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2017-05-05 15:00:00

久シ振リニ攻城セリ

テーマ:なんちゃって攻城記

久し振りに攻城して参りました!

 

(昨日の記事は、この事のお話でした!w)

 

いつもお世話になっているnaoさんがお膳立てして下さり(いつもですがw)

 

以前、城館跡のサイトを解説されていた湯沢城さんに案内されて

 

私めと、naoさんとT山さんの4名で、現湯沢市内の館跡を数カ所行って参りました!

 

ちなみに、今回は湯沢城さんが発見して、行政(?)から遺跡認定されていない場所もあり

 

さらに、湯沢城さんが今まで訪城&発見された場所を本にされる事もあり

 

どこに行ったかは、伏せておきます

 

ので、今回は、サラッとした攻城記となります

 

秋田県教育庁の秋田県遺跡地図情報に載っている「御返事(おっぺじ)北館」の画像だけ

 

数点載せておきますw

 

 

 

御返事北館のある山です

 

写真にちらっと載っていたので、印をつけておきますが、この斜面を(たしか)200m程直登しました^^;;

 

正直、1年4ヶ月振りの直登でしたし(去年はクマさんのせいで色々と見合わせておりました)

 

しかも、確実に太り続けていたので、体力的に不安でしたが

 

私的に、私的に!思った以上に体が動いたのでよかったです・・・ええ・・・

 

 

 

 

こちらも、御返事北館の竪状畝堀

 

今回は、殆どの所で竪状畝堀が確認出来る館跡ばかりでございました

 

長い年月で、畝堀の堀が浅くなってはおりますが、当時はもっと深かったはず・・・・

 

 

 

 

こちらも御返事北館の堀切

 

私の腕の悪さと、撮影の場所的制限があり、微妙な画像になってしまいましたが

 

何ヵ所かは、すごい堀切を見る事が出来ました!

 

ちなみに、この場所の南の方に御返事城跡があるのですが、そちらは「のっぺり」(←?)した館跡らしく

 

こちらが、御返事城だったんじゃないか?というお話でございました

 

まあ、たしかにこれだけ防御性が出ているのであれば、こちらの方が御返事城跡と言っても過言ではないでしょうなあ・・・

 

御返事城に関する話は、私めのオノデラーズシリーズでもちょろっと載せております(こちらです)

 

他に行った場所も、御返事北館と同じように、街道沿い&川沿いに館跡が並ぶように建っております

 

そういう館跡をその後も数カ所回ったのですが・・・・それは、湯沢城さんの本が出てからのお楽しみということでw

 

 

それにしても、久し振りに言った訪城、楽しゅうございました!

 

皆様、ありがとうございます^^

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2015-08-11 06:00:00

浪岡城跡

テーマ:なんちゃって攻城記


堀越城跡を後にして、今度は浪岡城跡へと向かいました!


こちらの城主は、北畠顕信の子孫とされております


で、こちらに居を構えて、「浪岡氏」となります


ちと長くて、うろ覚えな話ですが・・・・


建武新政期に、北畠顕家が後醍醐天皇の第7皇子・義良(のりよし)親王(のちの後村上天皇)を報じて


多賀城に入り、陸奥守(後に鎮守府将軍)として奥羽を取り仕切っていた所から歴史が始まります


足利尊氏が、後醍醐天皇の建武政権と袂を分かって南北朝時代が始まりますが


奥羽でも、南朝と北朝に分かれての騒乱期に入ります


顕家は、多賀城にいられなくなり、福島の霊山へ奥羽支配の拠点を移しますが


彼は、後醍醐天皇の要請を受けて出兵し、美濃青野原で尊氏軍と戦い、戦死します


顕家の後を継いで、弟の顕信が鎮守府将軍になり、陸奥に赴き多賀城奪還を試みますが、失敗!


