現世を忘れぬ久遠の理想

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早稲田大学の校歌に、「現世を忘れぬ久遠の理想」という歌詞があります。

つくづく今になって思うのでありますが、これは、非常に素晴らしい言葉だと思います。

 

「現世(げんせ)」というのは、現実の世の中という意味で、「久遠の理想」というのは、未来に向けての果てしなき理想という意味だと思われます。

ここで何が素晴らしいかというと、はっきりと、「現世を忘れぬ」と前提条件が歌詞に書いてあることです。

 

つまり、理想を追求する、理想の世界を求める、その際においても、常に現実の世の中を見据えて行動しなければならないという意味でありまして、言い換えれば、現実と理想のバランス感覚と言えるでしょう。


 

いくつか例を挙げます。

 

ソーシャル・ビジネスということで、ある有名な実業家が起業家を募集しました。そのときに、貧しい国の郷土料理を東京に、レストランとして作り、そしてその貧しい国の特産品やそこでつくられた野菜や果物を輸入して、ビジネスを始めようとの企画書を出した人がいました。

 

それをみるなり、その実業家は、

「この考え方はあまりにも理想に傾いている。この料金でレストランをつくったら、やがて経営的に息詰まる。高級なエスニック料理専門店として、もっと客単価を上げ、付加価値を高め、利益を出さなければ、あなたのソーシャル・ビジネスは成立しませんよ」

と指摘されました。

 

これがまさに、現実と理想のバランス感覚だと思います。

どんなに理想を求めても、現実のものとしてそれが機能しなければ、ビジネスとして成り立たなければ、理想を追求するどころではない、ということでしょう。


 


 

また、今問題になっている様々な教育の問題であっても、すべての子供たちが平等で、争いのない学校生活を送る、これは理想ではありますが、実際の世の中はそうではなく、どんなに先生が指導しても、言うことを聞かない生徒や保護者がいることもまた事実であります。

 

特に(教育学部を出て)学校の先生になろうという人は、まじめな人が多く、また教育学者というのも、比較的恵まれた環境で育ち、どうしても理想を追求する傾向にあると思われます。

 

 

 

ですから、教育学部で将来教員を目指す学生に、「伸び行く力をはぐくむ」とか、「人の心を分かち合える子どもを育てる」、それは確かなことでありますが、一方で、実際の教育現場に出れば、中にはとんでもないような生徒や保護者がいることは事実です。

 

この理想と現実のギャップに悩んで、いざ学校の先生になったら、現実の教育場面に直面して、悩んでしまう教員がいることは、私の身の回りにおいてもいらっしゃることを経験しております。

 

この早稲田大学の校歌の一節である「現世を忘れぬ久遠の理想」という言葉は、厳しい戒めの言葉だと思います。理想だけを追求してもダメ、現実に甘んじてもダメ、その両方をうまく勘案して、対応するべきだという教えではないでしょうか。

特に、現在の社会においては、このバランス感覚がくるっている社会ではないでしょうか。


 


 

また、ここではっきり申し上げますけれども、私のところにも、学習塾を始めたい、これから、自分の理想の塾を作りたい、と言って相談に来られた方が何人もいます。(大手塾の岡山進出を含めて、いくつかの塾の設立には私が関与しています)

 

その時に私がどなたに対しても必ず申上げるのは、

最低限の利益(生活費)を確保しなければ、理想の教育は不可能である。塾が軌道に乗るまでの生活費の算段はありますか?

ということです。

 

UBQを設立した時に土日に授業を集めていたのは、平日の仕事をしていて、それで生活費を捻出していたからです。どんなに採算がとれなくても、食っていけるから、指導理念において一切妥協する必要がなかったのです。さらに個人営業の赤字を・・・・・から・・・・できるということを知っていたからなのです。だから法人成りしたのは3年後なのです。


 

 

大手の学習塾から「大手塾は儲け主義だ、理想の塾を作りたい」と言ってその塾を退職し、塾を始めた結果、経営的に行き詰り、生徒をほったらかしにして、やはり、元の大手の学習塾に戻っていかれた方を何人も知っているからです。

 

 

何しろ岡山は三越が撤退する土地柄ですから、難関塾の経営は不可能にも近いところです。東京大学理科3類に2年連続合格なんて、経営的には大打撃なわけです。

 

