文藝PIERROT

サブカルに光あれ


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 ようやく、体力が回復。本来ならば、コミケ雑観はコミケ最終日に執筆する予定であったが、想像以上の疲労困憊ゆえに今更書くことになる。ブログという金の絡まぬ媒体ゆえに必至さが足りないのだろう。仕方ないことだ。

 コミケ。コミックマーケット。開催される際、そこに向かう為の駅の各所や、秋葉原では特別措置がとられる。混雑が予想されるとの張り紙が貼られているのだ。駅では床に緑のテープが貼られている。そうして通路空間を確保しなければホームには人が溢れかえってしまう。

 いざ、国際展示場へ。ホームからエスカレーターで改札階へと向かう。右も左もアニメのポスター。ここがヲタの総本山なのだろう、と感じさせられる。人、人、人。改札階では区切りが作られており、Sの字を描くように行列が緩やかに整理されていた。コスプレをするのであろうか。大荷物を抱えた人々も多い。はっきり言って、歩行すら困難だ。それでも、改札に向かって進む。

 コンビニ前。市場のように声を張り上げる売り子たち。待ち合わせにしている人々の多さゆえにカオス。友人らと合流し、向かう。夏の日差しが激しい。人の熱気と、地熱が混ざり合う。他に類を見ない長蛇の列。その一番後ろに回り込む。アイス屋があった。いい商売だ。

 日々、熱中症で倒れるニュースが流れている。しかし、コミケから患者は出ることは無かった。それだけ用意周到なのだ。コスプレ。サウナスーツを着ているかのようなコスチュームもある。今年は、まどマギとタイバニのコスプレが人気だった。特にキグルミ部門としてはキュゥべえが多かった。様々なキュゥべえが暴れ回っていた。他にも、ヘタリア、ブラックラグーン、銀魂、さよなら!絶望先生、ドラゴンボール、といったコスプレも見ることが出来た。

 ブースでは、同人漫画だけではなく、同人小説、アクセサリ、携帯ストラップ、バッチなども売られていた。作品への愛がそこでは伝えられていた。壁、誕生日席、島中。どこのブースも行列が出来ていた。どれだけの金銭が行き交ったのであろうか。外務省が視察に来ていたという噂もあったが、果たして、その調査結果はいかなるものになるのであろうか。

 これからも、このマーケットは粛々と続いていくのであろう。Twitterでは、タクシー運転手に「いつも、この時期は派手な紙袋をもった人がにこにこしてるね。うちらとしても儲かるから嬉しい限りだ。ずっと、このイベントは続いてくれると嬉しいね」と声をかけられたとのツイートが流れていた。

 だが、ブース参加者の列に横入りした一般参加者に対して「遅刻すると、ブース資格を剥奪されてしまいます。ちゃんと列に並んでください」というと、「うちら、大手しかまわらないんで。弱小はどうでもいいです」というマナーの悪い一般客が居たとのツイートも流れていた。

 一流の消費者が一流の商品を作る。このような三流の消費者が増えれば、コミケは死ぬ。消費者は神様ではない。王様でもない。そのような高慢な態度で、名前だけで商品を買うようなことを繰り返せば、そのコンテンツは滅亡の道を辿ることになる。

 大いに気をつけていただきたいものだ。
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椿の徒然草~novel for an idle hour~-090403_1207~01.JPG
四月に入ったというのに肌寒いですね。
寒の入りのお陰で今年の桜は満を持しての開化を迎えているそうです。
年季の入ったカメラマンがじっくりと被写体を眺めてからシャッターを切るということを繰り返しておりました。
それにしても”撮る人は撮られる人”というのはクレヨンしんちゃんであった言葉ですが、とっても面白いと思います。
そもそも、絵になりますよね。
こういう人が画に入っていると桜はそれだけ見応えのあるものだと演出してくれている気がするんですよね。
椿の徒然草~novel for an idle hour~-090403_1208~01.JPG
こちらは城へと続く道。
小さなお子様が可愛い携帯のカメラ機能を使って撮っておりました。
緩やかな坂道になっているのですが、ここを眺めていると時代を感じますね。
携帯のカメラレンズで世界を覗き込む人の多いこと、多いこと。

こう考えると携帯へのカメラ機能の付随というのは正解だったのかもしれませんね。
昔から日本人はカメラが好きな一族ですからね。
椿の徒然草~novel for an idle hour~-090403_1212~01.JPG
太陽目指して桜枝垂れかかる場からシャッターを切りました。
やはり桜には月光が似合うのでしょう。
陽光は眩しすぎて折角の艶桜がただの影絵。
カメラ越しでは死ぬほど微妙ですが肉眼で麗しかったです。
椿の徒然草~novel for an idle hour~-090403_1215~01.JPG
和歌山城をバックに桜が満開。
定番ながらに鉄板。

壮大かつ豪勢。
それはちょっと言いすぎかもしれませんね。
何にせよ、花見の城は屋台も出ているので嫌いじゃないです。
全てがぼったくり値段なのもまたお祭り気分で良いではないか。

雨で散ってしまったかもしれませんが最寄りの花見をするのもオツなものですよ。

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ボインとはなんぞや。
これは健常なる男子諸君ならば一度は悩んだ経験のある問題ではないだろうか。
そんなものは豊満なる胸であると言ってしまう輩がいれば浅いと切って捨てることになる。
豊満なる胸が果たして真にボインなのであろうか。
それがそうなのであれば力士はどうなる。
あの胸肉は並の女子の胸部の膨らみなんぞ凌駕してしまうだけの大きさがある。
大きさは確かに重要な要素であるがボインがボインたらしめるには他にも必要な要素が存在するのだということを認識すべきだろう。それは何か。
ひとつに形がある。
ひとつに見た目がある。
他にも乳首、乳輪、毛の有無、柔軟度、……等々、挙げはじめれば切りがないものかもしれない。
人によれば大きくとも感度が悪ければボインにあらずと主張する人間もいるやもしれぬ。
神経が張り巡らされぬ乳はただの脂肪の塊という理屈なのだろう。
それもボイン、あれもボイン。
ボインの解釈は十人十色千差万別である。
では真のボインは存在などせぬということなのだろうか。
一人ひとりが持つ至高のボインイメージに勝る究極のボインは存在しないということなのだろうか。
もし、それが存在すれば神の領域のボインである。
世界中に溢れるボイン愛好家が平伏すことになるのだ。
正確には股間を抑えて蹲ることになる。
そうなってくるとだ。ボインとは神に類する存在なのではないかという認識に辿り着く。
究極のボインは存在しないかもしれないがするかもしれない。
いるかもしれないがいないかもしれない。
それを存すると信じることが信仰である。
神然り、妖怪然り、幽霊然り、そしてボイン然り。
ボインとは神なのだ。
その疑念が確信へと変わるのは至高のボインに巡り逢ったときだろう。
至高のボインは究極のボインに辿り着く為の第一歩なのである。
そして今宵も全ボ連はこの世を彷徨いつづける、ボインという名の夢幻を手で包む為に。
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