SOO スー わたなべ健責任編集(旧練馬のミドル) 

市民の力をここに。わたなべ健責任編集

わたなべ健責任編集(旧練馬のミドル)
私達の社会。私達が考える。私達が決める。市民の力をここに。
当事者意識"Sense Of Ownership"を呼び覚ませ。

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最近、心の病に関心を持ち始めた。
企業の経営サイドに立つ者として、組織運営に関わる様々な問題に向き合わざるを得ないが、その際常に僕のアタマから離れないのが、期せずして困難な状況に陥ってしまった社員や何かを守るために過剰に攻撃的になったりする人たちのことである。もっと組織の論理に集中できればいいのだが…。
そして、僕自身も自分の人生を引き算で考えることが多くなってきた。果たして自分の存在が何の役に立つのか、現在の生き方がベストなのか、そんなことを思う延長線上で、心の病、人間の心理について興味が沸いてきたのだ。

本書は松本キックとハウス加賀谷のお笑いコンビ、松本ハウスの苦闘の四半世紀を記したものだ。ハウス加賀谷が統合失調症を抱え、相方の松本キックがそれを支える構図である。


死の欲求と向き合うことを書いた部分が心に響いた。
加賀谷が自殺を図ろうとする場面、松本キックが送った1枚のFAX、『簡単なことはするな、それはつまらないから 俺もそれはしない』。
リストカットを繰り返す加賀谷の知人女性に対する松本キックの接し方。
「つながれば毎回朝まで話を聞いた。納得するまで電話は切らない。彼女と接しよう。覚悟を決めた、俺の礼儀だった」
かくいう松本キックも学生時代に「死の欲求」と戦った一人らしい。加賀谷にとって、松本キックのような相方に恵まれたことが復活の大きな要素となったことは明らかだ。

僕は精神科にかかったことがない。本書では精神科の保護室について少しだけ紹介されている。「精神科の古い保護室は、刑務所の独房をモチーフに作られたという」。これは、現在の措置入院制度のように司法と医療の責任範囲を曖昧にしている我が国のあり方に未だ受け継がれているように感じる。例えば、相模原の事件はどうだろうか。
その相模原という言葉が本書の思わぬところで登場する。近年、松本ハウスに統合失調症をテーマにした講演会の依頼が多いという。そんな中、特に熱心で3年連続で声がかかった自治体があるそうだ。それが何を隠そう、相模原市である。何とも複雑な心境になる。

また、やや脇道の話になるが、復帰後なかなかセリフが覚えられない加賀谷に対して松本キックがとった対策がとても興味深い。
「「台本覚えるの、だいたいでええよ」 加賀谷はセリフという言葉に囚われている。前々から、セリフは自分の言葉に直していいとは言っていたが、改めて念を押した。「セリフを間違えたらあかん、失敗しないようにって思ってるやろ」「思いますね」「それ、なくそ」「ええ」「『間違えたらいけない』って思いに縛られて、逆に間違えてしまってるわ」 <中略>次の月には、台本に書かれたセリフを大きく減らした。「段取りだけ書いといたわ。お前の体験した話をネタにしたから、トークのつもりでしゃべってみよか」 さらに次の月。「きっかけだけ書いといたわ」 そしてあげくには、「台本なくすわ。書いてあると、どうしてもそこに執着してしまう。稽古しながら体で覚えていこう」」
仕事でよくミスをする、手続きを覚えられない社員の顔が脳裏をよぎった。

実は、僕は松本ハウスというお笑いコンビを一度も観たことがないし、名前も知らなかった。機会があれば是非彼らの芸を観てみたい。

(2016年12月4日)

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2017年2月に福島をテーマにしたイベントを企画している。そのイベントで登壇頂く予定の劇団一の会坂口候一さん、熊谷ニーナさん、そして東京工芸大学野口靖准教授を誘い、12月3日(土)、国道6号線を走った。

朝9時頃に都心を出て、常磐自動車道の常磐富岡へ。そこから富岡町大熊町双葉町浪江町を通り、南相馬市まで3時間半強、一気に走り抜けた。国道6号線沿いはほとんどが帰還困難区域である。側道に入ることは困難で、至る所にバリケードと警備員、警察官が配備されている。持参した線量計の値は、概ね1.00マイクロシーベルト未満で落ち着いていたものの、福島第一原発が立地する大熊町と双葉町の町境のあたりでは2.00マイクロシーベルト/時間を超えた。

南相馬市では、2012年に東京から南相馬市の職員として移住し、現在は同市の市議会議員として活躍してる岡崎義典さんに現在の同地の様子を語ってもらった。同行した3名も岡崎さんも全員僕の知人ということもあり、かなり本音の議論となったが、岡崎さんは公職に就いている身なので一応ここでは議論の詳細は書かない。ただ、「(今年の7月に居住制限区域と避難指示解除準備区域の指定が全面解除となった)小高区のまちづくりはゼロからのスタートであり、そこに自分が関われることに生きがいを感じている」という言葉に彼のコミットメントの強さを感じた。東京からの訪問者の素朴な疑問に対して、自らの考えを立て板に水で返す岡崎さんにはこれからも南相馬市の地域経営を担うエンジンとして精力的な活動を期待できる。