その後、出羽に足跡を残しているので、奥羽で活動をしていたようですが、その後不明に


で、最終的に、顕信の子孫がこの浪岡の地に居を構えたのではないか?と言われております。


話はコロッと変わりますが・・・・・


室町期に、一国に一人の守護大名が置かれておりましたが


陸奥も出羽も、1国が大きすぎるために、守護大名に当たる豪族に「御所」と「屋形」の称号が与えられました


「御所」の称号が与えられたのは、奥州探題・斯波氏の子孫に当たる大崎氏と


この北畠氏の子孫とされる浪岡氏だけ(だったはず@他に「御所号」の氏族がいたらすんません)でございます


そんな、浪岡御所である浪岡氏も、戦国の波にのまれ、津軽為信に攻め滅ぼされました


浪岡御所の子孫達は、(たしか)長女が浪岡氏に嫁いでいた下國(安東)愛季の元に逃れ


最終的に、三春藩秋田氏の家老となる訳であります



こちら、資料館で撮影した、浪岡城の縄張り図です


ん?なんとなく「水の館」という感じが致しますが・・・・・


とりあえずね、現場(?)に行ってみたら、曲輪と堀だけの館跡って感じでございましたwwww


縄張り図に「土塁」も書いてありましたが、土塁と言うよりは、大きい曲輪に付随してある


「帯曲輪」と言った方がいいんじゃないか?と思いましたwww


正直に言います!


ここまで土塁に縁のない城館跡も珍しい!!wwwww





その代わり、堀の規模は凄いと思いました!


曲輪と曲輪の間に、水堀が巡らされていたというのも凄い話です


ある意味、優雅な館な印象を感じましたwww




↑こちら、北館跡にあった井戸跡


北館くらいでしたねえ・・・・・復元を施されていた曲輪は・・・・・



北館跡から見た内館跡


北館と内館が、深い堀で隔てられているのが、私的にこの城跡のツボでございました


ちなみに、内館はこの浪岡城の本丸にあたる曲輪との事です


ですので、北館よりちょっと高くなっている感じですね~



こちらの内館へ向かう通路・・・・・これが縄張りでは「土塁」と書かれているんですが


うん、う~ん!wwww




土塁(?)に添って歩くと、右手が西館になります


ちなみに、頂いた散策マップによると


「調査していないので、何があったのかわかっておりません」


との事



西館から見た内館


こちらは、内館から見た西館です


どちらの曲輪も(というか、浪岡城のすべての曲輪が)だだっ広い曲輪でございましたので・・・・・


内館の写真を撮りませんでしたwwww


こちら、薬研堀に見えますが・・・・・内堀から案内所に通じる道でございますwww


うん、ある意味、凄く変わった城館跡でございました!


築城された時代が、戦国より古いからなのかしらねえ・・・・・


1460年頃に築城されたとされていますが・・・・・・・その頃って、丁度安東氏が南部氏に十三湊を追われた後なんですなあ

いろいろと妄想がつきない城館跡でございました!^^




さて、後は三内丸山遺跡に行った事を記事にするだけだけど・・・・・う~ん!まとまるかしらねえ



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2015-08-10 06:00:00

堀越城跡

テーマ:なんちゃって攻城記

さて、もう1ヶ月ちょっと経ってしまいましたが・・・・・先月の4日に、青森に行って来ました!


兄が何かのテレビを観て


「三内丸山遺跡に行きたい」


と言うので、その話に乗りました!


で、三内丸山遺跡の途中にある、今まですっごく行きたかった「浪岡御所(城)」と・・・・・



堀越城跡に行って来ました!


堀越城は、津軽為にゃん・・・もとい津軽為信の居城跡です


津軽為信と聞くと「弘前城」と変換される人もいらっしゃるかもしれませんが


確かに、弘前城を築城を始めたのは、髭殿(=津軽為信)ですが


彼は、弘前城には入っておりませんwww


出来たのは、次の代の信枚(のぶひら)からですから・・・・・www


(関係ないですが、信枚は、じぶじぶの娘と息子の一人を保護して、娘の方を側室にしております)



さて、堀越城跡は・・・・・実は、R7に思いっきり分断されておりますwwww


その事を、ここ で知りまして、「これは、行きやすいし、是非見に行きたい!!!」と思った次第!