理想の教育を実現するためには、経済的に利益(生活費)を上げなければ不可能なわけです。教材とか、優秀な講師を雇う、もちろん、無料ではできません。

ですから私ははっきり申し上げますけれども、学習塾を始めるからには、適正な利潤=利益(生活費)の確保が最も重要なことだと思います。

 

なかには、理想の塾を始めたけれども、利益(生活費)が上がらないからと言って、すぐにやめてしまうという方がおられますが、こんな無責任なことはありません。

お金は返すことができても、その塾で一所懸命頑張ってきた生徒の時間を返すことは不可能なのです。


 


 

学習塾に通塾するということは、一切履歴書に書くような性質のものではありません。学習塾がつぶれたからと言って、通っていた生徒の経歴に傷がつくことはありません。

 

何といっても許しがたいのは、学校、特に私立の大学が、経営が成り立たないからと言って閉校する、あるいは来年度から募集を停止する、(最後の大学生へ!腹が立ったら、意地でも留年してやれ!)中にはすでに通っている学生がいるにもかかわらず、辞めてしまう、こういったことは、本当に許されないことだと思います。

 

学習塾と違い、経歴に残りますから、一生その経歴が残るわけです。


 

就職の際でも、最終学歴は**大学ですと言ったならば、「あ、そういえばそういう大学ありましたね、今もうないのですか」とか、縁談や再就職などの際に「ああ、あのもうなくなってしまった大学か」と。

 

こんなひどい話もありません。


 

特に、法科大学院が、学生が集まらないから募集を停止するなどということは、あってはならないことです。

もともと法科大学院ができた時に、定員を見れば全員が法曹界に進むことは不可能であることはわかっていたことです。


 

また、大学の定員割れの問題に関しても、10年前、ある中央銀行の理事の方は、講演会で、経済の指標でもっとも重要かつほぼ間違いなく予測可能なのは、人口の推移であると言いました。

円高やデフレは、なかなか経済の専門家でも予測できない。しかし、18年前に子供が何人生まれたかを見れば、18年後に人口がどれだけになるかは、ほぼ間違いなく推計できることですから。


 

先日、中学・高校などの同窓会に行きましたが、同窓生って、絶対に増えませんねと言ったら、それはそうですねと、今度新しく昔の同級生が増えましたなどということはありえないわけです。

ですから、今までの少子化は、18年、20年前に予測できていたわけですから、そのことを考えれば、生徒が集まらない、利益が出ないと言って、大学を閉校するということは、無責任極まりないことだと思います。


 


 

もう一度もとの話に戻って、「現世を忘れぬ久遠の理想」ということが、いろいろな場所で失われていることが現状ではないでしょうか。

 

理想だけを追求する、しかし現実はそうではない。

 

このような例が、いろいろな社会の場所において起っているのが、現状ではないでしょうか。

 

これを、今から100年以上前の1907年(明治40年)に警鐘を発した相馬御風の言葉は、まことに拝聴に値するものであると思います。


 


 


 

 


 

さて、ある学習塾の先生の名言を、ここで紹介します。

それは・・・

「理念なき利潤追求も困るけれども、利潤なき理念追求はもっと困る」

というものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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以前、紹介したヌンチャクのような折れ線を考え、ある点が一定の条件のもとで動きうる軌跡の問題は東京大学では他の年度にも出題されている。


これも中学生の範囲で解ける問題。ただし、前回の問題よりははるかに難問である。


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

下のように適当な長さに切ったストローに糸を通して作ってみた。定直線のところには、切り込みを入れ糸を画用紙の裏から動かすことにした。


動画でお見せできると楽しいのだが、、、


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ


結局、このような問題はその場で「考えて解く」しか方法がない。三角関数を使えばすぐ解けるとか、ある公式を使えば、必ず解けるというものではない。

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昔。日吉の予備校に勤務していた時に学校法人(格)を買ってくれないかという話が舞い込んできた。決して怪しいものではありません。と繰り返すところが怪しい。理事長の命令で対応した。小学校を日吉に作れるか検討せよ。本物だった。お寺の住職がなくなったので系列の幼稚園を買ってくれ、あとは好きにどうぞ。というものである。

 

だから学校法人のややこしい話。農地取得・転用の件まで知っている。小学校というのは作れば必ず赤字になる。生徒がそろうのに6年間かかるからだ。・・・・での錬金術も考えた・・・・こんなことは教育者にはできません。

