ボランティア甲冑武者サークルSacT と歴活

歴史が好き、甲冑が好きでのめり込み、手作り甲冑や甲冑寸劇の自主開催もしています。H22~はSacTとして三増合戦の寸劇を担当させていただいてます。その他個人的史跡巡り等々の記事も。武者イベントご依頼ご相談お気軽にどうmimasugassen1569@gmail.com


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つづきです


では、二の丸に突入しましょう




広さもなかなかです。ちょっとした兵舎くらいなら建ちますね



二の丸から本丸への虎口。
若干カーブかかってますが、二の丸虎口ほどの折れはないですね



本丸到達!


ちなみに本丸裏手は最も深い畝堀が切られています



さて、本丸にはもうひとつ虎口が。


二の丸東の腰曲輪にでます

ここから尾根沿いに東へ向かうと先ほどの二号堀に出ます。これを二号堀の延長上に下りていくと




葛山一族墓所、仙年寺さんの裏手に出ます。

いかがでしたでしょう。
拙い画像での紹介で申し訳ないのですが

葛山一族は今川に属しながら、今川弱体後は早々に武田に与し、武田一門にも数えられました。最後の当主は信玄公六男葛山十郎信貞。

葛山氏広~氏元も高い文化人であり、なおかつ武将としても政治、戦闘に活発な活動をした武将です。
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静岡県裾野市の葛山城址。
先日も行ってるわけですけど、山城画像があとで視てみると納得できませんw

山城(葛山)の魅力を伝えることができるような、葛山をご紹介できるような画像が撮りたいと思って再再訪城です。




まずはこちらの図を参考に進みましょう。




麓の居館跡です。これだけ土累にしっかり囲まれている遺構があるのは珍しいのではないでしょうか。
中世はじめの武士の館の広さが非常によく実感できます


土累の端にお社がありました


では、山城部分へ行きましょう

まずは大手口。


大手曲輪を通過します




尾根沿いに城道を行き、東曲輪を抜けます



二号堀(東の堀切)があります。ここから城の心臓部に突入です






城道を行くと、途中、三号・四号堀が。



二の丸虎口があります。折れがあるのわかりますか。桝形っ。

しかし、まず、これを登らず敢えてさらに尾根沿いに西へ





すぐに五号・六号堀が連続してあります。
往事は木橋でもあったのでしょうね



尾根沿いに進むと雷神社があります。由来などは分かりませんでした。でもここ、なんかすごい不思議な空間でした。パワースポットってやつなんじゃないですかこれ


雷神社の途中に尾根を下る分かれ道があります。これを下ると


水の手がありました。
確認できませんでしたが、水の流れる音はしていました

つづく
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どこまで言っていいか分からないから伏せ字ばかりになりますが


11月中旬、都内での演劇にわたしどもSacTの武将たちにお声がけをいただきました


しかも、○○○の○!

この間やった演目被ってるし!

なんのご縁なのこれ。

発表していい時期になったらお知らせいたしますねー


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静岡県裾野市の葛山城址。

今年の2月にはじめて訪れて、整備保存状態の良さと遺構の素晴らしさにひとめぼれ。



城の規模もちょうど好きなくらい⬅あまり大城郭になると巡ってて疲弊してしまうw

また2月というのもよかったんだろうね。雑草もほとんどなくて往時の姿が容易に想像できる。



んでもって地元の保存会の方々からも必要としていただけるとか、もうほれるしかないじゃない

てなこともあり
葛山一族も調べてみるとかなり熱い。

戦国時代を抜粋すると

元々は今川家中に存在。
ただし位置関係に注意なんだけど、相模・駿河・甲斐の三国に股がる国境地帯。
さらにどうも北條早雲の相模侵攻にもかなり関わってるよね。早雲の子を養子にもらってるの。北條側では氏時という名前なんだけど、葛山の記録では氏広になるみたいです。
元々早雲も今川の客将なので繋がりは容易に想像。
ん?
でも確か小田原の大森氏も今川の家臣だよね‥ともなると、大森が今川から離反しようという動きがあって今川から早雲・葛山連合で大森を駆逐の指令が出て、って線はありかもな。

