※昨夜は結局、娘と一緒に寝オチしてしまいました・・・ヽ(;´Д`)ノ
さきほど、前記事:結弦くんから真央ちゃんへ「これからもずっと憧れの人」 に画像を追加しました。
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昨日の最初の記事でもちょろっと書いたけど、
真央ちゃんの左膝、かなり悪かったんじゃないかな、
そして、その膝をだましだまし使いながら、
地区大会から全日本まで戦い続け、
さらにGPSにも出ていくというのは、
どう考えても、無理、
というのも、今、この時期(新シーズンの競技プログラムを作り始める時期)での決断となったことの理由なんじゃないかなあ。
やっぱり、そうだったんだね・・・(T_T)
そして、この記事では、結弦くんが平昌五輪で引退と語った件をご存じない方もいらっしゃったので、当時の記事も併せてご紹介します。
◆佐藤信夫コーチ、左膝痛の真央は「極限状態まで頑張った」
スポーツ報知 4/12(水) 7:04配信
2010年バンクーバー五輪後から真央を指導してきた佐藤信夫コーチ(75)が11日、横浜市内で取材に応じ、引退を表明した教え子を「本当によくここまで頑張ってきた。偉大で素晴らしいスケーター」とねぎらった。
引退を発表した10日の午前10時に新横浜のスケートリンクにやってきて「これで終わりにします」と一言の報告を受けたという。同リンクに真央が姿を見せたのは昨年12月の全日本選手権後、初めて。「心の中では、今の状態をもう一回、昔と同じ状態に直すっていうのは難しいと思った。一番いい選択じゃないかなという気持ち」で引退を受け入れ、「お疲れさま」とだけ返したという。
真央が今季苦しんだ左膝痛は「普通では考えられない激しいもの」。限界だったが、現役最後の演技となった全日本では3回転半に挑んだ。不発で12位に終わったが「立派。(3回転半は)彼女のモチベーションだった。極限状態まで頑張った。それだけは間違いない」と思いやった。
今後について本人から話はなかったが「スケートの浅田真央であってほしい」。妻の久美子コーチも「さみしくなりますけど、本人が決めたこと」。最後にハグをすると少し真央の瞳が潤み「こっちも、うるっときちゃった」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00000062-sph-spoより
もう、涙しかありません。
真央ちゃんだったら、たとえ痛かろうと、力が入らなかろうと、跳んだでしょう。
それは、彼女のフィギュアスケーターとしての矜持。
そんなに自分を痛めつけないで!!!って泣きたい気持ちになると同時に、
だからこそ、より、惹かれていったのも事実。
どうしようもなく、惹き付けられて目が離せない。
結弦くんに惹き付けられて逃れられないことと、重なります・・・。
中学生の頃からマスコミに注目され、
時には酷い中傷記事を書かれ、
お母さんが亡くなった時ですら、マスコミに追いかけられた真央ちゃん。
真央ちゃんが「浅田真央」であることに、どれだけのエネルギーが必要だったか、
想像することすら、できません。
どうか、これからは、
自分らしく、のびのびと、楽しく、生きていってほしいです。
痛くない身体で、スケートの楽しさを存分に感じながら滑ってくれたら、
ファンとして、これ以上に嬉しいことはありません。
結弦くんは、そんな真央ちゃんに心を寄せて、
同じように、フィギュアスケートという身体への負担の大きい競技で、
最高難度の技に挑戦し続けることの厳しさ、それ故の、逃れられない限界の訪れを知っているからこその、
早すぎる時期に発した引退宣言。
この時、マスコミは驚きをもって過剰反応しましたが、
本人的には、そして結弦くんの言葉をずっと追ってきたファンにとっても、
決して早すぎる引退でも宣言でもなかったはず。
常に2~3年先を読み、適確な対応をしてきた結弦くん。
決めていたことを、今、この時期に宣言しておくことの意味を考えてのことだろな。
競技生活のゴールを明確化したからこそ、戦略も明確になる訳だしね。
もし平昌後も競技者として第一線で戦うつもりだったら、
今、ここまで身体への負担をかけていけないはず。
自分がどのような競技者人生を送りたいか、誰よりもわかっている結弦くんの賢過ぎる選択だと思いました。
もちろん、各界からの遺留への先制パンチってこともあったでしょう。
◆フィギュア・羽生結弦 3年後にプロ転向の真意 (週刊朝日 2015年8月21日号 )
「去年発売された、コーチのブライアン・オーサー氏の著書の中で、羽生本人が『この4年に集中して、そして終わらせると思います』と、平昌(ピョンチャン)五輪を集大成にしようとしていると思わせる言葉を口にしていたので、やはり、そうなのか、と……」(ベテラン五輪担当記者)
ソチ五輪のフィギュアスケート男子金メダリスト・羽生結弦(20)が6日、拠点としているカナダ・トロントで練習を公開し、そこで「ソチ、平昌で(金メダルを)取って終わり。小さい頃から決めていた。そこからプロスケーターをやろうと思っていた。プロの仕事を全うできる体力の状態で、プロとしてやりたい」と公言したのだ。
3年後の平昌での羽生は23歳。まだまだできるのに、と考えてしまうが、思い出されるのが彼の被災体験である。2011年3月11日、16歳だった彼は仙台の自宅近くのリンクで練習していたときに東日本大震災に見舞われ、避難所生活を経験した。
「それから拠点を神奈川に移して練習を再開することになっても、自分だけ逃げ出してスケートさせてもらっていいものかと悩んだ……そんな真面目な青年なんです。その3年後、金メダルを取ったわけですが、日本人の五輪好き、金メダル待望論は相当なもので、羽生は連覇して当然ぐらいに思ってませんか(笑)。彼の感じているプレッシャーは計り知れませんよ。『平昌で最後』という彼の言葉は、それからは自分が滑りたいように滑ります、という意思表示なんじゃないかなと思うんです」(アマスポーツ担当記者)
前出のベテラン記者は今後の展開をこう読む。
「女子の浅田真央と男子の羽生は二枚看板。スターがいないと注目度がガクンと落ちます。スケート連盟は、男子は高橋大輔が引退し、羽生に頼りたいはず。『ハーフハーフ』と言って休養していた浅田が復帰しましたが、連盟は羽生に対しても3年後、とりあえず休養して考えてみたら、と引き留めるでしょう。羽生は、先手を打っているような気がします。実は彼は3年前に出した本でも『大きな目標は、オリンピックで金メダルをとって、そして引退……金メダルを考えているのは、ソチの次のオリンピックです』と語ってました。目標の一つ前の五輪で金を取ってしまったわけで、モチベーションの維持が大変だと思います」
優男に見えて実は有言実行型のユヅくんが描く、自分なりのストーリー。今後の展開から目が離せない。
(岸本貞司)
https://dot.asahi.com/wa/2015081200008.html
結弦くんの著書をまだ読んでなかった方は、今からでも是非。
写真もとても綺麗だし、活字も大きいので読みやすい本です。
図書館に収蔵されてることも多いので、
まず借りて読んでみるのも、おススメ。
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2016年07月発売
amazon 蒼い炎、 楽天 蒼い炎
2012年04月発売
amazon チーム・ブライアン、 楽天 チーム・ブライアン
2014年11月発売
盛岡エキシでの夢のくるくる・・・
http://www.gettyimages.co.jp/license/504160548
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