ミノナライ

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ミノナライ

日本には、「見習い」という言葉がある。
これはとても意味が深い言葉だ。

この言葉は、カタカムナで言う「ミノナライ」から来ている。
くり返し、くり返し、行を重ねて、細胞にしみこむまで
身につけていくことを言う。
その中から、正しい方向性をつかむ「直観」が磨かれていく。

熟練した職人についた弟子は
見習い期間のうちに、師匠の一挙手一投足を真剣に観察し、
師匠の技を学び取っていく。

日本には「一を聞いて十を知る」
という言葉がある。

それは
師匠に説明してもらって分かるのではなく
相手の心や、言わんとすることを読み取り
これからすることの気配を感じ取ったり
技をみて盗んでいくということ。

瞬間、瞬間が真剣勝負なのだ。

いさどんが畑に出ていた頃
畑作業の現場は、まさにこういう「ミノナライ」の日々だった。

いさどんは、
少なくともメンバーと一緒に仕事をするときには
多くの説明をしなかった。

いさどんの手元をするものは
いさどんが、これからしようとすることを
全神経を傾けて読み取る必要があるし
次に自分で出来るよう
真剣に学び取って、身につけていく必要がある。

その動きを真剣に見なければ
適切な行動を取ることは出来ない。

余りにも勘が鈍いものは
仕事拒否をされることもあった。
私も仕事拒否をされたことがある。

ある日のこと、畑でいさどんと作業をしているときに、
いさどんがして欲しいことが分からずに
「もうだめだ」と投げだそうとしたことがあった。

そのときにいさどんから
「そこでそうなるからダメなんだ」と言われ、
それもそうだと思い、気を取り直して作業を続けたということがある。

人は勝手に自分で限界を設定し
それを超えられないものにしているが
自ら設定した限界は、超えることが出来るのだ。

又こういうこともある。
いさどんのために配慮として取った行動に対して
後で「無駄なことだ」とか「嬉しくない」言われることがある。

ある日の畑で、私が取った行動は
不安をベースに考えた結果だったので、直感が働いておらず
的外れの行動になってしまったのだ。
そのためにぐるぐる回した思考も、取った行動も無駄なことだった。

「先を読む」「言われてからやるのでは価値がない。」
ということも、いさどんはよく言う。
自ら先を読むことが求められるのだが、
自分の思考にはまりこんだ状態では
相手の心や物事の流れを感じ取ることは出来ない。

心に曇りがある人間は、知らず知らず、日々的外れなことをしている。
その的外れを、作業の現場で教えられる日々だった。

今でも、いさどんと会話すると「何故そう思うのか?」と、
何気ない会話の中で問われ、答えられなくなることがある。
安易な思考と、安易な言葉遣い、そして安易な行動というように
物事はどんどん安易な方向へ流れていく。
そういう安易さをいさどんは見逃さない。

こんなふうに、心を細かく見られたらたまらない
と思う人もいるだろう。
世間だったら、人によっては、いさどんのことを「なんて横暴な人」
という判断を下す人もいるかもしれない。

けれども、安易な思考をし、言葉を発し、行動をとり続けてきた結果
人は、自分の人生を行き詰まらせる。
そして、そういった人がたくさんいることの延長に
地球上には山積みの問題が展開されている。
殆どの人が、それが自分たちの安易な思考と言葉と行動の結果とは思っていない。


もともと日本には
師匠に弟子入りしてそのそばにいて、聞いておぼえるのではなく
自ら読み取って身につけていくという鍛錬の方法がある。

ある雑誌の記事に、カナダ人の落語家「桂三輝」のことが載っていた。
彼は、桂三枝の創作落語を見てそれに惚れ、弟子入りしたという。

「三年の修行期間中、師匠の部屋やトイレを掃除しながら
朝から晩までべったりついて芸を盗みます。

落語の修行は非常に大事。人間が変わると思う。
師匠が言わなくても、「今コーヒーがのみたいのかな」と気付かないといけない。
「コーヒー入れて」という言葉を待っていたらアウトで、
言葉のないところを探さなくてはなりません。

そうして修行が終わって、師匠の空気を読めるようになったら、
落語をやるときにお客様の空気も読むことができるという考えかたなんです。」

この記事を読んだときに、
「いさどんのそばにいる人たちがしていることは、まさにこういうことだ。」
と思った。

「自分というものをわきに置いて、まず相手のために行動する。」
いさどんが、私たちにいつも言う言葉。

いさどんはそうやって、周りにいる人の心をつくっている。
細胞一つ一つに染み渡るように、
そしてエゴが削ぎ落とされるように
身をもって示し、良心に語り続け
根気強く私たちを導いてきた。

かつて私は、世界の平和を思って世界平和の祈りをしていた。
けれども、木の花へ来て、みんなで暮らしてみると、
実際の生活の中で、自分の事ばかり考えていることが徐々に見えていった。
こんなに自分優先で生きていたのかと思い知る日々だった。

