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小学生の頃に書いた「将来の夢」

2012年02月08日 テーマ:ブログ

昨年末、正月に帰省した時に押し入れの中を整理していると、
子どもの頃に書いた作文や絵などがたくさん出てきました。
昔の自分に再会したような感覚で、時の経つのも忘れて見入ってしまいました。


中でも小学2年生の時、雪が積もった屋根を2階の窓から見て
「まるで小人のスキー場のようでした」と表現していたのには、
そのなかなかの詩人ぶりに我ながら感心してしまいました。
今の私からは到底出てこない言葉です。


それから、もう一つ私の目を引いたのが「将来の夢」についての作文です。
しかも年代ごとに3つも残っていました。最も古いのは小学2年の時に書いたもので、
これでもかという程の大きな文字で書きなぐられていたのは
「大きくなったら天才になりたいです。そのわけは天才になったら何でもできるからです。」
という壮大な夢でした。発想が並みではありません。
ある意味、この時の私は天才だったのかもしれません…。


次に出てきた夢は小学6年生の時のもの。
さすがにこの時には天才になることを諦めたようで夢のスケールはかなり萎んでいました。
そこには「私の夢は電力会社の社員になることです。」と書いてありました…。
おそらく「電力会社は高待遇な上に一生安泰」と言っていた両親の影響を強く受けたのでしょうが、
これでは「将来の夢」と言うよりも「希望就職先」についての作文です。
小学生にしてこれ程までに打算的な自分に少しだけがっかりしてしまいました。


また、続いて出てきた中学3年の時の卒業文集に、

私はなお一層の失望を感じずにはいられませんでした。そこには恥ずかしげもなく、

「早く大人になって年金をもらえるようになりたいです。」と書かれていたのです。
嗚呼、我が事ながらなんと哀れで情けない夢なのでしょうか…。
これほどまでに若さも志の欠片も感じられないような言葉を、私は未だかつて聞いたことがありません。         
わが子が同じことを口にしたら、まさしく失望のあまり数日間寝込みそうな「将来の夢」です。


さて、これ以上落ち込みたくありませんので、私のような若年寄りの話はこのくらいにしまして、
話題を最近の子ども達の話に変えさせて頂きます。
私が購読している新聞には「僕の夢私の夢」というコーナーがあります。
私はどんなに忙しくてもここにだけは目を通すようにしているのですが、
その中でものすごく胸を打たれたものがあるのでご紹介します。


「私の夢は、きちんと働いて家族を養うことです。普通かもしれませんが、
普通といっても必ずなれるというわけでもないと思います。
だから、きちんと勉強して、きちんとした大人になり、
だれからも頼られる、頼もしい人になり、まじめに働きたいです。」
(平成22年10月6日・西日本新聞掲載、小学6年生・女子)


随分前に読んだこの「将来の夢」に私は思わず唸ってしまい、

紙面を切り抜いて保管してしまった程です。
安定した企業に就職することや年金暮らしを夢見たりと、
終始自分だけの将来しか考えていなかった私とは全く次元が異なり、
彼女は小学生ながらに家族や周りの人達のことを含めて将来を語っています。
その上、大人でもなかなか気付けない「普通であること」の難しさや素晴らしさを
理解している点に私はとても感心しました。
ぜひとも彼女には夢を叶えてもらいたいものです。


その一方で、「年金をもらう」という中学生の頃に抱いた私の夢は、
実現するまでにずいぶんと時間が掛かってしまいそうな社会状況になってしまいましたので、
それはひとまず忘れるとして、
これからは小学生の彼女が目標とするような立派な大人になれるよう日々精進したいと思います!

お年玉にまつわる悲しい思い出。

2011年12月05日 テーマ:ブログ

早いものであと一か月もしないうちにお正月ですね。
子ども達にとっての正月の楽しみと言えば、やっぱりお年玉ではないでしょうか。
皆様はいくつ位までお年玉をもらっていましたか?
ちなみに私は小学生の頃から親戚のおじさんおばさんからお年玉を貰えなくなるという
とても珍しい体験をしましたので、今回はそのお話しを。


