ソーシャルファイナンスを志し、オランダのRotterdam School of Management, Erasmus University (RSM)に留学。
みなさまのご協力のおかげで無事に卒業、就職することができました。

ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。



ブログでは日々の生活において感じたことや読んだ本のこと、さらにはCSR・ソーシャルファイナンスなどに関係した情報などを綴っていきます。


これからも「ゆーけーのお仕事日記」をどうぞよろしくお願いします。


ご感想やメッセージなどございましたら、thedelegateofuk @ msn.com までお願いします(@の前後の空欄は削除してください)。



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笑顔は人を惹きつける

2016-08-07 18:54:44 テーマ:ブログ
今年も夏真っ盛り。毎日通勤で汗びっしょりでサラリーマン的には(?)少々辛いです。
でも、そんな夏ですが、毎年たくさんのものをくれるので無下にもできません。
特に今年は甲子園に加え、リオデジャネイロオリンピックもあるので、より暑い夏になりそうです。

オリンピックの時は、テレビをつけたときに放送されている種目を見ていることが多いです。詳しくない種目だと(ほとんどの競技についてあまり知識がないのですが)、イメージと違った側面を発見することが多くて面白いです。

今大会でもいくつかの種目を見ましたが、特に印象に残ったのが女子48kg級ウェイトリフティング。
自分より小柄な選手が体重の2倍以上あるバーベルを持ち上げている姿自体が崇高です。

個人的なイメージではウェイトリフティングは筋力勝負の種目という感じでしたが、実際には選手間で多くの駆け引きがあります。
他の選手がどのくらいの重さを持ち上げるのか、限られた試技の回数の中で他の選手を出し抜くためにどの重さを選択するか、など多くの駆け引きの要素がありました。
もちろん、自分の持ち上げられる重さには限界がありますし、試技の際に心身の状態を最高にしなければならず、そのためには休憩の時間も大事で、そのあたりも持ち上げる重さを選択する要素になっているようです。

この種目では、ロンドンオリンピック銀メダリストの三宅宏美選手が、腰を痛めて痛み止めを打ちながらも奮闘し、見事銅メダルを獲得しました。

ウェイトリフティングは「スナッチ(バーベルを一気に頭上に持ち上げる)」と「クリーン&ジャーク(バーベルを一度肩まで持ち上げてから頭上に持ち上げる)」があり、各3回の試技ができるのですが、三宅選手はスナッチ3度目で成功し、しかも床に崩れ落ちそうなところをぎりぎり踏ん張っての成功で、本人もコメントされているとおり、奇跡とも思えるような成功でした。
その後、クリーン&ジャークでも好成績を残し、見事銅メダル。見てて本当にすごいと思いました。

その一方、もう一人印象に残ったのが金メダルを獲得したタイのソピタ・タナサン選手。
もちろん金メダルという成績も素晴らしいのですが、それ以上に印象に残ったのは彼女の「笑顔」。

多くの選手は試技に成功したあと、どちらかというと安堵の表情を浮かべていました(もちろん順位がかかっているときなどは皆さん笑顔でしたが)。
プレッシャーもあるし、そうでなくても力を入れて踏ん張っているわけですから、「ふーっ」という感じになるのが自然だと思います。

そんな中、タナサン選手は成功した後、安堵の表情というよりいつもニコッと笑顔でプラットフォームを離れていました。
その笑顔を見ながら、笑顔って素敵だなー、なんて競技とは別のことを考えていました(笑)

彼女の国、タイは「微笑みの国」とも呼ばれる、笑顔あふれる国民性で知られています。
タイ人の友人は非常に性格がいいし、タイに行った時も多くの人が笑顔でいたのは印象に残っていますが、タナサン選手の笑顔も、まさに「微笑みの国」の代表らしい、といえるのかもしれません。

「笑う門には福来る」といいますが、笑顔は本当に人を惹きつけると改めて感じました。

※あくまで個人的な印象ですし、また試技後の表情に優劣があるとは思っていませんので、念のため。そして、もちろん競技後の三宅選手の笑顔も素敵でした。


一方、涙で人を惹きつけるのが甲子園といえるかもしれません。
勝者の歓喜も素晴らしいですが、同じく練習に打ち込み、一球一打にかけてきた敗者の涙にも心打つものがあります。
だからこそ、プロ野球とは違った魅力があり、多くのファンが時として出身地に関係なく高校球児を応援するのだと思います。

ちなみにこの記事を書きながら、盛岡大付対九州国際大付の試合を見ていましたが、お互いに追いつき追い越し、また追いつきのシーソーゲームで、最後まで試合の行方が分からない素晴らしい試合でした。
毎度のことですが最後まであきらめない球児たちの姿勢にも感動します。


と、いろんな面でスポーツから心に栄養をもらった一日になりました。
スポーツにそこまで関心を持っているわけではない自分でもこんな気持になれるので、オリンピックが平和の祭典として、これから(も)世界中の人の気持ちをつなげてくれることを期待したいと思います。

また、自分もできるだけ笑顔を多くして、周りの人の気持ちを和やかにできたらと思います。
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起業家訪問-LandsSkip

2016-07-09 18:34:49 テーマ:お話を聞いてきました
最近は世間的に、というだけではなく、自分の周りにも起業したりフリーランスとして活躍する人が増えてきて、会社勤めの身としてはそういうことに憧れつつも、自分がどうしたいか、どうすべきか、ということをよく考えますが、そんなときに、起業家として活躍している知人がオフィスを移転したと聞いたので、見学がてらお話を伺うことにしました。

今回お話を伺ったのは、株式会社ランドスキップの下村社長。
最近はメディアへの露出も増え、注目されているベンチャー経営者です。

Landskip


ランドスキップのサービスは、オフィスや自宅などに居ながらにして世界の風景を連れてくる、その風景の中に入ることができるようにするというもの。
ゆらぎのある自然の景色によってユーザーに癒しを届けることを目指しているとのこと。

スペースのレイアウトなども影響するでしょうが、例えば壁に貼り付けたモニターやスクリーンに森や海、砂漠や湖などの景色が映し出されると、本当にその中にいるような気分になりそうです。
実際某社のオフィスの様子を見せてもらいましたが、その景色があるだけで雰囲気が全然違いました。


下村さんとは起業前から面識があり、せめてネットワーキングくらいは協力できないかと思い、友人のベンチャーCFOと技術系出身コンサルを誘って飲みながらいろいろ話したことがあります。
今回もその面子でお邪魔することになりました。


