田中洌
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黒猫「くれら」

Theme: 語り 2009年11月21日


OA機器を解体しながら、ずっと悲しい気分だった。
急ぎのばらしを断って昼過ぎに戻ってみると、くれらはブロック塀にいた。
ぼくは、呼んだ。
何度呼んでも反応はうつろで、しょぼしょぼしていた。
抱きかかえて、台所へ入れ、鰯の刺身や水をあたえてみた。
食欲はまったくなかった。

くれらが産んだおす猫が帰ってきて、鰯の刺身をひと皿きれいにたいらげた頃、くれらはダンボールへ入っていった。
入るとき、足を取られ、何度もよろめいた。
なかにはいると、こっちを見た。
いつも、そうしていたことをぼくは思い出した。
しかし、すぐ、平べったくなった。
ぼくは指先に水をつけ、口元に持っていった。
そうすると、舌を出して、それを舐めた。

点滴を打って貰いにダンボールをかかえて国道沿いの犬猫病院へ行った。
帰ってくると、くれらは窓の下でまるくなった。
いつも飲みに来る青い盥に水を入れて、口元に持っていってやった。
ときどき、舐めた。
せなかを撫でてやると、尻尾に近いところでかすかにごろごろといった。



翌日は工場を休んだ。
くれらは終日ダンボールのなかでじっとしていた。
舌は乾いて腫れ、もう、水を舐めることもできなかった。
ときおり、ごそごそ動いて、からだを入れかえた。
夜まで持つまいと思ったが、くれらは体を動かし、ときおりあーと鳴いた。


ぼくがこの猫を連れてきたのは、酔狂からだった。
遠出してはじめて入った小さな飲み屋は、近々道路にとられ、なくなるという。そこに、たくさん仔猫がいて、みんなじゃれついてくるのに、くれらだけは暗がりから、猜疑心に満ちた金色の目でじっとこっちを警戒していた。
「一匹だけ持っていってくれ」というので、ぼくはためらわず、彼女を選んだ。
おかみは、「あんた、よかったねえ」と、くれらに頬ずりした。

暮らし向きは次第に悪くなっていたが、くれらが無事なうちは、何もかもだいじょうぶだと、他愛ない迷信を信じていた。

可愛いちいさな耳をした猫だった。用心深くてかしこかった。
朝は、仔猫たちといっしょになって、甲高い声を張りあげて、猫缶ごはんをねだった。
猫缶とごはんを混ぜていると、ぼくの腕に頭をごつんとぶっつけ、餌にありつけるよろこびを現した。歳をとって歯がなくなると、歯ぐきの土手で食べた。


また、わと鳴いた。
ぼくは、ワインを二杯飲んで、ウイスキーの水割りにかえた。
そのまま自然に、絶え入るように息を引き取ってくれればいいのだが、がさごそと音がするたびに、ぼくはダンボールのなをのぞき込み、胸をしめつけられた。
もう、冷えが来ていた。



枕元に持ってきて、寝た。
変な声がしたのでのぞき込んでみると、呼吸が速くなっていた。空気が薄いのか、苦しそうに腹を波打たせた。
顔をあげ、目を開けて、手でダンボール箱をごそごそしたので畳に出してやった。
耳はぴんとしていた。
口を半分ほど開けた。
尻尾をのばし、顎を畳につけ、目はうつろになった。
口を開いた。
平べったくなった。
顎を落とし、目をつぶった。鼻がふんふんといった。
後ろ足をひろげ、手を広げ、ムササビみたいになってしまった。息が止まりそうだった。
息が止まった。
それでも、腹式呼吸をしていた。
耳がぴくりとした。
からだを痙攣させながら、やがて弛緩して、そのまま静かになってしまった。
最後まで、耳だけはぴんと立て、息を引き取る前に、手足をもう少しひろげた。
死ぬまでかわいいままだと思った。



分厚い雲がむくむくしていた。
桜のそばに穴を掘った。
足をのばし、手を広げ、うつむき加減になって、くれらはおだやかに横たわった。
雨が降る前に土をかぶせてやろう。
線香をつけてやると、成仏したと思った。
何本も線香に火をつけた。



●おれはいつも身近に感じていたい


わけのわかるひとりのかーちゃんを

どこかしらにいる猫のけはいを

どんな時でも労を惜しまない、すてきなダチたちを●

                    (アポリネエル)



