ボランティア甲冑武者サークルSacT と歴活

自作甲冑やイベントの自主開催もしています。H22~はSacTとして三増合戦の寸劇を担当させていただいてます。その他個人的史跡巡り等々の記事も。武者イベントご依頼ご相談お気軽にどうmimasugassen1569@gmail.com

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裾野市史を読んでようやく河東の乱(河東一乱、1535~1545年)がまとまってきた。

と、いうか、どこまでが公な認識で、どこからは一説にすぎないという部分の線引きができたというべきか。


【乱の勃発】
駿河東の富士川より東の地域を河東と呼んでいた。これは公の呼称ではなく、今川、北條などが便宜的に来て呼称として用いていた。

北條・今川の両家は、北條家の創国の経緯からも今川を主とした蜜月関係が続いていた。
が、今川が甲斐武田と婚姻政策をとった。北條家は今川とは同盟にあったが、武田とは激しい対立関係にあった。これを非難し宣戦を布告、乱が勃発した。

北條家としては、創国以降今川には従属的な立場であったが、国祖早雲、当時の今川家の一門は既になく今川義元に代替わりしていたのも一因かもしれないし、ある意味、今川からの独立戦争の意味合いもあるかもしれないし、葛山家もそれに同調して今川からの独立を考えて北條との協同戦線を貼ったのかもしれない。

【戦の経過】
前半で押したのは北條家であった。
富士川を前線ラインとして双方がにらみ合い、局地戦が繰り返された。
北條側は三河の勢力を扇動する。
まだこの当時は今川の勢力は三河には及びきっておらず、親今川派と反今川派に二分されていた。
対立する三河勢力が軍事行動を起こしたことで今川は西へ戦力を割かねばならなくなり、その間に北條・葛山らは河東の整備、戦力配置をすすめた。

しばらく時間は経ったが、今川が再び布陣してきた。

今度の前線ラインは富士川よりも東、長久保城まで押し上げられた。
長久保には小田原北條家では、氏綱の異母弟・長綱幻庵が城将を勤めていた。
ちなみに長綱幻庵だが、母が葛山氏女であったからか葛山長綱を名乗っていた可能性が指摘されている。

今度は今川側には同盟関係にある甲斐の武田晴信も同陣した。
更には武蔵において、今川と同族にある山内上杉を動かした。河越城を囲ませたのである。世にいう河越夜戦である。
窮した北條氏康であったが、そこに絶妙のタイミングで武田が仲介し、停戦の和議が持ちかけられた。


【戦後】
和議は結ばれた。
北條家は東駿河をあきらめ、武蔵に主戦力を割いた。長久保城は開かれ、駿河は再び今川による支配下に置かれたし、今川家による直接的な関与が増え、元々の在地領主である葛山家の力は弱まった。とはいえ、葛山当主の葛山氏元は駿河に館も構えており、今川の家臣として東奔西走することになる。
北條家の西の防衛ラインも山中、足柄城ラインまで押し下げられた。

この後、河越での戦で武蔵の旧態勢力が一清され、やがて、世にいう甲相駿三国同盟が結ばれていく‥

武田としては御宿氏を案内役に駿河へ出兵しているのだが、後に御宿監物は信玄の侍医を勤めているし、今川滅亡の後にこの御宿監物を後見にして武田六男の信貞を養子に葛山家を継がせている。駿河の一大拠点を政治的略奪するための足がかり、人間関係を築けたことは最大の収穫であったろう。

今川としては駿河の安定化、従属化を強め、三河・尾張への侵攻に向け、後ろを固める土台を作ることになった。
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第17回めを数える三増合戦まつりさんに今年も参陣いたします。

神奈川県愛川町で戦国時代にあった著名な合戦の戦没者慰霊と地域振興のためのお祭りです


開催日2016年10月2日

場所 神奈川県愛川町三増 三増古戦場石碑広場

公共交通機関をご利用の場合、小田急本厚木駅近くの厚木バスセンターから上三増行バス乗車三増バス停下車、徒歩20分。

お車の場合、東名カントリークラブを目印にお向かいください。駐車場多数完備。

ちなみに関連史跡・ 施設として
愛川町郷土資料館(あいかわ公園内)に展示がございます。
石碑広場から信玄公旗立松、首塚、胴塚など徒歩圈。少し離れて浅利明神がございます。

なお、私どもSacTの「寸劇 三増合戦」は13:25~に決まりました!




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2016年10月30日

静岡県裾野市の葛山城で開催の
もののふの里葛山城まつり
への参陣のご依頼を頂戴いたしました。

もちろんSacT初参陣‥というより箱根の関越えは初だ!