オフィスは表参道駅から徒歩数分。オシャレですね。
ベンチャー企業が共同で使用していると思われるフロアの一角にランドスキップはありました。

少し職場を見せていただいた後、応接間に。
IT系ながら(というのも語弊がありますが)自然を大事にするランドスキップの応接間はなんと和室!!これはインパクトがあります。
現在は普通の和室ですが、今後モニターを壁に設置して、ここにも自然の風景を持ってくるようです。その時にはまたお邪魔したいものです。

和室

その応接間では、ビジネス関係の話を1時間半ほどしていました。
やっぱりベンチャー経験者や技術バックグラウンドのあるコンサルがベンチャー経営者と話すと、深くて示唆のある話が多く出ました。

以下、4人で話し合った内容です(特定の個人の意見ではありません)。

【起業に至る経緯、働き方について】
下村さんは文系出身でプログラミングの知識もほとんどなかったが、専門のプログラムを6か月で終え、必要なプログラミングのスキルを習得。
 仕事をしながらだったので非常にハードだったが乗り越えられた。
・オフィススペースは24時間空いているのでいつでも使えるし、いつでも働いている。
・現在は社員2名(下村さん含む)で、他の方はハーフコミット(ハーフコミットの人が動けるのは土日であることが多いため、土日のどちらかはオフィスにいる必要がある)。

【プロフェッショナルの働き方について】
・アウトプットさえ出してもらえれば、ハーフコミットでも支障はない。そのため、プロフェッショナルにフルコミットを求める必要もない(複数のプロジェクトを抱えるコンサルに近い感覚)。
プロフェッショナリズムのある人間を縛るのはナンセンスで、仕事の仕方は任せるべき。気分の乗らないときに仕事させるより、本人が働きやすいやり方を選んでくれればよい。
・副業についても禁止する意味はないのではないか。利益相反については、背任はもとより犯罪であるし、アウトプットベースでの評価ができるのであれば、会社としても不利益はないはず(もちろん、同業他社に副業で行くなど、ケースバイケースの判断は必要だが)。
・逆に副業によって新しい知見や経験を得ることでブレークスルーにつながることもあるのではないか。
・最近では、ローンディールなど、大企業からベンチャー企業に出向するという形で人材育成、スキルの共有を進めるという動きもある。
大企業でゼネラリストとして育成された人材となんでもやらなくてはいけないベンチャー企業は実は相性が良い。特に自分で手を動かす若い人は貴重な存在。
・経営に関する意思決定を実際に行うのもベンチャーでの貴重な経験。実際に「決める」仕事をする人は検討の深度が深い。

【リクルーティングについて】
ハーフコミットする仲間に支えられているビジネスモデルだが、そのような仲間を集めるのは明確なビジョン。
・採用面接の際には仕事の話をしても、良いことしか話さないのであまり効果はない。
・仕事の代わりにその人自体を知るための話をしている。好きなことや節目の決断など。
 人として興味を持てればそれでいい。仕事ができなくても全人格の否定にはつながらない。
 仕事ができないなら手助けしたりできる仕事を探してあげればいい。
ただ、何であれ好きなものに対して浅いことしか話せない人はダメ。

【ランドスキップのビジネスプランなどについて】
最近大手企業と取引するようになってからビジネスが軌道に乗ってきた。
・顧客としてはオフィスやマンション(共有フロアに)が増えてきている。
・Apple TVやスカパーにプロダクトを供給することで固定ユーザーを獲得でき、収益の安定につながっている。
・地方自治体からの撮影依頼も増えている(観光につながる)。
会社やビジネスの規模は大きければいいわけではなく、「Small & Premium」を目指したい。
ベンチャーキャピタルは規模の追求を志向するので、出資を仰ぐなら自分のビジョン・夢と照らし合わせる必要がある。
・会社を大きくしなくても、事業提携・アライアンスなどでビジネスを大きくすることはできる。
・地方とITは相性が良い。そのようなビジネスが地方であまり生まれないのは、プログラミングなどをきちんと教えてくれる人が少ないからではないか。


このように、ベンチャービジネスについて有意義な話をお聞きすることができました。
ベンチャー経営者とベンチャーCFO・コンサルという、良いシナジーが生まれたようで楽しい時間となりました。
また、同年代の人が活躍しているのを見ていると励みになります。

下村社長、ありがとうございました!


こうやってネットワーキングのお手伝いをしたり、ブログ記事を書いて情報発信をするのも楽しいので、これからもいろんな方とお話したり、面白い人と人をつなげていけたらと思います。

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オトナの情報発信あるいは優雅なる学歴コンプレックス(!?)

2016-06-05 17:40:47 テーマ:その他生活等関連
自分が所属しているある同窓会組織では月に一度、若手の卒業生を集めてカジュアルなディスカッションの場を設けていて、そのテーマは有志が出して、有志自身がファシリテーターとして場をコントロールすることになっているのですが、今回は自分がその立場になりました。

提案したテーマは「オトナの情報発信」。
なぜこんなテーマにしたかというと、以前よりこのブログを含めて情報発信することが好きで、また投稿論文に積極的に応募したりしているのですが、それらをどのようにつなげたら自分のブランディングにつなげられるのか、ということを考えていて、同じような関心を持っている人と意見交換をしたいというのがきっかけでした。
キャリアに関していうと、我々は基本的には組織に雇われ、仕事を与えられることで職場・職務が決まりますが、専門分野についても情報発信を続け、業界内外での認知度を高めることで、組織に縛られないキャリア形成を行っていきたいという気持ちもあります。

で、テーマを掲げて同窓会のメールマガジンで参加者を募るのですが、この申込状況が結構ドキドキします。
「参加者多数で先着順になります、すみません!!」みたいな状況になればいいのですが、残念ながらそういう会ではないので、応募者0人だったらどうしよう?、いやむしろ1人の方が1対1で気まずいかも?なんて気をもんでいました。
まして、関心がありそうな人がどのくらいいるのか想定しにくいテーマなのでなおさらです。

結果的には4人の方が参加してくださり、5人でお話しすることになりました。
5人なら十分議論ができるので一安心です。

参加してくださったのは、IT系のお仕事をされている方(2名)、政治の分野で活躍されている方、OLをしながらも自分の関心分野で活躍したいと思われている方、そして私です。