自分優先で物事を進めようとすると必ず滞りが起こる。
自分をおいて他者の為に動く、それを働く(ハタラク)というが
こういったことを、実践するよう「ミノナライ」の手法で
全細胞に染み渡るよう、日々育まれていたのだ。

その先に何があるのかというと、
一人一人が直観で物事を受け取る様になると
議論したり、細かい段取りをしなくても
物事がスムーズに運んでいく世界が展開する。
それが木の花の合い言葉「阿吽」なのだ。

スポーツの世界を見ても
日本では「柔道」「剣道」というように「道」がつく
こうした「道」と名がつくものは、「練習」ではなく「稽古」を積むという。
6月のカタカムナ研究会で、はが兄がこのことについて語った。
稽古(ケイコ)とは、練習とは違い、一瞬一瞬が真剣勝負なのだという。

「ミチ」をカタカムナの短音で解くと
身(ミ)にカムミ(ミ)が持続(チ)すること。

カタカムナ人は、
「ヒ」から始まり、
「フ」で震え、陰陽「フタツ」に別れたものが、
「ミ」で満(ミ)つってエネルギーとして中身(ミ)が充満し
「ミ」から始まり「ミヨイムナヤコト」と発展していく経緯をミチと言った。
これを学んだ中国人は「ミチ」という言葉に
「道」という字を当てたのである。

また、「ケイコ」を短音の思念でひもとくと
相手の位置(イ)の気配(ケ)を心で感じ取るまで、
くり返し(コ)そして超えて(コ)ゆく事。

「ミノナライ」とはまさにそのことで
日々の一瞬一瞬が真剣勝負なのだ。
その積み重ねの中で、自分というものを超えていって
ついには、
神業を会得するところまで人は行くことが出来る。


いさどんのいただきます人生ブログ「疫病神も逃げていくヒビキ」には
次のようなことが書かれている。

   ◇ー◇ー◇ー◇ー◇

あなたの癖は、「自分なりに」ということ。
でも、その「自分なり」を超えないと、新たな自分は生まれてこない。

人というものは、
自分なり以上のものを求められると、苦痛に思うものなんだよ。

しかし、自分なりに生きてきた結果、
たとえばそれが良いことならそのまま進めばいいのだけど、
そこに何か問題事があるとしたならば、
それは自分なりに生きてきたからなんだよ。

ということは、
その「自分なり」を変えることが、次のステージに進むことになる。

地球は、
変化・変容・変態を繰り返しているのだから、
「自分なり」なんて、
そんな固定された状態はないんだよ。

しかし、
そういったことを客観的に捉えられていないから、
自分なりに、
自分にとって心地の良い状態を常に保とうとするんだよ。

    ◇ー◇ー◇ー◇ー◇

「自分なり」という言葉を人はよく使う。

「自分なりにやってみます」
「自分なりに頑張ります」

日々身に起こる「自分なり」に対する答えである現象が
多くの場合、問題となって発生し、人は悩み、苦しんでいる。

いさどんが生活の中で「ミノナライ」として私たちに伝え続けているのが
この独りよがりの「自分なり」を超える術なのだ。

カタカムナでは、「ミノナライア」の結果、心の波動量が上がっていく。
それが、天の心、つまり「カムミ」を感受できるよう、
直観を鍛錬するという道なのだ。

直観を鍛錬する方法として、
木の花では日々の生活の中で、
まず自分をおいてみんなのために「ハタラク」
というケイコを積んでいる。

先に神技を会得している師匠について
いずれは自らがその域に達するのが
かつての日本の職人の世界だった。

今は、そういった師匠について
ミノナライの体験を積むのではなく
誰もがインスタントに出来るように、
均一なマニュアルに沿って仕事をするという風潮がある。

マニュアル主義は、現場で起こる様々な出来事に
臨機応変に対応できないという現象を産んでいる。
それは、直観が働いていないということだ。
そんなことが、今、いろんな現場で起こっている。

医療の現場、教育の現場、様々な生産の現場 ・・・ 等々

「自分なり」というひとりよがりや
考えずに済む「マニュアル主義」を超えるには
一人一人が真剣に天に語りかけ
真剣にその場に向かうことが始まりだと思う。

その事をやり続ければ
それは細胞に染み渡っていく。
細胞に染み渡った学びは
いつか時が満ちて、その人の個性となって花開く。
そうして、必ずその場にふさわしい答えを出せるものになる。

だから、日常の一コマ一コマを宝石のように大切に、
自分のためではなく、周りのために生きる。

いさどんが、みんなに伝えてきた大切なことが
カタカムナの学びと共に
ああ、あの時のあれがそうだったのかと、
一つ一つ甦ってくるのです。
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