「言葉」の背後に飛び込んでみたら愛が出てきた | 我が学習の変遷の記録(旧・宇宙わくわく共創局)

「言葉」の背後に飛び込んでみたら愛が出てきた

 

 

私はこれまでの学びの中で、この世界は「形」と「形を超えた世界」の両側面から成り立っているということに気がつきました。しかし、それでも私の学びの中で気がついていない点がありました。それは、エネルギーというレベルの認識でした。

 

それまで私はエネルギーというのも漠然と「形」のない次元に属するものだと思い込んできました。しかし、エックハルト・トールさんの「パワーオブナウ」を読み返していたら、エネルギーというのは、「形」と「形を超えた世界」の中間点であり、「形のない世界」への入り口であり、「形」を生み出す出口でもあることに気がついたのです。

 

この認識は私にとっては、とても重要な意味を持ちます。

 

すなわち、私の意識をいまここにもってきて100%「存在そのもの(Being)」になるためには、まずこのエネルギーを通過してその先の「空間(space)」や「静寂(stillness)」に飛び込む必要があるというクリアな認識を得たからです。それまでは、私は自分の身体の中で振動するエネルギーを感じることがすなわち「存在そのもの(Being)」になることだと思ってきたのです。

 

しかし、エネルギーというのは、そもそも動きを伴っており、「活動(doing)」を表現しているので、それは「存在そのもの(Being)」ではなかったのです。「存在」というのは、「活動」を生み出す「静寂(Stillness)」であったのです。

 

たとえていうなら、二つのベルをぶつけて音を出すことを思い浮かべていただければわかりやすいと思います。まずぶつける前にはそこに「静寂」があります。そして、そこから二つのベルをぶつけようというエネルギーが生まれ、「音」を発生させます。そして、その「音」はやがて、「静寂」へと戻っていきます。私はこの「静寂」と「音」という、「形ではない次元」と「形」の二点にのみ焦点を当てており、その中間の「音が生まれていくプロセス」や「音が消えていくプロセス」が眼中になかったのです。

 

そして、私は、この「音」と「静寂」、「形」と「形を超えた次元」の中間点であるエネルギーから「存在そのもの(Being)」の次元へと入り込むことこそが、大切であるという体験をしたのです。

 

昨日、授業中、二人の生徒(男子生徒と女子生徒)が大きな声で言い争いにも聞こえる状況になったのです。私は思いもかけず飛び込んできたその状況によって、「存在そのもの(Being)」から切り離された「無意識」状態になり、視点も過去や未来の間を行ったり来たりして、ちょっと感情的に対応してしまったのです。「せっかくきっちり授業の準備をして最高の授業をしようと思ったのに邪魔してきた!」とか、「こんなことが親や校長の耳に入ったらどうしよう」という過去と未来が頭の中を駆け巡り、文字通り頭の中がカッとした燃えるような状態になってしまったのです。何とか意識をいまここにもってきて、「存在そのもの」になりきろうとしたのですが、私の中で発生した感情は強烈で大きく、私は、いつまでも生徒たちの言葉や行動などの形にこだわり続ける状態が続いてしまったのです。

 

そして、今朝、近くの公園を散歩しているときも、そのことが頭を離れず、いつまでも頭の中をネガティブな思考が駆け巡っていました。しかし、歩いているうちに、ふと、その思考が途切れる瞬間があり、私はふと、昨日の教室の状況を再現してみたいと感じたのです。それも単にその状況を映画のスクリーンのように思い浮かべるというレベルではなく、実際に言い争いに聞こえるくらい大きな声で話していたそれぞれの生徒たちの内面に「いまここ」で飛び込んでみたのです。そこには文字通りの「静寂」の「空間」がありました。そこには、相手に対する決めつけの感情もなく、何の言葉も思考もありませんでした。

 

そして、そこから、その生徒の表現した言葉のレベルへと意識をシフトさせたのです。すると、そのときに生徒から言葉が生まれる直前に、私はそこに純粋なその生徒のエネルギーを感じたのです。それは言葉になる前のものであり、言葉で100%完璧に表現することはそもそもできないのですが、あえて、それを言葉で指し示すと、それは「僕を愛してほしい」「僕は君が好きだ」「僕に気がついてほしい」「私のことをわかってほしい」「あなたに誤解してほしくない」「こんなの本当の自分じゃない」という感じのエネルギーだったのです。

 

それは愛でした。

 

そして、その愛のエネルギーが「言葉」という形でお互いの間で交わされ、それが、言い争いにも聞こえる強く大きな音として私の耳に入ってきたということに気がついたのです。私はその言葉という形のみに注目していたのです。言い換えれば、彼と彼女の「言い争い」は単なる一つのエネルギーのパターンから産まれたものだったのです。

 

さらには、その「言葉」がやがて「エネルギー」レベルになり、再び「静寂」になっていくプロセスをクリアに感じることができたのです。それはまるで、静かな海面から大きな波が生まれ、それが再び静かな海面にもどっていったことを体験したかのような感覚でした。

 

私はいつの間にか頭の中から燃えるような怒りが消えていることに気がつきました。そこには、静寂の空間がありました。いいも悪いも、過去も未来もなく、ただいまここに存在しているだけでした。

 

私たちの存在のエッセンスは愛だったのです。

感謝につつまれました。

 

まさしく「目覚めの朝」でした。

 

 

今日も読んでいただいて、ありがとうございました。

オーストラリアより愛と感謝をこめて。

野中恒宏