この同窓会は複数の大学で構成される組織なのですが、自己紹介で話を聞いてみると、自分以外は某超名門大学のご出身とのこと。
なかなかのアウェー感で、軽く学歴コンプレックスを刺激されます(汗)。
もっとも、社会人やってると出身大学とか気にならないよねー、とフォロー(?)いただき、気を取り直しました。
実際職場の人の出身校とか知らないし、それでも何の不都合もないので当然といえば当然のコメントではありますが。
ということで、当校の後輩諸氏にもそのような気概で就職活動を乗り切ってほしいものです(?)
でも、ホントいい人たちでよかった。。。

「オトナの情報発信」という文言からイメージしたものというのは人によって違っていたみたいで、ブランディングやマーケティングに加え、インターネットでの議論のありかたや炎上など情報リテラシーやセキュリティという関心をお持ちの方もいました。
また、選挙権の引き下げに伴い、若年層にどのように政治関連の情報を届けていけばいいのか、という論点も提供されました。

皆さんそれぞれの論点に一家言をお持ちのようでしたので、ファシリテーターとしては特に困ることもなく、適宜コメントしながら適当に話を振っていけば議論が盛り上がったのでよかったです。

土曜カフェ
議論の様子。穏やかながらも白熱した議論。


しかし、盛り上がったにも関わらずしっかりとメモを取っていたわけでもなく、話した内容の記憶もあいまいなのですが、議論の一端をご紹介したいと思います。

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適切なコミュニケーションチャネルを確立することで自分の意図に即した情報発信を行うことができる。これを間違うと、本来ターゲットとしていない人にアクセスすることになってしまうので要注意。

メールマガジンをビジネスとして運営する場合、いろんな仕組みを活用すべき。
メール配信のプログラムを組むのはもちろん、AI・心理学なども応用できる。
大事なのは情報の受け手をコントロールすること。

コンテンツを売るときには煽りすぎてはいけない。
煽ってしまうと、自分が想定していた顧客層と別の人にコミットしてしまい、ビジネスの円滑な遂行の妨げになる恐れがある。

出版を希望するなら、ブログの更新を続けるのも一つの手段。
出版社の人がブログを見て出版につながるケースもある。

情報発信をビジネスで行うなら、グーグルの世界で勝負してはいけない。
顧客を囲い込み、その中で情報発信をすれば、顧客の比較対象も絞られるし、口コミで顧客が増えていく可能性も高い。
属性が少し違うビジネスとコラボすることで囲い込み・アクセスできる顧客を増やす(リストの共有)のも有効な戦略。
インターネットは広いようでクローズドな世界にもなりうるので、うまく活用するべき。

(良いか悪いかは別として)「メールは要らない」と申告してくる顧客ほどメールを送る効果が高い。

発信する情報の質が受け手を決める。
したがって、どういう人とつながりたいのか、どういう専門性をアピールしたいのか、などについてよく考えて情報を発信すべき。
レベルの低いものをだらだら書いていても質の高いファンはできない。

情報発信の質を判断する一つの基準は「公共の利益にかなうか否か」。
私利私欲で、自分の利益しか考えないような情報発信はいかがなものか。炎上マーケティングとか。一方、公共利益を装った私利私欲の情報発信もあるので見極めは難しい。

自分のブランディングが進めば、自分の名前に影響力を持たせられ、組織や他人からコントロールされにくくなる。
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断片的に書きましたので、誤解を招く表現もあるかもしれませんが、本音ベースで議論ができたので、考えさせられることも多かったです。

議論の内容も参考にしつつ質の高い情報発信に励み、自分自身のブランディングにつなげられたらいいな、と思います。

ワッフル

軽食も出るので、ワッフルをいただきました。



ちなみに、自分のブランディングの一環として投稿論文にも積極的に応募していますが、その戦略について参考にさせていただいているのが下記の書籍。

まだまだペーペーですが、いつかは一人前の専門家として業界内で認知されることを夢見て精進を続けます。


投稿論文でキャリアを売り込め
中野 雅至
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RSM Tokyo Chapter 201605

2016-05-29 09:00:44 テーマ:MBA
私がオランダのMBA・Rotterdam School of Management (RSM)のプログラムを終えて帰国してから、3年が経ちました。
その間、いろんなことがありましたが、振り返ると時が過ぎるのは本当に早いと感じます。

幸いなことにその後もコンスタントに日本からも入学される方が続き、日本人ネットワークは綿々と続いています。
また、近年では卒業生も含めたネットワークの強化のためにRSM Tokyo Chapterも立ち上がり、卒業生の方々とのつながりも増えてきています。

先日も最近卒業された方が中心となって、RSM Tokyo Chapterで懇親会を企画していただきました。
他の卒業生の方とお会いする機会はなかなかないし、皆さんそれぞれの分野でご活躍されていてお話を伺うのが楽しいので(それゆえに毎度少々気おくれするのですが...)、今回も顔を出してきました。

今回参加されたのは約20名。2005年卒業から先日卒業された方まで幅広い時期の方が一堂に会する場となりました。

今回も例によって、皆さん輝いているなー、と思いながら話を聞いていましたが、RSM(卒業生)の特徴の一つは、比較的高い割合で自分のやりたいことを追求しているということだと思います。

プロフェッショナルとしての自分の能力を信じ、一国一城の主になった方。
若くして経営者へのステップアップを選んだ方。
ビジネスの世界から公共分野にキャリアの舵を切ろうとしている方。
自分のしたい分野の仕事をするため、安定性のないポジションでも厭わない方。
そして、現在の仕事のやりがいをイキイキと語る方。

彼らの選択の素晴らしいところは、必ずしも経済的な要素を第一としているわけではなく、仕事の内容自体に高いモチベーションがあるということではないかと思っています。
だからこそ仕事の話をするときに輝いて見えるのでしょう。

MBAというプログラムないし学位に何を求めるのかは人それぞれであり、各人の選択の是非や優劣を他人が問うことはできませんが、彼らが輝いて見えるのは、(苦労はあるにせよ)充実している証左であり、RSMのMBAが大きなインパクトがあったということなのだと思います。


一方、自分は「社会を良くする金融サービス」に貢献したいと思いながら、運用会社の一職員としての域を抜け出せておらず、まだまだプロフェッショナルとして、あるいはチェンジメーカーとして独り立ちできていないと感じています。

とはいえ、足元を固めないことには始まらないので、自分に必要な知識や経験を追求しつつ、自分の夢を忘れずに前に進みたいと思います。
そして、初心を忘れないように輝いている人たちに刺激を受け続けたいものです。

