2005年前後の設定と思われます。
36歳のプロ肖像画家である「私」が、その年の3月半ばの
日曜日の午後に、3歳年下の奥さんから別れを切り出される
ことが物語の始まりです。
同じ年の12月の第2週か第3週に再会します。
奥さんは妊娠7か月です(父親は誰か?難しい問題です)。
夫婦はやり直すことを決めて、とりあえず物語は閉じられます。
『騎士団長殺し』は、この約9か月の間の出来事を
描いています。
感動を誘う家族再生の物語、では決してありません。
たくさんの血が流れます。「ほんとうの」あるいは
「メタファー」としての血が。
さて、「私」は日曜日のうちに荷物をまとめて、
プジョー205で東北地方を放浪し始めます。
肖像画の仕事も辞めてしまいます。
1か月ほど東北を放浪したあと、5月の終わりに、
小田原に建つ、高名な画家の自宅兼アトリエを借りて、
12月まで住まわせてもらいます。
この画家は「私」の美大時代の友人の父親で、
雨田 具彦(あまだ ともひこ)といいます。
今は「オペラとフライパンの違いもわからない」ほど
ぼけてしまって、とても金のかかりそうな施設で
寝たきりです。
「私」は小田原駅前の絵画教室の講師として
働き始めます。
そして7月か8月に「騎士団長殺し」と題された絵画を
天井裏に発見するところから、物語が動き始めます。
「騎士団長殺し」は、モーツァルトのオペラ
「ドン・ジョバンニ」の一場面を飛鳥時代に「翻案」して
描かれた日本画です。
具彦はこの作品を世に出さなかったようです。
主な登場人物です。
谷を挟んだ山あいに建つ白い大邸宅に住む
免色 渉(めんしき わたる)。
絵画教室に通う13歳の少女、秋川まりえと
叔母の笙子。
「私」のガールフレンド(41歳の人妻)。
絵画から抜け出てきた「騎士団長」と「顔なが」と
「ドンナ・アンナ」。
放浪時に出会った「白いスバル・フォレスター」の男と
一度だけセックスをした女。
美大時代の友人、雨田政彦。
お話の核になるのは、(私の計算だと)10月から12月の
10週間です。現実と非現実の境界が曖昧になる
謎多き出来事(よく言われる「ハルキ・ワールド」です)
が次々と起こります。
絵の発見後、「私」は深夜1時45分くらいに鈴の音を
聞くようになります。
鈴の音の追うことでアトリエの裏の雑木林に、巧妙に
隠された直径1.8m、深さ2.8mの穴が見つかります。
内側は継ぎ目のない石壁になっています。
「私」はほぼ週一で41歳のガールフレンドとセックスをします。
その他にも性行為の描写がたくさん出てきます。
免色は職種はわかりませんが、相当の金持ちです。
かつて東京拘置所に拘留された経験があります。
そして最新のクーペタイプと、60年代のオープン・カーの
ジャガーを所有しています。いつもぴかぴかです。
「私」は免色とまりえの肖像画を、それぞれ描きます。
東北で出会った「白いスバル・フォレスターの男」の
肖像画も描きます。雑木林の「穴」の絵も描きます。
この小説においては重要な行為なのです。
騎士団長は身長60センチです。
1対1で話す時も、相手のことを「諸君」と呼び、
「~ではない」と言うところを「~ではあらない」と
言います。
こうしたエピソードに、「私」の3つ下の妹(12歳で心臓の
病気で死んでしまう)の思い出が重要な挿話として絡み、
1938年のオーストリア併合と南京入城という歴史も
背後に重く存在しています。
11月4週目の金曜日にまりえが姿を消してしまいます。
「私」は彼女を救うためにまず騎士団長を刺し殺し、
おびき出した「顔なが」が開けた穴に潜りこんで
「無と有の狭間を流れる川」の水を飲み、
その川を渡って、「二重メタファー」の餌食になることなく
細い細い道筋を通り抜けて、再び「こちらの世界」に
戻ってきます。
戻ってきたとき、翌週の火曜日になっています。
まりえも帰宅します(彼女は免色の家に潜んでいました)。
ここまで書きましたが、全く面白そうに思えないでしょう笑
いかに文体が大きな存在かが良くわかるし、
「井戸掘り」とか「壁抜け」と言われるこの小説的装置を
一般的な言葉で説明するのはとても難しいです。
最終章、「私」は東日本大震災の映像を無力なまま
眺めるかたわら、肖像画を描き続けています。
家族を養うために。
その2か月後には小田原の家も「騎士団長殺し」も
焼失してしまいます。
それでも「私」は自分に具わった「信じる力」を信じて、
生きていくことを決めています。
これまでにはあまり見られなかった終わり方です。
おそらく第3部があるのでしょう。
次回はもう少し突っ込んだことを書きたいと思います。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
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