自分に還る場所

ボディセラピスト Kanakoと申します。
2児のママをしながら、
自宅の一室で、
審美整体サロン Jeweli(ジュエリ)をしています。

日々のこと、ハッピーに生きるコツ等を綴っていきたいと思います。


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唐突に質問から始まる今日の投稿(笑)

 

 

「触る」(さわる) のと、

「触れる」(ふれる) って、其々どういうイメージ持ってます?

 

頭に浮かんだイメージ、お人によってそれぞれかもしれません。

きっと、どれも正解。(笑)

 

 

そこに意識があるのか。そこに愛があるのか。

そんな差があるように思います。

 

 

 

私のような、お人に触れるお仕事をしている場合は、

「触れる」事が絶対やと思うんですけどね。

 

これは決して特別な事では無くて、全ての人にやって頂きたいなって思うんよね。

 

特に小さなお子様がいらっしゃる「お母さん」「お父さん」には思うかなっ。

 

 

大切なんだよって伝わる手のぬくもり。

 

 

ココロが伝わるから、あなたのその触れたその手から。

 

 

ま、そんなこと言うとね。触れなくったって、声にも言える事やよね。

 

 

もっと言うと、ただ居るだけでも愛やココロは伝わってるけどね(笑)

 

 

みんなに、愛をもっともっと実感して欲しなぁって思うんだよね。

 

 

一人じゃないよって。

 

 

この世の中は、愛に満ち溢れている、って私は思ってる。

 

 

「3.11」に思いを寄せつつ、

身近な人から幸せにするための本当に簡単に誰でも出来ること。

 

 

あ、ご自身にも『ありがとうドキドキ』って触れてあげて下さいねラブラブ

 

 

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明日は満月かぁ…愛しき娘のお誕生日だっっドキドキキラキラ

 

 

 

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私にとって特別な曲。

 

すっごく愛しくて、とてつもなく苦しくて、

はっぴーもあんはっぴーも、色んな感情を味わったあの頃。

色んな意味で若くてあおかったなぁ~・・・遠い目(笑)

 

 

曲との出逢いはね、前夫とお付き合いしていた頃。

超が付くほどラブラブやった頃です(笑)

 

 

彼が元々は「粉雪」が聴きたくてCD聴きはったわけ。

そしたら、2曲目に入ってた「3月9日」がめっちゃいい!!

ってなって私に贈ってくれたのです(笑)

 

 

でもその少し後に私の母が亡くなったり、

女の子絡みのゴタゴタがあれこれあったり、

結婚や離婚もあったりで…

 

結局のところ母の存在が何よりも大きかったわけやけど、

とにかく良い時もそうじゃない時も側にいた曲たちです。

 

 

 

もう丸12年経つんだね。

 

 

あの頃から、変わらず特別な一曲のまま。

 

最近の学生さんにとっては、卒業式の歌なんだってね。

 

昭和な私は、「ほたるのひかり」か「仰げば尊し」だったけどなぁ…(笑)

「ありがとうさよなら」とか(笑)

 

歳を感じる瞬間(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

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家を出る時は、入院グッズを渡したらそのまま帰るつもりだったけど、
既にもう何時間経つんだろうか・・・・
 
でも、そんなことはむしろどうでもよくて、
最低でも8時間程度はかかるオペだと聞いていたので、
とにかく途中でオペ室のドアが開かない事だけを願って、待合のソファーで待ち続けた。
 
小さな物音にもビクッと反応する。そしてその音が別のものだと分かる度に安堵した。
あの時は、もはやオペが成功するしない以前の問題だったな。
 
循環器系のオペは処置が終わって、心臓にショックを与えて再度動くかどうかで決まる。
動けば成功。動かなければ…。途方もなく遠い時間に感じられた。
よからぬ妄想が浮かんでは、希望でかき消す。ただその繰り返し。
 
万が一の場合、自宅葬するので色々な手配をしなければならないな、
そんな話題もやはりのぼることもあった。
 
とにかく心細く不安に押しつぶされそうになりながら待ち続けること約8時間半。
オペが翌日の午前中遅くに無事終わった。
 
 
麻酔が切れた後、母は目を覚ました。
焦点が合っている。ちゃんと目が合うよ!!!
 
