ボランティア甲冑武者サークルSacT と歴活

歴史が好き、甲冑が好きでのめり込み、手作り甲冑や甲冑寸劇の自主開催もしています。H22~はSacTとして三増合戦の寸劇を担当させていただいてます。その他個人的史跡巡り等々の記事も。武者イベントご依頼ご相談お気軽にどうmimasugassen1569@gmail.com


テーマ:
昨日放送の大河ドラマ真田丸。

小田原北條の滅亡を描いていました。

徳川家康、上杉景勝、真田昌幸の三人が北條氏政が死ぬ気でいるのを翻意させようと説得するシーンは、大きな見せ場のひとつだったと思います。
現実どうあれ、ドラマとして、往時の板東武者たちの考えを表していましたね。
「皆、まだ秀吉に心底服従してはいない。いずれ東西を二分した大戦を。そのときまで、頭を下げて生き残るのです」

まだ秀吉に対する気骨を失っていなかったのですね



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:
今年もやります!

神奈川県愛川町の三増合戦まつりでの寸劇三増合戦!

ツイッターアカウントある方は下記ツイプラのリンクからどうぞ

ツイプラ三増合戦まつり

開催日2016/10/2(前日午後に練習あり)
場所 神奈川県愛川町 三増古戦場石碑広場

甲冑などの衣装は貸出も可能です。自前衣装も可能。ただし有名武将レプリカは応相談で。

ツイッターアカウントない方は下記メールアドレスへ三増合戦まつりへの参加希望である旨を明記の上、必ず連絡のとれるメールアドレスでご連絡ください。当方からいくつかお伺いすることがありますので、それらの確認ができ次第、参加申込完了となります。

8月末日の締切予定です


メールアドレス
mimasugassen1569@gmail.com



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
横浜市長津田の長津田地区センターさんでやってる板部岡江雪展、見に行ってきましたー





すっごい情報量でした!
地域の歴史サークルさんが調べてまとめて展示した、って感じなんですが情報量がすごい!

撮影不可でしたので画像ありませんが


いくつか欲しい資料もあったんですよねー。一部だけでもレジュメみたいなものがあるとよいのだけどー。6/19に展示解説もあるみたいです


北條家臣後の動きなどなかなか興味深かったです。この後も真田丸での登場が楽しみになりますよw


#真田丸
#板部岡
#北條
#横浜市
#戦国時代
#長津田
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
関東地方もとうとう梅雨入りしました。

なかなかフィールドワーク、ようは山城攻めとかしにくい時期です。

こんな時期は博物館や美術館鑑賞などいかがでしょう。

関東で甲冑類を観られるお勧めの博物館
・箱根武士の郷美術館
・川越歴史博物館
・小田原城天守閣
・東京国立博物館

ほかにもたくさんあります。

とくに市町村単位の郷土資料館とかには、その地域独自のものがあったり、ぜひ探ってほしいのですよ(^^)


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
まずご報告。

誠にありがたく、今年も

2011年から6年連続6回目となる神奈川県愛川町の

三増合戦まつり

さんから寸劇参陣のご依頼を頂戴いたしました!

日程も10/2ということで‥

今年も力一杯のパフォーマンスができるよう頑張ります!



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
一日遅れてしまいましたが

天正10年の昨日、6/2は本能寺の変でした。

織田信長が明智光秀の謀叛の前に死去したアレです。 

長く光秀の野望のために、という捉えられ方をしていましたが、近年は信長のパワハラに耐えかねたためというのが主流です。さらに長宗我部に宛てた書状も見つかったりもして関与がささやかれています(とはいえ長宗我部は光秀の筆頭家老斎藤利三の娘を正室とする一門)。

いずれにせよ今川、北畠、武田といった名家を滅ぼし室町幕府を終焉させ時間を強引に進めた織田信長が死んだということには違いありません。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
つづきです


では、二の丸に突入しましょう




広さもなかなかです。ちょっとした兵舎くらいなら建ちますね



二の丸から本丸への虎口。
若干カーブかかってますが、二の丸虎口ほどの折れはないですね



本丸到達!


ちなみに本丸裏手は最も深い畝堀が切られています



さて、本丸にはもうひとつ虎口が。


二の丸東の腰曲輪にでます

ここから尾根沿いに東へ向かうと先ほどの二号堀に出ます。これを二号堀の延長上に下りていくと




葛山一族墓所、仙年寺さんの裏手に出ます。

いかがでしたでしょう。
拙い画像での紹介で申し訳ないのですが

葛山一族は今川に属しながら、今川弱体後は早々に武田に与し、武田一門にも数えられました。最後の当主は信玄公六男葛山十郎信貞。

葛山氏広~氏元も高い文化人であり、なおかつ武将としても政治、戦闘に活発な活動をした武将です。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
静岡県裾野市の葛山城址。
先日も行ってるわけですけど、山城画像があとで視てみると納得できませんw