くれらは、そういうふうにして、永遠の眠りについた。




ハイレベルで、なんとも優しいホームレスな若者たち。

Theme: 野暮らし 2009年11月17日


●関東某所の海沿HL(ホームレスのこと)は駐車場の不法投棄の車内や海釣り公園付近の青テントで生活している。
生活の種は地元漁師が網でとってきたのをクレーンで移す際に、横にこぼれるのを拾い集める。
漁師は多めに見て獲らせてあげているらしい。
カモメも食う。どうやって捕まえるのかは知らないけど。
ハトも食う。
河口付近で鯉が釣れるのでそれも食う。
あと土手沿いのタンポポなど漬物のようにして保存食にする。
釣り人と仲良くなって酒やツマミを恵んでもらう。
鯛などが釣れても持って帰らない釣り人がいるそうだ。
その代りに自分たちの生活を話のネタにする。

彼らは釣りが上手いらしい。生活掛かってるからな。


●首都高の東池袋の高架下の分離帯に、ず~っと久しく段ボールハウスが連なっているよね。
狭い分離帯の両側は絶えず車の行き交う道路で、年がら年中排気ガスを吸いっ放し。
いくらHL嫌いの俺でも、さすがにあれには同情するな。
あそこはどう見たって人間の生存可能な場所じゃないよ。
どこかもうちっとマシな居住スポットに引っ越せないのかな?


●天候さえ安定していれば地方の河川敷だな~。
財政難なのか最近はどの自治体も草刈とかしないから身を隠すには丁度いい。


●本当は火は使いたくなかったです。
けれども食費の節約と言う点で仕方なく…当局の方ごめんなさい。

子供の頃ボーイスカウトで習った空き缶コンロを作ったりしてました。
ビールとかのアルミ缶を縦に1/3位の大きさに潰して中に油とティッシュで作った芯を入れるだけのものです。
コレを5-6個作って並べ高さを調節するだけですね。
油はサラダ油かライターのオイルですね。
ほんの少しで大丈夫です。入れすぎると引火して大惨事になります。

ナベ代わりになったのはコンビニとかで売っている鍋焼きうどんのアルミの器です。 (注・私も野宿では“鍋焼きうどん”のアルミを愛用しています。)


●もうすぐ20だけど、家族が失踪中なので、16から仕事しては辞めて、ホームレスしてる。
昨日は橋の下ダンボールで凍死しそうな寒さでした。
地方都市だけど、1日一回位、食物や服が落ちてたり。
正直楽でやめられない所がある。
今日は寒いの嫌なので24Hの店でマンガ立ち読みします。
経験上、あらゆる公共はなかなか助けてくれません。


●その若さで気の毒にな・・
家族全員お前を置いていなくなったのか?

●父は借金作り倒してあいりんにいるらしい。
母は新しい家庭を作ったそう。
まぁ中卒の16だったから自分でやれ、と。
まぁまともな家庭も羨ましいけど、この生活のお陰で、どんな状況でも常に楽しめれば、人生おもろいと思う。


●俺、ホームレスになったら山に籠もるよ。
それでサバイバル生活。
テントと寝袋、30年分のライターと塩と最低限の道具持って、病気になったら終了。


HL三種の神器。

①自転車(車輪止めは持ち上げ式)
②免許証(あるのと無いのとではまるで違う)
③作業着


テントはやめた方が良い。盗まれる。
段ボールに建築廃材の木片を立てて、ゴミ袋を広げてガムテープ補修。


寝床。
毛布だけで良い。
風対策さえすればまず困らない。


飯。
炊き出しで助けて貰う。


煙草。
これはコミュニケーションツール。
吸わなくても持ってろ。


着替え。
3日分が基準。多くても少なくてもダメ。
洗濯予備用にしとくべき。


衛生。
シャンプーと歯ブラシと髭剃り。
シャンプーで髭を剃るべき。


HLでも働ける仕事は土方しか無いんだから、
安全靴(1000)、安全帯(2000)、ゴム軍手(200)、作業着上下(2000)は確保しとくべき。


●俺は路上生活者だ。
昼間は土方で働いて、 夜は24Hの銭湯で寝てる。

給与日給7000円。
銭湯700 コインランドリー200。
昼飯は職場の人と食わないと行けないから1000円位。
かれこれ5ヶ月位続けてる。
月給で言えば10万位 バイト以下さ。
で支出は飯代3万 銭湯洗濯代で2万 携帯代が1万。

