二葉亭餓鬼録

見たこと、聞いたこと、考えたことを記述します。


テーマ:

真と画。

いつだったか、東京芸大へしばらくぶりに訪れた日のことだった。

ぼくが通った芸大の校舎は、芸大美術館の向かいの正門を入ったすぐの右側の白い建物の3階だった。その2階に学生たちの溜まり場の広い喫茶コーナーがある。そこで学生たちと食事をしたり、雑談をしたりした思い出がある。

La mer mèlèe,Au soleil.太陽と溶け合う海。

この日は、その反対側にある美術館の建物にはじめて入った。

さて、われわれがふつうデッサンとかドローイングなどと呼ぶ「素描」とは、いったいどういうものをいうのだろうかと思う。……宮本三郎さんの素描を観て、あらためてりっぱな芸術だと思いなおした。じつにすばらしいのだ。

そんなある日、東京芸大の近くにある美術館で、オランダのアムステルダム歴史博物館に所蔵されている名品ばかりを選りすぐって展示されたものを観た。小規模ながら、質の高いコレクションだった。

ぼくにはよく分からないのだが、素描というと、紙にペンや鉛筆などの画材で、単色あるいは少ない色数で描かれたものを指すようだけれど、一般的にイメージするものは「下描き」とか、「下絵」といった、完成作をつくるための副次的なものと思われがちである。

しかし、素描はそれ自体が完成作品なのだということがわかった。宮本三郎さんは、素描の大家である。彼の素描をいちどでも見たら、びっくりするに違いない。

第44回都展に出品され、東京都知事賞を受賞された「遊ぶ」は、水彩画でかかれた作品で、じつに趣きのある絵だった。落合幸子の水彩画である。

ところが、今回これらを見て、認識を新たにしたことがある。すべての作品が、写真的でないのだ。まさしく絵といえる逸品ぞろいだった。

むかしの画家たちは、写真技術は知らなかったし、じっさいの風景を目のまえにして、じつに創造的なのだ。自然をとらえる捉え方が違うのである。近代の造詣美術の基礎をなす作品ばかりだったと思う。

16世紀のイタリアの美術批評家だったジョルジュ・ヴェネチアァザーリが、こんなことをいっている。

(それらは)3つの芸術――絵画、彫刻、建築の父」であるといっている。

素描は、芸術家が頭のなかで発想したイマージュを、紙の上に描き落としたに違いないのだが、それと同時に、芸術的着想そのものの痕跡として評価されるようになったという。画家の工房、あるいはアトリエは、彼らの頭脳でキャッチした想像図をアウトプットする場所なのだという。

だから、3つの芸術といっているのだろうか。音楽家だっておなじようなものだろうと思う。作家だっておなじようなものだろうと思う。

今回の展示は、芸大が所蔵する19世紀オランダの水彩画や、19世紀の日本の画家たちによる風景画作品も展示されていて、なかなか対照的に見ることができて、おもしろかった。おなじ時代のオランダの風景画と見比べてながめると、たいへんな違いがある。

グラフッィクデザイナーのSさんは、どのように感じられたか分からないけれど、先にあげたような絵は、ほんとうの風景を見て描いたというよりも、画家の想念を絵にしたといえるだろうと思う。

そう考えると、ぼくは絵というのは、詩とおなじだなと思った。絵を得意とする画家たちは絵を描く。文字で表現することが得意な人たちは、ランボーのように、潔く詩を書くだろう。




賎民の汚辱がその手を

昨日の乳房のように茶色く染めた

その《手》の甲は、すべての叛徒が

ほこらしく口づけをした場所だ。

ランボー「詩集」、「ジャンヌ・マリの手」より。




これは、コミューン派の女性たちを歌った詩である。ランボーの肉筆原稿に、その一部分はヴェルレーヌの手で書き加えられたものがあるといわれている。それは、どこなのか分からない。



東京都知事賞を受賞した水彩画「遊ぶ」は、いかにも写真的に描かれている。そして、水彩画ならではの特長を生かしていると思う。なかなか器用な人だ。ペーパーは何を使ったのだろう。水彩画でもすべて透明水彩の絵の具を使っているらしい。色のにじみがすばらしい。

だがしかし、これは写真的なモチーフにささえられた作品で、画家独自の創造性がどうもあまり感じられない。ぼんやり見てしまうと、写真と見まがう。写真と絵は画然と違うはずだと思っている。

おなじ写真にしても、フィルター1枚で色が変わる。

写真というのは、ジョンヴェルの《MISTRESS》のモノクロ写真作品のように、もっと心象的なものだ。ぼくが写真芸術に関心が強いのは、心象的な芸術だと思っているからで、心象は、小説や詩のようなものだろうと思う。――理屈はともかく、写真的な絵がちかごろ目にすることが多い。

草加市の市展でもそうだ。山の風景画を、まるで写真のように描こうとしている人があまりにも多くいる。そんなものでは、ないだろうと思ってしまう。

これは写真だが、これとそっくりな絵を、あちこちでよく見かける。

自然を写生しているのである。

ところが、写真家は風景を写真になんかしていない。

みんな、これは写真だと思ってながめる。しかし、写真家は違うモチベーションで風景を切り取っているのである。

その証拠に、これらの写真に描かれたじっさいの風景は、どこにも存在しない。

なぜなら、カメラレンズに青いフィルターをかけて、藍色を強調したり、どこにもない風景を写真家が創造しているからだ。

だから、ノーマルに撮った写真ではなく、つくられた写真芸術になっている。そこがポイントなのだろうと思っている。


「マネの色は激しく、それでいて、磐石なデッサン力に支えられている。この両方をきわめた最初の画家は、おそらく、マネだったでしょうね」と、日本画家の高橋俊景先生はいわれた。

