2007年末、統一教会は揺れていた。真の御父母様は摂理の最終段階を見据えていよいよ政界へと打って出ていくべき時を感じていた。明確なる南北統一のビジョンを掲げ、2013年基元節を勝利的に迎えるためには勝負に出なければならない分水嶺を迎えていた。2007年末の韓国大統領選挙から2008年初頭にかけての国会議員選挙は、その後の摂理の明暗を分けるものであり、側近の誰もが御父母様の胸の内、心情を知っていた。当然、協会NO2の郭錠煥氏が御父母様の心情を知らなかったなどはあり得ない。

ところが、郭錠煥氏は頑なに大統領選出馬を拒んだ。末端の責任者の間には、郭錠煥氏の大統領選出馬は当然のことと認識されており、未だか未だかとその時を待った。ここで、その頃の様子を裏付ける貴重なブログ記事がある。「中山グループやお休み派、反対派から帰って来い!」のブログで真実を訴え続ける“ひとすじに行く氏”のブログ記事内容だ。

http://ameblo.jp/hitosujiniiku/theme-10038941805.html  



 このブログ記事内容は、多くの食口たちが評価するようにかなり信憑性が高いものだ。4人の候補に対して、御父母様が必死訴える様子とその心情が鬼気迫る形で伝わってくる。この時、渦中の中心は、やはり郭錠煥氏だ。いったい誰が郭錠煥をさて置き我が協会を代表して大統領選に出馬できようか。御父母様は、郭錠煥氏の周辺で囁かれる様々な問題を知りながらも、この時を待って忍耐し、郭錠煥氏を育て続けてきたのではなかったのか。郭錠煥氏は、神様と天地人真の御父母様と全世界の統一食口と未来の2世、3世・・・たちの道を開くべきであった。捨て身の覚悟で御父母様の命に従い2013年基元節に向けて決断すべきであったのだ。


 郭錠煥氏の出馬により知名度を得た統一家庭堂は、迎えた新年2008初頭、食口たちが大挙国会議員選挙に出馬し、最低限の議席を確保しなければならなかった。よもや惨敗の憂き目にあうなどはあろうはずもなかった。郭錠煥氏の大統領選出馬は他でもなく、全て神様の計画であったのだ。それを・・・。何故、そんなにも郭錠煥氏は、頑なに御父母様と幹部たちの要請を拒み続けたのか。ここにこそ現在に至る郭グループ問題の根深さがある。このような状況下で御父母様の心情を誰よりも心配され、苦悶苦闘された孝進様。眠れぬ日々が続き、とうとう2008317日に聖和することになる。その苦悶苦闘とは、教会に根ざした郭グループ問題ではなかったのか。


 何故なのか、何故そんなにも摂理の最重要局面で郭錠煥氏は御父母様の願いを拒んだのか。答えは簡単だ。大統領選挙にあたって自らの身辺すべてが暴露されるからだ。それは大統領候補者ゆえの当然の定めなのだ。国家もマスコミもこぞって身辺を調査せざるを得ない。そのようになった時には、万が一、不正な蓄財などがあれば大変だ。例え、海外の銀行口座であろうと暴かれてしまう。それは国会議員候補の比ではないのだ。2008年の国会議員選挙には協会幹部も数名が名を連ねたが、一般公職者に比べて、幹部たちの資産や年収には、食口も一般人も驚かされる数字が並んでいたという。


 公を優先すれば築き上げた名声が崩れ去り、私を優先すれば御父母様の下を去らなければならない。郭錠煥氏は一族を巻き込んで決断の時を迎えていた。御父母様の下を去らなければならない理由があるとすれば、あまりにも大きな不正蓄財発覚を恐れてしか考えられないのだ。顕進様を巻き込むのは、自らの不正をカムフラージュするためだ。そんな郭錠煥氏を一族も擁護せざるを得ない。郭錠煥氏よって利益を得ていた幹部、食口も右に倣えせざるを得ない。何も知らない純粋な2世や食口たちを巻き込めば巻き込むほど、自らの不正はカムフラージュされる。自己正当化と責任転嫁しやすくなるのだ。そんな郭錠煥氏一族の筋書きドラマにうかつに巻き込まれて、知らず知らずに郭グループ化されてはならない!