軍師官兵衛:第31回 天下人への道 ~碁盤の石~ | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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「清洲会議」から「賤ヶ岳の戦い」までの流れを、
史実に沿って描くには、あまりにも複雑。
たった45分間で描くのは、到底、無理ってもんでしょう。w

清洲会議後の秀吉と勝家の水面下における調略合戦としては、
上杉を使って柴田の後方を突く秀吉に対し、
勝家は四国の長宗我部や紀伊の雑賀衆を抱き込む策に。

長浜城を得た勝家でしたが、雪の為、この地を守れないと悟り、
一度は、秀吉と和睦しますが、これは擬態。
この和睦に何の意味も無いことを理解している秀吉は、
11月、勝家との条約を破り、長浜城を奪取。

続いて、三法師を渡さなかった織田信孝を攻め、
12月、五万の兵に岐阜城を包囲された信孝は、あっさり降伏。

しかし、翌年の正月、伊勢の滝川一益が挙兵。
秀吉は周辺勢力の調略と牽制に悩まされつつも、
2月には一益の本拠地・長島城まで迫りますが、守りが固く苦戦。
そこに、この年の雪が少なかったこともあって、
柴田勝家が、急遽、北陸から近江に向けて南下を開始。

3月、長島城から近江の戦線へと戻った秀吉は、
柴田軍と対峙するも、互いに睨み合ったままの膠着状態が続くので、
一部の兵を残し、長浜城へ帰還。
伊勢の滝川一益と近江の柴田勝家、この両者に備えます。

4月に入ると、降伏したはずの織田信孝が岐阜で再び挙兵。
これに対し秀吉は、信孝攻略の為に美濃方面に進出。

近江戦線の羽柴軍と対峙していた柴田軍は、
秀吉本隊が美濃へ侵攻中の為、数の上で有利と判断。
先鋒の佐久間盛政が大岩山砦に攻撃を開始すると、
砦にいた中川清秀は、奮戦虚しく戦死、大岩山砦は陥落します。



続いて佐久間軍は、秀吉不在の羽柴本陣を狙いますが、
この時、本陣近くに遊軍として控えていた黒田官兵衛が奮戦。
本陣崩壊はまぬがれますが、岩崎山の高山右近が撤退を開始。

戦勝に気分を良くした佐久間軍は、勝家の撤退命令を拒否
すでに撤退中の桑山重晴賤ヶ岳砦を攻めようとしますが、
ここに、琵琶湖を船で渡ってきた丹羽長秀が桑山軍と合流。
二人は再び賤ヶ岳に戻り、間一髪で賤ヶ岳の守りに成功します。

一方、大岩山砦の中川清秀軍の崩壊を知った秀吉は、
美濃から52キロの道のりを、わずか5時間で移動して本陣の木之本に到着。
これに驚いた佐久間軍は、秀吉本隊を迎撃しながら撤退に成功しますが、

最前線で、柴田軍と羽柴軍が激突している最中、
柴田に属する前田利家が、突如、戦線を離脱・・・。



これにより、前田軍に備えていた羽柴軍と、
佐久間盛政を破った秀吉本隊が合流して勝家本隊に殺到。
柴田軍は総崩れとなり、北の庄へと退却して行きます。

この、史実モードの賤ヶ岳の戦いのポイントは?

兵力の手薄な賤ヶ岳を破り、羽柴本陣を突く戦術は、
中々の妙案だったと思いますが、
持てる兵力の全てを投入しなかったのが疑問ですね。

また、部下の反対を押し切って琵琶湖を船で渡り、
援軍として賤ヶ岳にかけつけた丹羽長秀の存在も大きかった。
極めつけは、美濃にいたはずの秀吉が、中国大返しを再現、
急遽、木之本に着陣した為、柴田軍は大いに動揺したはずです。

しかし、羽柴軍勝利の最大の要因は、何と言っても、
秀吉の親友であり、勝家の部下だった、
「前田利家の戦線離脱」だったのではないかと思います。

それでは、肝心のドラマの話しに・・・。(笑)

