★★第1場 尾張 桶狭間の戦い ★★★★★★
海道一の弓取りと評される名将=今川義元は、
甲斐の武田家、関東の北条家と三国同盟を結び、
東方への憂いを断った後、
2万をこえる大軍で東海道を西へ進軍。
京をめざして上洛を開始する。
侵攻してきた今川軍に対し、
当初、籠城策を決めていた織田軍だったが、
その日の早朝、信長は、突如、寝所で「敦盛」をひと踊りすると、
尾張の熱田神宮方面へと進軍を開始する。
兵を鼓舞する信長、それに答える兵士達の中に、
草履取りから足軽へと出世した藤吉郎の姿があった。
~と、次の瞬間、突如、頭上から雨が降り注いでくる。
~雨は、進軍する織田軍の気配をかき消した。
油断して休息をとっていた今川軍2万5千に、
信長率いる、2千5百の兵が襲いかかった。
世にいう「桶狭間の戦い」である~ (ナレーション)
★★第2場 広峯山 黒田重隆邸 ★★★★★★
万吉くんは、この日も、おじいちゃんの家に。
話題は、尾張の信長についてだった。
「尾張のうつけ殿が、海道一の弓取りと言われた
今川義元を討つとはなぁ。時代は変わったの・・・」(重隆)
「なぜ、そうと知ったのですか?」(万吉)
「何がです?」(善右衛門)
「今川義元が、その桶狭間という所で休んでいる事を、
なぜ織田がたは?誰かが知らせたのですか?」(万吉)
「その通り、簗田(やなだ)なにがしが信長に知らせたらしい。
敵の大将の首をとった者より、敵の居場所を教えた者の方が、
受けた恩賞ははるかに多かったそうです」(善右衛門)
「面白い・・・。信長という人は、実に面白い!」(万吉)
※善右衛門は、今川義元の居場所を教えた武将の
下の名前までは聞き及んでいなかった~という設定で、
某(なにがし)と言っているようです。
※論功行賞において、義元の首を取った毛利新助(もうり・しんすけ)ではなく、
今川軍の位置を信長に知らせた簗田政綱(やなだ・まさつな)が勲功第一とされたのは、
『信長記』などにおける逸話である。
★★第3場 元服 ★★★★★★
1561年、ついに万吉くんが元服。
名前を、黒田官兵衛(孝高・よしたか)と改めた。
【次回予告】
▼軍師官兵衛:第2回 忘れえぬ初恋 第1幕
★★資料動画★★★★★★
■生き残りの掟 第2幕 江口洋介~「るろうに剣心」
明治維新前、新撰組時代の斉藤一役
■あさイチ 岡田准一、官兵衛を語る
番組冒頭で、視聴者のリクエストにあった枚方市にある遊園地のCM