やっと16万位貯まったけど、はあ~いつまで続くんだろコレ・・・・

嫌になるけどやめても仕事無いしなー、家賃払って生きて行ける普通の生活ができねーんだよ。


冬場に寝袋のみで寝ると死ぬ。

大型の段ボール箱に新聞紙を丸めた物や落ち葉などを詰めてその中に寝袋を設置して寝るのが一番暖かい。
ただ拠点がないとどうにもならない。


私は、家を建てられない種類の自分の土地に、小さな小屋を勝手に作って電気も水道も引かないまま生活しているのだが、法律上、家は建っていない事になっているので これもホームレス?
もうすぐ10年になり、郵便も宅配も届くし、PCでネットも出来るのだが・・・

●それ市街化調整とかいうの?

●ハイ。

『家庭菜園や駐車場 資材置き場など 何にでも使えます(但し建築は出来ません)』という土地です。
街に近い郊外に多く家を建てられないので安く買え、自分名義である以上、その上で段ボールハウスでのホームレス生活を続けても、多分追い出される心配は無いでしょう。


●電気水道はどうしてますか?

●電気はお天道様から恵んで頂いています。電気代はタダですが、初期投資は必要です。

水は、風呂や洗濯に使わないので必要な量だけ、公園の水道から分けて貰っています。1日当たり5~6リッター位で間に合います。

●トイレは穴を掘ったのでしょうか?

●小はその辺、大はできるだけ外出時に、そうもいかないときの為にポルタ・ポッティを用意。


●台風なんて時はどこに居るんだろ。

●俺はビルの隙間に入り込んでビニールシートに包まって震えていた。
懐かしいな。
知り合いは山間部にいたときは太い木の枝をロープ使って組んで簡易シェルター作って避難してたそうだ。
雑木林は飛んでくるものが多くて都会より危険との事。(注・私も知っていますが、雑木林は、電柱よりひょろ高い大木が倒れてきて、まっ青になります。)


●スミマセン ちょっとお邪魔します。

もうだいぶ前、仕事をしていてわずかながらも収入が有った頃「自分には将来自分の力で家やマンションなどを買ったりは出来そうもないし、かといってアパートに入っていても高齢になったら独り者など、いつかは追い出されてしまうような気がするし、その時になって新しく別のアパートに入るなど無理なんじゃないか」と思うようになった訳なんです。


それでもって、色々と考た末、将来いくら貧乏になっても追い出される心配がないように土地位は買っておこうと考えたのですが、どうせ土地を買っても家は建てられないんだから建築不可の土地でいいんじゃないかと思い付き、するとそういう土地は、宅地よりも当然安いので、同じ予算で広い土地を買えるばかりでなく、周囲にも家を建てられにくいので私のような者には好都合な事ばかりが思い浮かび 当時少しはあった貯金を使って思い切って買った土地が、調整区域の雑種地100坪と言う訳なのです。

それは12年前のことです。


今、その土地の上にある小さな粗末な手作りの小屋の中でパソコンに向かってこの書き込みをしています。
2年ほど前に本当に失業をし、収入は無くなりましたがつい最近、月6万の年金が貰えるようになりホッとしたところです。

この土地を買っておいたために、居所の無い本当のホームレスにはならなくて済みましたがこの小屋は、法律上「家」にはなっていないため 文字通り「私はホームレス?」な訳なのです。
微妙な所で生きていますが 結構楽しいですよ。


●実際若い時(高校の夏休み)に家出したことがあるけれど、数日でも結構きつかった。特に雨の日は自分の身の置き場に困ったな。

大きなマンションの最上階の上のエレベーター機械室みたいな所の一角にダンボール持ち込んで寝たけど、エレベーターの機械音が怖かったの覚えてる。
バナナ一房抱えて神社の敷地の小さなホコラで寝た事もあって、そこは虫がいて大変だった。
建築現場に寝た日もあったな。仮囲いがあってそこそこ落ち着けた。