 

http://www.maff.go.jp/j/nousin/noukei/totiriyo/t_tenyo/

(学校、社会福祉施設、病院、庁舎又は宿舎のために転用する場合には、許可権者と協議を行う必要があり、協議が整った場合には許可を受けたものとみなされます。また、市街化区域内農地の転用については、農業委員会への届出制となっています。上記HPよ。赤字は引用者による )

 

学校法人というのは許認可・利権の塊だ。

 

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

 

寄付金なのか寄付行為なのか。

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/001.htm

 

 

個人の金をどこの学校に寄付しようが自由だ。だが認可が下りていないということは存在していないわけで、存在していない法人に寄付ができるはずがない。

 

報道が甘すぎる。道路に看板(案内標識)一つとっても、民間企業はお金を払って建てるが・・・に頼めば税金でたててくれる。昔、慶応が湘南藤沢中高を作るとのことで問い合わせたら、認可が下りる前なのでお答えできないといわれた。

 

今回の大阪の件でも認可が下りる前に校舎はたっているし、説明会もしている。

 

何よりも報道の間違い。政治家にお金を渡すとか、経歴が不明なのはとか教育者としてふさわしくない。

 

いえ、もとより学校の経営者は教育者ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

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■中学受験で不合格のキミに

 

中学受験でおちてしまったら、ラッキーだと考えましょう。

まだ、12歳なのですから、これからの人生の方がはるかに長いし、大切です。ちょうど良い人生の糧(かて)にしてください。

 

たかが中学受験は、ほんの小さな通過点です。マラソンでいえば折り返し地点にもいっていません。野球で言えば一回の表裏の攻撃が終わったころです。

 

中学受験で落ちてしまって、その後に、難関大学に行った人はいくらでもいます。逆に中学受験で通ってさっぱりだという人もいくらでもいます。

 

今、難関大学といいましたが、難関大学を出ても、まったく成功しない人もいます。

 

なにが成功なのかは学校でも塾でも教えてくれません。キミがこれから考えることです。

 

キミのご両親はキミが幸せな人生をおくることを、キミが生まれた日から、いえいえ、ママのお腹(なか)のなかで新しい命(キミのことです)をいただいた日から、つよくつよく、ねがっています。

 

キミはもちろん覚えていないでしょうが、ご両親は、その日のことを、まるで今朝(けさ)の出来事のように覚えていらしゃるとおもいます。

 

ともあれ、小学生の段階(だんかい)では将来のことは、まだ良くわかりませんから、ご両親はとりあえず、キミの良い教育の環境(かんきょう)を考えました。

 

中学受験をさせて頂いたということは、合格・不合格に関係なく有難いことです。

 

中学受験をさせてもらったことは、一生、忘れないようにしましょう。

 

ですから、合格したら、ささえてくださった周りの人に感謝しましょう。

落ちたらも、感謝しましょう。そして、ちょっぴり、反省しましょう。反省するというのは、ボクはダメだと自分を責(せ)めることではありませんよ

 

でも、そうはいっても中学受験におちたら、ちょっとはつらいですよね。

それは「合格したら威張(いば)れる」とか「おちたら恥ずかしい」

というミエや、かってな思い込みで受験するからです。

 

中学受験に勝ち負けはありません。最初にラッキーだと思ってくださいと。いいましたが、今はそうは思えないかもしれません。

 

何十年も経って、本当にラッキーだとおもえるかどうかは、キミが中学・高校・大学にはいってから、また社会に出て、どれだけ努力するかにかかっていますから、

 

キミが今回の中学受験で成功したのか?それとも、失敗したのか?は、まだまだ、今の段階では、わかりません。それは、これからの人生の中でキミが決めることなのです。

 

 

■中学受験で不合格だった保護者の方へ

 

中学受験の塾は、有名中学の合格者が、いかに多いかを強調する。保護者には、沢山合格している塾が、なんとなく安心だからだ。


 

よく考えれば「有名難関中学合格者数ナンバー・ワン(実は不合格者数もナンバー・ワンの可能性が高い)の塾に通わせれば、自分の子供も有名難関中学に入れるはずだ」というのは,なんの根拠も論理的必然性もない。

 

中学受験を指導している塾で絶対に言えないことが2つある。

 

