2006-01-26 08:28:49
「オクシタニア」2/2-女にとって男にとって、救いとは何か、神とは何か
テーマ:集英社
- 佐藤 賢一
- 「オクシタニア
」
昨日 の続き。三章までで、主要登場人物は出揃った。
さて、ここから彼らはどう生きてゆくのか。
第四章 異端審問
今ではドミニコ会士となったエドモンが再び語る。
オクシタニアの異端は容易に撲滅されず、カタリ派の活動は地下に潜り、実態の把握は以前よりも困難を極めた。南部の領主も、聖職者も、領土や荘園を取り戻してしまえば、もとより邪宗の根絶にそれ程熱心ではない。これに業を煮やした教皇グレゴリウス九世は、一二三三年、勅書を発布し、ここに「異端審問」が成立する。そして、この「異端審問」には、新参で信仰に燃える、刷新の修道会であるドミニコ会士たちが当てられた。ここに、ドミニコ会は教皇庁の直属となる。
三十九歳に長じたエドモンは、パリからトロサに異端審問官として戻ってきた。熱き若者は冷酷な告発者となっていた。彼は全てをあばく。そう、それは故人に至るまで。エドモンは「ドミニ・カラス(神の犬)」と蔑まれながら、棺桶を壊し、肉塊を掘り起こす。「キ・アイタル・フアーラ アイタル・ペリーラ(かくなす者は、かく滅びたり)」。火刑、公権剥奪、財産没収…。
トロサの人間、ほとんど全てを敵にしたようなエドモンに、旧友アントニだけは優しかった。アントニはジラルダの事を忘れよ、と説く。そう、エドモンの異端への怒りは、妻ジラルダに裏切られたという経験と無縁ではありえない。幸福な商人として、薔薇の都トロサで、順風万帆に歩める筈の人生を台無しにされたのだ。しかし、この怒りは既にジラルダに対するものとばかりは言えない。ジラルダを変えた異端に対する怒りであり、そうした思いが行動の地平を広げ、異端審問官を努める今日に通じているのだ。素朴な幸福を認めない、異端カタリ派をエドモンは断じて認めるわけにはいかない。肉体を蔑み、命を軽んじる異端カタリ派は、突き詰めれば死の教えに他ならない。未来への希望なくして、人は果たして生くることが出来ようか。
自治都市トロサとて、異端審問官にいいようにやられたままではおられない。町の執政団は、レイモン(ラモン)七世に、異端審問の行き過ぎに抗議する意味で、以後は聖界の協力要請に応えないように求める。異端の密告者が殺害され、ドミニコ会と市民は全面対決する。私刑にあったエドモンはラモン七世の知己を得るが、ドミニコ会は執政団の取り決めにより、市外追放の憂き目に会う。
市外追放にあったエドモンは、異端カタリ派の聖地であるという、ピレネの天嶮に鎮座するモンセギュールの調査を進める。そこにジラルダがいるはずなのだ。一人、モンセギュールへの偵察の道行きを行くエドモンの前に、偶然ジラルダが現れる。改めて出会ったジラルダは、ただジラルダでしかなかった。素晴らしい女でもなければ、邪な女でもない。妻であった頃となんら変わらないジラルダに、エドモンは神の啓示を見る。この女は固く自分に結び付けられた女であり、決して離れられない伴侶なのだ。それでも、ジラルダは彼の元に戻ってきはしない。
一二四二年、ラモン七世は満を持して反撃の狼煙をあげる。エドモンたち、十二人のドミニコ会士はアヴィニョネ城で袋の鼠となる。彼らドミニコ会士の死骸が、蜂起の狼煙となるのだ。
第五章 無冠の帝王
再び、ラモン七世が語る。
ラモン七世は、フランス王に欠片の忠誠も示さない独立国、異端の国を建てることを夢見る。それはまた、ローマ教皇の薄汚れた権威など、ひとつも通用しない聖域であり、無冠の帝王は無冠のまま、どんな支配者も置かない自由な理想郷を建てるのだ。そう、神の力など頼みはしない、全ては自分の力で整えるのだ。