大人になった今ならツリーハウスをいくつか作って、サブで洞窟とかも欲しいな。

●とりあえずバイトして上質なアウトドア用品を金を惜しまず購入することだな。
ゴアテックスとか一枚でも保温力のある上着とかコンパクトシュラフとか
あと水洗いができるものをなるべく。
そしてできることならそれを使って実際にキャンプすることだ。

●お役人様へ。
ついでにもう一つ質問させて頂きますです、ハイ。
建築を認められていない土地で、何らかの方法で生活す方法を考え出したと仮定して、その「生活すること」そのものは、違法行為でしょうか? 
明快にお答え頂ければ、大変有りがたく思います。ハイ。

●安い調整地を買って、違法な寝床を作ったとしてもさ、役所が撤去できるっておかしな話だと思うんだ。
HLの排除でもそうだけどさ、寝る場所を奪ったら下手したら死んじゃうわけじゃん。
屋外で寝れるって夏のわずかな間だけだろ?
憲法で保証されてる「生存権」って建前だけなわけ?
教えてエロい人。

●少し角度を変えて考えるとね。利用価値の低い土地を有効利用するという考えは今まで見向きもされなかった廃棄物に少し手を加えて、すごく利用価値のある物に変える行為に通じるんだよね 。
処分に困っていたペットボトルを利用してフリースを生み出したのと同じようなもの。

だいぶ前の話だけど、イーデス・ハンソンさんが 「朝早起きして不燃物置き場を見て歩き、まだまだ使えそうな物を拾ってきて家で利用するのが楽しみ」と言っていた。
「日本人はどうして使える物を簡単に捨ててしまうのだろう」と嘆いていたのを覚えています。

ところが 今はゴミ置き場から何かを持ち去るとドロボー扱いになるんだっけ?
イーデス・ハンソンさんも、今のお役所が見たら、ただのドロボーか。
悲しいネ。(注・ごみステーションを漁って、古本やアルミカンを稼いでいるホームレスの、犯行現場を押さえたという風に、携帯でぱちぱちやっているママさんは、家の近辺でよく見かけるけど、たまにゆくよその国では、まだ一度も見かけたことはありません。)



ルンペン放浪記-ごみを漁るママさん
(まだ使える“ダンボール”を物色して、ゴミあさりにいそしむママさん。ゴミあさりは当たり前で、家具あり、冷蔵庫あり、食い物ありの、ニューヨーク・シティ 2007/7/29)



●知り合いの年老いたお年寄り(同じか?)が、私の土地を貰ってくれないだろうか? と言ってきた。その土地とは、しばらく前に買って使っていた30坪程の3角形の家庭菜園向け(農地ではない)の土地で、自宅からはクルマを使わなければ通えない距離にあるので そろそろ手放して身軽になりたいと言う。お金を出して買った土地なのだが、とても買い手が付くような土地ではないと思うようになり、もしよかったら・・・  という事だったのです。名義変更の費用は負担しましたが ありがたく頂き、ほんの気持のお礼を差し出したら、恐縮して感謝されてしまったという本当の話です。


これは、先々が心配になってきたお年寄りが、まだまだ元気な飼い犬などを「誰か、私の代わりに可愛がってくれる人を捜して欲しい」と考えるようになるのと同じですね。もしかしたら、貴方の近くにも、こういう話はあるかも知れませんよ。

いい話ですね。

●過疎の話題が出てるけど鹿児島県民の俺ならアドバイスができるぞ。
鹿児島だと地域によっては一軒家や二階建てが無料で借りれる場所とかもある。
過疎過ぎて人来てくれ!みたいな地域もあるから。

他にも山がデフォルトで完備されてるから山の奥まったところを勝手に切り開いてテントでも張れば普通に野営できる。
マジで死体とか捨てても絶対にバレないような場所は多い。
まぁ基本的に市街地から外れた場所限定なんだけどね。

公園から水は調達できるし、最悪、川の水飲んでも死なない。
海にも面してるから海釣りとかも普通にできる。
あと、基本的に山が切り開かれて野営が撤去されることは無いと断言する。
鹿児島のさらにと田舎になると未開の地は多い。