で、只今堀越城跡は、絶賛整備工事中!


工事現場内ですが、ちゃんと駐車場が設けられております





工事現場を横目で見ながら、大手口へ向かいます


大手口は、駐車場のほぼ西の方向にあります


復元とは言え、この時点で堀の規模に目を奪われました!




大手口


ほう、神社の参道になっているんですね~!



大手道(=参道)を進みます


ちなみに、ここまでの間、両脇に民家があります




土橋を渡る前に、二の丸の堀の左手を拝見


この辺は、早い時期に復元工事をしたためか、除草した形跡が見られます


土橋の右手


二の丸の正面門以外に、入り口があるようです



こちら、土橋を渡って、二の丸に入った時に、右手を見たの図です


実は、先程の脇の入り口の正面に、本丸の入り口が見えるようになっているようですが


それを隠すかのように、何か建物があったようです(画像の左にある復元礎石の所です)



後で撮影した画像ですが、二の丸の正面入り口を本丸の土塁から見たの図です


ええ、もちろん道はぐにゃりと曲がっています


先程の正面入り口以外の入り口と言い、この城の防御力を伺うことが出来るような気がします


が・・・・・まあ、二の丸の門を突破された時点で、この城はもはやアウトだったとは思いますけどね^^;;





さて、本丸の堀と土塁です


こちらも、なかなかな堀の規模だと思いました



本丸の大手門を、入った後で撮影したの図w


まったく直線じゃない所が、ツボですwwww



本丸曲輪は、思ったより広い空間でした


いろいろと復元礎石が沢山ありましたが、ここでは割愛させて頂きます(をい!)


ええ、もちろん、本丸御殿の復元礎石もありましたよ




本丸曲輪の東側は、絶賛工事中




でも、本丸曲輪を取り囲んでいるこの土塁は、当時のままなんですよ~


ええ、ドルイスカヤとしては、一番の萌えポイントでございました^^


あ、ちなみに、R7の東側は、西側より工事が進んでいない感じでございました!

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2014-12-16 15:30:00

豊島勢ヲ攻城セリ 最終回「白華城~安東ノ最南端(タブン)~」

テーマ:なんちゃって攻城記

合格おしらせ


刀攻城同志募集中


以下再掲載~


山城の鬼・nao
さんと、城跡の○態・T山さんと、そして暢気なびびんばと一緒に


山城跡中心とした城館跡を巡って下さる方、若干名募集中です~(秋田県内の方@男女問わず)


↑それなりにヘビーな所を登ることもある事を(一応)申し添えます


ご興味のある方、ご連絡下さいマシ




バラここから本文バラ


前回からかなり間が空いてしまいましたが、今回で最終回ですあせる


白根館跡を堪能した後、北上して、次の目的地・白華城跡を訪れるため


秋田市豊岩の豊巻の集落へ向かいました!DASH!


目的地はこちら白華城跡です



車を豊岩小・中学校の近くの自販の空いてあるスペースに駐めさせて貰いましたお願い


T山さんが


「ここから豊島館が見えるよ」


というので、見てみました!目


矢印をついてある所・・・・が、「多分そうwww


矢印の所のずっと左手に見える建物、秋田市総合環境センター(ゴミ処理施設等)でございますので


それが目印になりました!パー



豊岩小・中学校から南下しますあし




そうすると、白華城跡入り口の標柱が見えてきます



横には「説明」が書かれています


(影は多分私のw)


