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2007-01-14 22:54:00

「村田エフェンディ滞土録」/私と、私に連なる者たち

テーマ:角川書店
梨木 香歩
村田エフェンディ滞土録

目次
一 鸚鵡
二 驢馬
三 ヨークシャ・プディング
四 神々の墓場
五 アジの塩焼き
六 羅馬硝子(ローマガラス)
七 ニワトリ
八 雑踏の熊と壁の牡牛
九 醤油
十 馬
十一 狐
十二 雪の日
十三 山犬
十四 大市場(カパル・チャルシュ)
十五 まつろわぬ足の指
十六 博物館
十七 火の竜
十八 日本

「Disce gaudere」ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ
ムハンマドが通りで拾ってきた鸚鵡は、土耳古(トルコ)の下宿屋の食堂で叫ぶ。

さて、タイトルにあるエフェンディとは、学問を修めた人物に対する一種の敬称。よって、タイトルの村田エフェンディとは村田「先生」という程の意味で、家政を司る土耳古人のムハンマドは、下宿人のことを「エフェンディ」と呼ぶ。下宿人とは、質実剛健な独逸人の考古学者、オットー、発掘物の調査に当たる研究家であり、端正な美男で時に哲学者のようでもある、ビザンツの末裔だという、希臘人のディミトリス、それに日本人の留学生で、考古学を学ぶ村田。マルモラ海への眺望が素晴らしいというこの屋敷には、彼ら三人の学者と、英国人でこの下宿屋の主人であるディクソン夫人、土耳古人のムハンマドが住む。

信仰する神も違えば、民族も異なるこの人々と、日本人村田は友情を育んでいく。最後の村田の言葉を借りれば、「私は彼らに連なる者であり、彼らはまた、私に連なる者達であった。彼らは、全ての主義主張を越え、民族をも越え、なお、遙かに、かけがえのない友垣」となった。

また、「
家守綺譚 」ではないけれども、この屋敷にも様々なものが「出る」。払い下げられた遺物を建築資材とすることが珍しくもないこの街で、この屋敷もまた様々な神々の祭壇で出来ていたのだ。今はもう誰も拝まなくなった、名もない神たち。屋敷の壁には、そこで立つ事が習い性になっているビザンティンの衛兵がぼんやりと立ち、村田の部屋の壁には様々に形を変えるものや、牛の角がぼうっと浮かび上がり、波斯(ペルシア)から土耳古に入る途中、匪賊に襲われた木下から稲荷の札を貰って帰れば、ざわざわとざわめいた後に、これまで居た牛の角や羊の角などと三者がしんみりと語り合っているようでもある。

村田が日本に帰ることになった時に見た夢は、こんな夢。

巨大な牡牛と、キツネに山犬、アオサギに牡羊が、透明な炎を纏っているイモリのような小さな火の竜を真ん中にして、横になりくつろいでいた。それを横目で見ながら、私はアレキサンダー大王に向かい、気心が知れるまでの間なのだ、若しくは全く気心が知れぬと諦めるまでの間なのだ、殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界をつなげたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、見ろ、と懸命に説いている。

個別には「連なる者」となった彼らであり、土耳古の未来のために、懸命に働くものたちもいるのだけれど、村田が土耳古を去った後、事態は悪いほうへと進んでいく。ラスト、ディクソン夫人の手紙が知らせる事実は、あまりに切なく、哀しい。

人間は過ちを繰り返すもの。そして、人の世は成熟し、退廃する。人はそれを繰り返していくだけなのだろうか。しかしながら、繰り返す事で学ぶ事もある。繰り返した事は、全く同じでは有り得ない。それはきっと新しい型。「人が繰り返さなくなったとき、それは全ての終焉です」。

歴史とは物に籠る気配や思いの集積でもある。村田たちの友情も、何かに籠り、国境を知らない大地のどこかに、密やかに眠るだろう。

そして、日本に住む村田の手元に戻ってきたのは、絶妙なタイミングで、絶妙な言葉を叫ぶ、あの鸚鵡・・・。友よ!」
ちなみに、この村田は、家守綺譚」で綿貫と時折手紙のやり取りをしていた、あの村田であり、日本へ急遽帰る事になった村田は、綿貫の家を下宿先とし、高堂とも出会います。

本当に好きな言葉が沢山ある本だったのだけれど、西洋の合理的、明晰な論理性を叩き切る、シモーヌの言葉も良かったです。

そういう世界、知らなくもないけど。あまりにも幼稚だわ。分かることだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう、という、そういうことよ。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

あまりに感銘を受けたので、思わず色々メモしてしまいました。
→「
村田エフェンディ滞土録」覚書
←文庫化もされています。

コメント

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1 ■こんばんわ。

この作品、大分前に読んだんですよね。
なので、「家守綺譚」で出てきたときも、人は覚えていたのですが、こちらで綿貫の話が出てたかは忘れてしまって。
もったいない事しました^^;
もう1度読み直したいと思います。
この作品は、ラストがこんな辛いものだとは想像がつかなくて、悲しい気持ちで読み終えた記憶があります。

