ゴールのために生きるのではなく、より良く生きるために「ゴール設定」がある | オズの魔法使いのコーチング「Et verbum caro factum est]

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故ルー・タイスの魂を受け継ぐ魔法使いの一人として、セルフコーチングの真髄を密かに伝授します

前回記事で引用した状況について再度考えます。
「人の脳機能を正しく理解することなしに、心理操作テクニックなどを安易に取り入れた結果」(苫米地英人著「まずは親を超えなさい」より引用)は「現状の最適化・奴隷の幸せ」であると指摘しました。


するとその「心理操作テクニック」とは「本当はやりたくはないが、仕方がないので無理やりやるための方法」と言えます。
なぜなら現状とは、他人の思惑で重要性を与えられた過去の情報状態のことだからです。その情報状態に「本当にやりたいこと」は存在し得ないのです。


(苫米地英人著「洗脳力」より引用)
「他人から与えられたこと」あるいは「他人がこうしたらいいと言ったこと」は、それがいかにすばらしい理念であっても、「自分が本当にやりたいこと」であろうはずがありません。他人からきたものだからです。自分が本当にやりたいことは、自分で発見し、自分で感じ、自分の頭で考え、自分の頭で結論を出し、そして、無我夢中でそこへと向かってしまうものであるはずです。他人に与えられ、影響されたものは、内容がいかにすばらしくても、そして、たとえ自分がそれをいかに評価していたとしても、「自分が本当にやりたいこと」ではない可能性が高いことに気付いてほしいと思います。
中略
本当に自分がやりたいことではなかったことをやりたいことだと勘違いしてやり続けてしまうと、こうした不幸に陥ってしまいます。みなさんも今、これが夢だと思っていることがあったとしても、もう一度よく見つめ直してみてください。もし、自分の夢が自分のものでないとしたら、手遅れになる前に、一度、自分の夢を疑ってみてください。
自分で考えて決めた夢だと思っていることでも、たいていは純粋に自分で決めたことではありません。多くの場合、他人の価値観に影響された、あるいは知らないうちに強制されたものです。
(引用終了)


「自分が本当にやりたいこと」であるなら、無意識の判断・行動として「無我夢中でそこへ向かってしまうものであるはずです。」
ところが「人の脳機能を正しく理解すること」がないと、「本当に自分がやりたいことではなかったことをやりたいことだと勘違いして」しまう。それでは「無我夢中でそこへ向かう」はずもなく、「本当はやりたくはないが、仕方がないので無理やりやるための方法」として「心理操作テクニック」が必要となるという訳です。


「心理操作テクニック」の限らず、テクニックを必要する夢や目標は、「本当はやりたくない」「他人の価値観に影響された、あるいは知らないうちに強制された」代物です。
紙に書いておかなければ忘れてしまうようなものや、ステップバイステップで進まなければモチベーションが維持できないものは、夢でも目標でも何でもありません。


誤った目標へ向かう「心理操作テクニック」が洗練されればされるほど、酷いことになります。他人に価値観を強制されることを奴隷化と呼ぶなら、洗練された「心理操作テクニック」はより優秀な奴隷養成プログラムと言えます。


しかし「人の脳機能を正しく理解」からすると、「本当に自分がやりたいことではなかったことをやりたいことだと勘違いして」しまうことは一般的な傾向です。
むしろ「自分の頭で考え」「純粋に自分で決める」ことが稀です。


「本当にやりたいこと」は現状の情報状態から抜け出して、外側から自分の情報状態を見つめて見えてくるものです。

現状のブリーフシステム(認識パターン)の外側から、ブリーフシステム(認識パターン)を見つめる視点を構築することが必要です。
この視点の構築をタイスプリンシプルでは、「現状を超えたゴール設定」と呼んでいます。

その「ゴール」自体が目的ではなく、ブリーフシステムの外側の視点を得ることが目的であり、「ゴール設定」に求められる「機能」です。

その「ゴール」は暫定仮であるので、「純粋に自分で決めたこと」でなくても問題ないのです。
ブリーフシステムの外側から、自分の情報状態を自由自在に眺めることが出来れば、「自分が本当にやりたいこと」を、「自分で発見し、自分で感じ、自分の頭で考え、自分の頭で結論を出す」ことが出来ます。


暫定仮ゴールを前提としたあるべき情報状態を想定することで、その差異として、現在の自分の情報状態を眺めることが出来ます。そして現在の情報状態を眺められれば、暫定仮ゴールへ向けて動き出します。
動き出した後も、常に視点は外側に置いて、動き出したシステムを眺める必要があります。
具体的には、暫定仮ゴールの持つ表裏を正しく見つめ、常に疑ってみることです。なぜなら暫定仮ゴールは「純粋に自分で決めたこと」でない可能性が高いからです。
暫定仮ゴールの数次の見直しを経て、「本当にやりたいこと」に近づくのです。


「一度、目標を決めたら一心不乱に没頭するのが正しい」とか何とかの不思議な社会的洗脳があります。これは優秀な奴隷を養成するには有用ですが、「本当にやりたいこと」を見出すには有害です。
暫定仮ゴールを設定した後、「何かがおかしい」と感じたら、暫定仮ゴールの見直しに躊躇は無用です。


ゴールは暫定仮であることを忘れ、「何かがおかしい」のはテクニック上の問題だと誤解するのは大間違いです。
「おかしい」のはテクニックではなく、ゴールそのものです。「本当はやりたくはないが、仕方がないので無理やり」やっている危険があるからです。そこでモチベーションを維持するために「心理操作テクニック」を加えれば、優秀な奴隷への高速道路となります。


絶対正しい自明(アプリオリ)のゴールなど存在しません。生まれ持った使命などは、身分差別のカルト概念です。
従って、ゴールのために生きるのではなく、より良く生きるために「ゴール設定」があるのです。