しかし、ここの「入り口」から登城すると、分かりにくいそうでして・・・・


ですので、更に道を南下しますあし




もう一つ、「白華城跡入り口」の標柱が建っております


T山さんの道案内で、ここから入りますあし



途中、プリチーな猫さんに遭遇!にゃー


私が近付いても逃げないので、おっとりとした性格の飼い猫さんだったと思われますラブラブ


この日は、比較的暖かい日でしたので、日向ぼっこをしていた模様にゃー



さて、猫さんがいた所から更に奥にいき、ひと様のお家とお家の間を通って行くと、登城口があります



ここもなかなかきつい坂道を登っていきますあせる


坂道を登り切ると、左手に堀切のようなものが見えます目



先には、主郭の曲輪が見えます



更に先に進むと、案内板があります


T山さんが仰るには、最近、白華城跡が綺麗に整備されたとか・・・・



白華城の説明については、上の案内板の通りでございますが


上に書かれてある「豊島勢に攻められた」時期からほんのちょっとずれておりますが


私は、湊騒動(元亀元・1570年~元亀二・1571年)の影響のある合戦がここであったと思っております


(根拠は、ない!@をい!パンチ!


で、案内板にも書かれてありますが、ここにいた安東氏の一族は「豊巻氏」を名乗っていたのでございます


城之介と名乗った安東氏の一族」と書かれているので、湊家の一族なんでしょうねえ・・・


ちなみに、ここは由利郡と接しているお城ですので、安東氏の最南端の拠点だったのではないか?と


(勝手に)思っております


由利衆とかの取次も、ここの城主が執り行っていたのでしょうかねえ・・・??(妄想中)



↑こちら、案内板の縄張り図です



↑こちら、「秋田県の中世城館」に載っている縄張り図・・・・


下の縄張り図は、よく分からないので、案内板の縄張り図を使ってお話ししていこうと思います



では、大手口から登城!グー


素敵な虎口です音譜



大手口から入って右側に「馬出」が



左には「家中屋敷跡」の標柱が見えます



↑こちら、T山さんの命令(笑)で載せますが・・・・・昔の標柱が捨てられずに残されていました驚


標柱の後面に何かが書かれていましたが、腐食されていてよく見えなかったですあせる


木が邪魔ですがw、「家中屋敷跡」の曲輪の先に、「厩跡」の標柱がありました


家中屋敷跡の曲輪から馬出方面を撮りましたカメラ


左にある標柱は、搦め手の標柱です


家中屋敷跡の曲輪の方が、高い所にあるのが気になるところですハムスター




馬出側の東側に立派な土塁があります


ここには、塀や柵が建てられていたことでしょうなあ・・・・




土塁の先から、東側にある堀切を撮影しました


ポコポコと山が出来ているのが分かりますでしょうか?w


もうちょっと斜めにして撮ってみた堀切(こっちの方が分かりにくいか!w)


土塁から堀切の方へ降りていきました!




堀切は2つあったと思います


堀切を2つ超えた先で、主郭方面を撮影カメラ


画面奥の、一番高いテラス(台地)が主郭の土塁です




主郭とは逆の方向は、アップダウンの激しい道が続いておりました


ここで、naoさんの姿が消えたので、T山さんと一緒にnaoさんを叫んで呼んでみたら・・・・


このアップダウンの激しい道の先まで行っていましたてれ(苦笑)


naoさんは、これ以降白華城跡の堀切にスイッチが入っておられたようでしたww


T山さんの話によると、このアップダウンの激しい道は、学校の方に通じているようでして


豊岩の小学校だか中学校だかが、この白華城跡へ登ってくることもあるそうですビックリ



多分、○をつけている「歩道」が小中学生たちが登ってくる道に当たると思うのですが


もう一度堀切から主郭の土塁を登るのに結構苦労しまして


登りやすいように、土嚢が埋め込まれていた所もありましたが


「えー!?これ、本当に子供に登らせるの~?私が保護者だったら、全力で反対するよー!」


と悪態をついてしまいましたww


土嚢があっても、ちょっと登りづらかった・・・・・あせる




さて、なんとか堀切から戻ってきて、上の縄張り図にある何のスペースか分からない曲輪を撮影にひひ


多分、タダの(?)帯曲輪なんだと思いますが、私、最初これを「犬走」だと思って


「こんな広い犬走ってあるの?これだったら、犬走じゃなくて、ドックランだよ~」


と悪態をついた所、naoさんから


「犬走って、曲輪や土塁を補強する役目もあるんだよ」


的な、極めて冷静なアドバイスを頂きましたてれ(苦笑)