父が母の手を握ると、母の頬が見る見るうちに紅潮してゆくのが印象的だった。
母は微笑んでた。
言語野はどうか分からないけれど、少なくともしっかりと認知している。
その部分だけでも脳の損傷が免れていたこと感謝します。
 
私達は、母が意識がはっきりしており家族の顔も識別できていることにとにかく喜んだ。
 
通過点とは言え、しばしの安堵。
やっと何か喉を通せそうだというので、遅めのお昼ご飯をみんなで食べた。
これから看病大変になるだろうが、皆で協力して頑張って行こう!!
なんてワイワイと会話が弾んだ。
 
電気やエアコンをつけっぱなしだったので、早く帰らないとなぁ~などと言いながら帰宅。
久々の我が家…そんな体感だった。
 
夕食を済ませ、ほんの5分10分でもいいから、ICUにお顔見に行こう!
流行る気持ちでコートに手を通したその時、父の携帯が鳴った。
 
病院からだった。
父の声のトーンと返答から察するに良くない知らせなのだと悟った。
 
念のため、父とは別の車で病院へ向かう。
その頃、母のからだは機械で動かさないと心肺停止状態になっていた…
 
着いてから、その事を知らされた。事故防止に敢えて知らせませんでしたとの事。
 
 
大きな機械に管だらけで横たわる母を見ていられなかった。
本人が知ったら、さぞ嫌がる状態だったろうな。
生きて欲しい。本当に生きていて欲しい。。。
でも、無理やり生かされることを母は全く望んでいなかった。美しくないからって。
 
管だらけの姿が、本人の望むところから程遠くて…早く楽にしてあげてって、皆思った。
 
親類が揃うまでの時間がとてつもなく長く感じた。
最後の一人が駆け付けた時、医師に依頼して機械のスイッチを切って貰った。
それが母の最期。
 
あっけないものだった。
 
小田舎の旧家に嫁ぎ、同居の祖父母を見送るまでは、本当に家族優先の生活。
良き嫁・良き妻・良き母だった。
もっと自由奔放に出来る人なら、もっと不器用な人なら、結果は違っていたのかもしれない。
 
末娘の私も社会人となり、自分の人生が始まったばかりだった。
春にはオーストラリアの旅行も控えていたし、父との予定、お友達との楽しい時間、
習い事…色々と目白押しな筈だった。
 
発病から1日足らず…亡くなりましたの連絡に驚きを超えて冗談だと思う方もいたほどだった。
え、昨日一緒にランチ食べましたけど?…そりゃ驚くよね。
風邪気味だったかもしれないけど元気だったもの。
 
 
母が無き今、喪主である父は勿論ながら、自宅葬で主体的に動くのは私だった。
いろんな方が、私に色々と聞いてくる。
処理しきれなくなった瞬間思わず口を突いて出たのは
「もー、それはお母さんに聞いて!!」・・・無理な相談でした(笑)
 
初七日を兼ねての法要が終わるまで寝た記憶がない。
3日半はずっと何かしらやっていたように思う。
そうでないと耐えられない位のショックだった。本当に本当に大好きだったお母さん。
 
沢山の方々に愛されていた母。
それを物語るかのように、つぎつぎと届くお花の数々。
2部屋を届いたお花が埋め尽くす程に、本当に皆様からのお気持ちが溢れていました。
お花が大好きな母に相応しい法要でしたね。
皮肉なもので生前あそこまでお花でお部屋が埋め尽くされることはなかったから…
見せてあげたかったな(笑)
水切りなど、毎日1時間半はかかりましたもの(笑)
 
