅亡に向かうものに共通のものもあるので、後北条氏や大日本帝国固有のものばかりでもないでしょうが、それでもこれほど共通点があるのは意外でした。

これを見ると、北条氏の歴史も見せ方によっては人々の関心を引き立てられるのではないかと思ったりします。

 

とりあえず、せっかく思いついたので、妄想も交じってますが書き綴ってみました。

 

 

せっかく後北条氏推しをしたので、ついでに最近訪れた後北条氏ゆかりの場所の写真を載せておきます。

これで少しでも多くの人に北条氏に関心を持ってもらえれば嬉しいです(笑)

 

八王子城

八王子城は北条氏康の三男・北条氏照の居城で、北条氏の武蔵支配と西の守備の拠点となりました。

豊臣秀吉の攻撃を受けたときは、氏照は小田原城に籠城し、城は家臣たちが守っていましたが、奮戦むなしく落城。

落城の際には凄惨な光景が繰り広げられたようで、悲話も残っています。

 

城主の活動・生活の場である御主殿入口。

 

 

落城時に家臣や女性たちが身を投げたと伝わる御主殿の滝。

ホラースポットとしても有名です。

 

外部と御主殿をつなぐ曳橋。

 

 

韮山城

韮山城は北条氏康の五男・北条氏規の居城で、豊臣秀吉による小田原征伐時には最前線の城として激戦を繰り広げ、城主・氏規の指揮の下、寡兵ながら数か月の籠城に耐えた堅城です。

坂の厳しさ・道の狭さからも攻めにくさが伺えます。

 

坂道は長く、急で、道も細く、登るのが大変でした。

 

 

険しい道のりを越えて本丸に上ると、見事な眺望でした。

 

 

ついでに、韮山城近くにある世界遺産・韮山反射炉にも行ってきたので、こちらも。

 

韮山反射炉と富士山という二つの世界遺産が並んでいます。

 

 

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仕事をしたり、議論をしたりするときに、相手から強い抵抗や非難を受けたりすると、ついつい自分の意見を引っ込めてその場がうまくいくようにしてしまいがちで、その結果自己嫌悪に陥ることがままあります。

 

もちろん、何かを進めるときには妥協が必要なときもあるでしょうが、毎度腰砕けになっていては自分の役割も果たせませんし、自分の向かうべき場所に進むこともできません。

だから、必要な時に自分の主張を通すべく強い気持ちをもって粘ることは大事なことだと常々思います。

 

自分の主張を通すための強い意志は、すべての改革者に共通するものです。

中国史上、最大の改革者の一人である宋(北宋)の宰相・王安石の姿勢にもまさにその強さが垣間見えます。

偶然図書館で王安石の書籍を見かけて手に取ってみると、王安石の政策のみならず、それを推進せしめた彼の性格についても考えさせられるものがありました。

 

 

唐王朝滅亡後の五代十国時代を制した宋ですが、建国当初から異民族の侵攻に悩まされ、その異民族対策のための国防費の増加や官僚機構の拡大による経費の膨張で、建国から100年の間に深刻な財政危機に陥っていました。

もちろん、その間改革は試みられ経済的に発展したものの、財政難を克服するまでには至りませんでした。

王安石はそのような状況下、当時の皇帝・神宗の期待を受けて登板します。

宰相になったのは50歳の時。それまではどちらかというと地方においてキャリアを積んでおり、中央での活躍が比較的目立たなかった中での抜擢でした。

 

王安石が展開した政策は総称して新法といわれます。

新法において王安石が目指したものは富国強兵、すなわち国家自体を豊かにし、同時に軍事力も向上させ、異民族に対する弱腰の態度を改めるということでした。

文治国家であった宋は異民族から攻勢を受けており、お金で解決していましたが、緊張関係がある以上軍備も整えておく必要があり、実効的かつ効率的な軍事力の整備が喫緊の課題でした。

自分の中では政治改革というとまず経済政策というイメージがあり、特に宋王朝では強兵政策というイメージがなかったので、改めて新法を俯瞰すると王安石のスケールの大きさを感じさせられます。

 