お年玉が貰えなくなったのは、別に私がとんでもない「悪さ」をしでかしたからではなく、
親戚同士の話し合いによって、お年玉のやり取りが廃止になったからです。
その理由は、わが子がおじさんやおばさんからお年玉をもらっても、
その分こちらも甥っ子や姪っ子にお年玉をあげるのだから、
親がわが子に何重にもお年玉をあげているのと変わらないからという理由でした。
また、親戚の子の成長に伴いお年玉の金額も大きくなっていき、
いくらあげたらいいものかと頭を悩ますことにもなります。
こういった大人たちの悩みを一気に解消すべく編み出されたのが、お年玉廃止制度だったのです。


親達からしてみれば良いこと尽くめだったのかもしれませんが、
当時の私達にとっては、誕生日のプレゼントがなくなるくらいガッカリの取り決めでした。
とは言え大人の事情が優先されるのは世の常、
それ以来、私は祖父母以外の親戚からお年玉をもらうことがなくなってしまったのです。


そればかりか、祖父母が亡くなってからはお盆やお正月に親戚が集まることもなくなり、
付き合いは次第に簡略化されていきました。
要は何かと面倒なので親達が何事も省略してしまったのです。
そのおかげで大して遠くに住んでいるわけでもないのに、叔父や叔母いとこ達とも段々と疎遠になり、
親戚の不幸でもない限り顔を合わせることもなくなってしまいました。


今の時代、親戚付き合いはどこもこのような感じなのだろうと思っていたのですが、結婚して驚きました。
妻の実家では今でもお盆やお正月に親戚が一同に集まって、三世代で楽しくお酒を飲み交わし、
一族揃ってお墓参りに出掛けたりします。子ども達もいとこ同士で仲良く遊んでいます。
これは私にとって、ある意味カルチャーショックのようなものでした。


親戚付き合いでは、自分の立場をわきまえた上での立ち居振る舞いが必要になります。
これは近所付き合いでも同様で、様々な世代や立場の人達と共に過ごすには、

それなりの気遣いも必要ですし、考え方も興味の対象も違う人と話をすると、

時には気疲れすることもあります。
しかしその中に身を置くことによって、私たちは学校や職場では学べない、
様々な世代の人との接し方や人との距離の取り方、
また場に溶け込むための立ち居振る舞いなどを身に付けることができるのだと思います。
その意味では、このような場での気疲れは、

人間としての幅を広げてくれる肥やしのようなものなのかもしれません。


親戚同士・近所同士が互いに助け合いながら生活を送っていた時代と違って、
今はその必要がなくなったために自然に関係が希薄になり、
大勢の人の中に身を置いて学ぶ機会が少なくなってきたような気がします。
だからこそ、こういったお付き合いは面倒くさがらずに大切にしていかなければならないのかもしれません。
今は何事も簡略化・合理化される世の中ですが、

実はその中で失っている大切なことも意外に多いのかもしれませんね。

無職時代の思い出。

2011年10月10日 テーマ:ブログ

突然ですが、皆様は職場から帰る時にはどのような挨拶をされていますか?
私どもの職場では普通に「お疲れ様です!」と声を掛け合っていますが、
先日「お元気様です!」という挨拶を交わしている会社がテレビで紹介されていました。
「疲れ」という言葉がマイナスのイメージなので「お疲れ様です」を社内禁止にして、
代わりに「お元気様です」に替えられたとのことでした。
この挨拶が本当に社内で浸透したら、それはそれですごいことだと思いますが、
社外でうっかり使ってしまうと少々驚かれるかもしれませんね。


「お疲れ様」と同じような言葉に「ご馳走様」があります。

辞書を開いてみると「馳走」とは本来「走り回る」という意味だそうです。
自分をもてなすために走り回るほど忙しい思いをして食事の支度をしてくれた相手に対して、
心からのお礼を伝える言葉が「ご馳走様」ですが、きっと「お疲れ様」も、
疲れるほど仕事をしてくれた相手に対する感謝とねぎらいの気持ちが込められているのでしょう。


この意味合いの言葉はどうやら日本独特のようで、
「お疲れ様」にぴったりと当てはまる外国語はなかなか見当たりません。
仕事に対する考え方も日本人はちょっと変わっています。
英語の「ビジネス(仕事)」の語源は「忙しい」ですし「レイバー(労働)」の語源は「難儀」、
フランス語の「トラバーユ(働く)」は「拷問」が語源というように、
働くことには「辛さ」が付きまといます。
元々、欧米人には「仕事は神様から与えられた罰」という考えがあり、
早い段階で食うに困らない資産を築き働かずに暮らせるようになることが成功だと
一般的には考えられているようです。