午後は南相馬市から国道6号線を南下。岡崎さんに勧められた浪江町の請戸小学校に立ち寄った。


僕が浪江町の請戸地区に入るのは3度目である。最初は2012年2月の冬、まだ津波被害の爪痕が生々しい頃、破壊された建物やひっくり返った車、瓦礫の山が散在していた。2回目は今年の夏。そして今回、請戸小学校に立ち入ったのは初めてだ。周辺はすっかり野っ原と化していたが、校舎は震災の記憶を伝える役目を一身に背負っているかのようにどっしりと建っていた。皆が立ち入ることを想定しているのだろうか、校舎の2階には訪問者がコメントを書き込むためにノートが用意されていた。何かを書き記すニーナさん…。














周辺の丘陵では黄に色付いた木々の葉が太陽光を反射して、都会から来た異邦人を温かく迎えてくれた。

復路は楢葉町の福島第二原発を左手に見ながらいわきまで国道を走り、渋滞に巻き込まれながら都心までは概ね5時間半、練馬区の自宅までは6時間のドライブとなった。

今後、続々と避難指示区域の解除が行われていくだろう。しかし、震災前の人口レベルに戻る自治体は皆無ではないだろうか。岡崎さんも言っていたが、震災で露呈した東北3県のあり様は少子高齢化が進行する日本がやがては通る道が先行して我々の前に現れたということでもある。
我々は震災から、福島から、学ぶことがたくさんある。

(2016年12月4日)

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「これ」という新たな気付きがあったわけではないのだが、今まで出会ったオーラルヒストリーの中で最も面白い読み物の一つだった。


第一部 マイヒストリー

第一回 戦争の記憶、学校の記憶

第二回 敗戦と共産党入党

第三回 父の秘書として、西武百貨店店長として

第四回 結核、父の死、事業拡大

第二部 堤清二と辻井喬

第五回 作家活動、三島由紀夫との交遊

第六回 渋谷進出、無印良品と「反体制」

第七回 スカウト失敗、事業の苦戦

第三部 忘れ得ぬ人々

第八回 政治家との関係、弟・義明という存在

第九回 妹・邦子、セゾン文化の位置づけ

第十回 反「流通革命」、コンビニの失敗

第十一回 海外との交流

第四部 次代への期待

第十二回 政治家たちとの丁々発止

第十三回 作家への期待、財界への苦言

堤清二か辻井喬か、辻井喬か堤清二か、謎解きに迫る … 御厨貴

父、堤清二/辻井喬 … 堤たか雄

堤清二×辻井喬略年譜

オーラルヒストリー実施記録

共産党から三島由紀夫、さらには右翼の大物まで。
大企業経営から創作活動まで。
与党自民党の大物政治家との交遊を続けながら、選挙では「共産党か社会党といった革新政党です。自民党でない政党の候補に入れます」という。
もちろん、生まれ育ちも才能もまったく比較対象にはならないことを承知の上で、このウィングの広さに僕はシンパシーを感じずにはいられない。

そして、堤氏が50代になった頃、企業経営者として、「「私はここで何をやっているのかな」と思い始めた。少し自分自身でトレースしてみないといけない。どこで転機がきたのか。つまり、こと志と違って、このまま行っていると有害なことをやることになるぞ、自分自身で思い始めた時期がたしかにあったはずなのです」となる。「意識としては途中で変っていますね。それまでは、ビジネスを発展させることは、絶対に自分がやればプラスだった。人のためにもなり、世の中のためにもなるというつもりだった。それなりに一所懸命やってきた。でも80年代のどこかの時点で、これはちょっとおかしいぞと思い始めたのです」と。
働き盛りの50歳でこういう感覚に陥るのは、人として健全だなと思う。但し、経営者としてはそうとは言えないのだろう。ひと昔前の「55歳定年」というのは、ある意味で健全な制度だったと常日頃感じている。

余談だが、堤氏が率いたセゾングループのメインバンクは僕の古巣である。「メインバンクは監視能力がないということですか。(笑)」「はっきり言えばそうです」というような古巣のデクノボウ(DKB※)振りを示す場面が何度かある。しかし、メインバンクであり続けた愛すべきデクノボウであり、堤氏もそう思っていたはずだ。

本書のオーラルが実施されたのは、2000年から2001年。堤氏が亡くなったのが2013年。「現代」が「歴史」になる瞬間に立ち会ったように感じられる、そんなオーラルヒストリーである。

※ 第一勧業銀行はアルファベットの略称が「DKB」。合併銀行ゆえのサイズ(僕が入行した時は総資産世界一だった)のデカさとおっとりしたお人好しタイプの行風が時に愚鈍さを感じさせることがあり、「デ(D)ク(K)ノボ(B)ウ」と揶揄された。

(2016年12月1日)

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