と言うことは、犬走りって、ただ「もの凄く細い帯曲輪」ってだけではないのね・・・・と、1つ勉強になりました



で、そのドックラン(をい!)から西の方を撮影カメラ


こちらの方にも堀切が確認出来ました


(詳しくは下の方にに書いております)


で、本当の犬走はこちらですwww


(下の画像がぼやけてしまいました)




厩跡の方へ向かいました


画像は、その土塁の一部です


こちらの土塁の下にも・・・・・



先程のドックランから見えた堀切がありました!にひひ


堀切にスイッチが入っていたnaoさんが真っ先に降りて行き、続いてT山さんが降りていきましたひよざえもん びっくり


私め、正直、足が若干痛くなってきて、ちょっとぬかるんでいる切岸をもう一度登る自信がなかったので


2人の歓喜の叫びが聞こえてきたら降りようと思い、暫く土塁の上で待機していましたら・・・・


「堀切がいっぱいある!」


という声で、やっぱり降りていきましたwwww




ええ、本当にいっぱいありました!


かなり防御に力を入れた城跡だという印象を受けましたが


豊島勢に攻め落とされてから、セキュリティをアップさせたんでしょうかねえ・・・・・(妄想中)




こちら、最後の堀切の先にあった曲輪っぽいテラス・・・・・・


naoさんが偵察に行ってくれた所、特に何もなかったと言うことでしたので、ここで引き揚げました!パー


主郭に戻ってきた時には、もう既に4時近くになっていたので、ここでタイムアップ


本当は、もう一つ、手形山にある天館跡にも行こうと思っていたのですが、この次の機会に回しました!


天館は、同じく湊騒動の舞台となった「推古山(=手形山)の合戦」の舞台となったと思われる館跡・・・・・


行けることになったら、楽しみです!

さて、今回豊島氏が関係した館跡を3つ回りました!


正直、ここまで凄い遺構が見られるとは思っても見なかったので、すっごく楽しゅうございました!

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2014-12-04 15:00:00

豊島勢ヲ攻城セリ その2「白根館~縄張図ガ意味不明~」

テーマ:なんちゃって攻城記

さて、豊島館跡を十分堪能した後、私らは次の目的地・白根館跡へ向かおうとした所・・・・・


「お昼、どうしますか!?」


と言うnaoさんの冷静な提案(w)で、白根館へ向かう前に中食を摂ることにしました


(時間も11:20位だったしねえ~)


中食を摂った場所は、白根館跡とは逆の方向にある河ドラ(河辺ドライブイン )でございます


・・・・・河ドラにHPがあるなんて、知らなかったわよwwww


私めには初河ドラだったのですが、噂に違わぬ激混み食堂でございました


(早く行って良かった・・・・にひひ


で、城攻め前の食事を済ませ、改めて白根館跡へ出陣!


場所は、ここ にあります


地図で見ても分かる通り、雄物川沿いにある館跡です


多分、雄物川の河川運搬の監視も兼ねた館跡だったのではないか?と思われます


(と同時に、雄物川を白根館の水堀にしているw)


『秋田県の中世城館』には、私らがこの次に行く「白華城」の支城と書かれてあります


白華城は、湊安東氏の勢力下にありましたので、白根館もそうだったと思われます


で、白華城は、永禄10(1567)年に豊島勢に攻め落とされているそうでして


その時に白根館も落とされていると思われます


私め、てっきり「湊騒動」の時に攻め落とされたのか?と思いましたが


湊騒動は、元亀元(1570)年の話・・・・・汗


それに、安東茂季(下國;安東愛季の弟)が湊家の養子に入る前に豊島勢が白華城を攻めたとしたら・・・


その攻めた理由が分からない


まあ、いずれにしてもそういう歴史があるそうです(←投げやり爆弾



閑話休題


T山さんは、以前ここにいらしたことがあって、道案内をして下さいましたが


私めがいらぬ事をしてしまったが為に(この度のドライバーは私w)