一方、日本最古の歴史書である「古事記」をひも解くと、
なんと天照大神自ら蚕を飼い機を織ったという記述があります。
これはとても誇らしく感動的な話です。
日本では「働く」こと自体、本来神様が行うことで、
私達は忙しい神様の代わりに働いているのだと考えられてきました。
ですから「働くこと」は神聖な行為で、それ自体が喜びなのです。
このような考えが心の奥底にあるためか、
早く引退して悠々自適に過ごしたいという日本人は意外に少ないそうです。


以前から日本人は働き過ぎだとよく言われてきましたが、
これは仕事観の違いからくるものだと思います。
このように考えると、働くことを尊いことと感じその労をねぎらって
「お疲れ様!」と声を掛け合う習慣は、実は世界に誇れる日本独自の文化なのかもしれませんね。


私は以前、仕事をせずに失業保険をもらって生活していたことがあります。
当時は実家住まいでしたので食うに困ることはなく、
「しばらく遊んで暮らすぞ!」と意気込んでいたように思います。
しかし働いていないことに対する自己嫌悪があったからでしょうか、
無職の期間は意外に楽しめないものでした。


その時期に友人数人で集まってお酒を飲みに行ったことがあります。
もちろん私以外は全員仕事帰りなので、一人集まる毎に「お疲れさん!」という、
この上なく爽やかで充実感溢れる声が飛び交います。
私にこの言葉を投げ掛けられても、心の中で
「いえいえ、一日中家でテレビ見てて疲れていないし…」
などといじけたことを考えながら苦笑いするしかありませんでした。
にぎやかで活気に満ちたその場の雰囲気とは裏腹に私は次第に居心地が悪くなっていき、
しまいには会計の時に「今日は俺たちが出しとくよ!」という友達思いの優しい言葉を掛けられ、
本当に肩身の狭い思いをしました。
その後、親に言われた「働かざる者、食うべからず」という言葉が頭に浮かび、
一人で勝手に打ちひしがれたことを今でもよく覚えています。


こうして失業していた時の出来事を思い返してみると、

「お疲れ様」を口に出来るだけでも幸せなことです。
これからは今日一日の働きに感謝し、心を込めて「お疲れ様!」と言いたいと思います。

来月の23日は勤労感謝の日(新嘗祭)です。
その意味などこれまで大して考えたこともありませんでしたが、
今後はその意味や由来などに思いを馳せながら休日を過ごすつもりです。

夏休みの宿題の思い出。

2011年08月19日 テーマ:ブログ

毎年この時期になると、夏休みの宿題の思い出が頭をよぎります。
エピソードに事欠かないのは私が余程あれこれやらかしていたからでしょうが、
今回はその中でも一番鮮烈な思い出話を一つ。


小学生の頃、夏休みに『菊を育てる』という宿題がありました。
しかし夏休み前に菊の鉢植えを家に持ち帰った時点で、

すでに私の心は楽しい夏休みの計画でいっぱいで、
自慢ではありませんがその後一度も水をやった記憶はなく、菊のこともすっかり忘れ去っていました。


そして、夏休みの終わり頃にふと菊のことを思い出し見に行ってみると、
お察しのとおり、菊は見事に枯れていてもはや再生不能の状態に…。
見るも無残な姿になり果ててしまった私の菊。
さすがにこんな代物を学校に持って行ける訳もなく、枯れた菊の前で私は途方に暮れていました。
すると、そんな私を見かねたのか、祖母が「じゃあ、これを持って行きなさい」と、
自分が育てていた菊を私の鉢に植え替えてくれたのです。


これで無事に難局を乗り切ったと思いきや、
始業式の日に教室でみんなの菊を見た瞬間に私は愕然としました。
みんなの鉢には小さくて可愛らしい花がたくさん咲いているのに、
私の菊だけ見事な一本仕立ての菊。
見るからに別物で、かろうじて共通しているのは菊の色だけでした。
その圧倒的な大きさと存在感は他の菊をまるで寄せ付けず、
品評会であれば間違いなく断トツの優勝です。
おそらく祖母は可愛い孫が恥をかかないように、丹精込めて育てた中から
選りすぐりの菊を鉢に植えてくれたのだと思います。