新法で彼が展開した政策は多数ありますが、その中でも有名かつ議論の的になったのは青苗法募役法です。

青苗法は有事の際の民衆の救済のために政府が備蓄していた穀物を有利子で農民に貸与するものです。

政府が備蓄していた穀物はしばしば流用されたり、管理がずさんで傷んで使い物にならなくなったりして、備蓄制度が機能しなくなっていました。

そこで、備蓄している穀物を有利子で貸与し、期日に穀物を返済させることで、常に新しい穀物を備蓄し、国庫にも寄与させるというのが青苗法の趣旨です。

 

募役法は、従来政府の事業のために民衆に労役を課していましたが、その労役に対し賃金を支払うとともに、労役を免除されていた層に課金することでその賃金に充当するというものです。

 

彼の革新的な政策に反対する人も多くいました。

そのような反対派は旧法派といわれます。その代表として知られるのが、資治通鑑の著者である司馬光です。

 

旧法派と新法派は価値観の違いや既得権益の保護などを巡って激しい対立を繰り広げます。

もともと宋の文化として議論を大事にするということがあり、それが行き過ぎで議論のための議論があったようで、そういうことを嫌った王安石は反対者に対し左遷で応じます。

もちろん、何でも一方的に左遷させたわけではなく、妥協も図って政策に修正もかけていますが、最終的には新法を通すために突き進んでいます。

 

結果的には新法派は旧法派に敗れ、王安石の政策はことごとく廃止されてしまいます。

そして、この新法と旧法の対立が宋の寿命を縮めたといわれています。

この辺りは二大政党制の課題として、現代にも共通するところかもしれません。

 

 

新法の是非については専門家の評価に任せるとしても、理想に突き進む王安石の強い意志は、一社会人として見習うべきところが多いと思います。

 

2017年の仕事を始めるにあたり、王安石の姿勢に学ぶ、ということを一つの目標にして頑張っていきたいところです。

 

 

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今年も夏真っ盛り。毎日通勤で汗びっしょりでサラリーマン的には(?)少々辛いです。
でも、そんな夏ですが、毎年たくさんのものをくれるので無下にもできません。
特に今年は甲子園に加え、リオデジャネイロオリンピックもあるので、より暑い夏になりそうです。

オリンピックの時は、テレビをつけたときに放送されている種目を見ていることが多いです。詳しくない種目だと(ほとんどの競技についてあまり知識がないのですが)、イメージと違った側面を発見することが多くて面白いです。

今大会でもいくつかの種目を見ましたが、特に印象に残ったのが女子48kg級ウェイトリフティング。
自分より小柄な選手が体重の2倍以上あるバーベルを持ち上げている姿自体が崇高です。

個人的なイメージではウェイトリフティングは筋力勝負の種目という感じでしたが、実際には選手間で多くの駆け引きがあります。
他の選手がどのくらいの重さを持ち上げるのか、限られた試技の回数の中で他の選手を出し抜くためにどの重さを選択するか、など多くの駆け引きの要素がありました。
もちろん、自分の持ち上げられる重さには限界がありますし、試技の際に心身の状態を最高にしなければならず、そのためには休憩の時間も大事で、そのあたりも持ち上げる重さを選択する要素になっているようです。

この種目では、ロンドンオリンピック銀メダリストの三宅宏美選手が、腰を痛めて痛み止めを打ちながらも奮闘し、見事銅メダルを獲得しました。

ウェイトリフティングは「スナッチ(バーベルを一気に頭上に持ち上げる)」と「クリーン&ジャーク(バーベルを一度肩まで持ち上げてから頭上に持ち上げる)」があり、各3回の試技ができるのですが、三宅選手はスナッチ3度目で成功し、しかも床に崩れ落ちそうなところをぎりぎり踏ん張っての成功で、本人もコメントされているとおり、奇跡とも思えるような成功でした。
その後、クリーン&ジャークでも好成績を残し、見事銅メダル。見てて本当にすごいと思いました。

その一方、もう一人印象に残ったのが金メダルを獲得したタイのソピタ・タナサン選手。
もちろん金メダルという成績も素晴らしいのですが、それ以上に印象に残ったのは彼女の「笑顔」。

