「清洲会議」から「賤ヶ岳の戦い」までの流れを、
史実に沿って描くには、あまりにも複雑。
たった45分間で描くのは、到底、無理ってもんでしょう。w
清洲会議後の秀吉と勝家の水面下における調略合戦としては、
上杉を使って柴田の後方を突く秀吉に対し、
勝家は四国の長宗我部や紀伊の雑賀衆を抱き込む策に。
長浜城を得た勝家でしたが、雪の為、この地を守れないと悟り、
一度は、秀吉と和睦しますが、これは擬態。
この和睦に何の意味も無いことを理解している秀吉は、
11月、勝家との条約を破り、長浜城を奪取。
続いて、三法師を渡さなかった織田信孝を攻め、
12月、五万の兵に岐阜城を包囲された信孝は、あっさり降伏。
しかし、翌年の正月、伊勢の滝川一益が挙兵。
秀吉は周辺勢力の調略と牽制に悩まされつつも、
2月には一益の本拠地・長島城まで迫りますが、守りが固く苦戦。
そこに、この年の雪が少なかったこともあって、
柴田勝家が、急遽、北陸から近江に向けて南下を開始。
3月、長島城から近江の戦線へと戻った秀吉は、
柴田軍と対峙するも、互いに睨み合ったままの膠着状態が続くので、
一部の兵を残し、長浜城へ帰還。
伊勢の滝川一益と近江の柴田勝家、この両者に備えます。
4月に入ると、降伏したはずの織田信孝が岐阜で再び挙兵。
これに対し秀吉は、信孝攻略の為に美濃方面に進出。
近江戦線の羽柴軍と対峙していた柴田軍は、
秀吉本隊が美濃へ侵攻中の為、数の上で有利と判断。
先鋒の佐久間盛政が大岩山砦に攻撃を開始すると、
砦にいた中川清秀は、奮戦虚しく戦死、大岩山砦は陥落します。
続いて佐久間軍は、秀吉不在の羽柴本陣を狙いますが、
この時、本陣近くに遊軍として控えていた黒田官兵衛が奮戦。
本陣崩壊はまぬがれますが、岩崎山の高山右近が撤退を開始。
戦勝に気分を良くした佐久間軍は、勝家の撤退命令を拒否。
すでに撤退中の桑山重晴の賤ヶ岳砦を攻めようとしますが、
ここに、琵琶湖を船で渡ってきた丹羽長秀が桑山軍と合流。
二人は再び賤ヶ岳に戻り、間一髪で賤ヶ岳の守りに成功します。
一方、大岩山砦の中川清秀軍の崩壊を知った秀吉は、
美濃から52キロの道のりを、わずか5時間で移動して本陣の木之本に到着。
これに驚いた佐久間軍は、秀吉本隊を迎撃しながら撤退に成功しますが、
最前線で、柴田軍と羽柴軍が激突している最中、
柴田に属する前田利家が、突如、戦線を離脱・・・。
これにより、前田軍に備えていた羽柴軍と、
佐久間盛政を破った秀吉本隊が合流して勝家本隊に殺到。
柴田軍は総崩れとなり、北の庄へと退却して行きます。
この、史実モードの賤ヶ岳の戦いのポイントは?