勝手に山を切り開いて自給自足しても大丈夫じゃないか?
野菜とかをテントの周辺で栽培して水はそこらで調達できるし・・・。

残りは米だが近くに小さな田んぼでも作ればいいと思うよ。
田舎だし土地は安いと思うから。

せめて3人ぐらい居て役割分担や娯楽が調達できれば・・・・。
テレビが映るくらいの電力をどうにか出来ればな・・・。


●貸すだけの話には全く興味ないなぁ。
貸すってのと貰えるってのとは天地ほどの差があるし・・・
たった10坪でいいから、貰えるのだったら喜んで行きたいね。
10坪も有れば余裕で車上生活が可能だし。

●しかし 土地の事を考えると 何か変だねー

大昔は土地は誰のものでもなかったハズだ。
いつの間にか 所有者が決まっていた。
俺は許可した覚えはないのだが。

誰も居ない海水浴場に行って 砂浜に横になったら 「そこは俺の場所だ」と怒られるようなものだ。

●でも同じ金がないなら狭いアパートで家賃を絞り取られるより自分の土地に三角テント張るほうがいいな。

●ニート歴1年が経ったとき親から出て行ってくれって言われた。
一日中部屋に閉じ篭ってネットばかりしている。
電気代や食事代は誰が払ってると思ってるんだ。
お前はうちの家族の癌だ早く出てってくれ。
そして僕はひとりになった。もう終わりだ。

どうして終わりなの?
これから始まりだよ。

ホームレス用のシェルターとか各地に作れよな。
そこでは夕飯を配給されて町の環境美化の一環としてシャワーも浴びれるようにして住所も与えて簡単な仕事も斡旋してとか、なんで政府はホームレスをほったらかしなんだよ。








●2チャンネル『ホームレス生活術』 09/8/29~)より、コアだけを抜粋させていただきました。若いやつらも、凄いね。とてもとても、心強い。深謝。●



「ライフ・イズ・ビューティフル(人生は美しい)」と、ねね

Theme: 語り 2009年11月12日


               
            
 



タヒチからの乗り継ぎの客を待って出発するコンチネンタルはツアー客よりむしろぱっとしないビジネスマンや軍関係の下級雇員が大半を占めているようだった。

ディナーも終え、照明を落として数時間もすると、みな疲れているらしく、機内はいつのまにか静かになった。
ねねは黒人女性と隣り合わせた。
その女性は看護婦で、急逝した父の葬儀に参列するためガム島の米軍基地からヒューストン経由でフロリダの田舎まで戻るという。
ねねとは意気投合していたようだった。
互いに流暢な英語で、家族のこと、猫のこと、最近話題になっている沖縄の米軍基地のことなどを語り合っていたが、ねねが隠し持ってきたボトルが空になると、看護婦は、耳あてと眼帯をつけ、ぴんと背中を伸ばしてバックシートにもたれかかってしまった。


ねねは客室乗務員の目を盗んでもう一本取り出して、ぐびりとラッパ飲みした。
「あの女、あたしのことをハリウッドのお招きを受けたのですか、といったわ。お世辞よ、でもその意味、あなたに理解できて?」ねねは興奮していた。「この便を探し当ててわたしとてもラッキーだったわ。女優と勘違いされたなんて何十年ぶりかしら?叩くだけ叩いた航空券も信じられないほど安かったし、あなたなら、ボブもきっと歓迎してくれるよ。ラッキーよね。ねえ、これってライフ・イズ・ビューティフルってことじゃない?」
手元のアルコールは綺麗に飲み乾すまでやめない女だった。
「飲みすぎだな、ねね」私は窓から海を見ていた。「つまみ出されても助けてくれるような豪華船もタグボートも見えないぞ」
「ビューティフルな気分のときは、誰だって飲みすぎてもいいのよ」
「誰がそんなことを決めた?」
「キリストよ」
「あんたのキリストにかかると手も足も出せんな」
「あたしの場合、墜落しても、きっとトランポリンを広げて救援隊が受け止めてくれるの。だからあたしいくら飲んでいいのよ。だから、これ、いただくわ」
ねねは私のポケットから錫製の小型水筒をひょいと奪った。
「ああ、おいしいウオトカだこと、とてもきくわ」
「毒入りだから、半分ほど残しておいてくれるとありがたいぜ」
「期待していて。だけど、ライフ・イズ・ビューティフルがネックね」

