文藝PIERROT

サブカルに光あれ


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言説とは、物事を「こういうものである」とするカテゴライズ作業のひとつだ。

「いじめ」というカテゴリをつくった際、いままで「いじめ」と呼ばれていなかったものが「いじめ」というカテゴリへと入れられていき、「いじめ」という言説のカテゴライズドメインはどんどんと広がった。

「いじめ」の言説は「いじめ=悪」という性質を持っている為、「いじめ」にカテゴライズされたその全ドメインを全否定するのが一般的な反応となった。しかし、この「いじめ」というカテゴライズはそのカテゴリとして認識される範囲が大きすぎる為に、カテゴライズドメインが無闇に肥大化してしまい、それが「いじめ」を誰にも解決出来ない魔王のような存在に仕立てあげてしまっている。

言説は、様々な意見が補完されていくことで聖域化されていく。巨大過ぎる言説にカテゴライズされた場合、その問題と立ち向かう者のほとんどは思考停止してしまうのが常だ。

これは恐ろしいことである。

「病気」を全て「魔物の仕業」とカテゴライズしていた時代に「祈祷」という手段でしか立ち向かわなかったことに似ている。本当は「風邪」だったのかもしれないが「魔物の仕業」という言説に押し込められている限り、その「魔物」に対する最高の手段である「祈祷」で治すことをひとは考えてしまうはずだ。「病気=魔物の仕業」の言説から抜け出した現代人の目から見れば、古代の「病気=魔物の仕業」は滑稽にうつる。だが、笑っていられるのだろうか。

よって、この世に溢れる常識と呼ばれたり、共通の認識とされる考え方を一度は頭から取り払う癖をつけるべきだ。そうしないと言説に取り憑かれてしまう。「何が問題なのか」「問題の本質はどこにあるのか」をしっかりと見つめなければいけないのである。

カテゴライズドメインの範囲内の問題はすべてマニュアル化された解決方法がとられる。言説のカテゴライズドメインが広がれば広がるほどに、その問題解決は一様化されてしまうのだ。
これはとても危険なことではないのだろうか。


問題解決をするのならば、その問題をジャンル分けして、優先順位を決め、出来ることから少しずつ終わらせていくというのが効率的な手段であるべきだ。

「夏休みの宿題」という巨大過ぎる問題を解決するときは、「算数ドリル」や「自由工作」、「日記帳」という個々の問題をきっちりと見定めて、出来ることからテキパキとやっていき、出来ないことは人の手を借りることもある。問題に適した解決法を自分なりに考えるはずだ。

ドメインが肥大しすぎた言説というのは「夏休みの宿題」のようなものである。問題解決の為には言説に取り憑かれてしまっていないかを再確認する必要がある。それをしなければ、問題解決は見込めないものだからだ。
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「貸す」は、その物が返ってこなくても仕方ないという諦めに似た覚悟が必要です。

その物が形あるものならばその物が壊れるかも知れない。その物を持ったままその人が事故に遭うかも知れない。その物を失くしてしまうかも知れない。実はその人が不届き者かも知れない。お金ならば支払い能力が無くなるかも知れない。

それぐらいの覚悟が無ければ物を貸してはいけません。どんな成人君子でも貸したものを必ず返してくれる保証はどこにもないのです。

逆に「借りる」も厳格な覚悟が必要です。

貸してくれた相手の信用も同時に受け取っている自覚が必要です。借りたからと言って、それはあくまで借りた人間のものです。借りたものを返さないのは盗人でしかありません。借りは返すのが礼儀というものです。

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