雄物川沿いの豊岩へ抜けるほっそいほっそい道へ入ってしまいました!爆弾


何とか方向転換出来るスペースがある所で、方向転換をしている時


豊岩方面から、一人のライダーがやって来ました


私はその時何とも思っていなかったのですが(←ピンチとも思っていなかった節有りw)


「俺らピンチの時に、必ずバイクが通るよな」


という話が出ましたwww


ああ、懐かしや白岩城跡wwwww


(ちなみに、国土地理院の地図で見たら、その道は「東北自然歩道」という名前がついていましたw)



で、元来た道に戻り、ようやく白根館跡の南側にある登城口へ到着しました


こちら、なかなかなヘビーな登り道でございました!トボトボ


今回、直登が多いと思って、赤備えを置いてきたのですが・・・・一応持ってくれば良かったと後悔・・・・



↑こちら、「秋田県の中世城館」に載っている白根館跡の縄張図なのですが・・・・・




坂道を登り切って、山でいえば「尾根道」の右側には、曲輪っぽいテラスや堀切なとが見えました




写真を撮らなかったのですが、多分国土地理院の地図に赤い○をつけた所に、由利方面へ送る送電鉄塔がありました



↑こちらが、西側の送電鉄塔へ向かう道なのですが・・・・


土橋と左右の堀が見事でございましたきゃぁ~


ですので、多分鉄塔がある所も、それなりの機能を果たした曲輪だったと思われますが・・・・



土橋をアップして撮りましたw




で、土橋から降りて、堀切を撮影・・・


しかしですね・・・・


「秋田県の中世城館」に載ってあった縄張図と、私らが実際歩いていてみた白根館跡は合っていないような感じでして


この土橋と堀切も、縄張図のどこに当たるのか、チンプンカンプンでした




元来た道に戻り、更に奥へ進みます


その道の左側(西側?)に帯曲輪らしきものを見ることが出来ます!




奥へ進むと、主郭と思われる拓けた広場(?)に到着します


公園か憩いの場として、整備されている感じです


碑は、石井蕗月の句碑でございます


曲輪は句碑の後ろにも広がっております


その(多分)北側を見てみたら・・・・土橋と空堀らしきものを発見!目


その下へ降りてみようとした所・・・・あし



ををを!音譜


立派な虎口を見ることが出来ます


左側の高台(?)は多分櫓跡なんじゃなかろうか?と・・・・・(naoさんが言っていましたw)


虎口から出ます!



きゃー見て見て~きゃぁ~


立派な土橋!


土橋が立派だから、空堀もよく分かるよねえ~音譜



↑こちら、土橋の左側の空堀です


土橋を渡ると、土塁みたいなものに囲まれた道があるのですが・・・・結構延々と続いております


私め、この道は下浜の楢田という集落へ通じているのではないか?と思いましたが・・・・


で、雄和(種平だけどw)の方にちょいとこのことを聞いてみましたら・・・


もう、その人、普段から人の話をちゃんと聞かない人でしてね


石井蕗月の句碑がある事を言えば、高尾山の話をするし


(高尾山は、もっと南・・・・・同じ雄和でも女米木の方にあります)


この道のことを尋ねても、私が最初に間違って車で突っ込んだ、雄物川沿いの東北自然歩道の話をするし・・・・


面倒くさいから、もう聞くのを止めてしまいましたwwww


今度、豊岩とか下浜の人に聞く機会があったら聞いてみようと思いますw


し、その前に、確かめるために下浜側からの登り道から登るかもしれないwwww




で、こちらは土橋の左側の空堀・・・・というか、堀切です

この館跡は、縄張図がチンプンカンプンで、何となくしっくりしませんでしたが


見事な土橋と堀切を見られる所でございました!


なかなか素敵な所でございますニコニコ


次は、この館の主城・白華城を目指しました!



~つづく~

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