有彩色の革命。――しかし、そういう意味ではゴーギャンもゴッホも、革命的な絵を描いている。しかし、そのふたりは、デッサンとのバランスに欠けた、と高橋俊景先生はおっしゃる。色を全面に出す人は情熱家で、そういう意味ではゴーギャンもゴッホも、実人生のバランスを欠いた。先生はそう力説する。

この話はおもしろいと思う。

ゴッホの色彩は、情熱そのものだからだ。まるでカンヴァスが燃えるような色遣いだ。しかし、高橋俊景先生にいわれてみれば、デッサンは2の次、そういう印象がある。そういう人は、人生のバランスさえ欠き、彼らが生きているうちに報われることはなかったという。

ランボーも、15歳からの4年間はひときわ輝き、ヴェルレーヌとの事件を引き起こすまでは、輝いていた。

彼の輝きは、詩文における色彩だった。

彼が好んで画家たちと交わったのは、そういうことも原因していたかも知れない。

ランボーの凛々しい美少年ぶりは、作品のイメージと強く結びついて、作品とは切っても切れないものがある。石川啄木の美少年ぶりとよく似ている。ふたりとも夭折のアーティストだったと思う。いっぽう、ランボーの友人だったヴェルレーヌは、短い生涯のあいだに、彼自身の容貌にかなり苦しんでいる。

ヴェルレーヌはきわめて美しく、繊細な叙情的な詩をたくさん書いたが、どう見ても彼の容貌とは釣り合っていない。それが強いコンプレックスとなり、奇行に走ったり、女性不信からランボーと同性愛にふけり、痴情のもつれから、ランボーにピストルを発砲して逮捕されるという事件まで引き起こしている。

ルネサンス期のイタリアをして、まさに人間の悪が花咲いた時代だったとすれば、ゆえにこそ、絢爛たる豪奢を帯びた時代としての魅力ある芸術が生まれていった。そのようにいう人がいる。ルネサンスは、「神を差し引いた人間の時代だった」と。そういったのは梅崎春生だった。

そしてまた、ランボーの時代に、詩の世界と絵画の世界が軌を一にして、スキャンダラスな悪の芸術が生まれていった。そういえるかも知れない。



ランボーはそういった。Je est un autre. ――「私は考える」じゃなくて、「私において何者かが考える」というわけである。「私」=「私」という自己同一律に支えられた先験的な自己とは、まったく無縁の存在であるとランボーは思ったらしい。語り手の「私」は、たえず新しく生起し、そして死滅する存在というのである。

ランボーの詩には、一人称主語の「私je」が頻繁に出てくる。

定冠詞の「le」についで2番目に多いといわれている。これは何を意味しているのだろう。むかし、シャトーブリアンという作家がいた。彼の「ランセの生涯」という作品のなかで、「私は私自身を引用する(すると、私は時間でしかなくなる)」という意味の文章が出てくる。これとおなじだろうか?

ランボーも同様に、詩のなかで、「私」自身をほとんど引用しまくっている。そう思える個所がたくさんあることに気づく。こんなふうにいえば、むずかしく聞こえるかもしれないが、ランボーにおいて、詩は、語り直された「私」ばかりで成り立っているように見えるのである。

たとえば、ルドンの「オフィーリア」の一部を拡大してみると、。個々の色が爆発したみたいに熱気を帯びている。無彩色と有彩色がぶつかり合っている。



さてここに、オディロン・ルドンという画家が描いた「オフィーリア」の例をのべた。

彼は自我の内面を描写するに得意な画家だったことは、よく知られている。それだけに、ルドンの絵に興味を示す人と、まったく示さない人の両極端に二分されているらしい。

関心を抱いてよーく見れば、専門家が指摘するように、無意識の、あるいは、夢想の情景がそこには描かれていて、反対にそんなものは他人の夢に過ぎないと思えば、そのようにも見えるのである。

この絵は、紙にオイルパステルを使って描かれている。

オイルパステルはけっこう高価だといわれる。

おそらく100年前もかなり高価だったに違いない。ルドンの光り輝くような黒は、オイルパステルが生んだものだと分かる。マットインキの上に、てかりのあるセットインキを乗せて印刷したようなものだろうか? 

ともかく、黒がきわだって、発色がいいのだ。この画家は、それまでモノトーンの世界ばかりを描いてきた。パステル画は、おもしろいことに、水や太陽の光りを受けてもたらされる反射光ではなく、それ自体が熱を持って発光しているかのような色彩である。これまでになかった画材。

ドガがバレリーナを描く際に使ったパステルとは、決定的に違うと思われる。

画材そのものが微熱を帯びているのが特長で、だから高価なのだろうか。ルドンという画家は、むせ返るような生命体の痕跡を描く画家だったと思われる。

ルドンは多くの詩人、芸術家と交わり、この技法を確立した光りの画家だったといっていい。彼の絵からは、いろいろな物語が語られている。

しかし、ランボーがルドンと出会ったという話はない。出会わなくても、彼らはおなじインデックス(人差し指)を指し示していたように思える。

ランボーは詩から色へと迫り、ルドンは絵から物語へと迫った。その物語は、ランボーの散文詩のようにも見えるのである。ふしぎだ。

まるで、ポール・ゴーギャンの「タヒチ牧歌」の一部を拡大したみたいな絵である。まごうかたなき情熱の色といえる。            


いいね!した人  |  コメント(0)
PR

[PR]気になるキーワード