ゆうどき ~岡田准一・アイドルから俳優へ~ | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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2014年7月31日(木)16:55~18:00 NHK総合 ゆうどき
軍師官兵衛の主役・岡田准一さんに撮影秘話や、
少年時代のエピソード、理想の男像などについて話しを聞く。

[司会]何に一番、米田先生に惹かれたんでしょうね?
[岡田]米田先生は、ホント『変な噂』ばかりあって、あの~、

[司会]どど、どういう?色々?
[岡田]日本代表の「ナンバー8」、8番だったんじゃないか?とか。
    たぶん、全然、違うんですよ。(笑)
    子供達の中では、そういう風に、憧れが大きくて、
    「この人は、日本代表の8だったんじゃないか?」と噂になったりとか。

    でも、ホントに米田先生が宮崎に行かれるってなった時に、
    ホントに皆で泣いて、「行かないで、先生!」みたいな。
    いつも何か短いシャツ着てマッチョで、笑顔で走って追っかけてきてくれて、
    部活でも一緒に走ってくれる先生~というか。

    当時、若かった~というのもあったと思うんですけど、
    一緒に走りながら「ワッハハッ!」っていう、
    僕達の目線と同じ目線で練習をしてくれる様な素敵な先生でしたね。

[司会]一緒に、一緒に歩んでるっていう感じがしたんですかね?
[岡田]そうですね~、でも格好良かったですね、大人の男で、なんかあの~、
    腰に手を当てて、笑顔で牛乳を飲む様な先生なんですけど、
[司会]あぁ、牛乳、、牛乳ですか?
[岡田]牛乳を「ワッハハハッ」って言いながら。(笑)
    「走れ~ッ、ハッハ~、若いんだぁ~」みたいな、
    「お前らは、若いんだぁ!」みたいな先生だったんですけど。



[司会]ちなみに米田先生はですね、取材によりますと、
    岡田さんの大河ドラマは、必ず一つの回を二回観ているそうです。
[岡田]ははは、いや~、ホントありがたいですね~
[司会]BSで観て、その後、総合テレビで観るそうです。
[岡田]ありがたいですねぇ~、でも米田先生、そうですねぇ~、
    本当に「良い言葉」とかも言う先生で。

[司会]印象に残っている言葉、ありますか?
[岡田]『察しろ』っていう言葉を、ずっと言われてて、
    特に僕はポジションがスクラムハーフっていう、大事なパスを出す役割で、
    「どうしたいのか?」っていう、とにかく周りを察しなさいと、
    それをず~っと、ずっと言われてて、、、

    でもそれは大人になっても、こういう大河の主演とか、
    いろんな仕事をやるにあたっても、
    結局こう、アイドルとか俳優とかっていうのは、
    あるかもしれないですけど、
    やっぱ、『人間岡田』でこう立って、やったりしていくのが、
    一人の男としての仕事としていると、
    やっぱり、『察しろ』って言われてた言葉とかは、ずっと意識して、

    「この人は何が言いたいのかな?」とか、
    「この人は何を望んでるのかな?」とか、お芝居をする上でも、
    「このシーンは何が必要なのかな?」とか、
    そういうのは、ずっと考えて動いたりはするんですけど。
    それはやっぱ米田先生の言葉が大きいのかなっていうのは思いますけどね。

[司会]なんだか、官兵衛につながりますねぇ。
[岡田]そうですね、官兵衛はそうですねぇ。
[司会]はぁ~、米田先生からきてるんだ。
[岡田]ええ、ヨネさん、ヨネさんって失礼ですけど、呼んでた先生で。

そんな風にラグビーに没頭する中学生活をおくっていた岡田さんですが、
間もなく、その後の人生を大きく変える転機が訪れます。
中学3年、14才の夏、岡田さんはジャニーズ事務所に入ります。
その、わずか3ヶ月後「V6」のメンバーとしてデビュー。
それは、ジャニーズでも異例の早さでした。


「V6」の中で、唯一、踊りの経験が無かった岡田さん。
メンバーについていく事が、中々、出来ませんでした。
突然、放り込まれた世界への戸惑いと焦り、
このまま芽が出なければ芸能界をやめよう・・・。岡田さんは、
「一日、本一冊」「映画三本を観る」というノルマを自分に課し、
進むべき道を模索しました。




そんな矢先、岡田さんは運命的な作品と出会います。
地方に暮らす若者達の、鬱屈した心を描いた『木更津キャッツアイ』です。
共演者の古田新太さんは、岡田さんが芝居に開眼する瞬間を、
目の当たりにしたと言います。




