昭和の加計呂麻島 | 田中トシオのあったかぁい元気

昭和の加計呂麻島

家族での奄美の夏休み.私は早く戻ったが娘たちは延長して カケロマ島に行きその衝撃の話をして、私は聞くたびに矢も楯もなく頭の中はカケロマ一色になっていた。

奄美本島からフェリーで10分ダダイビング派と釣り派

野見山ではここ一軒だけ

宿はお世辞にもきれいでなく どちらかというとバラック系。

夕方に着き、中に入り「予約した田中です」と言うと、けげんそうに私を見つめるだけ

あれっ・・・・・・もう一度「予約している田中ですが」。。。。。 互いに しばし沈黙

 

あっ!!  目を丸くして「あああっ 田中さんね」 やっと客だと気が付いた。

二階一部屋しかないのに 先客がいる。あわてて「あっ あの二人は今帰ります、

すぐ準備しますからちょっとお待ち下さい」

慌てて先客は帰り支度  たぶん私の予約忘れでサービスで部屋貸ししてたみたい。

このあたりから大笑いの連続

 

期待通りの五右衛門風呂、

 

コンクリートに鉄板式、窓もなく薪で沸かすから煙がもうもう、目が痛い

これこれ 噂通り 時間の止まった初体験は大笑いの連続で楽しんでいる

デイゴの並木道

目の前は独り占めのオーシャンビュー、    約二時間ぶらぶらしたが誰一人会わない

ああ最高 喧噪の東京に比べてなんて静か

三沢あけみの歌にある赦免花

そういえばここは流刑地でもある。 かつて西郷隆盛もここに流され家族も作った。

御赦免船の来るのを待っていたのだろうか? 明治維新の英雄もあちこちに流され不遇の死となる。時代遅れと腐敗の幕府を滅ぼした維新の志士たちも 「勝てば官軍」 権力を握るとやはり腐敗が始まる。

 

西郷隆盛は 話が違うと反旗を翻したが 日本の近代化の流れにあがらえず  結局時代の中

権力に粛清されてしまった。西郷こそ誠のサムライだったのだろうか?

宿主自ら捕獲したイノシシ

大量のイノシシの肉は鍋にし 焼肉にしてくれた。歯ごたえがしっかりして 臭みのない脂身 流行りのジビエ料理 こんなに美味しいものとは知らなかった。

 

満腹なのに それなのにどんどん勧める親父さん。娘たちは「あれはもう勘弁して」だったが

昭和の時代 腹いっぱいが最高のもてなしだった。

親父さんの余計な親切の心は私には良く分かる感動モノ。

私は釣っても絶対食べない

5センチ位のスズメダイや黄色のヤマブキベラ  オヤビッチャにササノハベラ、

ハシを出せないでいると 親切の押し売り  断れずに口に運ぶと  「ん 結構うまいー」

褒めるとこんなのを食べれるのはここだけと得意げ

そりゃーこんな雑魚(ざこ) 客には出さないよ。と思ったが無駄にしない昭和に笑顔

 

ゴキブリニに悲鳴をあげ 宿に共生しているアリンコや飛び込んでくるバッタやカナブン、

触れない人は不向きかも知れないが  私にはボートを出してくれ 超レアなシチセンベラやオスのクギベラが釣れてしかも船代は取らない。

 

今の時代 なんでも金に置き換える有料サービスでは決して味わえない豊かな気持ちにさせてくれる。たぶん80才位だろうか優しいおばあちゃん、またきっと行くから元気でいて下さいね。

最後に行きつけの本島にある

安木場の「なべきや」に一泊

ここの食事は本当に感動もの  金沢で修行した料理は本格的で行くたびに新たの感動に包まれる。素材の新鮮さ種類の多さ、そして迎えてくれる 御夫婦の居心地よさ、ここは誰でも感動するしおすすめもする。

私はイタリアンやフレンチなんかより和食が好き 外国よりも日本が好き 高級ホテルより民宿が心地いい、私は日本の男 昭和の男 気取った格好よさより暖かい心のふれあいが

私を和ませてくれる。          田中トシオ