まあ、そんなこんなで‥  



1536~1545に河東の乱がおきる。
どーも葛山一族が今川からの離反を画策して北條氏綱を迎え入れたのか。もちろん、今川さんも応戦。この辺り、実は武田と今川が結んだことに氏綱が反発したというのが定説。
結局、かなり泥沼化して氏康、義元、晴信という三国同盟が締結してようやく終止符。
葛山も元の今川家中に納まる。

1561年に今川義元が戦死すると
今川家中の重臣たちが武田に近づく。

で、葛山さんも当然に。
1570年には穴山指揮下で大宮城攻めが残るので、このときには既に武田に与している。
しかし、武田信玄である。



西上作戦のためか、海がほしいのか、当時の信玄は駿河に執拗に執着してる。おいしい話だが、離反させないように支配したい。
そこでまず、当主葛山氏元の婿養子に信玄六男信貞を入れる。いきなり武田家中での序列も上がるし、戦国最強を謳われる武田の一門である。喜んで受け入れないわけはない。しかし、のちに北條家と繋がっての謀叛の嫌疑を氏元にかける。逃げて捕まったか、申し開きに行ったのか分からないが結果、氏元は諏訪湖に沈められた。
死人にくちなし。
養子の葛山信貞が家督を継ぎ、葛山側で武田との取次役だった御宿監物が後見人に。信貞は若年者でもあり、ほとんど甲斐府中にいたようで、実権を御宿監物が握ることになる。

しかし信玄も件のごとく病死。

1580年には武田攻めが。
ルート的には北條軍が攻めてきてる様子。となりの長久保城はやはり北條から武田に寝返った笠原政尭が城将だったが、玉縄の北條氏勝により開城。玉縄衆は駿河深澤城のときも城将だったり山中城も籠っていたりで、箱根以西(伊豆は韮山管轄として除く)は玉縄衆の管轄だったのかもしれない。
ここで攻防があったのか定かではない。
ただ、笠原政尭が武田にいて、なおかつ開城しているのであれば付き従わせて葛山に開城交渉に使うよね、普通。
しかも事後のことだけど、御宿氏は北條家に家臣として迎えられているので、やはり‥とは思います。

さて、甲斐府中では葛山信貞が捉えられ甲斐善光寺で自刃。葛山一族も滅亡と伝わります。
(実際にはどうも、血筋の方が三重県四日市の方にいらっしゃるようで‥桶狭間合戦で義元戦死後、そちらに住み着かれたというお話をうかがいました)

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リニューアルした小田原城の天守閣に進入してきましたよ。



白いかな?

さて、内部なのですが、撮影可能になりました!(一部除き、発光不可)


そして展示物なのですが、より北條一門がアピールされてる印象です。また1590の小田原合戦が印象的です。

シアターもすっごくいい。
あれ、DVD化しないかな。ほしいもん。



こちらは展示物の目玉のひとつ、北條氏規所用腹巻

ぜひぜひ足を運んでみてくださいねー
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江戸東京博物館の真田丸展を見てきました



これ、エントランスにあったんですが立体感すごい

さて、肝心の展示ですが

書状や錦絵がほとんどです。
武具甲冑の類いは少ないですので、好みは別れそうですねー。


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神奈川県愛川町のシティセールスパンフレットができたそうです

愛川町といえば、戦国時代の三増合戦。
三増合戦まつりさんにはわたしどもも大変お世話になっております

今年のパンフレットには、この三増合戦もまるっと1P紹介されてるそうです




全体pefはこちらから

愛川町シティセールスパンフレットpdf
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最新刊の歴史人さん

古戦場ベスト50ですとおおおお


み‥三増‥入ってる‥よね?




(ランクインしておりましたが、発売中の雑誌でもありますので詳細は伏せさせていただきます)
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