私がこの想定外の出来事に驚きたじろいでいると、次の瞬間、背後から
「わぁーツツミ君の菊大きい!」 という驚嘆の声が上がりました。
これ以上騒ぎ立てられてなるものかと目立たない所に菊を隠そうとしたのですが、
あまりの大きさに隠しようもなく、気付くと私の菊はみんなから取り囲まれ注目の的になっていました。
私は気まずさと恥ずかしさの中で、ただひたすら時間が過ぎ去るのを待っていたのですが、
有り難くないことにいつの時代にも鋭い子どもはいるものです。
次第に「これ大きすぎない?」「種類が違うんじゃない?」といった疑惑の声が上がり始め、
しまいにはよく遊んでいる友達から

「お前のとこのばあちゃんの菊を植え替えて持ってきたろ?」
という引導を渡されるような言葉まで飛び出す始末。


残念ながらこれ以降の記憶は残っていませんが、
ただ私の胸にしっかり残っているのは、大菊を鉢に植え替えてくれた祖母のことです。
サザエさんに出てくるカツオ君並みにちょっとばかりお間抜けな結末になってしまいましたが、
その優しい気持ちを思うと、この夏の暑さ以上に私の胸も熱くなるのです。

優良工事店ネットワーク 代表 堤 猛



お互い様のDNA

2011年07月09日 テーマ:ブログ

父と母で二人、父と母の両親で四人、そのまた両親で八人。
こうして数えていくと 十代前で一〇二四人、
二十代前では、なんと百万人を超えるんです。
過去無量のいのちのバトンをうけついで、いまここに自分の番を生きている。


このブログの中でも何度か引用させて頂いた相田みつをさんの言葉ですが、
この数字をふと疑問に思いパソコンを使って検算してみました。
1代遡るごとに2倍2倍で人数が増えていき、20代遡れば確かに百万人を超えます。
さらに遡って27代前まで計算すると、なんと私の祖先だけで今の日本の人口を超えてしまいました。
この理屈で考えると、時代を遡るほど人口が多かったことになりますが、

昔は今よりずっと人口が少なかったはずです。これは明らかに矛盾しています。
事実、27代前に当たる室町時代の人口は、わずか1200万人足らずだったようです。
この矛盾を不思議に思いあれこれ考えてみたところ、原因は祖先の重複であることが分かりました。


つまり、祖先の中には同じ親を持つ人がたくさん含まれるので、

1代遡るごとに2倍ずつ人数が増えていくという計算は成り立たず、
その分だけ実際の人数は少なくなるというわけです。
祖先の数を単純に計算すると莫大な数になるはずなのに、

実際にはずっと少ないことを考えれば、この重複は相当な数になるはずです。


同様に、今生きている人同士の祖先もかなりの確率で重なっているはずなので、
家系を遡っていくと思いもかけない人とどこかで繋がっているのかもしれません。
こう考えると「人類みな兄弟」という言葉もうなずけます。
「袖振り合うも他生の縁」という言葉も、

「袖触れ合うも多少の縁」と考えても意味が十分に通じるのではないでしょうか。


そう言えば、今回の震災後、「お互い様」という言葉をよく耳にするようになりました。
人は困難な状況に直面すると、どうしても他人のことよりも自分のことを優先しがちになります。
しかし、被災地の人達は一貫して互いを思いやり、譲り合って暮らしています。
被災した人同士が「困った時はお互い様」と言いながら、

互いに譲り合っている姿は海外のメディアにも大きく取り上げられ、大変な驚きをもって見られました。
これは同じ日本人として大変誇るべきことだと思います。


人はどこかでつながっている・・・。
私達の祖先はそう考えたからこそ、互いを尊重し譲り合い協力することを

当たり前のこととして代々教えてきたのかもしれません。
それが「お互い様」の精神として根付き、今、困難な状況下で発揮されているのです。
私達も、この脈々と受け継がれてきた美しい精神を確実に次の世代に伝えていきたいものです。