一つは、中学受験をしないで、公立中学から、高校受験を目指した方が、あなたのお子様には向いていますよ。ということと、背伸びをして難関校を受けるより。ワン・ランク落として、ゆとりを持って大学受験に臨む方が良いかもしれません・・ということだ。

 

長山は他の中学受験の講師と違って、複数の私立中高一貫校で教えてきた経験があるから、「中学受験をさせる立場」からだけではなく「中学受験生を受け入れる立場」も経験している。


 

どうしてこの子が入学してきたのか、ワン・ランク落として、じっくり基礎を鍛えた方が良いのではなかったのかという生徒に出会ったことも、何度もある。多分、塾で、保護者が「あおられた」結果であろう。

 

UBQには岡山白陵中学・高校を不合格になって入塾して、岡山大学医学科に合格した生徒が3人(市立京山中学・岡大付属中学卒(高校1年から:ubq設立以来岡山白陵中高不合格者は一人もいない:前者は研修医。後者は、現在産婦人科医:女性)もう一人は公立小学ですが、岡大医学科進学者があまりいないの小学校なので名前は避ける)からいる。東京大学理科3類に進学した生徒で、第一志望の中学受験に落ちた生徒が1名いる、しかも。中一からの元・教え子なのだが広大福山高校を不合格になったと聞いた時には、気絶しそうになった。尚、岡山県内の私立高校(岡山高校)を唯一。不合格になった一名は金沢大学医学部進学。


もっといえば、ノーベル賞を受賞された、利根川進先生は浪人している。(「教育を考える」 著者: 石井透による)

日本が生んだ世界的大数学者の岡潔先生も中学受験で落ちている。

 


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ


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岡潔先生の自伝「春宵十話」より(本人が県立粉河中学の入試に落ちてしまったとかかれている。)


 

慶應の心理学専攻の一期後輩で、慶應の大学院を落ちてしまった某君は、現在、東京大学大学院教授!

(注)個人情報ですが、ご本人が「岩波科学ライブラリー」のご著書で大学院に落ちたと、はっきり書かれているので、問題ないと判断しました。

 

(これは上とは無関係:当時地方の県立高校から慶應に入学している生徒は東大の不合格組が多かった。)

 

東大を2回(現役プラス一浪)落ちているのが東大教授(!)やら南フロリダ大学教授(比較解剖神経学)やら大阪大学医学部教授!現役で入った自分は、塾講師。

 

やはり、受験の後の人生が大切

ましてや、中学受験では12歳だ。大学受験は6年後であるから、人生の半分だ。逆に、保護者は6年前(6歳)のことを思い出してください。

 

小学生のうちに「合格するために勉強しなければならない」と刷り込むのは危険。勉強するために。(中学や大学に)行くのです。


 

漢字がやっといくつか書けるようになった年齢かもしれない。一人でお留守番ができるようになって、親が安心していた年齢かもしれない。あのころは、娘も一緒にお風呂に「きゃーきゃーきゃー。ぱぱ、だいちゅきー」といって入ってくれたのになぁと懐かしむ父親もいるかもしれない。

(今言おうものなら、キモイ!変態!セクハラ!→ほとんどのパパの共通経験かしら・・・)


 

だから、これから6年後には、どのくらい伸びるかなんて誰も分からない。


 

以前、ブログで紹介した岡山白陵中学落ちで、それから十数年:東京大学で博士号をとった。わざわざUBQに電話して下さった。


 

今から振り返ると、中学受験に失敗して、補欠で、2番手の中学に入ったことが大きかった。補欠で入ったと思うと、中一からなんとか授業について行こうと思って真面目に授業を聞いて、慢心することがなかった。中学受験に失敗したからこそ、自分は小さな努力をひたすら積み重ねるしかないと考えた。失敗から学ぶ事の方が成功して学ぶことの方が多い。との内容であった。


 

中学受験には勝ち負けはありません!!
 

合格した→勝ち(成功)

不合格→負け(失敗)


 

という単純な図式で、考えられるものではない。

 

中学受験で成功したか、失敗したかは、今後のお子様の人生で、お子様が決めることです、今の時点で保護者が、決めることではありません!

もう一度次の言葉を紹介する。ある全国最難関中高の校長の言葉である。

 

「うちの中学を不合格になった生徒の追跡調査をしてみると、東大に行った生徒は少なからずいるが。うちの高3の最下位の生徒で東大に行ったものは今までに一人もいない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*2017年に加筆:最近読んだ本。中谷宇吉郎「私の履歴書」より、青空文庫参照 夏目漱石が受験に失敗したことは自身で書いている。http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2676_6502.html

 

 

 

あの頃の高等学校の入学試験は、七月にあった。それで三月の末に中学を出てから、家で商売の手つだいを少ししながら、受験準備を始めた。といっても今日のように受験参考書なども揃っていなかったので、当時評判のよかった『考へ方』の本だの、つれづれ草の註釈本だのを註文して買って、それをぼつぼつ読んでいた。しかし試験には美事に落第した。
試験に落第することは、決して名誉な話ではないが、そうかといって、人生の上において損をしたことになるとは限らない。落第した当時は大いに悲観もするが、一年間の浪人時代に得たいろいろな経験は、人生勉強という意味で、大いに得るところがあった。これは負け惜しみではなく、この頃になってますますそういう風に考えるようになった。
実は大学を出て寺田寅彦先生の助手になって、理化学研究所で働いていた頃、ある晩お宅へ遊びに行っていて、この落第の話をしたことがある。そうしたら先生が「そうか、それはよい経験をしたものだ。落第をしたことのない人間には、落第の価値は分らない」と褒められてちょっと驚いた。それから先生は「僕も落第したことがある。中学校の入学試験に落第をしたんだが、あれはいい経験だった。夏目(漱石)先生も、たしか小学校で一度落第されたはずだ。人世というものは非常に深いもので、何が本当の勉強になるかなかなか簡単には分らないものだ」という話をされた。これで大いに安心した。
落第は奨励すべきものではない。一体、皆が落第してしまったら、学校の方では、学生がいなくなって困るであろう。それにこの頃のように、経済事情がどこの家庭でも苦しくなっている場合は、落第などせずに早く卒業した方が、両親のためにはよい。だから私は決して落第をすすめはしない。しかし落第して自暴自棄になる学生には、決してそういうものではないということを、自信をもって告げ得る。そういうことを威張っていえるのも、落第をした経験があるからである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

岡山市が税金を使ってやっている素晴らしきイベント。市の幹部数人に個人的に聞いても大森まさを先生はとても有能な官吏とのこと。

 

 

テーマは開発。これって「かいはつ」とみんな思うでしょ。でも。「かいほつ」と読んだら仏教用語で「仏性に目覚めること」ともとれるの。日経新聞(2016.11.08岡山版)のインタビューで市長も認めている。

 

池田大作先生がわざわざ天眼力をもって地元の山陽新聞に廃油から石鹸を作っていることも取り上げられて、(注:強アルカリ薬品の使用は十分ご注意されてください)ご寄稿されるほどであり、なおかつご支援をされていらっしゃるESD国際会議もすごいことです。

 

 

海外では池田大作博士のユネスコ並びにESD国際会議へのご支援。学者としての世界平和へ貢献などの功徳に多くの名誉博士号が授与されているだけではなく、功徳に対してノーベル平和賞との声もあるくらいでまことに慶賀に堪えません。世界的な偉人であられる池田大作先生のノーベル平和賞受賞を心より希望します。大森まさお岡山市長のアシストも尊敬に値します。

 

ESD 004

 

 

 

もはや世界宗教として宗派すら超えた(佐藤優先生による)SGIであられますから、日本語で検索しても高邁かつ高遠なお考えには到達できません。英語で「 SGI ESD 」で検索しましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=EsMliI7wTxg

https://www.youtube.com/watch?v=o7xaseFwl8s

↑世界中でESDの名目で池田大作先生をたたえているのです。

 

 

http://www.sgi.org/in-focus/2014/unesco-world-conference-nagoya.html

岡山はもはや、世界でも有名なようです。

http://www.japantimes.co.jp/opinion/2014/11/04/commentary/japan-commentary/a-chain-reaction-of-empowerment#.WL2GWYVOIS8

 

 

有り難いことです。重ねて申し上げます。世界的な偉人であられる池田大作先生のノーベル平和賞受賞を心より希望します。

県民性というが。もともと廃藩置県で勝手に区分されたものだ。最近では歴史の解釈も変わっているようで江戸時代というのは武断政治ではなく「世界でも例を見ない長期軍事独裁政治」というのだそうだ。(放送大学より)

 

だから藩ごとで考えたほうがおもしろい。

 

岡山市に後楽園がある。隣には岡山城がある。不等辺五角形という特殊なつくりだ。川の位置も興味深い。もともと備前のお殿様は豊臣側だ。西から攻められたら川を渡って大坂(変換ミスではない)に逃げることを前提に作っている。西向きに櫓もある。

 

特に豊臣側か徳川方か、まさに天下分け目の合戦でどちらについたかで日本文化・県民性を考えるのは興味深い。徳川家は士農工商とか親藩とか、徹底的にハイアラキーを利用したことは事実である。今でも水戸黄門が人気番組ですよね。

 

 

だから、岡山県民(旧岡山市内)の人間は、上には弱く下にはえらそうにする。権威に弱い。官尊民卑。私立高校なのに体育教官室がある。保健室が2階にある。出る杭は打たれる。美人が少ない。(←これは私が思っているわけではなく。詳しくは岡山の奇跡・桜井日奈子で検索)

 

東照宮のお祭りが町内会のやたら重要なイベントなのもそのためだ。徳川家に媚を売る祭りだから。町内会長になったとき、町内会から一方的に(総会の記録なし・仮に記録があっても新しく町内会に自発的に入会された会員に過去の総会の記録を見せるべき。私・町内会長自身もこの町内で生まれ育ったわけではなく、新参者町内会長ですから。)寄付金が収められているから憲法違反ですよ。最高裁で自治会からの一括の寄付金は違法との判決も確定しています。やめたら、上の人間にはずいぶん睨まれているようだ。(注:最高裁が直接判断しなくても日本は三審制だから、 法理論上、最高裁の判断といっても差し支えないとの判断である。) 

http://www.jinja-net.jp/tamaiguu/top.html

 

児島というのは古事記にも出てくる重要な地名だ。皇祖皇神をまつるから神社であるので、紫衣事件でも見られるように皇室をないがしろにした徳川家を祀るくらい卑屈な地域である。3代目になると初代を神格化するのは今でも常識。

 

地域のボスがやたら偉そうにするのもこのためかしら。

官尊民卑ともいわれる。有名な幸吉といって世界で初めて(?)空を飛んだ人がいるが、その後どうなったかはみんな知らない。岡山を追放されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E7%94%B0%E5%B9%B8%E5%90%89

 

 

 

一つの仮説:首都圏とかの都会を除くと地方で県立の名門進学高校はみんな城下町にある。町内会がごり押しする地域は外様(とざま)の藩。

 

一方倉敷は、天領。お城はありません。倉敷の美観地区を流れる川は用水ではなく運河。大原財団から星野仙一(野球人)・三宅 由佳莉(自衛隊の歌姫)まで進取の気風人を輩出。だから、民度が高い。倉敷には医大もある。中四国で県内に2つの医学部があるのは岡山だけ。

 

 

 

拉致問題解決の秘策。様々の意見があるだろうが海外ではあまり知られていない(実体験)。

 

横田めぐみさんは日本国籍を持つ日本人だ。したがって娘さんも日本国籍を有する。家族から死亡届が出ているはずがない。医師法上どの医師が死亡診断書を添付できるのか。

 

憲法を精査してみたが全く問題がないと考える。

 

憲法66条2項
「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない。」との条項も問題ない。中学生は文民に決まっている。(軍隊がない国の憲法に文民規定があること自体大笑い)

 

総理の専権事項であるから、総理が決断すればきょうにもできる。

 

 

一円も税金がかからない。

 

横田めぐみさんまたはキムヘギョンさんを民間人大臣として、防衛大臣に指名しましょう。

 

本人の受諾の確認は?そんなことは憲法のどこにも書いていない。

 

日本の防衛大臣が事実上、空席になれば世界中がトップ・ニュースで取り上げる。

 

一番困るのはアメリカ合衆国大統領であろう。

 

無茶を言うな?いや、本気の提案です。

 

「拉致問題」の画像検索結果

 

横田滋さんや弟さんを防衛大臣や副総理に指名するのもあり。 一日だけでも良い。「娘を拉致された日本の元防衛大臣」という肩書が歴史に残るから世界中にアピールできる。

 

あと。日本国籍を有するのですから北朝鮮と国交のある国の国内の大使館を通じてちゃんと郵送しましょう。断られたら、その事実を全世界に公開しましょう。何を?

