軍師官兵衛:第3回 命の使い道 第2幕 | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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★★第1場 竹中半兵衛という男 ★★★★★★
今回は、彼の名が広く世に知れ渡ることになった
「稲葉山城のクーデター劇」が描かれていました。

たった17人での城取りは、かなり劇的な出来事ですが、
彼が、その行動に至った理由については、
後述の女優=内田有紀が演じる「お濃」が、
~酒と女色に溺れている主君=斎藤龍興(=お濃の甥)を諫める為~
と、ザックリと説明してくれていました。(*´Д`)=з

今風に言えば、自分の務める会社の社長が、
あんまりにもあんまりなので、社長に改心して欲しくて、
会社の株を買い占めて乗っ取りに成功。

しかし、ライバル会社に譲渡するなんて事はせずに、
さっさと元社長に返してしまう~かなりの奇人変人ですね。

丁度、昨年、流行語大賞にも輝いた「倍返しだっ!」で話題沸騰の、
ドラマ「半沢直樹」にも似ていますが、
半兵衛が事に至った経緯、その原因の一つは父親にあったようです。



【余談1:半兵衛の父】
彼の父親=竹中重元(たけなか・しげもと)は美濃の土豪で、
主君だった土岐氏斉藤道三(=お濃の父、信長の姑)に討たれた後は、
討った側の道三に仕えていたんですが、この道三もまた、
息子、義龍(よしたつ)の謀叛により「長良川の戦い」で戦死してしまいます。

「義龍vs道三」の決戦の日、美濃の大半の武将は義龍側にまわり、
その戦力比は「10:1」ともいわれ、道三は圧倒的不利な状況にあり、
当然、娘婿である信長も出陣していますが、状況を覆すには至りませんでした。

この「長良川の戦い」の際、

半兵衛の父=重元(しげもと)は、道三側の武将として戦っています。
「なぜ、重元は道三に味方したのか?」
その明確な理由は不明ですが、当時、当たり前だった「利害」ではない、
別の「何か?」が働いていたのでしょう。

戦後、命までは奪われなかった~とはいえ、
竹中家は吸収合併された弱小企業の様なもので、
合併先の新会社では「窓際に追いやられていた」と思われます。

【余談2:龍興と半兵衛】
ほどなく、義龍(よしたつ)の死後、わずか14歳で家督を継いだ龍興(たつおき)は、
無能な家臣=イエスマンばかりを重用したり、
古くからの重臣達が相次いで戦死、病没したことを憂いた、
口うるさいジジイ共(=西美濃三人衆)を遠ざけるなどして、
酒と女色に逃避する様になっていきます。

~と、それだけならまだしも、

色白で女性の様な容貌だったとされる半兵衛は、
今で言えば、典型的なジャニーズ系のイケメンだったようで、
(寡黙な亀梨くんみたいな?笑)

物静かな二枚目風の表情から、何を考えているのか?が読み取りにくく、
龍興の近習達に「うつけ」「たわけ」と軽んじられ、
「登城する半兵衛の頭上から小便をかけた」
~という、イジメ説まであります。

半兵衛自身、確かに「槍働きが出来る体格を持っていない」
~という自覚はあったんでしょうが、
ここまでされると、当然、内に秘めたる思いとしては、
いつの日か、、、百倍返しだ!と誓っていたかもしれません。ヘ(゚∀゚*)ノ

しかし、そんな半兵衛にとって、
「捨てる神あれば、拾う神あり」とはよく言ったもので、

先年の「長良川の戦い」で義龍側にまわった西美濃三人衆の一人、
安藤守就(あんどう・もりなり)は、彼の「うつけ」は擬態だと信じ、
なかば懇願する形で(?)自分の娘を半兵衛に嫁がせた~とされています。



そして、時は1564年正月、この祝いの席で、
多少、おっちょこちょいな半兵衛の姑=安藤守就(あんどう・もりなり)は、
酒に酔ったこともあり、いつもの小言を龍興(たつおき)に浴びせかけます。
しかし、聞く耳を持たない龍興は、側近たちに命じ、
守就(もりなり)を城内の物置に押し込めてしまいます。

