続・猫と饒舌の日記

文筆家・古谷経衡のオフィシャルブログです。
2017年3月より再開
2015年9月一旦休止
公式サイトは http://furuyatsunehira.com/


テーマ:

 

 私はある時期まで、飛行機が大の苦手だった。その原因は、大学1年生の時にノンフィクション作家・吉岡忍氏の『墜落の夏』(新潮社)を読んだからである。

 

 この本は、1985年に御巣鷹に墜落した日本航空123便の事故(通称・日航機墜落事故)に迫った珠玉のもので、現在でもノンフィクション作品の金字塔とされている。その、真に迫った事故の筆致があまりにも鬼気迫るものがあり、逆に言えばこの本をきっかけに私は日航機事故の本のみならず航空機事故全般の本を読み漁ることとなり、ますます飛行機が怖くなっていった。

 

 ちなみにこの吉岡氏は、現在私が所属する日本ペンクラブの専務理事をやっておられる方で、私の同会への入会においては、その推薦人になってくだすった方であり、ここに運命の偶然を感じずにはいられないのである。

 

 さて、幸か不幸か、航空機恐怖症になってしまった私は、爾来、どこへ行くにも陸路と海路を選択するという明治時代の人間のような生活を送ることになる。まず、私は京都で大学生をしていて実家は北海道だったので、夏休み・冬休みに帰省する際には、京都から鉄道で福井の敦賀まで行き、そこからフェリーで小樽まで向かうという、総計30時間の船旅に耐える。

 

 或いは、寝台電車(当時はまだ存在していた)で日本海側をえっちらおっちら、京都→福井→石川→富山→新潟→秋田→青森→函館→札幌(復路はその逆)というように、こちらもほとんど丸一日かけて往復したりしていた。

 いずれにせよ、時間はかかるが、学生だったので学割(20%引き)が効いたというのも大きかった。当時、まだ燃油サーチャージとかいう概念がなかったので、とりわけ船便は安く、片道7,000円足らずで京都と北海道を行くことができたのである。そうまでして私は、飛行機を禁忌していたのである。

 

 しかし、本や原稿の取材のために出張が必要となってくると、これは例えそれが国内であっても、飛行機に乗らないわけにはいかなくなる。例えば大学生の時、東京~広島を青春十八切符で行ったりしていたが、そんな時間的余裕はない。

 航空機を使わなければ締め切りその他すべてが間に合わない。アメリカやフィリピンや中国や台湾に行く手段は飛行機しかない。否応なしに私の人生は、幸いなことに飛行機に乗らざるを得ない状況が現出したのである。

 

 そうなってくると不思議なもので、あれだけ嫌いだった飛行機がだんだんと好きになってくる。『墜落の夏』の描写以外にも、私はあの、飛行場で待ち受ける出国検査とか、金属ボディチェックだのという大仰な儀式が否に緊張感を増幅させ、また機内に入った後も、CAがイチイチ「緊急脱出の方法」とかを見せるのも、すわ「事故」の二文字を連想させて胸がドキドキするのである。

 そして、まんじりともせず滑走路の上を行ったり来たり、ずーっとのろのろ走っていたかと思うと、思い出したように急にエンジンを蒸かすあの唐突な離陸も、実に恐怖だったのである。

 

 しかし飛行機に、何十回も乗ってくるうちに、もうそういうのは全然慣れてくるようになり、そもそも飛行機に乗らないと生活ができない(原稿が書けない)のだから、それまで全く興味がなかった乗機ごと(&買い物など)でたまるマイレージクラブに入会して、マイル積算率の高い専用クレジットカードを使ってマイル貯金に励んだりする。

 

 また、「あれはエアバスA380だな」とか「これはボーイング787だな」とか、飛行場に駐機してある機影を見ただけで瞬時に機種まで分かるようになったし、どの空港からどのキャリアのどの都市への路線が就航しているかも、大凡貪欲に情報収集するという塩梅なのだから、ここ七、八年での私の飛行機恐怖症克服は瞠目するべき病状の完治事例として医学誌に掲載されるべきであろう。

 

 だが、実は、いまでも必ずやっていることは、飛行機チケットを買う際に、最後尾の席を買い求めていることだ。なぜなら『墜落の夏』で、機体最後尾に座っていた乗客の方が助かっている(4名)ことが記述されていたからだ…(ただし、機体最後尾に座ることと生存率の相関が、必ずしも科学的に立証されたわけではない)。もしかすると、治ったように思える私の飛行機恐怖症はまだ完治には至っていないのかもしれない。

 

墜落の夏』名著なり。毎夏、無念のうちに亡くなったあの事故の犠牲者の御霊には心中、黙祷をささげている。

 

 

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)

古谷経衡さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります