【産後の読書案内】  子どもを産んで変わった本の読み方

出産したら絵本に夢中、お産・女性のからだについての実用書を読破
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現在、公共図書館ではたらく3兄弟の母
月乃春水(ツキノ・ハルミ)の本についての話、あれこれ。

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産後に変わったのは本の読み方
本

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昔のくらしというのはいったいどんな風だったのでしょう…?
昭和と平成のくらしも変わってはいますが
わたしの育った時代と今とは、ちがいはもちろんあれど
「激動の変化」というほどではなかったような気がします。
テレビも車もあったし…

自分の母親の子ども時代のことを聞いたことがありますが
(小学校の宿題でした)
かなりなちがいに驚いたことがあります。

母は、ビニール袋が出たときに
「なんて便利なんだろうビックリマーク
と、たいそう感動したそうですが
そういった感動は、モノのあふれているいまではほとんど味わえないですね。

この絵本シリーズは、昔の子どものくらしを
子どもの目目
通して描いたものです。


書評ペン12歳の武家の子どもの目を通してわかる、江戸時代の子どものくらし。解説と資料、年表もあり。おとなも子どもも学べる絵本

日本史を子どもの目を通して描いたシリーズ2作目。
語り部は尾張藩の武家の子どもで12歳の佐々木門之介。
江戸時代の終わり頃の子どものくらしがよくわかります。
 手づくりのおもちゃ 
 おみやげとだいすきな凧
 読むことと書くこと 
 遊びなかまとみそっかす
 子どものお祝いとお赤飯 
 大人のまねと、おまじない 
 着ているものと住んでいるところ
 だいすきな食べもの 
 おかしのいろいろ 
 本を読むのはたのしいな
 疱瘡という病気にかかったとき
 相撲にむちゅう 
 たのしみは屋台と見世物
 飢饉のときのたいへんな話
 黒船がやってきた
 巻末にはページに対応した解説と資料があり、さらに詳しく当時の様子をうかがい知ることができます。

年表は「子ども史」。子どものかかわる事柄がメインに書かれています。歴史上の出来事も並列されています。

どの時代にも子どもはいたわけですが、教科書で学ぶ歴史ではメインで登場することはありません。
子どもにスポットを当てたこのシリーズ、とてもいいですね。

石井勉さんの絵は、線や色調が柔らかいのが特徴で、細かい点まで詳しく描かれた描写は当時の人々の生活を伝えてくれます。
江戸時代から現代に続いている行事や子どもの遊びなどがわかるのはなかなか興味深い。
おとなも子どももたのしみながら学べる絵本です。
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テーマ:
ジャイブ小説大賞初の「大賞」受賞作品。(2008年第6回)
一鬼夜行 (ポプラ文庫ピュアフル)/小松 エメル

アンソロジスとで怪談専門誌『幽』の編集長の東雅夫氏は解説で
作者の小松エメルを伝統ある妖怪小説の未来を開く逸材
と、今後のさらなる精進と益々の活躍を期待しています。
≪目次≫

一、迷子の妖怪
二、喜蔵という男
三、おはぎの味
四、思い出
五、泣き蟲
六、ふったち小春
七、件の事
八、迷子のこころ
九、一鬼夜行

時は明治五年。ほんの数年前に東京と名の変わった江戸の町。
見知らぬ人家の庭で尻餅をついたのは、小春という妖怪です。

異国の子のような恰好をしたこの男の子は
自らを「俺は百鬼夜行に欠かせない……鬼だ!」

百鬼夜行の行列から頭から真っ逆さまに落ちてしまった
というのです。

落ちた先は古道具屋。曾祖父の代から続いているが
主の喜蔵は
「…商人というわけでもない。ただの生計だ」

小春は喜蔵の家に同居する羽目になるのですが
ふたりの会話がおもしろい。
小春が自分の名を教える場面はこんなふうです。

「……こはる」
「何だ?」
「だから……こはる……俺の名は、小春と言うんだ!」
「『人間に教える名などない』のではなかったか?」
「……人間と違って妖怪は義理堅いんだ。貸しを作ったままでいる程礼儀知らずじゃない」


さらに、妖怪というものについて。
「文明開化だか何だか知らぬが、そんなことで俺達がいなくなると考えるのは底の浅い人間ならではだ。いなくなるどころか、この先ますます増えていくぞ。古きものを蔑ろにした報いを、人間は受けることになるのだからな」

「それは確かに道理であるかもしれぬ。獣とて住処を奪われれば人里に下りてこよう。妖怪もそうであるというわけだろう?」

「もっと怒るとか、恐ろしがるとかしてくれぬと……
つまらんッつまら───ん!」


あとはこんなのも。

「人を怖がる妖怪など、妖怪失格なのではないか?」
「だってお前妖怪より怖いんだもん。俺が失格なんかじゃなく、お前が人間失格なんだよ」


…まるで漫才のようです。

他人を信用して痛い目に遭ってきた喜蔵の顔立ちについては
様々な場面で描写があります。

 優しいとは口が裂けても言えぬ顔

 醜悪な容貌をした悪鬼にも勝るとも劣らぬ風情

 人間らしくない男
 
 閻魔より閻魔らしい

 素面がおっかな過ぎる


…どんだけな言われようでしょうか笑

他に出てくる人や妖怪たちはキャラが立っていて
脇役というかんじはありません。

臆病者で色男、小春のことをひと目で「妖怪だ」と見破った喜蔵の幼馴染の彦次

牛鍋屋『牛屋くま阪』ではたらく娘、深雪。じつは…

河童の棟梁・弥々子 など。

さらに、この時代について
このように書かれています。

明治初期は、妖怪変化に象徴される
古き良き日本の習俗や精神世界が、
西欧列強諸国の物質文明に追いつき追い越せの
武骨な掛け声のもと、無残に蹂躙
(じゅうりん)させられ
軽蔑とともに捨て去られようとする時代
  東雅夫
(解説より)


なかなか興味深い時代ですね。

新人とは思えない筆力に脱帽。
これからもたのしみな作家、小松エメルさん

ポプラ社のストーリー&エッセイマガジン「asta*」のインタビューを読んで、この小説に興味を持ったのでした。
$【産後の読書案内】  子どもを産んで変わった本の読み方

シリーズになっているようなので、引き続き読んでみます。
鬼やらい〈上〉 (ポプラ文庫ピュアフル)/小松 エメル

鬼やらい〈下〉 (ポプラ文庫ピュアフル)/小松 エメル

一鬼夜行 花守り鬼 (ポプラ文庫ピュアフル)/小松エメル


しか~し、文庫のこのサイズのフォントがちと読みづらく目なっているきょうこの頃。いよいよ、ろ、老眼でしょうかはてなマーク
(イマドキはROGANと言うらしい。何言っちゃってんだかビックリマーク
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第146回(2012年1月17日発表)直木賞受賞作。
蜩ノ記/葉室 麟

鳴く声は、いのちの燃える音に似て─
命を区切られたとき、人は何を思い、いかに生きるのか?


豊後(ぶんご)・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎(だんのしょうざぶろう)は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷(とだしゅうこく)の元へ遣わされる。
秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり……。


大きな文学賞が発表になると、図書館でも問い合わせ&予約があるのですが
この本は、時代小説のためか、すぐに予約殺到とはなりませんでした。
かといって人気がないわけではなく、あとからじわじわ~っと予約が増えてきています。

わたしも順番待ちして読みました。

武士として、百姓として、という身分に関係なく
ひと(←葉室麟は「人」ではなくひらがなで表現しています)としての
ありかた、生き方について考えさせられます。

そしてひととしての縁(えにし)」について。

前藩主の側室・お由の方は、現在は松吟尼となっています。
かつて秋谷の実家に奉公していたという、この人が
秋谷の娘・薫の質問に答える場面があります。
会話文だけ引用すると

「秋谷殿のことを、わたくしもさほど存じ上げておるわけではございません。ただ江戸にて殺められかけたわたくしを助けてくださいましたおりに、ひととしての縁を感じたしだいです」

「ひととしての縁とは、どのようなことでございましょうか」

「この世に生を受けるひとは数え切れぬほどおりますが、すべてのひとが縁によって結ばれているわけではございませぬ。縁で結ばれるとは、生きていくうえの支えになるということかと思います」

「松吟尼様にとりまして、父は生きていく支えとなったのでございましょうか」

「わたくしにとりましてはさようです。されど、それは秋谷殿の与り知らぬことです。それゆえ、言わずにいるべきことかとは思いますが……

 あのように美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひとともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そのようなものだと思うております。御仏の弟子となったいまでも、そのことに変わりはありませぬ」


わたしにとって、この作品はこの部分─「ひととしての縁」
これこそがツボでありました。
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