このままでは、命まで奪われかねない~と恐怖に感じた守就(もりなり)は、
物置の扉を蹴破って、命、からがら脱出に成功。
噂を聞きつけ、安藤家に見舞いにやってきた半兵衛は、
この姑が、以前から酒乱の気がある頑固ジジイだと思っていたものの、

・多くの家臣達の面前で、姑が恥をかかされたこと、
・日頃、自分を見下していた武将達への「百倍返し」、
・自分が見知った軍略を、実際に試してみたい~という欲求、

これらの理由が重なり、このクーデターを決意したようです。

幸か不幸か、日頃から龍興に信用されていなかった半兵衛は、
弟=久作を城内に人質同然に捕らわれていた為、これを逆用。

弟の病気見舞いと称して城内に潜入すると、
あらかじめ準備しておいた武器を装備して龍興を追い出すと同時に、
姑の安藤守就は、二千の兵を率いて城下を制圧、
かくしてクーデターは成功に至るわけです。

この事件は、竹中半兵衛~1544年生れですから、
この時、二十歳そこそこ~
の名を、世に知らしめたと同時に、
たった十数人に城を乗っ取られた斉藤龍興(さいとう・たつおき)の無能ぶりが露呈、
結果、斉藤家の没落を急加速させることにつながります。

ちょっと想像すれば分かることですが、
この事件後の斉藤家の家臣が、商用などで京や堺へ出向いた際、
「どこの御家臣で?」
「美濃の斉藤家でござる」
(ああ、あのバカ殿の家来か・・・)~と思われてしまいますし、

どこにも仕官してない浪人達でさえ、
この斉藤家にエントリーシート書くわけないですよね・・・。
人の心が離れていくのも当然の成り行きでしょう。

【余談3:半兵衛のその後】
さて、前述のドラマ「半沢直樹」の最終回、
銀行の不正を暴き、大和田常務に土下座させた後、
主人公が頭取から辞令を受け取るシーンがありますが、

この半兵衛は、辞令を受け取る以前に、
・今後、国主としての責任を果たすこと、
・事に加担した家臣団(安藤など)や弟への報復をしない事、
・もし約束できないのなら、尾張の信長に城をゆずる~と、
なかば脅迫ともとれる要求を突きつけ、(笑)

龍興が求めに応じると、さっさと斉藤家を離れ、
世捨て人の様な暮らしへ、入ってしまいます。

彼は、かなり以前から、斉藤家を見限っていたのでしょう。
いつも、胸ポケットに「辞表」を持ち歩いていたのかもしれませんね。
いや、実際に持ち歩いていた~ってことじゃなく、
そういう「覚悟の上のクーデター」だったんじゃないかと。

後世に天才軍師~などと評される彼ですが、
ただ単に、頭が良かった、軍略に才能があった~だけではなく、
中々、常人には真似できない、
「人としての潔さ」とか、「覚悟や凄味のある行動力」も、
彼の魅力だと思います。

その半兵衛が、再び世に出るのは、
かの木下藤吉郎との出会いを待たなければなりません。♪(*'-^)-☆

★★第2場 川辺にて ★★★★★★
幼い日の約束とはいえ、「おたつ嫁をにする!」~と口にしていた、
その相手が殺されてしまった官兵衛

陰鬱な表情で釣りに興じていますが、
魚なんて、まともに釣れるわけもなく・・・。

そんな官兵衛を叱咤激励する意味で?
演技と分かる下手な演技で、善助と武兵衛が、
竹中半兵衛のクーデター劇を官兵衛に報告しています。



半兵衛は、美濃=今の岐阜県で、1544年に誕生。
一方の官兵衛は、1546年に播磨で生れていますから、
半兵衛はわずか二歳年上でしかなく、
この二人は、ほぼ、同世代だった~といえるでしょう。

そんな事もあって、善助と武兵衛

「殿とそれほど歳も違わぬ御仁が、
 あ~んな大それたこと、成し遂げてるんだから、
 官兵衛様もふさぎ込んでないで、頑張ってよぉ~」
と、

そんな二人の気持ちがヒシヒシと伝わってくる、
面白い「コント」でした。(*^ー^)ノ

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