多くの選手は試技に成功したあと、どちらかというと安堵の表情を浮かべていました(もちろん順位がかかっているときなどは皆さん笑顔でしたが)。
プレッシャーもあるし、そうでなくても力を入れて踏ん張っているわけですから、「ふーっ」という感じになるのが自然だと思います。

そんな中、タナサン選手は成功した後、安堵の表情というよりいつもニコッと笑顔でプラットフォームを離れていました。
その笑顔を見ながら、笑顔って素敵だなー、なんて競技とは別のことを考えていました(笑)

彼女の国、タイは「微笑みの国」とも呼ばれる、笑顔あふれる国民性で知られています。
タイ人の友人は非常に性格がいいし、タイに行った時も多くの人が笑顔でいたのは印象に残っていますが、タナサン選手の笑顔も、まさに「微笑みの国」の代表らしい、といえるのかもしれません。

「笑う門には福来る」といいますが、笑顔は本当に人を惹きつけると改めて感じました。

※あくまで個人的な印象ですし、また試技後の表情に優劣があるとは思っていませんので、念のため。そして、もちろん競技後の三宅選手の笑顔も素敵でした。


一方、涙で人を惹きつけるのが甲子園といえるかもしれません。
勝者の歓喜も素晴らしいですが、同じく練習に打ち込み、一球一打にかけてきた敗者の涙にも心打つものがあります。
だからこそ、プロ野球とは違った魅力があり、多くのファンが時として出身地に関係なく高校球児を応援するのだと思います。

ちなみにこの記事を書きながら、盛岡大付対九州国際大付の試合を見ていましたが、お互いに追いつき追い越し、また追いつきのシーソーゲームで、最後まで試合の行方が分からない素晴らしい試合でした。
毎度のことですが最後まであきらめない球児たちの姿勢にも感動します。


と、いろんな面でスポーツから心に栄養をもらった一日になりました。
スポーツにそこまで関心を持っているわけではない自分でもこんな気持になれるので、オリンピックが平和の祭典として、これから(も)世界中の人の気持ちをつなげてくれることを期待したいと思います。

また、自分もできるだけ笑顔を多くして、周りの人の気持ちを和やかにできたらと思います。
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最近は世間的に、というだけではなく、自分の周りにも起業したりフリーランスとして活躍する人が増えてきて、会社勤めの身としてはそういうことに憧れつつも、自分がどうしたいか、どうすべきか、ということをよく考えますが、そんなときに、起業家として活躍している知人がオフィスを移転したと聞いたので、見学がてらお話を伺うことにしました。

今回お話を伺ったのは、株式会社ランドスキップの下村社長。
最近はメディアへの露出も増え、注目されているベンチャー経営者です。

Landskip


ランドスキップのサービスは、オフィスや自宅などに居ながらにして世界の風景を連れてくる、その風景の中に入ることができるようにするというもの。
ゆらぎのある自然の景色によってユーザーに癒しを届けることを目指しているとのこと。

スペースのレイアウトなども影響するでしょうが、例えば壁に貼り付けたモニターやスクリーンに森や海、砂漠や湖などの景色が映し出されると、本当にその中にいるような気分になりそうです。
実際某社のオフィスの様子を見せてもらいましたが、その景色があるだけで雰囲気が全然違いました。


下村さんとは起業前から面識があり、せめてネットワーキングくらいは協力できないかと思い、友人のベンチャーCFOと技術系出身コンサルを誘って飲みながらいろいろ話したことがあります。
今回もその面子でお邪魔することになりました。


オフィスは表参道駅から徒歩数分。オシャレですね。
ベンチャー企業が共同で使用していると思われるフロアの一角にランドスキップはありました。

少し職場を見せていただいた後、応接間に。
IT系ながら(というのも語弊がありますが)自然を大事にするランドスキップの応接間はなんと和室!!これはインパクトがあります。
現在は普通の和室ですが、今後モニターを壁に設置して、ここにも自然の風景を持ってくるようです。その時にはまたお邪魔したいものです。

