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2006-11-29 21:57:02

「わたしたちが孤児だったころ」/揺らぐ世界の中で・・・・

テーマ:早川書房
カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 入江 真佐子
わたしたちが孤児だったころ

わたしを離さないで 」のカズオ・イシグロ熱が冷めやらないまま、読んでみました、こちらの一冊。上海の租界で育ったイギリス人、ロンドンの社交界、私立探偵・・・と、私が好きな要素が詰まっていたので、「わたしは~」の次の一冊に選んだんだけど、流石カズオ・イシグロ。一筋縄ではいかない感じでありました。

目次
PARTⅠ 1930年7月24日 ロンドン
PARTⅡ 1931年5月15日 ロンドン
PARTⅢ 1937年4月12日 ロンドン
PARTⅣ 1937年9月20日 上海、キャセイ・ホテル
PARTⅤ 1937年9月29日 上海、キャセイ・ホテル
PARTⅥ 1937年10月20日 上海、キャセイ・ホテル
PARTⅦ 1958年11月14日 ロンドン
訳者あとがき

主人公は、クリストファー・バンクス(幼少時のニックネームはパフィン)というイギリス人男性。幼少時を上海の租界で過ごした彼は、十歳にして両親を失う。父と母が別々に失踪を遂げたのだ。クリストファーはイギリスに住む裕福な伯母の元へと、ひとり送り返されることになる・・・。

寄宿学校とケンブリッジ大学を順調に卒業した彼は、いよいよ兼ねてからの計画に乗り出すことになる。それは、私立探偵になるということ。これは、勿論ついに行方が知れなかった彼の両親の事と無縁ではない。そう、上海での最後の幼き日々、隣家の少年、アキラと父を探す警官ごっこをしたように。

私立探偵としてこちらも順調に名を上げた彼は、いよいよ満を侍して上海に乗り込むことになる。強い倫理観を持つ気高く美しい母は、イギリスの企業がアヘン貿易に手を染めている事に対していつも憤っていた。その企業には、夫が勤め、彼ら一家の生活を支えていた企業までもが含まれていたのだが・・・。

クリストファーは母の強い倫理観や、その母に応えようとする父の行動が、謎の失踪事件に関わっていると考え、事件から20年以上が経過しているにも関わらず、両親の無事を疑わない。そう、彼らはきっとどこかに幽閉されているだけであり、探偵として力をつけて来た彼の力をもってすれば、事件は解決するはずなのだ。また、クリストファーが乗り込んだ上海の社交界の人々も、彼の快挙を疑わないように見えるのだが・・・。
語り手はクリストファーなのだけれど、読者はこの語り手をどこまで信用していいのか分からない。最初からちらほら覗く、彼の主観と客観とのズレが、段々大きくなってくるようでもある。臨場感溢れる今現在の供述のようでいて、「とはいえ、これは~年(日)前のことだ」というように、読者はそれが既に起こってしまった事の回想であることを後から知る。そう、読んでいる内に、世界はどんどん揺らいでいくのだ。

20数年前のたった二人が消えた事件を、世の人々はいつまで覚えているものなのだろうか? 本当に彼らの無事を信じているのだろうか? そして、クリストファーが、自身に寄せられていると信じている期待は本物なのか? 既に日中戦争が始まっており、優雅で怠惰な上海租界の社交界で行われるパーティーの外では、日本軍による爆撃が光る。悪と戦ってきた私立探偵は、この状況をも、たった一人で変えられるというのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ。この作品に出てくる孤児は、三人。クリストファー自身。クリストファーが惹かれる女性、サラ。クリストファーが引き取った、身寄りのない少女、ジェニファー。何かの証を立てたいと必死に願っていたサラは、既に引退しようとしていた名士、セシルとの婚姻にその証を得た。ジェニファーは両親がいないことなど物ともせぬような、生気あふれる賢い少女であったが・・・。

わたしたちが孤児だったころ。訳者あとがきのイシグロの言葉にもあるように、「過去にこのような強いトラウマを持たないふつうの人々も、親の庇護のもとでぬくぬくと暮らしていたところから巣立ち、初めて現実の世界に立ち向かったとき、世界とは親から聞かされていたようなすばらしいところでは決してないという事実に直面させられる。突然、世間の荒波の中に放り出されたわたしたちも、言ってみればみな孤児のような時期を経験している」。私たちが、大人の庇護なくして初めて世界に打って出る時、そのとき、私たちはイシグロの言うように、世界に対して無力な孤児なのかもしれない。世界は子供の頃信じていたような、若しくは信じ込まされていたような、温かい、明るい場所だけではない。そして、その外の世界から見れば、個人にとって重要だった出来事も、それは瑣末な出来事になってしまう。

しかし、そうであっても尚、やはり個人にとって重要なことは、その個人にとっては大切な事である。孤児として世に出る私たちは、そこでまた新たな関係性を形作っていくものなのかもしれない。ラスト、養女ジェニファーにも何か良くないことが起こった事が示唆され、もう彼女は生気に溢れた少女ではないことが知れる。それでも、ここまで形作ってきたジェニファーとクリストファーの絆は温かい。
いや、やっぱり良かったですよ、カズオ・イシグロ。さて、次は何を読もうかな~。

 ← こちら文庫。

■カズオ・イシグロの感想
・「
わたしを離さないで 」/この無慈悲な世界の中で ← これにて瞠目
・「
わたしたちが孤児だったころ 」/揺らぐ世界の中で・・・・
・「
女たちの遠い夏 」/陽炎のようなあの夏の思い出・・・(もしくは、「遠い山なみの光」)


*臙脂色の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

コメント

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1 ■やっぱり

わたしは、つなさんほどは読めていないなぁ。
幻想度が高くなればなるほど、現実との乖離を感じるのが本筋だと思うのですが
「おいおい、戦闘中に誰に会っているんだよ」
と思ってしまう自分がいました。
次は「私を・・・」の予定ですが、どうかなぁ、読めるかなぁ。

2 ■>現実と幻想

>bookbathさん
「わたしを~」ではなくて、こちらから読まれたんですねー。
イシグロは、幻想的な方が疑うことなく読めて、現実の方が疑わしいと思いながら読む必要があるという、不思議な作家さんですよね。「日の名残り」が一番現実的だったように思うんですが、あれもまた、語り手を信用すべきではないのかなぁ。なんか、「日の名残り」はがっちり現実であるようにも思うんですが。
「わたしを~」は確実に現実から離れているので、こっちの方がある意味では安心して読めるのかもしれません。「読める」「読めない」って難しいですよね。笑 私も取りこぼしてるところが良くあるので、くやしーー!!、と思うです。笑 「読める」「読めない」というか、どうせなら物語を味わいつくしたいというか、楽しみたいとう欲求はありますもんね。bookbathさんの自己紹介バトンでの「悩み」も興味深く読みました。笑
トラバもどもです。この後、お返しします。

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