権力構造の腐敗と新陳代謝 | クラスタ民主主義システム研究室

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昨今の日本の社会構造を鑑みると社会問題の核心が病んでいるように思う。

 

シュタイナーが言ったように「社会に変化を起こすのは、一人ひとりの個人であり、各人が自分のいる場所で自分にできることを始める」ことが大切であり、人間と社会とはアナロジーで連関し、お互いに有機的に機能していなければ、上手く構造化できない。

 

人間と社会とが織り成す核心をシュタイナーは三分節で説明している。

 

例えば、脳と内臓と四肢といった具合に、それぞれに分節化して有機体は機能しているわけだ…。

 

したがって、社会も有機体と理解できるとして社会有機体三分節論をシュタイナーは唱えた。これは当然だろう、なぜなら、社会は人間が形成するものだから、人間という有機体の機能が反映されるのは間違いない。

 

シュタイナーは『社会有機体は「政治=法領域」「経済領域」「精神=文化領域」の三つの部分に分節化されねばならず、政治には平等、経済には友愛、精神には自由…の原則が核心でなければならない』とした。これが三分節というわけだ。

 

この「政治=法領域」「経済領域」「精神=文化領域」は、アナロジーで律法、生活(生命活動)、霊性(意識)と解することもできると私は考える。この辺りの共通認識は極めて重要だ。

 

 

本来、社会を治める政治は法治でなければいけない。

 

法を曲げて、自分たちに都合よく、事象を動かしていては、法治ではないし、平等でもない。

 

芥川賞作家の平野啓一郎氏は「批判疲れ」と政治腐敗と題して西日本新聞に寄稿していたが、まさにそのとおりだと思う。今の政治は、腐敗している…。アベノミクスという無策を続け、医療、介護、公官庁、産業等の改革は滞り、権力の周りに集(たか)っている連中には便宜を図り、答弁は「記憶にない」とか「訂正すれば可」で押し通し、自分たちがやりたいことが法の網に引っ掛からないよう【あいまい】な法律を法制化し、「合法なら問題なし」とする…。

 

一昔前の今よりまだマシだった時代であれば、PKO部隊の日報を無かったとしたり、無かった日報が与党議員の指摘で発見されたりすれば、大臣は自らの不明を恥じ自分から辞任したはずだし、首相の奥さんが各所で名誉校長を務め、その学校法人が格安で国有地の払下げを受けていたなら、政治家の日本的霊性に鑑み、即刻、首相の首が飛んだはず。

 

そんな昨今の政治風土から類推すると、先日の文科省事務次官の首が飛んだ事件もキナ臭い…。文科省の天下りを官邸が暴き人身を刷新したわけだが、文科省に限らず、未だに全ての省庁や退職国会議員が天下っているのは明らかなわけで、文科省の配下だけを問題視しているのは極めて不自然だった。おそらく、文科省の官僚たちが安倍政権の官邸の意向に従わなかったから、粛正したに違いない。

 

森友学園問題で、当時、活動していた理財局長は安倍首相の息がかかった人物だったのは明らかになっているから、財務省の中枢は安倍政権の意向に従う人々ばかりになっているのだろうし、NHKの会長や経営委員に安倍政権や日本会議関係の人物が登用されたことも、各方面に権力の支配が波及している現状を類推させる事例と言えるだろう。

 

自民党の中の派閥が政権交代の機能を果たして、権力の腐敗を防ぎ、権力中枢の新陳代謝を担っていた頃であれば、防衛省の日報問題、今回の格安国有地払下げ、無能な法務大臣答弁などは、内閣に大きな痛手を与え、内閣の交代を促していたに違いない。

 

しかし、いまは、そうなることはない。

 

これは、政治資金が税金から配分されるようになり、総裁・官邸・幹事長に権力が集中するようになったことの弊害だ。政党内の派閥が弱くなり、権力が内閣官邸に集中する構造になっている。そして、比例区による復活が可能な小選挙区制は、内閣官邸が公認権を有して当選してくる政治家を支配する構造を生み、当選者がイエスマンばかりになり、日本会議による一強支配を可能とする構造が出来上がってしまっている。

 

私たちの霊性(精神)には天使と悪魔(仏と鬼)が住んでいる。

 

必ず、私たちの心には悪が芽生え、その悪を正す義が必要。そのために、必ず、自らを省みることが大切であり、これは個人だけではなく組織や社会にも必要なこと。人間も、組織も、社会も、批判を受けつけ過ちを修正していく構造が機能し、新陳代謝を繰り返し続けなければ、腐敗が進み、やがて朽ち果てていくことになる…。

 

新陳代謝と栄枯盛衰は必定であり、この世の定めであり、人間でも、社会でも、有機体が上手く機能するるために欠かすことができない構造だと言える…。

 

権力が集中し、長く続いていくと、その権力は腐敗していく。それは、中国の共産党や北朝鮮の世襲体制で明らかだし、日本でも、田中角栄の政治体制や、戦前の軍事政権でも起こったこと。

 

森友学園問題では、多くの人々が軍国幼稚園を絶賛していたわけで、その賛同が権力構造を後押しし、法を曲げた便宜供与を生じたことは明らかであり、安倍首相からの100万円寄付の正誤は、この問題の本質ではない。

 

にもかかわらず、今の政治家たちは、問題の形骸ばかりに目が向き、問題の本質を改めて、現状の腐敗してしまった構造にメスを入れようとはしていない。それは、現代の政治家たちは、安倍政権への忠誠安倍政権の倒閣しか念頭になく、法治による社会や、友愛による相互扶助や、自由による自立といった本質的に大切な事象を理解していないからだ。

 

今の日本社会は、白アリに蝕まれた家屋のようなもの。水面下で今も腐食が進み、遠からぬ将来に、その構造が崩れ去る運命にある。安倍政権を応援したり倒閣したりすることに現を抜かすのではなく、兎に角、至る所から社会に変革を起こさなけばならない。

 

うさぎ