和室

その応接間では、ビジネス関係の話を1時間半ほどしていました。
やっぱりベンチャー経験者や技術バックグラウンドのあるコンサルがベンチャー経営者と話すと、深くて示唆のある話が多く出ました。

以下、4人で話し合った内容です(特定の個人の意見ではありません)。

【起業に至る経緯、働き方について】
下村さんは文系出身でプログラミングの知識もほとんどなかったが、専門のプログラムを6か月で終え、必要なプログラミングのスキルを習得。
 仕事をしながらだったので非常にハードだったが乗り越えられた。
・オフィススペースは24時間空いているのでいつでも使えるし、いつでも働いている。
・現在は社員2名(下村さん含む)で、他の方はハーフコミット(ハーフコミットの人が動けるのは土日であることが多いため、土日のどちらかはオフィスにいる必要がある)。

【プロフェッショナルの働き方について】
・アウトプットさえ出してもらえれば、ハーフコミットでも支障はない。そのため、プロフェッショナルにフルコミットを求める必要もない(複数のプロジェクトを抱えるコンサルに近い感覚)。
プロフェッショナリズムのある人間を縛るのはナンセンスで、仕事の仕方は任せるべき。気分の乗らないときに仕事させるより、本人が働きやすいやり方を選んでくれればよい。
・副業についても禁止する意味はないのではないか。利益相反については、背任はもとより犯罪であるし、アウトプットベースでの評価ができるのであれば、会社としても不利益はないはず(もちろん、同業他社に副業で行くなど、ケースバイケースの判断は必要だが)。
・逆に副業によって新しい知見や経験を得ることでブレークスルーにつながることもあるのではないか。
・最近では、ローンディールなど、大企業からベンチャー企業に出向するという形で人材育成、スキルの共有を進めるという動きもある。
大企業でゼネラリストとして育成された人材となんでもやらなくてはいけないベンチャー企業は実は相性が良い。特に自分で手を動かす若い人は貴重な存在。
・経営に関する意思決定を実際に行うのもベンチャーでの貴重な経験。実際に「決める」仕事をする人は検討の深度が深い。

【リクルーティングについて】
ハーフコミットする仲間に支えられているビジネスモデルだが、そのような仲間を集めるのは明確なビジョン。
・採用面接の際には仕事の話をしても、良いことしか話さないのであまり効果はない。
・仕事の代わりにその人自体を知るための話をしている。好きなことや節目の決断など。
 人として興味を持てればそれでいい。仕事ができなくても全人格の否定にはつながらない。
 仕事ができないなら手助けしたりできる仕事を探してあげればいい。
ただ、何であれ好きなものに対して浅いことしか話せない人はダメ。

【ランドスキップのビジネスプランなどについて】
最近大手企業と取引するようになってからビジネスが軌道に乗ってきた。
・顧客としてはオフィスやマンション(共有フロアに)が増えてきている。
・Apple TVやスカパーにプロダクトを供給することで固定ユーザーを獲得でき、収益の安定につながっている。
・地方自治体からの撮影依頼も増えている(観光につながる)。
会社やビジネスの規模は大きければいいわけではなく、「Small & Premium」を目指したい。
ベンチャーキャピタルは規模の追求を志向するので、出資を仰ぐなら自分のビジョン・夢と照らし合わせる必要がある。
・会社を大きくしなくても、事業提携・アライアンスなどでビジネスを大きくすることはできる。
・地方とITは相性が良い。そのようなビジネスが地方であまり生まれないのは、プログラミングなどをきちんと教えてくれる人が少ないからではないか。


このように、ベンチャービジネスについて有意義な話をお聞きすることができました。
ベンチャー経営者とベンチャーCFO・コンサルという、良いシナジーが生まれたようで楽しい時間となりました。
また、同年代の人が活躍しているのを見ていると励みになります。

下村社長、ありがとうございました!


こうやってネットワーキングのお手伝いをしたり、ブログ記事を書いて情報発信をするのも楽しいので、これからもいろんな方とお話したり、面白い人と人をつなげていけたらと思います。

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