こういう刺激を受けられることだけでも、RSMに行ってよかったと心底思います。
ということで、次の懇親会を楽しみにしつつ、日々仕事や勉強に精進することにします。

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真田信繁(幸村)にカムバック賞を

2016-04-24 09:05:39 テーマ:趣味や遊び♪
プロスポーツではいくつもの賞があり、それを目指して日々奮闘する選手たちの活躍を見るのがっプロスポーツの醍醐味ですが、自分がその中でも好きな賞の一つに「カムバック賞」というのがあります。

カムバック賞とはその名のとおり、けがや病気から復活を遂げた選手の活躍を称えるもので、日本では特にプロ野球のカムバック賞がよく知られています。
これまで多くの選手が受賞していますが、個人的には脳腫瘍から復活した元横浜・近鉄の故盛田幸妃投手が印象に残っています。

カムバックの難しさは、身体能力の克服に加え、試合勘やモチベーションを取り戻す、というところにもあるのではないかと思います。
もちろん、復帰できるか、生活を続けていけるかという不安もあることでしょう。

だからこそ、そういう困難を乗り越えて復活した方々は本当に尊敬できますし、頑張ってほしいと応援してしまいます。


と、カムバックの難しさを考えていたら、ふと、15年のブランクを乗り越えて鮮やかな復活をとげた真田信繁(幸村)って実はすごくない?なんてことを思いました。


真田幸村像
信州・上田駅前の真田幸村像



大河ドラマでスポットライトを浴びていますので、もはや説明は不要だと思いますが、彼は関ヶ原の戦いで西軍につき、徳川家に敵対したことから流罪とされ、逼塞生活を送っていますが、15年後の大坂の陣で豊臣方に登用され、真田丸の戦いなどで善戦した後、最後は徳川家康の陣に突撃し、家康をあと一歩のところまで追いつめた後、討ち死にしました。

1616年の大坂夏の陣の時の年齢が49歳とされていますので、関ヶ原の戦いのときは33歳、冬の陣の大坂入城、真田丸の戦いのときは48歳。
つまり、15年のブランクの後に49歳にして自ら突撃をするという激しい運動をしていた、ということになります。

50前後でスポーツの第一線で活躍した人物といえば、先日引退した元中日の山本昌投手がいますが、ある意味それくらいすごいことだったのではないかと思います。
(当時の武将たちからも大絶賛されていますので、50前にして本当にすさまじい突撃・運動量だったのではないかと想像します。)

また、一度プロ野球を離れ、再度復帰した選手としては元ロッテの小宮山悟投手がいますが、彼の離脱期間は1年間でした(復帰後通算10勝を記録しています)。
一方、信繁のブランクは15年間。この時期は日本自体に戦争がなかったため、ブランク自体は他の人物も同じですが、15年間のブランクの後に天下の勇将たちを相手に目覚ましい活躍をするというのは、身体能力という点でも、戦場勘という点からもカムバックの難しさをよく克服したな、と思います。

ちなみに武将のブランクについては、三国志の劉備の「髀肉の嘆」という故事が有名ですが、彼のブランクは5,6年。彼ほどの人物でもその期間に心身が衰えてしまうわけですから、15年という時間は想像を絶する長さでしょう。
事実、逼塞中の彼は心身がかなり衰え、本人が心身が弱くなったことを手紙に記しています。

そう考えると、山本投手の年齢の、ブランク明けの小宮山投手が、楽天優勝時の田中将大投手の活躍(24勝0敗)をしているようなもので、けがこそしていないかもしれませんが、まさに日本史上のカムバック賞もの、という感じがします。

こんなことを書いていると、ふと生涯現役を目指し、プロ野球復帰を目指している元近鉄の中村紀洋選手のことを思い出しましたが、彼も今後ブランクを乗り越えて信繁のような活躍をすることもありえないことではないのだと思います。ですので、ぜひ頑張ってほしいですね。


ちなみに彼の事績を金融業界に当てはめてみると、30過ぎまでトレーダー/ディーラーやファンドマネージャーとしてバリバリ頑張っていた人が突然退職して15年間金融市場から離れていて、50前に再度同じような仕事で抜群のパフォーマンスをたたき出す、ということになるでしょうか。
寡聞にしてそのような事例を聞いたことはないのですが、そう考えるとやっぱり信繁はすごいということになりそうです(金融市場関係者の中にはイレギュラーな経歴の人もいますので、案外似たような人生を送っている人もいるかもしれませんが)。

※武将としてのキャリアとスポーツ選手・ビジネスマンのキャリアを同様に語ることの是非は今回はおいておきます。


とりとめもない話になりましたが、そんな経緯をもって大河ドラマを楽しもうと思います(笑)
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キラキラネームと日本語

2016-03-06 18:57:56 テーマ:読書
図書館や本屋さんを歩いていると、普段読んでみようと思わないような本をふと手に取って引き込まれてしまう、ということがあります。
そんなとき、やっぱり本探しはネットだけでは足りないと思わせられます。

そして最近、また面白い本に出会いました。
その名もズバリ、『キラキラネームの大研究』。
書き方や読み方、意味が突飛な名前、いわゆるキラキラネームに関する話題を目にするたびに、「なぜこんな名前を付けるのか?」、「その子はどう見られるんだろうか?」ということが気になっていたので、普段は読まなさそうなジャンルですが、読んでみることにしました。

キラキラネームと言えばごく少数の個性的な親がつけるもの、というイメージがありましたが、実際には命名ランキングや届出が出された名前の多くが一見して読みがわからない、これまでの感覚では与えない意味をつけている、という特徴があります。

一方、著者によると、ほとんどの親は子供にキラキラネームをつけようとは思っておらず、ただ子どもにいい名前をつけてあげようと、すてきな要素をどんどん盛り込んでいった結果、キラキラネームと言われかねない命名になっているそうです。

日本語の場合、音と漢字表記が一致しない、画数にも善し悪しがある、語感(音)も重要、といった特徴があり、それがキラキラネームの背景にあり、実際にキラキラネームと言われる名前はそれらの特徴によってパターン化できるようです。

キラキラネームの由来をたどっていけば、漢字が入ってくる頃の古代にまでさかのぼることになります。
もともと文字がなく、言葉が音にだけ頼っていた時期は、「言霊」といって言葉の持つ意味が非常に強く、大陸から文字が入ってきたときも、音読みと訓読みを考え、それまで使われていた言葉の音にのせて使うようになりました。
訓読みは漢字の意味と日本語の音が合致するように設定されていますので、文字を輸入したことによる産物と言えるでしょう。