日常生活の中の、小さな「活私豊公」

2011年06月03日 テーマ:ブログ

東日本大震災からもうすぐ3ヶ月が経とうとしています。

震災の前後、私は出張に出ていて被災地の様子をホテルのテレビで呆然と眺めていました。
何もかもが波に押し流され瓦礫の山と化した街の光景は、

どれだけ時間が経っても私達の心から消えることはないでしょう。


震災から数日後、私が出張から帰るとスタッフから
「翌月に支給される自分達の給与の一部を、義援金として送金してほしい」

との申し出を受けました。それが予想以上に高額だったので、私はつい心配になって
「こんなにたくさんでなくても・・・ちょっと減らしたら?」と言うと、スタッフは
「もう全員で決めたことなので、是非お願いします」と一歩も譲りません。
結局、スタッフから集めた分と優良工事店ネットワークの積立金を合わせ、
総額で100万円を超える義援金を捻出することができましたが、
被災者の方たちが必要としている金額からすれば、本当に雀の涙のような金額だと思います。
しかし私は何よりも、スタッフが自ら義援金の申し出をしてきてくれたことがたまらなく嬉しかったのです。
そして彼らのようなスタッフに囲まれて働いていることを誇らしく思い、心の底から彼らに感謝しました。
とは言え、このような援助を今後も継続的に続けていくことは難しいと思います。


震災以来「今、私たちにできること」という言葉を再三耳にしましたが、
被災地の復旧復興には相当の年月が掛かるはずです。
だからこそ息切れしないよう長期的な展望に立って、
長続きしない不慣れなことよりはむしろ、一人一人がそれぞれの専門分野や持ち場で、
自分の強みを活かした仕事を当たり前に淡々と積み重ねていくことが最も大切な気がします。
この一人一人の「強み」の結集こそが経済活動を支え、

大きな力となって復興の実現を早めてくれるはずです。


先日、新しい公共奉仕の理念を表す「活私豊公」という言葉を知りました。
昔からよく言われる「滅私奉公」ではなく、

自分の強みや能力を積極的に活かして社会に貢献していくという考え方です。
ボランティア活動も大変貴い行為ですが、実際にできる人の数や時間は限られているはずです。
だからこそ誰にでも出来る、日常生活の中での小さな「活私豊公」の積み重ね

見落とさないようにしたいものです。私も今すぐにボランティア活動に取り組むことはできませんが、
「活私豊公」の精神で日々の仕事に精進しながら、継続的に復興の力になっていきたいと考えています。

 