 

 

 

マイ・ナンバー・カードの申請書です。

 

 

 

 

 

花の終わりはいつ?

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ある国の国花:ガイドさんがもう花はしぼんでしまって終わりですねというから。

 

 

 

いいえ。始まりでしょう。別に人間を楽しませるために花は咲いているわけじゃないですよ。花は生殖器ですから、果実と種はこれからですから、はじまりです。と心の中で叫びました。

14日朝、JR函館線の旭川発札幌行き特急スーパーカムイ10号(5両編成)が車両の不具合で運休し、JR北海道は滝川駅(滝川市)からこの特急で大学入試センター試験に向かう予定だった受験生7人を、タクシーで岩見沢市の試験会場に送った。

 JR北海道によると、旭川市の旭川運転所で14日午前7時35分ごろ、車両の自動列車停止装置(ATS)の故障表示が出るトラブルが発生。特急に乗る予定の受験生がいないか各駅の構内アナウンスで呼び掛け、滝川駅で7人が申し出た。

 同社は後続列車では間に合わないと判断。タクシーを手配し、午前8時25分ごろから順次、試験会場に送った。いずれも試験開始時間に間に合ったとみられるという。列車の料金は払い戻さず、タクシー代はJR北海道が負担したという。

 この特急の運休で約250人に影響が出た。(NEWS ポストセブンより)

 

これについて検索するとネットが炎上との。受験生を甘やかしすぎである。早めに出かけるべきだ。との意見も。私鉄では対応していない。当たり前です。神戸から大阪なら阪神でも阪急でもJRでも行けます。例によって個別論と全体論を混同してはいけない。50万人の人間が会場近くのホテルに泊まれるわけはない。

 

 

最も重要な指摘は「公共交通機関の遅延で遅刻した場合は追試験が認められる」という点である。だから、センター試験は自家用車で送ってもらい渋滞で遅刻したら、アウトである。JRが正式に振り替えて費用負担すれば公共交通機関になる。早めに行くべきだというのは都会目線。地方によっては会場近くにホテルもなければJRも一日に数本しかない場合もある。早めにタクシーを個人で予約しても雪で立ち往生したら、公共交通機関とは認められないので追試験は受けられない。

 

(大切なお断り)センター試験本部に正式に問い合わせた。正式にというのは、こういうときに高校関係者の立場は便利であるという意味。都会ではJRが止まっても地下鉄で行ける場合もある。しかし滝川駅から私鉄で行けるはずはないので、代替の公共交通機関は無いであろう。

 

追試験が可能かどうかは地域ごとの公共交通機関の在り方・当日の状況によって判断される。いづれにせよ会場に直ちに連絡してください。これが正式回答(例によってフル録音済み)

 

受験生へのアドバイス;

1.あらかじめ高校の校長を通じて問い合わせておくこと。

2.当日に不測の事態が生じたら、すぐに会場に連絡できるように携帯に電話番号を登録しておくこと。

3.電話内容は録音しておくこと。通じなければ記録を残しておくこと。電車の予約や状況・JRのアナウンス等は動画撮影しておくこと。

 

 

さらにさらに大切なお断り:雪でJRや路線バスが止まったりしてセンター試験を受けられなければ、追試験を受けられるかというのは重要な問題です。決してこの誰でも書けるブログを勝手に解釈しないでください。2017年3・3時点での問い合わせですから、各自でご判断ください。録音してあるがセンター試験本部の公的見解だという証拠がどこにある。

 

 

 

 

とりあえず自由行動時間に、日本人有志が集まってタクシーを借り切って観光地を巡ることになった。なんとなく、私がまとめ役を頼まれた。知らない街で一人じゃ不安なの。みんなで行動しましょってさっきから話し合っていたの。そのなかでも長山さんが一番交渉ができそうだからお願いしようってみんな言ってたので・・。

 

 

わかりました、ドライバーさんとの交渉は私がします。その前にぜひとも記念写真を撮りましょう。

 

その中の一枚。

 

 

後でなんでこんな写真を撮ったの?

 

と聞かれたから。

 

私がこんなにニコニコしているときは何かを企んでいるの。ちゃんとタクシーのナンバープレートとドライバーさんが写っているでしょ。すでにGPS情報付きでFBにあげましたから。

 

皆さん絶句。でも、やっぱり長山さんに頼んで正解だったとみんな言ってくださいました。