そんなこともあって、日本語における漢字の読み方はかなりフレキシブルになり、それがキラキラネーム誕生の背景にあります。
よくよく考えると、その読み方って実際の音読み・訓読みとは違うのでは?という命名はキラキラネームと言われないような名前にも存在します。
例えば、「結衣(ゆい)」の「結」は「ゆう」であり、「ゆ」とは本来読みません。
徳川家茂は「いえもち」と読みますが、本来は「いえしげ」が正しいと思われます。
大伴家持は「やかもち」ですが、「持ち」をむりやり「持」に押し込んでいます。

と、一見普通に見える名前も実はキラキラネームの要素を持っているように、普通の名前とキラキラネームの境界はかなり曖昧です。

ちなみにキラキラネームが問題視されているのは現代だけでなく、昔からあった現象のようです。

例えば江戸時代の国学者である本居宣長ははっきりと「最近は名前にふさわしくない文字を使ったり、奇妙な読み方をするのをみかける」とし、その具体例として「和子(かずこ)」を挙げています。
和子(かずこ)といえば典型的な日本人女性の名前かと思いきや、もともと「和」に「かず」と読ませる用法はなく、読むなら「かつ」らしいです。

さらに時代は下って明治時代以降には、憧れの西洋文明との出会いもあり、また現在のように命名に使用する漢字の制限がなかったことから、まさにキラキラネームと言えるような名前が登場します。

女性の名前で「日露英仏」という例があるそうですが、まさに国際化時代と言う感があります。これで「ひろえ」と読むのだとか。
また、男性の名前で「凸(たかし)」、「|(すすむ)」という命名もあるとか。
もちろん、「丸楠(まるくす)」、「真柄(まーがれっと)」といった西洋の名前を当てはめた、現代と同じようなものもあります。
真柄(まーがれっと)さんが、真柄姓の人と結婚したら「真柄真柄(まがらまーがれっと)」ということになるんでしょうか。
ちなみに文豪・森鴎外のお子さんも西洋風の名前であることで有名です。

と、キラキラネームは昔からあった事象で、今の親御さんに特異の現象ではないようです。
ただ、最近はパソコンやスマートフォンなどで難しい漢字にも抵抗がなくなっていることからより珍しい漢字が使われる傾向はあるようです。


ちなみに海外では「カラオケ」や「スシ(寿司)」といった命名例もあるのだとか。
自分がこの名前を付けられたら、すぐに改名したくなりますね。
そういう意味では、日本のキラキラネームはまだマシなんでしょう。


ともあれ、最初は違和感をもって迎えられるキラキラネームも時間が経つとそれが自然と受け入れられるようになるのも確かです。
ですので、今はキラキラネームと言われている名前を持っている方も、その名前が好きになれればそれでいいのかもしれません。


と、そんなことを考えていたら、古巣の会社が合併して新しい商号になることに。
その社名がなかなか新感覚だったので、会社にもキラキラネームの問題はあるなあ、なんて考えましたが、これもやはりその会社が業界で大きなプレゼンスを持てば自然に受け入れられるのでしょう。
ということで、その社名がキラキラネームにならないように、古巣として、同業のライバルとしてエールを送りたいと思った次第です。


また、最近赤毛のアンのアニメを見ていたら、アンが自分の名前の由来に疑問を持ち、その由来を聞いたときに(親の愛に)すごく喜んでいて、やっぱり名前は子どもへの最初の贈り物だし、愛情の証でもあるのだから子どもにも喜んでもらえるような命名は大事だと思いました(ちなみにアンは「Ann」ではなく「Anne」とのこと)。


伊東 ひとみ
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憧れの仕事@江戸時代

2016-02-18 23:22:28 テーマ:読書
たくさんの人と話したり、様々な場所に行ったりする中で自分の知らないもの、考えもしなかったようなことを見聞きすると非常に楽しくなります。

しかし、そんな風に自由に人と話したり行動したりすることができるようになったのは長い歴史の中でもつい最近のことです。

例えば江戸時代には身分の差があり、藩の外に出ることも自由ではありませんでしたし(許可が必要)、外国に行くことは不可能でした。

決して当たり前のことではないからこそ、憲法でも居住・移転の自由を明記して保障しているのだと思います。


そんな江戸時代に自分がいたらどんな生き方をしてみたいか、と考えることがありますが、大体三つの答えに落ち着きます。

一つ目は将軍となって、自分のやりたい政策をどんどん進める。かつ私生活もかなりやりたい放題(笑)。実際は仕事も大奥も窮屈だったと思いますけどね。

二つ目は商人となって、新しい・面白い商売を広げていく。江戸時代には現在に連なる多くのビジネスが生まれていますが、時代によって多少異なる可能性はあっても、商業に関してはかなり自由だったのではないかと思います。だからこそ、自分のアイデアで勝負していくのは夢がありそうです。

そして三つ目が長崎奉行。江戸時代は鎖国していたため、外国人と接点を持てる人は限られていました。幕府の海外への窓口である長崎のほか、朝鮮との外交を担当していた対馬藩、琉球を間接支配していた薩摩藩、アイヌとの窓口だった松前藩くらいでしょうか。
その中で一番メジャーなのは、やはり中国やオランダとの窓口であった長崎で、その政庁のトップが長崎奉行です。
海外の情報が限られていて、社会的な変動も比較的小さかった江戸時代において、長崎奉行に入ってくる情報は知的好奇心をくすぐるものだったと思いますし、考えただけでワクワクします。


さて、それほど関心を持っている長崎奉行というポジションですが、実は実態をあまり知らなかったりします。長崎奉行の名前やエピソードなどもほとんど浮かびません。
そこで、長崎奉行について書かれた書籍を読んでみることにしました。
タイトルはそのまま、「長崎奉行 ~等身大の官僚群像~(鈴木康子著)」。


上述の通り、長崎奉行は外交窓口であった長崎で現地の行政を取りしきる、いわば外務大臣兼長崎県知事といったイメージのポジションでした。
当然長崎に居住する外国人も管轄しており、海外との接点は日常的にありました。

しかし、海外との地位を相対的に高めたい幕府の思惑もあり、長崎奉行は高い地位とはされず、江戸時代初期は数ある奉行職の中でも下位の方におかれていました。
そして、江戸時代中期、川口摂津守宗恒の時代に長崎貿易の重要性が認識されたことから、中位にまでその地位は上がりました。
19世紀には欧米諸国からの接触が増えてきて、長崎奉行の役割も貿易の管理から長崎の防衛という役割に変わっていったようです。1808年にはフェートン号事件が発生し、当時の長崎奉行・松平康英が自害しています。