もう二度と言葉を交わすこともできない。声を聴くことも許されない。
たった一言でさえ。
 
葬儀関係がひと段落した頃、ふとした日常に母だけがいない事が強烈に感じられた。
読みかけの本、縫いかけのお洋服。
とにかくありとあらゆるところに母の面影を感じるのに、そこには母だけがいない。
 
ある日、ひょっこりと「えへ♡ただいまぁ♡」と現れるのではないかと
没後数年間思えてならなかった。
 
 
母が亡くなった日から約2週間後に、
私は当時お付き合いしていた方からの結婚の挨拶を控えていた。
姉の時のように、結婚の準備を母と色々お話しながら決めるのをどんなに楽しみにしていたか…
 
途中で迷いの生じる縁談だったけれど、周囲の希望の光のようになっていたので、
変な言い方だが、みんなのために明るい話題を消すまいと嫁いだ・・・・
その結果、1年足らずで旧姓に戻る事となったけれど。
 
今となっては全てが今の私を私とするのに必要な要素であり、それでよかったのだと思う。
 
母が亡くなった時、生れてはじめて父が涙を流すのを見た。
父でも泣くことがあるんだ…それだけ特別だったんだなって思ったものです。
 
本当にね、いつ何時わが身に、大切な人に何が起こるか分からない。
 
「今」を本当に大切にしてほしいし、感じて伝えて分かち合ってほしい。
 
私は、母の娘に生まれ、育てて頂いたこと本当に誇りに思っています。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
 
命ある限り、与えて頂いた愛をもとに、愛と笑顔の循環を起こし続けて行きます。
物質的な豊かさも勿論だけど、何よりも心の豊かさの源となれたら幸いです。
みんな一人じゃない。
誰かが誰かの大切な人。
 
大切なら、大切にしなきゃね。
伝わってる?笑
 
長々とお付き合いくださった方々有難うございます。
 
正直本当にまとまりの悪い文章だと思う。
もっと読みやすく、もっと内容も盛り込んだものが書けたら良かったのかもしれない。
でも、なんかきれいに取り繕うことなく敢えて取りとめなく書かせて頂きました。
 
こんな文章にお付き合いくださって本当に有難う。
 
奇しくも、母の無くなった2月18日は、現夫のお誕生日。
毎年わけのわからないタイミングで涙をながす妻に思うところはあるだろうに、
温かく私を素のままいさせてくれる。
 
きっとこうして一連を言葉にしたことで、13回忌を明日執り行うことで、
また一つ越えることが出来ていくと思うの。
 
来年以降は、母を想いながらも楽しい一日をおめでとうっって過ごせるように
いつか涙を流さない日が訪れても良いように・・・って思っています。
 
もうね、とにかく色んな人に、色んな事に感謝しかないです。。。。
 
みんなみんなありがとう!!!
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30分程経った頃、父から簡単でいいから入院グッズを持って来て欲しいと連絡が入った。
 
軽い検査入院位に思ったけど・・・切電間際、父の様子がおかしい。
 
「お前たち、今回は覚悟しなあかんかもしれへんぞ」
何を言ってるんだろう…意味が分からない。いや、意図することろを理解したくない自分がいた。
 
兄と共に、すぐ戻るつもりで要所要所の電気やエアコンを付けたまま家を後にした。
 
 
病院について、ある女性が苦しそうな形相で横たわる病室に通された。
誰か分からない。
本当によそのおばあちゃんか誰かだと思ったけれど、間違いなく私の母だった。
 
ほんの一時間前まで、オシャレに気を取られていた母だとは到底信じられない。
うそやぁ…こんなのお母さんじゃない…
胸が押しつぶされそうになりながら口からこぼれていた。
 