※本内容は、4月2日の読売新聞『気流』に掲載された私の投稿を加筆修正したものです。

東日本大震災 義援切手募金のお願い

2011年04月16日 テーマ:ブログ

これまで優良工事店ネットワークでは、盲導犬協会の賛助会員として

『盲導犬切手募金』を実施して参りましたが、平成23年3月以降はそれに優先して

『東日本大震災 義援切手募金』のご協力を皆様方にお願いしています。


私どもでは参加工事店やスタッフの協力により、既に100万円を超える寄付を行っていますが、

この度ご縁のあった方々にも広くご協力をお願いしております。

皆様も既に募金や献血など様々な支援をされていることと思いますが、

もし私どもの取り組みにもお力添えを頂けるのであれば幸いに存じます。


寄付には様々な方法がありますが、今回私どもがご参加を呼びかけているのは『切手募金』です。

未使用の切手や書き損じの葉書・年賀状などは郵便局に持っていくと、

換金はできませんが新品の切手やハガキと交換してもらうことができます。

しかし、その際には1枚当たり5円の手数料が必要になります。


優良工事店ネットワークの切手募金では、その手数料を私どもが負担した上で、

まず皆様からお送り頂いた切手やハガキを全て新品の切手に替えます。

次に、当ネットワークの業務では大量の切手を使用しますので、

新品の切手を私どもの方で全て買い取らせて頂きます。

そして、その買い取り金額を日本赤十字社に全額送金させて頂きます。


この方法であれば、皆様からお送り頂いた切手やハガキの額面全額を

義援金として送金することができますので、

ご自宅に未使用の切手や書き損じの葉書・年賀状などがございましたら、

当ネットワーク本部事務局までご郵送下さい。

お送り頂いた切手とハガキは、日本赤十字社並びに当ネットワークの正規手続きに従い、

責任を持って寄付させて頂きます。


切手やハガキをお送り頂く際には、お手数ですが

必ず、お名前、ご住所、お電話番号を正確にご記入下さいますよう、お願い致します。

また、この際にご記入頂いた個人情報は、当ネットワークで厳重に管理し

事前に本人の同意を得ることなく第三者に提供することはありません。

尚、切手募金活動の結果は、随時ホームページや

お手紙(募金活動にご参加頂いた方だけに限らせて頂きます)でご報告させて頂きます。

※ホームページには、私どもがこれまでに盲導犬協会の賛助会員として行ってきた

  支援実績や表彰実績も掲載しています。


その他、この内容についてご不明な点やお聞きになりたいことなどございましたら、

フリーダイヤル(0120-146-064)まで何なりとお問い合わせ下さいませ。

皆様方の温かいご支援によって、

地震により被災された方々のお役に立てることを心から願っております。


消印の押された切手やハガキは寄付できませんので、ご了承下さいませ。


優良工事店ネットワーク 代表 堤 猛


お送り先:

〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神4-1-24 東洋天神ビル6F

優良工事店ネットワーク本部事務局 

東日本大震災 義援切手募金係

震災 切手 募金



寄付先:

日本赤十字社



寄付額:

お送り頂いた切手やハガキの額面の全額



お問い合わせ先:

TEL 0120-146-064




尊敬すべき、私の後輩達。

2011年04月12日 テーマ:ブログ

春の選抜大会は終わってしまいましたが、今回は高校野球の話を少々。
私の母校はかつて新庄剛士選手(阪神タイガース→MLB→日本ハムファイターズ)も所属した

野球の名門校です。
私が3年生の時には全国制覇を成し遂げ、私も甲子園まで応援に行きましたが、
正直なところ当時はさほど高校野球に関心はありませんでした。
しかし、歳を重ねるごとに興味が湧いてきて、

今はシーズンともなると暇さえあれば高校野球観戦ばかりしています。


数年前、母校の応援団の練習風景がテレビで放送されていました。
それを見て私は首を傾げてしまいました。
私の記憶が確かならば、母校に応援団はなかったはずです。解説を聞いてみると、

レギュラー選考から漏れてベンチ入りできなかった3年生を中心に結成した応援団とのことでした。
マイクを向けられた団員は満面の笑顔で

「これからは、応援や練習の手伝いでチームを支えます!」と爽やかに答えていました。
しかし、その横のグラウンドでは、3年生のレギュラー選手や1・2年生がボールを追いかけています。
それを横目に見ながら、高校生活最後の大会に出る可能性を絶たれた3年生がユニフォームから学ランに着替え、必死に声を張り上げて応援の練習をしている姿は、なんとも胸が詰まる光景でした。


母校は強豪校なので、野球部に入部する生徒のほとんどは

甲子園という夢の舞台に立つことだけを目標に高校に入学してきます。
その夢を叶えるために、遠方から親元を離れて入学してくる部員も少なくありません。
頭は丸坊主、自由のきかない寮生活、厳しい上下関係、

朝5時から始まる練習、放課後から夜遅くまで続く過酷な練習…。
彼らは甲子園の土を踏むために、敢えてこういった厳しい環境の中に身を置いて、
2年半もの間、まさに野球漬けの日々を過ごしてきたのです。
百名近い部員の中で熾烈なポジション争いを繰り広げながら、

最後の夏に照準を合わせて毎日を過ごしてきたのですから、
誰もがレギュラーの座を掴みたいと切に願っていることでしょう。


しかし、地区予選でベンチ入りできるのはわずか20人ほどです。
監督から名前を呼ばれなかった3年生は、
その瞬間に

甲子園出場を懸けた闘いに選手として参加できないことが決まり、
たとえチームが甲子園に行けたとしても、自分の足で憧れの土を踏むという夢も断たれてしまいます。
18歳の若者にとっては、あまりに残酷な現実です。
それでも彼らは、悔しさで声も出ないはずなのに、泣きたいほど辛くてたまらないはずなのに、
他のメンバー達に気を遣わせないため、

精一杯の背伸びとやせ我慢をして明るく振舞うよう努めるのです。
そして、現実を真正面から受け止め、

チームが勝つために自分がどんな役割を果たせばいいのかを真剣に考え、脇役を買って出るのです。


のほほん徒然日記 のほほん徒然日記 のほほん徒然日記

 引用:西日本短期大学付属高等学校HPより(同校より掲載許可済み)