江戸時代には125人の人物が長崎奉行に就任したそうですが、その中にはいろんな人物がいて、やはり外交政策や長崎の統治に力を尽くした人も多かったようです。
本書ではそんな人物が紹介されていました。


河野通定(在任1666-72)は、江戸初期の名奉行として紹介されています。
当時は長崎での貿易が自由にできたことから、全国から一旗揚げようと多くの人が集まってきて、長崎の風紀・秩序に乱れが見られたそうです。
そこでその風紀の更正に勤めたのが河野通定でした。
長崎の市民や外国人に対して厳格かつ情に満ちた対応を行い、また低い身分のものであっても孝行を顕彰したりしたことから、長崎は秩序を取り戻し、彼は長崎市民に大いに敬愛されたそうです。

大森時長(在任1732-34)は、長崎で最も人気のある長崎奉行なのだそうです。
彼が着任した直後、西日本は大飢饉に襲われ、長崎も飢餓の危機に直面しました。
そんな折、彼は全国各地から必死に食料をかき集めます。
また、長崎で幕府から禁じられた米の買い占めがあり、商人が捕まったときも罰する代わりに安価に米を放出させるなどの柔軟な対応を取っています。
それだけに留まらず、最終的には幕府に無断で官庫を開放し、市民に食料を提供しました。
その甲斐あって、長崎は一人も餓死者を出さずに飢饉を乗り越えました。

しかしながら、その後彼は無断で官庫を開放したことの責任を問われ、免職の憂き目にあってしまいました。
この辺りの話は、宝永の大飢饉の時にやはり無断で官庫を開放して庶民を救った代わりに切腹となった関東郡代・伊奈忠順と似ています。切腹にならなかっただけよかったとすべきかもしれません。

ちなみに彼が江戸に戻る時、沿道には多くの市民が詰め寄せて別れを惜しんだそうです。
奉行冥利に尽きますね。


松浦信正(1748-52)は徳川吉宗の時代の長崎奉行で、勘定奉行として活躍していたところ、吉宗直々の命で長崎奉行を兼務することになりました。
元々勘定奉行の職務だけでも大変だったので、「自分は漢字も読めない文盲なので、長崎奉行などできません」と辞退するのですが、吉宗から「漢字が分からないならひらがなで仕事すればいいだろ」と強く要請され、やむなく長崎奉行の役目を受けたそうです。

信正は、吉宗の期待に応え、貿易の統制や対オランダに対する日本の立場の強化、勘定奉行所スタッフを取り込んだ長崎奉行所の改革(これは彼が勘定奉行兼務だったためにできたことだと思われます)などを成し遂げます。

そんな彼も吉宗が死去すると後ろ盾を失い、長崎奉行の兼務が解かれた後、勘定奉行も突如解任されてしまいます。
旗本・お奉行様と言っても結局は仕え人の哀しさ、といったところでしょうか。
もっとも、彼が失脚の憂き目に遭ったとしても、彼の業績は依然として輝き続けるのですが。


他にも江戸初期の長崎奉行で、女性スキャンダルで切腹した竹中重義(竹中半兵衛の甥)や長崎奉行の地位を引き上げた川口宗恒などいろんな長崎奉行の人間ドラマが描かれていて、長崎奉行という役職やエリート武士の悲喜こもごもが垣間見られていて面白かったです。

本書は長崎奉行個人に焦点を当てているため、あまり長崎奉行・長崎奉行所という役職・組織の役割・位置づけについては触れられておらず、そういう立場でどのようなものが見えたのかということについては理解をなかなか深められなかったのですが、今後関連する書籍などを通じて、長崎における行政についても学んでいきたいところです。


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Fintechにどう向き合うか

2016-02-14 22:10:44 テーマ:お仕事
少し前に取引所が経営破綻したことで話題になった疑似通貨・ビットコインを始め、既存の金融にテクノロジーが変革を迫る動き、いわゆるFintech(フィンテック)が注目を集めています。

資産運用業界にとってもFintechの動きは他人事ではなく、例えば特定のアルゴリズムをプログラミングして、それでコンピューターに投資判断を行わせるロボット運用はすでに導入されつつあります。
その結果、ファンドマネージャーやエコノミスト・アナリストの重要性が相対的に低下し、また個人投資家のニーズに応えるサービスを安価に提供することが期待されています。

また疑似通貨の存在や決済手段の多様化は、個人の生活に影響を与えるだけでなく、やはり資産運用のあり方にも影響があると思われます。

そのようなことからFintechには関心を持っていたのですが、このほどFintechに関する勉強会(読書会)があるということを聞きつけ、参加してきました。

定期的に開催されている会のようですが、Fintechについては普段と比べ参加者が非常に多かったようで、Fintechに対する注目度の高さが伺えます。


今回は日経BPムックの「Fintech革命」という雑誌が課題図書で、この本をベースに議論が行われました。

いろんな人が参加していただけに、議論の切り口も多様で、気付くこと、学ぶことがとても多かったです。
自分が常識だと思っていた金融業務についても変容が迫られるものも多そうで、業界人としても、金融サービスの消費者としてもいろんなことを意識する必要があると感じました。

また、金融サービスの提供のあり方が変わる故に、これまで金融サービスにアクセスできなかった人にも容易にサービスの提供ができるようになる(Social Inclusion)一方で、逆に格差の拡大を促し、場合によってはサービスへのアクセスを閉ざすケースもあるのではないか(Social Exclusion)という意見もあり、このあたりは社会政策とセットで議論する必要もあるのかもしれないと感じました。

勉強会の運営に差し支えがあると申し訳ないので会の中での議論の詳細は割愛しますが、やっぱりいろんな人の話を聞くのは学びや刺激があっていいですね。


よく言われる通り、Fintechには既存の法制度で整理しきれない部分が多く、特にビットコインは現状は通貨ではないので、法令上の取り扱いについても検討すべき点が多いため、コンプライアンス担当としてもどのように整理がなされるのか興味は尽きません。

例えば、投資信託の運用としてビットコインに投資することは認められるのか、ビットコイン建ての株式や債券を発行することは可能か、あるいはビットコイン建ての投資信託は可能か、ビットコインはどのように評価をするのか、など投資信託に関連する論点だけでも次々と思い浮かびます。

まだまだビットコインは法定通貨ほど普及していないので、これらの疑問が現実になるのは時間がかかりそうですが、思考実験としては面白いと思いますし、ビットコインに限らず資産運用サービスに影響を及ぼし、コンプライアンスとしても何らかの対応を求められる局面はいつか来ると思いますので、この分野についてもできるだけアンテナを張っておきたいと思います。