2 ■>苗坊さん

今回は偶々なんですが、両方そろえて読むことが出来ました♪
この本は、するする読むことは出来るけれど、含まれているものは、重いし沢山あるよなぁ、と思います。
綿貫と高堂に関しては、そんなに出てくるわけではないですものね。他の下宿人の印象も強烈だし。笑 ゴローが出てきたのも、嬉しかったです。
そうですね、ラストの辛い事。でも、余韻がある、最後の言葉が好きです。私にも「芯なる物語」があるのかしら、と思いました。
*トラバありがとうございます。この後、お返ししますね♪

3 ■超takam16

民族や人種や宗教の違いで人が争うことをいぶかしむ梨木香歩にとっては
当時のオスマン=トルコ帝国の形はさぞや
理想の形であったと思います。
しかし、民族自決の運動がはじまったのが本書が描かれた時代のすこし前と記憶しますが、
そういう著者の理想形が100年以上もさかのぼらねば見いだせないのはまことにもって
残念であり、それゆえに著者はこれからも
こういったテーマを中心に物語を書き続けることになるでしょう。
とすると、著者の寿命があと200年あったとしても手を変え品を変えながらさまざまな外見内面の異なる人間が共栄共存するさまを求め続けるのだろうと思います。

本書は作品の中では短い方ですが、
著者にとっては込められた想いが最も強い作品
といえるでしょう。


4 ■>超takam16さま

・・・なぜに、”超”??笑

そうですねえ、私は「からくりからくさ」のキリムから発したクルドの話、『春になったら苺を摘みに 』におけるウェスト夫人の「理解は出来ないが受け容れる」という考え、これらが絡み合って出来たような物語だと感じました。『家守綺譚』における高堂のカヌーが『水辺にて』になったのかなぁと思ったり、梨木さんは前の作品で出てきたものを、更に深化させて次の作品に出してくるような印象があります。いつも、より深まっていくイメージ。
奴隷であれど、奴隷ではない。棄教させることをしなかったオスマン=トルコ帝国は、面白い国ですよねえ。そうか、そういう意味で「理想の形」であったから、舞台として語られたということもあるのかもしれませんね。それでも、栄華を極めたくにもいつかは滅び、人間は過ちを繰り返す。しかしながら、過ちを犯す人間への視線が温かいと感じました。あまりにも、大きな犠牲ではあるけれど。
梨木作品、まだ読んでいないものもあるし、これからの作品も楽しみな作家さんですよね。

そうそう、作品としては短いけれど、ずしーんときました。後で、ずらずら覚書を書いてしまうほどに。笑
梨木さんの作品は、一見ほのぼのしていたり、不思議が跋扈するので、やさしげにも見えるけれど、それだけではない物語ですよね。広がり、繋がり、深さを感じます。

5 ■こんな本があるとは…

こんばんは、nanika さんのところを経由してのぞかせていただいてます。
『家守綺譚』の関係でこういう小説があるとは知りませんでした。
探して読んでみます。

6 ■>ディックさん

いらっしゃいませ。
訪問&コメントありがとうございます。
ディックさんとは、あちこちですれ違っている様に思います。笑 よろしければ、今後ともどうぞよろしくお願いします。

『家守綺譚』も良いですが、この『村田エフェンディ滞土録』を読むことで、更に立ち上がってくる事もある思います。良い本ですので、是非是非。

7 ■図書館に予約を入れました

きょう2冊空きができたので、『顔をなくした少年』と一緒に予約しました。お世話になります。さらっと探検させていただきましたが、つな さんは読書範囲が広く、感想がたくさんあるので、このブログは楽しみです。

8 ■>ディックさん

再び、ありがとうございます♪
『顔をなくした少年』は、『穴』の荒唐無稽さはありませんが、「顔をなくす」という事象が面白い本です。
『村田エフェンディ滞土録』は、本当に色々と考えさせられる本です。「芯なる物語」を楽しんでくださいませ。
>読書範囲が広く
いやいや、雑多なのです。笑
でも、ありがとうございます♪
ディックさんのところにも、共通した本があるなぁ、と私も探索させて頂きました。

9 ■無題

普段(普段=仕事中)は極めて現実的で、可能な限り合理的でいようとする私ですが、この作品の世界に入り込んでしまうと、現実世界になかなか戻ってこれなくなりました。
こういった優れた物語(ファンタジー?)を読むと、合理の世界を超えたところの世界を知ることの豊かさ、というものもあることを知らせてくれます。

10 ■>nanikaさん

梨木さんのエッセイを読むと、小説とはまた違って一面が見えてきますよ~。
物語では、一見すかすかした感じだけれど、エッセイではむしろぎっちり。
合理的であることが本当にいいのか、それは梨木さんの長い間の問いのようにも見えます。
*トラバ返し、ありがとうございました~。

11 ■うおおぉ!!!!

TBうまくいきました!!!
これで迷惑かけずにすみます…。
また調子悪くならなけりゃいいけど。

綿貫といい村田といい、わりと平然と怪異(?)を受け入れますよね。
僕にとってもシモーヌの言葉は頭が痛いです…。

12 ■>おんもらきさん

うわー、トラバが通ったー!!(感激)
すごいなぁ。ほんと、がんばってこの状態をキープしてほしいですよね、アメブロ。笑

かけ離れたところに怪異があるのではなく、自分の隣にひょいっとこの世ならぬものがある世界ですよね。
合理的とはまた別の判断基準・・・。曖昧なこと、グレーゾーンがある方が、普通の世界なのかもしれませんね。

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