肌の浅黒いパーサーが来た。
低い鋭い声で、持ち込みは困るとがたがたの英語でいって、錫の水筒を取り上げ、取り付くしまもなく中身をボールに捨ててしまった。
「最悪ね」ねねは毒づいた。「礼儀知らずは、しっ、あっちに行け」
日本語は分からないというように、パーサーは肩をすくめた。
「うそつき、ユーアー、ライアー、アンドごみ野郎。ゴーアウト、アンド失せやがれ。あほめ、糞ったれ」
取り合わないが一番だ。
一万メートル上空を時速千キロで静止したように駆け抜けるジェット旅客機の小窓から私は外界をのぞいた。
ねねはせなかを丸めて眠り込んでしまった。


もう、20年になるのか。

ある日、地方競馬場でみぐるみはがれ、銀行強盗でもして金を手に入れようかとゲートをふらふらと歩いていると、ふと、はずれ馬券をあさっている女がいた。
「強そうね」

「喧嘩だけはな」

「ねえ、一杯ご馳走してくんない?のどがからからなの」
見てくれのいい女で、何か喋るとあたりがぱっと華やいだ。
「あいにく、おけらでね。コーラーしか、ご馳走できないぜ」
「コカ・コーラーはいや。糞のにおいがするわ。ツケのきく店、あって?」
「あるがね……」
「出入り禁止なのね。どんぴしゃりでしょう!でもいいわ、あたし、今日は派手に飲みたい気分なの、ちょっとつきあって」
ねねは、ひょいと手をあげて通りがかりのタクシーを止めた。

容易に想像できたが、ねねにいいよるろくでなしはあとをたたなかった。
画廊を持っているやつとか、産婦人科医とか、深夜テレビのアナウンサーとか、政治家の私設秘書だとか、名の売れた声優さんだとか……私もろくでなしだったが、のし上がるために必要な教育も、明日の算段も、係累もないやくざな飯場暮らしだった。

ねねは、私に読み書きを教え、着ているものはもちろん、髪の形や箸の上げ下ろしから言葉づかいまでうるさく文句をつけながら、金につまるとインチキな投資話を持ちかけ、あちこちの飯場を渡り歩きながら貯めこんだ私の貯金残高をむしり取った。

さすがに化粧品のネズミ講にはひっかからなかったが、秩父の山岳地やそのあたりに点在する二束三文の調整区域なら、目をつぶって話に乗った。


そうしていれば、ねねは必ず寄ってくるし、やがて時代の底がぬけ、ねぐらにも食い物にも見離される日が来ることはわかりきっていたからだ。



それにしても、いったい何度別れ、何度よりを戻したことか。



しかし、それも、もうおしまいだった。

私は、河川敷で知りあった片手のない女と芋を主食にして暮らしていた。

片手はないが、女は私と瓜二つだった。


私が右を向こうとすれば右を向くのではなかった。左を向こうとすれば、左を向くのではなかった。

右を向くと同時に右を向き、左を向くと同時に左を向いた。


私たちは土に濡れ、山岳地に貯水槽を埋め、水を引き、豚やニワトリを飼い、調整区域を畑にして、大根やネギ、キャベツを育てた。

ねねは、ひょっこり訪ねてくるたびに目を見張った。


これが最後だった。
牛も羊も飼い、稲作もやりたかったし、こなしきれない通信販売も軌道に乗せたいと思っていた矢先、ねねはいわば正式に別れを告げにやってきた。



ねねをゆすってみたがむにゃむにゃいうだけだった。

はじめてあった33歳からいつのまにか53歳を数え、すっかり色香のあせたねね、子もなく、女優になりたいという夢を追いつづけて破綻し、残骸になってしまったねね。
いつまでたっても愚かな、ねね。
(いっしょに暮らしているボブとあって欲しいの)――といってきかないねねが、ふと、愛おしかった。
何年も忘れていたが、私はねねの痩せこけた頬に、そっと唇を触れた。


ヒューストンで乗り継いだコンチネンタルはでこぼこだらけで、まるで使い古されたバスのようにはげちょろけていた。ファストクラスもビジネスクラスもエコノミーもみな外国人の乗客ばかりで、彼らは、みなあけすけで親切で信じられないことにとてもナイーブだった。荷物を満載したリュックをラックに乗せようとして四苦八苦していると、教授のような老人がさっと手伝ってくれた。
二日酔いのねねは瀕死の病人のようだった。
荷物をカートに載せ、ねねを背負って、荷物運びの下男のように列に並んだり、トイレに駆け込んだりした。
ポリの尋問に途方に暮れていると、北海道で英語教師をしているという白人青年が通訳してくれた。
その青年のおかげで何とかデンバーの荷物置き場と出口にたどり着いたようなものだ。
出口には、ねねの亭主は来ていなかった。
「ボブはきっと酔いつぶれているのよ」
ねねは明らかに失望を滲ませて、肩を落とした。