ちなみに運用業界の知人も会に参加していたので、会の後にFintechが業界に変革を迫る中、投信業界はどういうサービスを提供していくべきなのかという話をしていました。

妄想に近い話も多かったですが、いつかはそういうサービスを提供していけるようになりたいと強く思いました。
ということで、これからは妄想を共有できる仲間とたくさん議論を重ねて業界の発展に貢献したいと思います。

ホント、妄想は楽しい!!(笑)


FinTech革命(日経BPムック)

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逐客諌書と海外企業の買収

2016-02-07 19:36:40 テーマ:ブログ
経営状態が悪化し、金融機関の支援やリストラなどによって経営再建中のシャープが、産業革新機構と台湾のIT企業・鴻海(ホンハイ)精密工業から出資の提案を受け、現時点ではホンハイの方にシャープの経営陣は傾いている、という報道がされています(産業革新機構からは3000億円、ホンハイからは7000億円の出資提案)。

産業革新機構の出資案には金融機関の金融支援もついてくるので、総額ですと積み増しになりますが、それでもホンハイの支援額の方が大きいようです。

無論、ホンハイ案ですと金融機関としてもこれ以上の債権放棄などをしなくてもよいので、金融機関もホンハイ案の方がありがたいと思っているかもしれません。

しかし、巨大企業の買収案件の常として、今回も外国企業の買収であることから技術の流出などが懸念され、反対する声もあるようです。

確かに、技術は安全保障にも直結することから、これまでにも海外企業に寄る買収に政府がストップをかけた事例はありますし、我が国でも外国為替及び外国貿易法(外為法)によって安全保障に関わる物資の輸出・提供は経済産業大臣の許可が必要とされています。


では、安全保障を盾に業績が悪化している日本企業を海外企業が買収するのを拒むのは適切なのでしょうか?

そのことを考えていると、ふと昔の故事が頭に浮かびました。
それは、中国の戦国時代における秦の宰相・李斯の「逐客諌書」の話です。

戦国時代、秦は数多くの他国人を受け入れ、彼らの活躍によって勢力を拡大していきました。有名な人物としては范雎や商鞅、張儀などがいます。
そして、その秦の拡大を恐れた他国はスパイを送り込んで妨害活動などを行います。

それに気づいた秦の中では、他国人は秦にとって害にしかならないから追放してしまえ、という意見が強くなります。
そして当時の秦王・政(後の始皇帝)もその意見を受け入れ、他国人を追放することにします(逐客令)。
当時優秀な官僚として活躍していた李斯も例外ではなく、辞職させられることになります。

しかし、李斯はその命令に対して、自分のため、そして秦のために上書して反論します。それが逐客諌書です。


曰く、秦はこれまで、百里奚や商鞅、張儀など多くの他国人を登用することにより成長してきたし、逆に私利をむさぼり秦のためにならない王族・貴族を処分したこともある。
このことは、他国人であっても秦に貢献するし、秦人だからといって秦のためにならない者も存在することの証左であり、他国人が秦に害をもたらすと決めつけるのは間違っている。

また、秦はすでに他国の文化や産物を受け入れているが、他国の文物は受け入れられて、人は受け入れられないというのは、物ばかり重んじ、人を軽んじているということになるが、そんなことでは他国を制することなどできるわけがない。

泰山は土壌を譲らないから大きく、大河や海は、多くの支流を受け入れているから深くなるのである(泰山は土壌を譲らず、故に能くその大をなす。河海は細流を選ばず、故によくその深をなす)。それなのに他国に優秀な人を使わせるのは、敵に兵を貸し、盗賊に食料を与えているようなものである。

もとより秦のものでなくても素晴らしいものは多く、秦の出身でなくても秦で活躍したい人物は多いものなのに、そのような人材を追い出して自ら人材を失い、敵に優秀な人材を与えながら自国の安泰を図ろうとしても成功するはずがない、と。


結局、秦王は李斯のこの意見を受け入れ、逐客令を廃止し、李斯は引き続き秦のために活躍し、ついには宰相にまで昇りつめます。


話をシャープとホンハイの方に戻しますが、李斯に言わせると、外資系企業だからといって、日本に仇をなそうと思っている訳ではなく、むしろ外資系企業のノウハウやリソースが日本のためになることもあるし、今まで多くの外資系企業が日本にいろんな形で利益をもたらしたはずだ、ということでしょう。

また、海外の文化は積極的に受け入れるのに、(グローバリゼーションの中)ビジネスでは海外企業と提携を控えるというのは、経済やビジネスの成長を軽んじているようなもので、こんなことで国際競争に勝ち抜けるとは思えない

むしろ、日本のビジネスの再生・成長のために使われるはずだった資本や人材が他国のビジネスの強化に繋がる訳だから、日本は成長機会を失い、他国はその機会を使って成長するという二重のダメージになることになる。
そのような中でどうして世界経済の中で現在の地位を保つことができるだろうか。

こんな感じのことを言うのではないでしょうか。


もちろん、2000年以上前の国際感覚を現在にそのまま当てはめるのは適切でないこともありますので、いろんな点を議論する余地があると思います。

しかしながら、人も物も李斯の時代より遥かに移動するようになっています。
すでにシャープは多くの従業員をカットしており、彼らの中に入っている知識や経験は既に他社に移っていることでしょうし、その中には外国の企業もあることでしょう。
もちろん営業秘密などを持ち出すのは犯罪ですが、それでも多くの技術やノウハウが暗黙知という形で外国企業に移転していると考えられると思います。
そのような中で、買収にだけ敏感になるのは大きな穴があるように感じます。

また、安全保障に関わる技術といえばキリがないし、どのような産業・ビジネスであっても安全保障に関わるから外国企業の買収は不可、政府や金融機関が救済すべき、などといっていたらゾンビ企業だらけになります。


余談ですが、ホンハイが7000億円を投じてシャープ(の事業)を買収する意向があるということは、シャープと同じリソースで彼らは7000億以上の利益をたたき出す自信があるということになります。
投資を回収するのにかかる時間はわかりませんが、少なくとも現在のシャープよりはそのリソースを活用する見込みがあるのでしょう。
しかも、雇用は継続し、シャープのブランドも残すそうですから、シャープをシャープとして活かそうと考えているようです。