オクシタニア全土が総決起し、南部騎士がラモンの元に集まるが、ラモンはまたも苦杯を喫する。二枚の壁と頼んだ、ラ・マルシュ伯ウグス・デ・リュジャン、イングランド王ヘンリー三世、ともにルイ九世の精鋭軍団に無残に蹴散らされ、ラモンが張った策は全てが裏目、裏目と転ずる。フランス王に降伏せよとの勧告に現れたのは、死んだはずのドミニコ会士エドモンだった。ラモン七世は、またしてもフランス王に敗北する。全てを持っている、恵まれている、勝ちに執着しきることが出来ないラモンは、持たざる人々に勝つことが出来ないのか。
これらのことと並行して、ラモン七世は白昼夢を見るようになる。肉体は全くの別人でありながら、誰の魂がその身に宿っているのか、彼には見ることが出来る。夢の中には、ジラルダが、エドモンが、また父ラモン六世が、フランス王父子が、騎士シモン父子が、時代は違えど度々現れるのだ。前世でも、現世でも、来世でも、転生するたびに同じ人間に出会うのはなぜなのか。別の時代で魂が交錯していればこそ、人はその出会いに特別な意味を感じ、それが運命というものの真相なのか。
エドモンに生きるのが怖いのだ、美しく負けたいだけだと看破され、何事かを得心したラモンは、完徳女ジラルダの信仰を、「自分は上等な人間だと思いたい」という心に過ぎにない、と迫る。ラモンとジラルダが似ているがゆえに、エドモンはラモンの苦悩を見抜いたのだ。ラモンはジラルダが毒虫さながらの生命力を恥じながら、ひたすら敬虔な人間であることを求めているだけだ、と断じる。
「あの御坊が欲しいんですやろ」。
第六章 聖地
最後の章は、男たちを結び付けていたジラルダが語る。
一二四三年、再び十字軍が宣言され、カタリ派の聖地、モンセギュール包囲が始められた。雪が吹き荒ぶ中、ジラルダたちは篭城を強いられていた。ジラルダたち「良きキリスト者」は、雇い入れた傭兵達、南部騎士との生活の軋轢に苦しむ。十字軍の攻撃に晒され、冬山に閉じ込められたジラルダの思いは、現在や過去へと千々に乱れる。肉体を否定し、死をも恐れぬはずが、徐々に狂っていく出家者、完徳者たち、過去、エドモンに頼り、浅ましく救われようとした自分、目前に迫った危機への恐怖に捕らわれる自分。自分の信仰は、ラモン七世の言うとおり、ただ自尊心を満足させる方便に過ぎぬのか。
砲撃が飛び交い、絶体絶命のモンセギュールにやって来たのは、十字軍の全権代表を称した、ドミニコ会士エドモンであった。いまだ迷いの渦中にいるジラルダに、平らかな目をし、総身に確信を漲らせたエドモンは眩しかった。そもそもは、魂を磨きたいと志を立てたのは自分であったはずなのに、なぜ自分ではなく、エドモンだけが成長できるのか。それは信奉する神の違いなのか、人間としての差であるのか。
エドモンがやって来たのは、十字軍、聖俗それぞれの総大将の全権大使として、和睦を申し入れるためであった。和睦とはいえその内実は降伏勧告であったが、エドモンは意固地になって篭城している南部騎士たちの気持ちを溶かす。人間は必ずしも道理で動くものではない。さりとて帰依する神が侮辱されたくらいでは、誰も重い腰を上げたりはしない。前後の見境がない程に怒るのは、何よりも可愛い自分が傷付けられるからである。エドモンの言葉には説得力があり、対する教団の司教マルティの言葉は上すべるのみ。
エドモンの大きさに打たれたジラルダであるが、自分との差を感じるにつけ、何でもこなすエドモンの掌で転がされているような錯覚を受け、やはりここに至ってもエドモンを受け入れることが出来ない。モンセギュール城内の床に埋められた金櫃を掘り出して外に運び出し、新たな傭兵を雇い入れ、一発逆転を狙うことを提案したジラルダは、自らこの困難な道行を志願する。しかし、やはりこの冬山を越える道行きは非常に困難なものだった。遭難しかけたジラルダは、彼女を追ってきたエドモンに助けられる。助けられた山小屋で、ジラルダはようやくエドモンと素直に話すことが出来る。