高地のせいか、夜が来ても、空のふちにいつまでも濃いブルーが漂いつづけた。


多数の民族の悲惨と矜持が、路地の暗がり、ベンチの上、見捨てられた廃墟にも、いたるところに充満し、誰もが、嗚咽をこらえ、穏やかに、この世のありようの過酷さをやり過ごしているように思えた。
ビジネス・エリートをはじめ、吸殻を探しつつカートを押してよろめくホームレスの夫婦にいたるまでみな、誰のものでもない個性を孔雀のようにぶら下げ、声をかけると、誰もが「ホワイ?ジャブ」(てめえこそどうだね?)と豊かな表情を崩した。

公園で戯れる人々はみな優美に、しなやかに闊歩し、木々にはリスが飛び跳ね、芝生ではサッカーに興じる男女にまじって黒くてしなやかなドーベルマンが疾駆した。
その夢のような光景を眺めていると、貧乏も失業も老いも、戦争ですらどこか遠くの、ありえない世界の不躾な出来事のように思えた。



毎日、ダウンタウンで飲み、食らい、のどが痛むのも構うことなくわめき散らし、ボブと過ごした。


ボブは37歳のとき、弟といっしょにカルフォルニア経由でメキシコから不法入国した。
弟は、国境で射殺された。
以来働きずくめに働き、ニューオリンズの農場でハリケーンに襲われ、メキシカンを頼ってデンバーで煉瓦工になった。
煉瓦工の口も底がつき、路上生活をしているとき、コインを手渡してくれたねねに声をかけられ、やがて、ねねといっしょにNPOを手伝いながらシェルターで暮らすようになった。

日本語を理解するボブと私は、最初に会った瞬間から意気投合した。



「最後に、テキーラをやろうか」
「おれもそう思っていたところさ」ボブはそう答えて、銀行でドルを降ろしてきた。「安いところを知っている」
がらんとして殺伐とした店にはテキーラは置いていなかった。
降ろしてきた札は全部デュークボックスにつぎ込まれた。
ビールを飲み、蟹を食い、メキシコ女を巻き込んでのドンちゃん騒になった。
勘定を払う段になっていいあらそいになった。
「おまえはあちこちおれを案内してくれた。わしが払うのが当然だ」
「たまにゃおれもはめを外したかったのさ。あんたを案内したのはことのついでさ。ふざけるな」
「だめだ、わしが持つのは日本の流儀だ」
「おれがいっているのはメキシコの流儀だ」
それからまた飲み始め、踊り、空港まで予約していたタクシーが来たので「幸運を祈る」と硬く握手した。


「行くのね」
ねねは蚊の鳴くような声でいった。
「行くよ」
「もう会えないのね」
ねねは泣いていた。
「ねねらしくないぞ」
「あたし、送らないわ」ねねはだだをこねた。「さようならもいわないわ」
「元気でな」と、肩を抱こうとして、ふと、数日前から思っていた、ある考えが口をついてでた。「気が向いたら、秩父の山の、おれたちを助けてくれないか。いつでも歓迎するぜ」
「まあ!」
ねねはぱっと明るんだ。
「ボブさえよければね」
「まあ、うれしい!あたしだって、ちっちゃいとき、ひよこを飼っていたことがあるのよ。ねえ、これって、ライフ・イズ・ビューティフルってことなのね。きっと、そうよ!」





乗り継ぎのヒューストンで成田行きを待っている間、日本人観光客の集団に出くわした。
卑小なほど得意げで、信じられないほど醜い。
フロリダやラスベガスに行ける恵まれた身分だという勲章のために、ぼろでもかき集めるようにみやげ物を山ほどぶら下げて、われ先へと座席に走るツアー客を見ていると、吐き気をもよおした。


                    





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ホームレスだって、すてきだろう? ? ホームレスを好きになるかも知れない人たち ホームレスに関心を持ってくれた人たち since 2009/4/15
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