山城(葛山)の魅力を伝えることができるような、葛山をご紹介できるような画像が撮りたいと思って再再訪城です。




まずはこちらの図を参考に進みましょう。




麓の居館跡です。これだけ土累にしっかり囲まれている遺構があるのは珍しいのではないでしょうか。
中世はじめの武士の館の広さが非常によく実感できます


土累の端にお社がありました


では、山城部分へ行きましょう

まずは大手口。


大手曲輪を通過します






尾根沿いに城道を行き、東曲輪を抜けます



二号堀(東の堀切)があります。ここから城の心臓部に突入です






城道を行くと、途中、三号・四号堀が。



二の丸虎口があります。折れがあるのわかりますか。桝形っ。

しかし、まず、これを登らず敢えてさらに尾根沿いに西へ







すぐに五号・六号堀が連続してあります。
往事は木橋でもあったのでしょうね



尾根沿いに進むと雷神社があります。由来などは分かりませんでした。でもここ、なんかすごい不思議な空間でした。パワースポットってやつなんじゃないですかこれ


雷神社の途中に尾根を下る分かれ道があります。これを下ると


水の手がありました。
確認できませんでしたが、水の流れる音はしていました

つづく
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
どこまで言っていいか分からないから伏せ字ばかりになりますが


11月中旬、都内での演劇にわたしどもSacTの武将たちにお声がけをいただきました


しかも、○○○の○!

この間やった演目被ってるし!

なんのご縁なのこれ。

発表していい時期になったらお知らせいたしますねー


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
静岡県裾野市の葛山城址。

今年の2月にはじめて訪れて、整備保存状態の良さと遺構の素晴らしさにひとめぼれ。



城の規模もちょうど好きなくらい⬅あまり大城郭になると巡ってて疲弊してしまうw

また2月というのもよかったんだろうね。雑草もほとんどなくて往時の姿が容易に想像できる。



んでもって地元の保存会の方々からも必要としていただけるとか、もうほれるしかないじゃない

てなこともあり
葛山一族も調べてみるとかなり熱い。

戦国時代を抜粋すると

元々は今川家中に存在。
ただし位置関係に注意なんだけど、相模・駿河・甲斐の三国に股がる国境地帯。
さらにどうも北條早雲の相模侵攻にもかなり関わってるよね。早雲の子を養子にもらってるの。北條側では氏時という名前なんだけど、葛山の記録では氏広になるみたいです。
元々早雲も今川の客将なので繋がりは容易に想像。
ん?
でも確か小田原の大森氏も今川の家臣だよね‥ともなると、大森が今川から離反しようという動きがあって今川から早雲・葛山連合で大森を駆逐の指令が出て、って線はありかもな。

まあ、そんなこんなで‥  



1536~1545に河東の乱がおきる。
どーも葛山一族が今川からの離反を画策して北條氏綱を迎え入れたのか。もちろん、今川さんも応戦。この辺り、実は武田と今川が結んだことに氏綱が反発したというのが定説。
結局、かなり泥沼化して氏康、義元、晴信という三国同盟が締結してようやく終止符。
葛山も元の今川家中に納まる。

1561年に今川義元が戦死すると
今川家中の重臣たちが武田に近づく。

で、葛山さんも当然に。
1570年には穴山指揮下で大宮城攻めが残るので、このときには既に武田に与している。
しかし、武田信玄である。



西上作戦のためか、海がほしいのか、当時の信玄は駿河に執拗に執着してる。おいしい話だが、離反させないように支配したい。
そこでまず、当主葛山氏元の婿養子に信玄六男信貞を入れる。いきなり武田家中での序列も上がるし、戦国最強を謳われる武田の一門である。喜んで受け入れないわけはない。しかし、のちに北條家と繋がっての謀叛の嫌疑を氏元にかける。逃げて捕まったか、申し開きに行ったのか分からないが結果、氏元は諏訪湖に沈められた。
死人にくちなし。
養子の葛山信貞が家督を継ぎ、葛山側で武田との取次役だった御宿監物が後見人に。信貞は若年者でもあり、ほとんど甲斐府中にいたようで、実権を御宿監物が握ることになる。

しかし信玄も件のごとく病死。

1580年には武田攻めが。
ルート的には北條軍が攻めてきてる様子。となりの長久保城はやはり北條から武田に寝返った笠原政尭が城将だったが、玉縄の北條氏勝により開城。玉縄衆は駿河深澤城のときも城将だったり山中城も籠っていたりで、箱根以西(伊豆は韮山管轄として除く)は玉縄衆の管轄だったのかもしれない。
ここで攻防があったのか定かではない。
ただ、笠原政尭が武田にいて、なおかつ開城しているのであれば付き従わせて葛山に開城交渉に使うよね、普通。
しかも事後のことだけど、御宿氏は北條家に家臣として迎えられているので、やはり‥とは思います。

さて、甲斐府中では葛山信貞が捉えられ甲斐善光寺で自刃。葛山一族も滅亡と伝わります。
(実際にはどうも、血筋の方が三重県四日市の方にいらっしゃるようで‥桶狭間合戦で義元戦死後、そちらに住み着かれたというお話をうかがいました)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。