ふと自分を顧みると、私はもう彼らの倍程の人生を歩んできていますが、

同じ状況で彼らのように潔く振舞う自信はありません。
きっとこの経験を通して、彼らは何物にも代え難い真の強さと優しさを身に付けるのでしょう。
長い人生には、大切な物を守るために本音や私心を押し殺して、
今にも心が折れそうな状況で精一杯のやせ我慢をしなければならない瞬間が必ずあります。
このような時に私も彼らのように美しく振舞える強さを身に付けたいものです。
今回そのようなことを考えさせてくれた尊敬すべき後輩達に感謝です!
さて、もうすぐ夏の予選が始まります。
皆様もぜひ、グラウンドにいる仲間達と共に闘っている応援席の野球部員達にも注目してみてください。
きっと、これまでとは違う感動をもらえるはずです。



  参考文献:竹島由美子著『野球部員、演劇の舞台に立つ!』(高文研)


謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。

2011年03月14日 テーマ:ブログ

地震により多くの命が失われたことに対し、
また、被災者の方やご家族ご友人が被災された方へ
深くお悔やみを申し上げますとともに、心よりお見舞い申し上げます。
私どもも微力ながら、被災者の方々のお役に立てるよう努めていく所存です。
一人でも多くの命が救われるよう、また、被災に遭われた方々が元の生活を取り戻せるよう、
一日も早い復旧復興を、スタッフ一同心よりお祈り申し上げます。


優良工事店ネットワーク 代表 堤 猛

賞状をもらう練習をしたこと、ありますか?

2011年02月07日 テーマ:ブログ

先月、市役所から電話が掛かってきました。
「ヒョウショウが決まりました。おめでとうございます!」
と言われ、一瞬訳が分からずポカンとしてしまいました。
全く思いもかけないお話だったので、

「もしや新手のオレオレ詐欺では?」と思い警戒してしまったほどです。
しかし、よく聞いてみると、私が数年前から少しずつ故郷に寄付をしてきたことに感謝し、

表彰したいとのことでした。私は思わず
「『ヒョウショウ』って、もしかして賞状をもらえる、あれですか?」
と聞き返してしまいましたが、今考えると相当間抜けな質問です。
賞状なんて小学校の時以来もらった覚えもなく、

その知らせを聞いて妙にドキドキして舞い上がってしまったのです。
なにせ小心者なもので…。


私は早速、嫌がる妻を相手に、新聞の折り込みチラシを使って賞状を貰う特訓を始めました。
「もう少し上を向かないと、先生に叱られている生徒みたい」
「もうちょっとピシッピシッと動かないと、だらしないよ」
などと妻は容赦なくダメ出しをします。この時ばかりは妻のアドバイスを素直に聞き、
何度も練習をして、いざ表彰式の会場へと向かいました。
おそらく、これほど熱心に賞状をもらう練習をしたことのある人は、
世界広しといえども私くらいのものでしょう。
別に自慢するつもりはありませんが、小心者ですから仕方がありません。


実際の式典では、猛特訓の甲斐あって他の受賞者同様、

ごくごく普通に表彰状を受け取ることができ、私も妻も一安心。

身に余る光栄で大緊張の表彰式は、アッと言う間に終わってしまいました。
式典が終わった後、体を壊して入院している父に報告するため、賞状を片手に病院に向かいました。
思えば、私がふるさとに寄付を始めたのも、父の言葉がきっかけでした。


「ちゃんと、お世話になった故郷の役に立たんといかんぞ」
子どもは、その地域の大人が納める税金によって育てられている一面があります。
ですから、大人になったら、今度は自分が税金を納めて地元の子ども達を育てる…
というようにバトンタッチしていかなければいけません。
しかし、私は地元を離れているので故郷に納税しておらず、
その地域の子ども達を育てるという役目を果たしていませんでした。
そういった理由で数年前より父の言葉に従い、少しずつ寄付を始めたのでした。
父に賞状を見せるとすごく喜んでくれ、「これからも初心を忘れずに頑張りなさい」と言われました。


父は無口な人ですが、人生の節目節目では、実に重みのある言葉で私を導いてくれます。
その道しるべを頼りに、私は今まで歩いてきました。
そして、これからも、父には色々なことを教えてもらわなければいけません。
そのためにも、まだまだ元気でいてもらわなくては。

父が早くよくなって退院してくれることを祈っている、今日この頃です。

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