母は明らかに光を失いかけている。
初めて死相が出ているというのを、肌身に感じた瞬間だった。
 
検査入院なんかでおわるどころか、ただ事ではないのが誰の目にも見て取れた。
 
お母さん、きたよ。 苦しい?息がしにくいの?…
何と声をかけても反応はなく、もはや私たちは母の世界には存在していないかのようだった。
ただただ母は辛そうな顔で「いたい…くるしい…」と
この二言をどこかを必死に見つめながらつぶやき続けていた。
 
 
心筋梗塞の疑いあり。
循環器系の得意なところに転院する必要が有るとの事だったが、
あいにくあちこち満床で受け入れられないと言われる。
岸和田にある病院なら、信用もおけるし受け入れ可能だと言う。
ただ、近くはない。朝まで待って近い病院へ行くか、遠くても今行くか・・・?
 
迷う余地はない。
 
母は兄が付き添いながら救急車で搬送。
その後を、父と私はそれぞれ車で追った。
おそらく人生であんなに落ち着いて運転しろと自分に言い聞かせながら運転したことはない。
あふれる涙で視界が揺らめくのを、何度ぬぐったか分からない。
 
夜中の12時過ぎの事だったかな
 
到着するまで1時間半程車をとばすなかで、母は2度の心室細動を起こしていたらしい。
いわゆる「心臓のけいれん」のことで、
上手く血液や酸素等が運ばれず脳や臓器に大きなダメージをあたえる状態。
 
人のカラダは、とにかく常に循環してめぐっていなければ成り立たない。
 
搬送先の病院へ着くなり、頼もしいスタッフ達により検査が進められる。
 
 
暫くしてインフォームドコンセント。
大動脈解離だと告げられる。
心臓の大動脈が破裂し、鼓動の度に血管が血圧によりどんどん裂けていく。
このまま放置すれば2時間以内には確実に100%死亡。
オペの成功率は30%以下。
術後植物人間状態になる確率が極めて高い。
 
そんなような内容だった。
 
命の散り際まで美しくありたいと常々語っていた母。
無駄に肉体にメスを入れる事は憚られたが、
やはり30%弱の可能性に掛けずにはいられなかった。
 
開胸してみて、無理だったらすぐに閉じます。その場合はすぐにオペ室から出てきます。
恐怖に近い時間の始まりだった。
ただただ無事にオペの成功を祈るしかできない。
 
どうか途中でオペ室のドアよ開かないで・・・
 
夜中の2時半頃のお話
 
続く
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こんな日に限って、父がなかなか帰ってこない。
 
22時も過ぎた頃、ようやく帰宅。
 
母が大大大好きだった父は、帰宅するなり暫し母の元へ…
 
ベッドから雪崩れるように、うなだれる母がいた。
なんだかとてもとても苦しそう
 
インフルエンザだもんね…
でも、おかしい。絶対におかしい。高熱が出て然るべきタイミングのはずなのに
どうしてこんなに手足が冷たいの…何かが変
 
母の体内で何が起こっているのかなんて、その時誰も知る由もなかった。
 
 
その時、母はまだ気丈にしていて、夜も遅いけどやっぱり病院に行ってみると言うので、
父は食事もそこそこに、母を連れて病院へ 

22時半頃のお話。

 
「救急車は恥ずかしいから、パパの車で行ってきまぁす。」
そんなこと言う余裕があった。
 
とても寒い夜だった。
パジャマの上に羽織って行くものを父が母の肩にかける…
それはご近所用のラフな羽織物だった。
 
オシャレさんだった母は、
「これは嫌よ。こういう時は、ほらあの・・・ふんわりとした深いグリーンの…」
お二階までわざわざその時の気分のコートを取りに行ってもらっていた。
後から考えたら、良くそんなところに意識を回すような余裕があったなと思う。
何とも母らしい一幕だな。
 
納得のいくいでたちで、最愛の安心の夫に連れられて、
「じゃぁ、ちょっと行ってきまぁ~す」母は、お世話になっていた富田林の病院へ向かった。
 
 
続く
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