【書籍紹介】アルフレッド・アドラー著、桜田直美訳(2016)『生きるために大切なこと』方丈社 | T. Watanabe Web 

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アーカイブズ学,経営学|和而不同,Love & Peace|1969

流行りのアドラー心理学なるものの原点を垣間見ようということで選んだのが、1929年に"The Science of Living"というタイトルで発行された『生きるために大切なこと』である。

 

 

1章 生きることの科学

2章 劣等コンプレックスとはなにか

3章 優等コンプレックスとはなにか

4章 ライフスタイル

5章 幼少期の記憶からわかること

6章 態度と体の動きからわかること

7章 夢とその解釈

8章 問題を抱えた子供と教育

9章 社会に適応するということ

10章 共同体感覚、コモンセンス、劣等コンプレックス

11章 恋愛と結婚

12章 性とセックスの問題

13章 結論

解説 アドラーとその仕事について

 

アドラー心理学(アドラー自身の言い方では個人心理学)の真髄を端的に言えば、「人間の心の問題は劣等感から始まっており、それを修正するためには、その人物に共同体感覚を持たせることである」というものだ。

従って、まずは劣等感の内容を知るところから始まる。そして、知る手段として、その人物が強く記憶している幼少期の出来事や夢を手がかりとする。

例えば、僕の場合、強く記憶してる幼少期の出来事は、幼稚園で失禁を繰り返していたことや送迎バスに乗り遅れたこと、さらには幼稚園に持ち物を全部置き忘れたことだ。とにかく情けない子供像である。夢については、現在はほとんど見ない。子供の頃には毎晩怖い夢を見て泣いていた記憶がある(おねしょもよくした)。大人になってからもたまに見る自分が好きな夢は高くスキップしながら、ほとんど空を飛ぶように移動するといったものだ。さて、僕にはどのような劣等コンプレックスがあるのだろうか。

実際、現在の僕の行動には強い劣等コンプレックスは見られないように自己分析している。アドラーは「人生の三大課題」として、社会参加、仕事、恋愛・結婚とあげている。僕自身はかなり人生の早い段階でいずれも一応クリアしていることもあり、共同体感覚なるものは比較的健全に植え付けられたのかもしれない。アドラーは、僕たちの行動は必ず「自分の人生の目的(ライフスタイル)に従って」選んでいるという立場をとっている。ライフスタイルとは、今日の認知行動療法で言うところの「信念」のようなものだろうか。

 

共同体感覚について、アドラーの定義の仕方で気になる点がある。

「勇気があり、自信があり、世界に自分の居場所がある人だけが、人生のいいことと悪いことの両方を生かすことができる」

「社会では、実際に達成したこと、実際に与えたことが大切なのだ」

「国家の理想に基づいて子供たちを教育しなかったら、大人になってからの人生で苦労させることになるだろう」

「人類という種を存続させることがいちばんの目的」

これらの言い回しは、資本主義社会の生産性重視の思想と非常に親和性が高い。岸見一郎が否定的に指摘していたように記憶するが、アドラー心理学が競争社会の企業戦士育成のツールとして活用されることがあるとしてもうなづける。そもそも、資本主義社会を生き抜くビジネス・パーソンとして人生の大半を過ごしてきた僕のような人間が自分の共同体感覚に抱く健全性はこの手のものだと半ば自虐的に自覚している。因みに、僕の経営学分野の愛読書の一つである『経営者の役割』(原題は"The Functions of the Executive")の中で、著者のチェスター・I・バーナード(Chester I. Barnard)は、「自我意識をもたず、自尊心に欠け、自分のなすこと考えることが重要でないと信じ、なにごとにも創意をもたない人間は、問題であり、病的で、精神異常で、社会的でなく、協働に適しない人である」と述べているが、アドラーの考え方はこれに通じる。バーナードの著作は1938年発行である。

 

さて、僕のもう一つの共同体感覚はダイバーシティ、多様性というキーワードに支えられている。その観点から言えば、アドラーに対して強い違和感を持つ部分があった。恋愛や性に関することだ。もしかしたら1930年前後の未成熟で保守的な時代背景も関係しているのかもしれないが、同性愛を「誤り」としか捉えていないと感じられる。既述の価値観、「人類という種を存続させることがいちばんの目的」という文脈からすれば当然の見方なのかもしれない。巻末に解説を書いているジャーナリストのフィリップ・メレも「同性愛は、例外なく「愛せない」ことの結果である」と述べている。

僕自身は所謂ノーマルだが、かかる事象をあたかも「過ちの結果」と見做すような考え方には賛同しかねる。

 

さらに、少なくとも本書には、劣等コンプレックスを修正し、共同体感覚を持たせるメソドロジーについては非常に記述が脆弱だと感じた。「正しい方法は「勇気づけ」であり、決して勇気をくじくようなことをしてはいけない」、「優しい態度でこちらの考え方を説明し、少しずつ理解させることだ」という程度である。

 

ともあれ、アドラー自身の著作に当たり、彼の提唱する個人心理学の一端には触れることができた。共感するには至らなかったけれど。

 

(2017年3月27日)