葛山城は鎌倉時代より続く武家である葛山一族の居城で開催する、郷土史啓蒙と地域おこしの祭なのです。
詳しくはこちら
ついぷら葛山城まつり

寸劇とスポ槍合戦の混合プログラムを考えております。





今川家中から武田へ移り、武田攻めで滅亡してしまう一族と城の熱く悲しいお話し。

城址も度々紹介してますが、本当に素晴らしいですので、この機会にいかがでしょう。

ご参加、ご質問お待ちしております!
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河東の乱の流れが一通り理解・整理がついたところで‥

武田攻めで根本的な問題が。


基本的に武田攻め(1582織田徳川)のときの葛山の記録が見当たらない。

そこで前後や周辺地域から推測するのですが‥


東からは織田徳川に同調した北條が攻めてきていて、戸倉城(駿東郡清水)までは北條が攻めてきている。北條から武田に寝返った笠原政晴(松田憲秀二男)が篭って反抗していたが、玉縄北條氏勝が派遣されてきたこと、勝頼が死んだことで諦めて開城している。


西から攻めてきたのは徳川家康。
こちらは長久保城(長泉)を占拠したようだ。記録は見当たらないが、戦後、長久保が家康領になっていることからも可能性濃厚だろう。
直線的には長久保のが葛山には近い。
あと、時期的にも戸倉が勝頼死後までかかっているのは時間がかかりすぎてるようにも思う。
そうなると葛山に寄せているのは徳川か?
徳川には降らせた穴山梅雪がいただろうから、比較的駿河の武田勢力を降らせるのに労はなかったのではないだろうか。


ひとつ、北條寄りの意見をいえば葛山城代格の御宿監物→勘兵衛親子の存在。どうも戦後、北條家に編入されているらしい。と、なると北條側に口説き落とされて‥というのが自然かな?とも思うのだけど。

ただ、大坂の陣のときに家康が「大坂の方で全うな武士は御宿と(後藤)又兵衛くらい」と言ったとか。なんで家康、御宿を知ってるの?と思ってたんだけど、これか?武田攻めでなんかインパクトあることやらかしたのか?


結局、今のところ決定的な決め手がないのですよね。
そうしたら最終的には一般的イメージの「武田攻めは織田徳川」っていうのを最終的な判断材料にするべきなのかな‥







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河東の乱とか、河東一乱といわれる合戦があります。

静岡県の冨士川以東を河東と呼び、北條氏綱晩年に今川義元に対して仕掛けた合戦です。
今川義元も花倉の乱直後で情勢不安定、で三河方面の掌握安定を第一課題にしており、武田と結んだわけです。

ここで今川ー武田という同盟に反発したのが北條氏綱。今川とは同盟にありましたが、武田とは敵対してましたから。

で、河東に攻め込むのです。

割りを食うのは河東を本拠とする武将・葛山氏と富士氏。東側の葛山は北條に、西側の富士は今川に与しましたが一族内でも意見が割れたらしい。

戦は長期化し、かなり泥沼に。

その間に北條は氏綱が死去し、氏康に当主が代替わり。

今川が攻勢をかけ、北條の東側、つまり相模武蔵の扇ガ谷・山内の両上杉、古河公坊に武蔵河越を攻めさせる。
窮地に陥った北條家に武田が助け船を出して、和議をとりもつ。結果、河東の乱は決着を見た。

北條側についていた葛山の影響力は低下し、今川義元による直接支配力が増す結果となった。
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わたしらの活動には関連してませんが

五輪閉会式の日本アピールタイムがあまりに素晴らしかったので貼ります!

日本人として誇らしい!
そして

その日本の伝統、歴史を伝える歯車のひとつになれたら嬉しく思います。

あと、甲冑武者として五輪で活動できんかな‥


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ちと思い付いてGoogleマップで史跡を調べだしまして、航空写真で見ると意外に面白い






上の航空写真はGoogleマップで三増古戦場近辺

下の古絵図は岡山大学アーカイブからの三増合戦絵図。一番三増関連で著明なやつ。

航空写真のは、下の中央やや右あたりに古戦場石碑、中央の異様に開墾されてるのは東名厚木カントリーでその中に中洲のような山が中峠、つまり信玄公旗立松。R65をとりこむようになっている山が三増峠。この北側に津久井城があります。ちなみに左が志田峠、その左に中津川。

こうしてみると、やはりかなり特殊な地形だと思う。
特殊だからこそ決戦地に選んだのだろうなあ。とはいえ、武田、北條どちらが選んだかは分からないのですが、津久井城の至近であることを考えれば北條なんだろうな。


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