賤ヶ岳の戦い
1583年(天正十一年)二月、秀吉は滝川一益討伐に出陣。
ついに決戦の火蓋は切られた。
盟友一益を救うため、柴田勝家も兵をあげた。



近江 木之本・秀吉本陣から出陣する秀吉。
周辺の地図を碁盤に見立てた官兵衛は、
着々と次の一手を打ち、勝家軍を追いつめて行った。

>羽柴勢と柴田勢は、近江で激突した。
>世に言う、「賤ヶ岳の戦い」である。
>大勝した羽柴勢は、勝家を一気に、
>越前、北の庄まで追いつめた。(ナレーション)




落城寸前の北の庄城から、お市の三人の娘、
茶々、初、江の三人を城から連れ出す石田三成
焼け落ちる天守で、お市と共に自害する勝家。



勝家自害の報告を受ける丹羽長秀秀吉
かつての同輩に思いを寄せながら、戦いに勝ち、
その労をねぎらうかの様に、秀吉の肩に手を置く長秀。

すべてが官兵衛の言う通りになった事を喜びながら、
「おぬしだけは敵にまわしたくないものだ・・・」と、
冗談とは思えぬ顔つきで告げる秀吉。



そこに、石田三成が、お市の娘達を連れてやって来る。
茶々の身を案じていた秀吉だったが、
突然、小刀を手にした茶々は、秀吉に襲いかかる。

>姫の名は茶々。秀吉、そして官兵衛の運命を大きく変えてゆく、
>後の「淀殿」である。(ナレーション)


※碁石を打つ官兵衛
多少なりとも史実に詳しい方なら、佐久間盛政はどうした~!
中川清秀の討ち死にシーンは?丹羽の援軍は?
前田利家は、いつ登場するんだぁ~と、お嘆きだったでしょうが、

この戦いに要する分数=時間枠が足りないとか、
大人数のエキストラを雇う経費が莫大だったとか、
そういう制作過程における諸問題があったとしても、

深夜の櫓の上で、半兵衛から貰った采配をふるいながら、
迫り来る佐久間軍に備え、黒田の将兵に檄を飛ばすなり、
鉄砲隊の背後に陣取って「撃てっ!」と号令するとか、
映像にする方法は、色々、あった筈なんですよね・・・。



でもね、賤ヶ岳で奮戦する官兵衛の姿っていうのは、
有岡幽閉以前の熱血官兵衛と何ら変わらない、
同じキャラになっちゃうのよね。うん、これはこれで面白くない。w

それより、賤ヶ岳付近の地図を碁盤に見立てつつ、
息子=長政の命までも、「碁石の一つ」として扱う、
この冷酷無比な官兵衛の姿は、かな~り過激で、ショッキング!

もはや、官兵衛にとっての合戦とは、天下統一の為に、
「如何に効率よく、味方を殺していくか?」という、
デスクワーク(=作業)として描かれてました。

しかし、それこそが『軍師』の仕事なんですよね・・。

堕ちていく秀吉、壊れていく官兵衛。背筋が凍りつく、
ゾクゾクした展開を期待しています。(*^ー^)ノ

【次回予告:さらば、父よ!】
その昔、町工場の三代目社長だった官兵衛も、
今や日本を代表するグループ企業の重役に登り詰めた。



数年後、会長・秀吉が下した新たな赴任先は、
官兵衛にとって馴染みの薄い企業、ザ・商社『山崎』だった。
新社長・官兵衛に反目する、山崎の社員たち。

息子の長政は、父の秘書として奮闘するが、ことごとく裏目に。
そんな長政の姿をあたたかく見守るゴッドファーザー・職隆。
彼が、最後に見た風景とは?どんな景色だったのだろう。
(BGMはニーノ・ロータ作:ゴッドファーザー愛のテーマ、なんちってw)

▼軍師官兵衛:第32回 さらば、父よ! ~新天地~