「バルザックと小さな中国のお針子」/一九七一年、中国の青春
テーマ:早川書房ダイ・シージエ, Dai Sijie, 新島 進
舞台は悪名高き毛沢東による、文化大革命後の中国。知識人は悪、農民は善とされ、毛主席とその一派以外の本は姿を消した。そして、知識人を父に持つ「都会青年」である羅(ルオ)と僕は、高い高い鳳凰山にある村へと送られる。
農村に送られたのは、彼らが最初でも最後でもない。僕たちより不幸な若者もたくさんいたけれど、僕らが不運だったのは、二人の親が「人民の敵」であったこと。高校への入学は拒否され、中学を三年終えただけで農村へと送られた、十七歳と十八歳の僕ら二人の帰還の確率は千分の三。羅と僕は村の中心にある高床式の家を与えられ、人力が唯一の運搬手段である狭く険しい山道をのぼっての山仕事に励む。
そして、出会った恋と西欧の物語…。
そう長い物語ではないのだけれど、これはいいですよー。
『柘榴のスープ 』のように、大きな運命を体験した作者がユーモアを交えてそれを描く感じ。
映画監督でもある作者のダイ・シージエは、実際に1971-1974年の間、下放政策により四川省の山岳地帯で再教育を受けたのだという。実体験はこんなにユーモア溢れるものであったかは分らないけれど、辛いことをただひたすらに辛いと描くことをせずとも、伝わることはきちんと伝わるし、逆にこの描き方だからこそ伝わってくることもある。
左目に血の粒が三つある五十がらみの村長、村長が思慕の念を抱く羅の小さな目覚まし時計、彼が来ることはこの上なく名誉でありお祭りでもある仕立て屋、羅と恋に落ちる仕立て屋の美しい娘「小裁縫(シャオツァイフォン)」、そして同じく下放されていた友人メガネが隠し持っていた、西欧の小説との出会い。彼らの瑞々しい感性が出会う様々な人物に出来事。娯楽のない村の中で、語り手として認知された羅と僕は、町の映画館に行くことを許され、その一字一句を村人たちの前で披露する上映会を行ったりもする。
「物語」のない世界で触れた「物語」を、羅と僕は貪欲に吸収していく。
そしてそれは羅と恋に落ちた小裁縫もまた…。
もう一つ思い出したのは、「ストリート・キッズ」シリーズの二作目、「仏陀の鏡への道」のこと(「ストリート・キッズ」関連の記事はこちら
とこちら
)。
こちらは一九七七年。一人の姑娘に心を奪われた、有能な生化学者を連れ戻す任務を与えられたニール。しかし、ミイラ取りがミイラとなり、ニールまでもがその姑娘に心を奪われてしまう。そしてここでもまた、文革と物語が重要なキーとなる。ちなみに、こちらの山は「蛾眉山」。これな実在の山だけれど、鳳凰山はどうなのだろう?
「物語」のない世界は嫌だけれど、極限の渇きの中で出会う物語の甘露のような甘さ、ちょっとその体験が羨ましくもあるよなぁ。
- ドン ウィンズロウ, Don Winslow, 東江 一紀
- 仏陀の鏡への道 (創元推理文庫)












1 ■こちらもTBさせて頂きました
いいですよね、この本。
続編もあるらしいんですけど、邦訳はないみたい…
というか、その後が分かるのは映画だったかな…?
2作目「フロイトの弟子と旅する長椅子」も
なかなかいいらしいですよ。
独特のユーモアが健在だそうです。(私は未読)