>お芝居やりたいんです~とは言ってましたね。
>あの~、芝居がやりたいですって言って、それで、えと、
>『劇団新幹線』とか『大人計画』とかオーディションないんですか?
>~って言ってましたけどね、准一が。(笑)


>ああ~、「うちは新人取らないからいらない」って、
>言っときましたけど。(古田新太)




>どっかしら「オタク」な部分があるんだと思うんですよ。
>これを知ったら、もっと深く知りたい・・とか、追求したいとか、
>求道者じゃないですけど、深く入り込もうとする奴の性格が、
>演技に反映されている様な気がしますね。(古田新太)


[司会]古田さんは、覚えてます?
[岡田]いや~、ありがたいですね。大好きな、尊敬する先輩ですからね。
[司会]オーディション受けさせてくれって言ったんですか?
[岡田]本当に、あの~古い付き合いなので、、言った、言わ(ゴニョゴニョ)
    ええ、でも、相談は、よくさせて頂きましたねぇ~



[司会]でもね、「V6」に入って、あのメンバーの方、見たら、
    他の方は、皆、ジャニーズジュニアの経験があって、
[岡田]そうですねぇ。
[司会]で、ポンッ!と「やれ~っ」って言われて入った感じですよね?、
[岡田]そうですねぇ~、メンバーの中には20年以上ジュニアというのを経験して、
    デビューまで、こう訓練をしてっていう人もいますし、
    そうですね、僕の場合は、こう受かってすぐデビューっていう、
    早めのデビューが決まったので、あの~、ホント皆が、
    メンバー全員が先生みたいな、はい、20年くらい前ですけどね。

[司会]なんか、今、思いだしてもね、あの時、困ったな!とか。
[岡田]いや、ず~っと困ってましたね。
    二年間くらい記憶が無いくらい、付いて行けなかったですし、
    あれよあれよと、こう世界が変わってしまったので、いろんな世界が、、、
    ま、普通の大阪の無口な少年が、、
    デビューして人前で踊らなくちゃいけないとか、
    やらなきゃいけなくなったので、

    大人としての責任も求められますし、仕事をする人としての、
    だから、うん、世界が変わるし、付いていけなくて申し訳ない・・というか、
    メンバーからも足手まといなんじゃないか?とも思っていたし、

    事務所からもやっぱり「You、一人だけ、ズレてるよ」とか、
    スゴイ怒られてたので、自分は、「やって行けるのだろうか?」みたいな、
    ずっと考えながらも、でも、世界は変わっていくわけで・・。

    自分がこう「岡田准一」から「V6の岡田」って言われる様に変わるんで、
    「V6」っていう大きなモノを背負って、14才~15才で生活するっていうのは、
    こう、違う大きな物を背負ってるなぁ~みたいな。

    で、こう、気が付いたら、ま、お茶が目の前にね、
    出して頂いたりする様な生活になるので、
    「変わっちゃいけない!」と思いながら、ずっと生活してましたけどね。
    「ちゃんと生活しなきゃ」~っていう思いと、はい。



[司会]その、そういう中で、これやれる!と、
    本も読んで、映画も観て、すごい生活だったとは思うんですけど、
    やれる!っていう、メドがついたのは?
[岡田]いや~、メドは、今もついてないですよ。(笑)
[司会]そ~んな事はないでしょ~!

[岡田]『木更津キャッツアイ』っていうのは、本当に、そうですねぇ~、あの、
    「二十歳になったらやめよう」っていうか、あの、
    「持たないだろう・・」と思っていたのが正直な意見、感想だったんで。

    やっぱりアイドルっていう職業は、
    そんなに長くやって行けないだろうという思いも、
    自分の中で、素直な気持ちとしてあって、

    で、お芝居やりたいけど、「やりたい事が出来る事ではない」ので、
    向いてる、向いてないもありますし、
    お芝居は、本当にやりたいけど、出来るかどうか分からない、っていう、
    年間でコンスタントにはやらせてもらってたんですけど、
    初めて主演で、あの『木更津キャッツアイ』っていうのをハタチ越えてやって、

[司会]22歳でしたよね?
[岡田]21、ですね。ハタチになって「来年、主演あるけどやるか?」って言われて、
    「はい、やります」って言って、やらせてもらいましたけど、
    そうですねぇ~、うん。

[司会]何かつかんだ!っていう実感があったんですか?
[岡田]いや、あの、自分・・というよりも、やっぱり周りの方々に、
    あの~、最近、お芝居でどうのこうの~とか、そうですね例えば・・、

    アイドル誌の取材とかが多かったのが、ファッション誌とかカルチャー誌とかが、
    最近、芝居がどうのこうのっていう風に書いて、特集を組んで下さったりとか、
    そういうので、周りの方々が、こう見る目が変わって頂けたっていうのが、
    この作品(=木更津~)ではあると思いますし。それはもう、
    宮藤さん(=宮藤官九郎)とか、共演者の皆さんの力ですけどね。

[司会]~ということは「周りの人に変えてもらった」という意識なんですか?
[岡田]う~ん、そうですねぇ~、やっぱりこう、今もそうですけど、
    なんか「作品の役柄」があって、特にスタッフがいて、スタッフが、、、
    「このスタッフだから出来ること」っていうのを経験するじゃないですか、
    違うスタッフだったら、また違うモノになるだろうし、

    その場、その場で、人間としてお仕事をしていく中で色々と変化があって、
    やっぱホントに年を重ねて、周りの人のおかげで変わりながら、
    仕事してるな~っていうのは思ってますけどね。



[司会]あの~、私、こうして話をおうかがいしていると、30代、
    33才ですかね?今ね。
[岡田]はい。
[司会]私なんか、50半ば過ぎちゃったんですけど、こうやって話してると、
    なんか、すごく落ち着いてらっしゃって、
    すごく「芯」を感じるんですけど、なんかそれは、
    「こうしよう!」っていう風にしてらっしゃる事とかあるんですか?
[岡田]こうしよう!ですか?
[司会]うん。

[岡田]いや~、あ~、どうなんですかね?地味ですよ、普段。(笑)
[司会]な、何が地味なんですか?
[岡田]僕、スゴイ地味なんですよ。う~ん、ほとんど格闘技しかしてないので。w

[司会]ああ、ええ、資格も持ってらっしゃいますしね。
[岡田]格闘技しかしてないので~、ええ、ほんと、はい。
    「根暗」ですしね・・・。
[司会]え?
[岡田]根暗です。根暗ですし、、、

[司会]官兵衛、根暗なんですか?
[岡田]官兵衛、もともと、根暗です。(笑)

[司会]すごく生活っていうか、あの、ストイックな・・、
    色々取材させてもらったんですが、ストイックな・・でもないですか?
[岡田]ですかね?
    ん~、歳を重ねたら、ちょっとユーモアがある人になりたいなぁ~とか、
    ユーモアが無いオジサンはね、ちょっと、いけないなっとかね。
    そんな事を思いながら、ちょっとユーモアをね、
    出せていけたらいいなぁ~と思って、生活はしてますけど。

[司会]でも、さっき、ユーモア、充分感じましたけどね。
[岡田]本当ですか?

[司会]さて、岡田さんは、これから何処に向かって行くんでしょうね?
    ま、黒田官兵衛は、また、これから面白くなりますけど、
    何処に向かって行くんでしょうね?
[岡田]僕自身が・・っていうことですか?
[司会]うん。

[岡田]僕自身は、でも、いろんなことを大事にできる人でいたいなぁ~と思います。
    やっぱりこう、一個一個の作品であったり、
    あの~、真摯に取り組むとか、
    やっぱりグループっていう存在も、なんて言うんですかねぇ~、
    20年やってきたメンバーとの、こう、男同士の仲間の感じっていうのを、
    勿論、そっちがスゴク大事であって、やっぱり、いろんな事を、
    一人の男として大事に生活できる人でいたいなぁ~と思って、
    生活してますけどね。

[司会]じゃあ、これからも地味に・・?
[岡田]地味にですね、地味に・・。(笑)
    「静かに、強く生きる!」っていうのが、
    自分の人生のテーマではあるんで。

[司会]ますます、あの~、歴史を含めて、いろんな本を読みながら、
    格闘技をしながら、~という生活が、ねっ、ね。
[岡田]一つ一つ、、、

[司会]官兵衛もこれから面白くなるし。いや~、本当になんか今日は、
    「男・岡田准一」さんと話しをしたっていう感じがしました、ホントに。
[岡田]ありがとうございます。
[司会]はい、、『人生ドラマチック』岡田准一さんでした。

▼軍師官兵衛:第31回 天下人への道 ~清洲会議~