ホンハイの事業とのシナジーがあるのでしょうが、より利益を出すことになるのなら、技術者も技術も冥利に尽きるのではないでしょうか。


産業革新機構もホンハイもそれぞれにファイナンスのスキームがあり、一長一短があるのかもしれないですし、その辺りは詳しくないのでその議論は専門家のご意見を勉強させていただこうと思いますが、外資系企業だからダメ、安全保障に結びつくからダメという意見には思うところがあったので、ちょっと書いてみました。



ちなみにこんなかっこいいことを言っていた李斯ですが、最後は佞臣に陥れられ、反逆者として無念の最後を迎えます。
優秀な人間でもその人生を全うするのは難しいということを考えさせられます。


横山 光輝
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小田原北条氏の興亡

2016-01-28 00:55:14 テーマ:読書
久々に歴史の本を読むとなかなか止まらず、色々読みふけってしまいます。

日本史では元々戦国時代が好きで、特に北条氏(後北条氏・小田原北条氏)に関心を持っていたので、改めて北条氏関連の書籍を読むことに。

いつも思うのですが、戦国有数の大名で、現在の首都圏を支配していたというのに、なぜ北条氏というのは認知度が高くならないのか不思議です。
合戦にしても川越夜戦や国府台の戦いなど華々しい戦いもあるのですが、そもそもその合戦自体があまり知られていないという状態です。
特に川越夜戦は桶狭間の戦い(織田信長)、厳島の戦い(毛利元就)と並び、日本三大夜戦(三大奇襲)とも称されるくらいなんですけどね。

武田・上杉と大会戦がなかったからか、滅び方がよくなかったのか、北条氏の後に関東を支配した徳川氏の政策の結果なのか。難しいですね。

ついでに言うと、多くの場合、第四代当主・氏政の描かれ方がバカ殿だったり愚将だったりするので、北条家自体にあまりよいイメージを持たれないのかもしれません。
滅亡時の実質的当主だったとはいえ、武田・上杉・佐竹などと伍して最大の勢力圏を築き上げるなどの実績があるだけに、もっと評価が見直されるべきではないかといつも同情してしまいます。


それはさておき、より北条氏のことを知るために今回読んだのは、黒田基樹先生の『戦国関東の覇権戦争』と『小田原合戦と北条氏』の2冊。

前者はサブタイトルにもある通り、関東の戦国時代の覇権争いを、北条氏と上杉氏の争いを中心に解き明かしています。
室町時代において、関東はある種の独立王国みたいなところがあり、京都の中央政権とは別に将軍(関東公方)や管領(関東管領)が設置されていました。
その枠組みは戦国時代にも残っており、古河公方の足利氏や関東管領一族の上杉氏は健在でした。
北条氏はその中に新興勢力として入っていく訳ですから、その勢力拡大はそのまま既存勢力である上杉氏との戦いの歴史になります。

とはいえ、覇権争いは北条・上杉の両氏の直接対決だけで進んでいたのではなく、関東各地の中小大名、いわゆる国人たちの取り込み合戦が大きな位置を占めていました。
戦国大名の勢力争いはオセロみたいなもので、国人たちをひっくり返すことで勢力の拡大につなげていったようです。本書を読んで改めて国人の位置づけを理解することができました。

本書で印象に残ったのは、まず、北条家が関東において実質的に関東管領の地位を確立していたこと。
その傍証として血縁の古河公方を擁立していたことはもちろんですが、古河公方の足利義氏の将軍からの偏諱を北条家のルートで得ていたこと(従来は関東管領上杉氏の役割)、北条氏当主の左京大夫という名乗りが鎌倉幕府執権の北条氏と同じことなどが挙げられています。
そもそも「北条」という姓自体が執権北条氏に擬するために名乗られたものですが(元々は伊勢氏)、北条氏がどのような体制で関東を支配しようとしていたのかがこれらの事例でより理解できました。

また、後年上杉氏と同盟した時に関東管領の座を譲渡し、名目的には上杉氏の下についたことを初めて知りました(呼称も上杉氏を上位にしているそうです)。
氏政の弟を養子(人質)に出すなど実質的には譲ったとはいえ、名目上はほぼ対等な同盟だと思っていましたので、これは意外でした。

ほかに、小田原北条氏最高の名君・名将とも言われる三代・氏康が飢饉や疫病による領国の疲弊に対応しきれなかった責任をとって隠居したり(「徳政令」のための代替わり)、上杉謙信の侵攻に十分に対応できなかったため、同盟国から「氏康は頼りない」と酷評されていたことにも驚きました。
実際、氏康在世時に謙信や信玄に領国を蹂躙されているのは事実で、それに伴って領国が疲弊するので、この評価も仕方ないのかもしれませんが、氏康はさぞ領国経営に苦労したことでしょう。

他にも戦時中の国家総動員につながる「御国」の論理の成立など、興味深い論点がたくさんあり、非常に面白かったです。


そして、その勢力争いの中で、北条氏は中央で勢力を拡大していた織田信長と連携することになり、独立的だった関東に中央の勢力を引きずり込むことになります。
皮肉なことに、それが織田氏の北条氏への圧迫、さらには豊臣氏の小田原征伐につながって、北条氏の滅亡をもたらしてしまいます。
この解釈も言われてみれば、という感じで興味深いものでした。


このあたりから、2冊目の『小田原合戦と北条氏』の方がメインになってきます。

この本は「敗者の日本史」というシリーズの一冊なのですが、歴史が勝者の方から描かれがちなのに対し、このシリーズは逆の視点から解き明かしてくれ、敗者には敗者の言い分があることがよくわかって楽しく読んでいます(「武田勝頼と長篠合戦」というテーマもあり、こちらも面白かったです)。

最終的に豊臣秀吉に臣従することを拒んで滅ぼされてしまうという認識をされることが多いのですが、実際には臣従することを双方受け入れていて、あとは信頼とかタイミングの問題だったようです。
一方、破談・戦争状態になった後も交渉再開の余地はあったようで、そのような機会をつかめなかったのは北条氏にとっては残念なことだったと思います。

また、本拠地まで攻め込まれたのが一部領土の割譲ではなく滅亡と言う結果になったとの指摘もあります。
実際北条氏の本拠地は小田原にあり、その領土のかなり西の方にあるのですが、これまで東・北の方向に勢力を拡大し、かつ背後は同盟国(今川・武田・徳川)だったという状況が裏目に出たのかもしれません。
何が吉となり、また災いとなるのか、見通すのは難しいものです。


ともあれ、北条氏の政治や勢力拡大には興味深い点や知らないことがたくさんあるので、これからも機会を見つけて勉強していこうと思います。
その中で、北条家中の人たちの事績に触れるのも楽しみです。


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