兵力の手薄な賤ヶ岳を破り、羽柴本陣を突く戦術は、
中々の妙案だったと思いますが、
持てる兵力の全てを投入しなかったのが疑問ですね。
また、部下の反対を押し切って琵琶湖を船で渡り、
援軍として賤ヶ岳にかけつけた丹羽長秀の存在も大きかった。
極めつけは、美濃にいたはずの秀吉が、中国大返しを再現、
急遽、木之本に着陣した為、柴田軍は大いに動揺したはずです。
しかし、羽柴軍勝利の最大の要因は、何と言っても、
秀吉の親友であり、勝家の部下だった、
「前田利家の戦線離脱」だったのではないかと思います。
それでは、肝心のドラマの話しに・・・。(笑)
■賤ヶ岳の戦い
1583年(天正十一年)二月、秀吉は滝川一益討伐に出陣。
ついに決戦の火蓋は切られた。
盟友一益を救うため、柴田勝家も兵をあげた。
近江 木之本・秀吉本陣から出陣する秀吉。
周辺の地図を碁盤に見立てた官兵衛は、
着々と次の一手を打ち、勝家軍を追いつめて行った。
>羽柴勢と柴田勢は、近江で激突した。
>世に言う、「賤ヶ岳の戦い」である。
>大勝した羽柴勢は、勝家を一気に、
>越前、北の庄まで追いつめた。(ナレーション)
落城寸前の北の庄城から、お市の三人の娘、
茶々、初、江の三人を城から連れ出す石田三成。
焼け落ちる天守で、お市と共に自害する勝家。
勝家自害の報告を受ける丹羽長秀と秀吉。
かつての同輩に思いを寄せながら、戦いに勝ち、
その労をねぎらうかの様に、秀吉の肩に手を置く長秀。
すべてが官兵衛の言う通りになった事を喜びながら、
「おぬしだけは敵にまわしたくないものだ・・・」と、
冗談とは思えぬ顔つきで告げる秀吉。
そこに、石田三成が、お市の娘達を連れてやって来る。
茶々の身を案じていた秀吉だったが、
突然、小刀を手にした茶々は、秀吉に襲いかかる。
>姫の名は茶々。秀吉、そして官兵衛の運命を大きく変えてゆく、
>後の「淀殿」である。(ナレーション)
※碁石を打つ官兵衛
多少なりとも史実に詳しい方なら、佐久間盛政はどうした~!
中川清秀の討ち死にシーンは?丹羽の援軍は?
前田利家は、いつ登場するんだぁ~と、お嘆きだったでしょうが、
この戦いに要する分数=時間枠が足りないとか、
大人数のエキストラを雇う経費が莫大だったとか、
そういう制作過程における諸問題があったとしても、
深夜の櫓の上で、半兵衛から貰った采配をふるいながら、
迫り来る佐久間軍に備え、黒田の将兵に檄を飛ばすなり、
鉄砲隊の背後に陣取って「撃てっ!」と号令するとか、
映像にする方法は、色々、あった筈なんですよね・・・。
でもね、賤ヶ岳で奮戦する官兵衛の姿っていうのは、
有岡幽閉以前の熱血官兵衛と何ら変わらない、
同じキャラになっちゃうのよね。うん、これはこれで面白くない。w
それより、賤ヶ岳付近の地図を碁盤に見立てつつ、
息子=長政の命までも、「碁石の一つ」として扱う、
この冷酷無比な官兵衛の姿は、かな~り過激で、ショッキング!
もはや、官兵衛にとっての合戦とは、天下統一の為に、
「如何に効率よく、味方を殺していくか?」という、
デスクワーク(=作業)として描かれてました。
しかし、それこそが『軍師』の仕事なんですよね・・。
堕ちていく秀吉、壊れていく官兵衛。背筋が凍りつく、
ゾクゾクした展開を期待しています。(*^ー^)ノ
【次回予告:さらば、父よ!】
その昔、町工場の三代目社長だった官兵衛も、
今や日本を代表するグループ企業の重役に登り詰めた。
数年後、会長・秀吉が下した新たな赴任先は、
官兵衛にとって馴染みの薄い企業、ザ・商社『山崎』だった。
新社長・官兵衛に反目する、山崎の社員たち。
息子の長政は、父の秘書として奮闘するが、ことごとく裏目に。
そんな長政の姿をあたたかく見守るゴッドファーザー・職隆。
彼が、最後に見た風景とは?どんな景色だったのだろう。
(BGMはニーノ・ロータ作:ゴッドファーザー愛のテーマ、なんちってw)
▼軍師官兵衛:第32回 さらば、父よ! ~新天地~