ここからのジラルダの素直な心境の吐露は、この長い物語にここまで付き合ってきただけに、感慨深いものがある。恐らくはこの長い物語は、ただこの一組の男女の結びつきを描くためにある。エドモンから、ラモン七世から見たジラルダは、少々得体の知れない存在であったが、彼女はもっと自由に生きたいと願う、ただの若い女であった。彼女もまたようやく、小さな存在であった自分を認めることが出来る。
ジラルダは一般的な女性とは少々異なるとは思うけれど、これまでの作を読んで「女性が描けないのでは」と疑っていた佐藤作品の中では、格段に「女」である。エドモンに救いを求め、守られながらも、その愛玩犬のような地位に落ちた自分を認めることが出来ない。さりながら、自らの力、才覚で何事かをなす事はならず、自由に生きるために出家したのだ。
一二四四年、モンセギュールはとうとう降伏勧告を容れ、開城する。城兵は自由に退去することが出来、何人もアヴィニョネ事件の関与を問われない。信仰上の過失を告白すれば、身柄が拘束されることはない。異端の信仰を捨てないものは直ちに火刑に処される。ジラルダは火刑を逃れ、ケリビュス城に金袋を届けた後に、エドモンの元へ戻ることを約束し、更にはエドモンと来世の約束を交わすのだが…。
プロローグとエピローグは、老いてトゥールーズの管区長となったエドモンによって語られる。「来世の約束」をした二人の信仰は、既に正統カトリックのものとは思われないが、ひたすらに神を求めた男女は、二人で永遠を手に入れた。生きるとは、肉体が朽ち落ち、魂とて覚束なくなることである。しかしながら、エドモンは来世の約束を胸に、醜くとも生きていく道を選びたいと願う。
ジラルダの行動はかなりエキセントリックでもあり、全て理解出来るわけではないけれど、溢れるエネルギーを持て余しながら、自分を偽ることの出来ないその生き方は、いっそ潔くもある。宗教は生きるためのものなのか、死ぬためのものなのか。神は生きることを望んでいると思うし、このエネルギーを持ったまま、恐れず生き抜いて欲しかったなぁ、と思う。
長く重い物語ではありますが(一章の戦場の描写なども、かなり辛い)、二人の男女の生き方にぴったり添った、満足感、充実感があります。エドモンはちょっと出来過ぎじゃない?、とも思うけれど。意地っ張りのジラルダ、トロサの都そのもののような、ラモン七世の生き方も何だか悲しい。でも、それぞれの人生の輝きを丁寧に描いた本だと思います。あっけない最期を遂げてしまうのですが、一章の神がかり的なシモンも、結構怖いです。「信じる」事の強さと怖さを感じます。読む時によって、誰に感情移入するかは違ってくるのかもしれませんが、登場人物の誰もがそれぞれ非常にボリュームのある人生を送っています。
(オック語、オイル語圏の違いを示すために、エドモン、ジラルダ、ラモン七世など、トロサ(トゥルーズ)の人々の語りは関西弁調です。最初は少々読みづらかったのですが、これが薔薇の都トロサの人々の自由闊達さ、北部フランス人たちの生真面目さを上手く表していると思いました)
*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。











1 ■無題
ジラルダとエドモンの対話の部分や心理描写、あるいはお互いに対する心の中の言葉が、やや冗漫で長たらしい。 また、ラングドッグ地方の言葉を関西弁に置き換えたわけだが、これは陳腐に思えて、最後まで得心できなかった。